表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖獣の国  作者: 回めぐる
7/9

Ⅴ 自分の重みを知るがいい

 

「お兄様は大変立派でいらっしゃっいましたね」


 貴族は大抵、口を揃えてそういった社交辞令を僕に投げかけてきた。僕もある程度の社交辞令で返す。いや、それでも兄が立派であったということは、皆の心からの言葉だったかもしれない。

 国民の前での戴冠式を終えたその日の夜。城の大広間で祝宴が執り行われている最中だった。兄は最奥の王座からフロア全体を見渡していて、その背後にはやはりリリアンネが静かに付き従っている。腹違いの弟妹たちは、王族としての役目を果たしながらも食事や談笑やダンスを楽しんでいるようだった。

 一方の僕はというと、すっかり壁の花を決め込んでいる。動く予定は今後もない。それどころか、人目を盗んで退散する算段までつけ始めたところだ。王族としては望ましくないが、こういった華やかな場では、僕は逆に雰囲気を壊しかねない。


「王子様どうして一人なんですか?」

「…………は?」


 そんな僕の計画を読んで、かつ妨害するかのようなタイミングで、隣に少年が現れた。服装から見るに貴族の息子だろうか。ジュースの入ったグラスを持って、じっとこちらを見つめていた。


「お兄さん、王子様でしょう? 第二王子のアイデルト様。ブラッディプリンス」

「……確かにそうだが、本人を前にして悪口を堂々と言うのはいかがなものかと思うぞ」


 どんな顔をしていいかわからなかったので、僕の表情は絶妙に歪んでいたことだろう。そんな僕を映した大きな瞳が揺らめいた。


「ブラッディプリンスって、悪口だったんだ……僕、かっこいいなって思ってたのに……」


 軽くショックを受けた様子だが、ショックを受けるべきなのは僕の方なのではないだろうか。すっかり慣れっこなのでなんとも思わないが。

 それにしても、息子がブラッディプリンスと話しているとあっては、親は速攻で引き離しに掛かりそうなものだが、どうしたのだろう。この子は迷子なのだろうか。

 しかし本人は不安そうな素振りも全くせずに、再び質問を投げかける。


「王子様はこんなところで何をしてるんですか? 他の王子様や王女様は色んな人とお話してますよ」

「性に合わないんだ、こういうのは」


 それしか言いようがなくて苦し紛れにした弁解で、とりあえず少年は納得したらしい。ふぅん、と気の無い返事をして、今度は新国王の方に目を向けた。


「王子様ってやっぱり、みんな王座を狙うものなんですか? お兄様に出し抜かれて悔しい?」


 なんてことを聞くんだこの子どもは。

 近くで聞き耳を立てていた女性は思わずこちらを凝視し、同じく様子を伺っていた青年は顔を青くした。今にもブラッディプリンスが子どもを八つ裂きにするとでも思っているのか。

 僕は溜息をついて、悪気のない瞳と視線を合わせた。


「いいか、この国は聖獣の国だ」

「せい……リリアンネ様のことですか?」

「そうだ。王族に生まれた者の中で適正が認められた者は、幼いうちに獣の卵を与えられる。それを孵化させ、立派な聖獣として育てた者だけに、初めて王の資格が与えられる」


 弟妹の中にも何人かは、聖獣を使役する者がいる。そうは言っても、リリアンネには遠く及ばず、変わり種のペットのような扱いであるが。

 それでも聖獣は聖獣だ。僕は王位継承権第二位であるが、実際は王位を継ぐ資格を持たない。聖獣を有さないからだ。


「そういうわけだから、悔しいも何もない。元から自分の手には入らないものだ」

「なるほど」


 わかっているのかいないのか、興味深そうに頷く少年。その顔が少しおかしくて笑う。

 


「じゃあなんで王子様には聖獣がいないんですか?」



 その問いによって、笑顔はすぐに凍りついた。

 適正がないからだ、と答えようとした。だが、言葉にしようとした途端に、違和感が無視できない速度で体内に膨らんでいく。

 適正がないと言えばそれは嘘だ。僕は獣に祝福されていた。小鳥も猫も犬もあの子も、僕に懐いて慕ってくれた。


 ――だから、あの子って誰だよ?


 脳裏にちらつく白銀の影。それに名前をつけようとしたその時――大広間は混乱の渦に叩き落とされた。


 甲高い音があちこちで立て続けに鳴り響いた。ステンドグラスが割れる音だ。招待客たちの悲鳴、悲鳴。逃げ惑う靴音。そして低い唸り声。


 とっさの判断で少年を抱えて蹲る。振り返った先に広がった光景に、目を見張った。たった今、目の前で貴族の男が血を吹き出して倒れた。喉元にはざっくりと切れ目があって、勢いのない噴水のようにどくどくと赤い液が流れ出る。また向こうでもう一人、喰らい殺された。恐ろしさのあまり逃げるとこともできずに震えている者もいる。


 ステンドグラスを破って飛び込んで来たのは、白い毛並みの狼たち。彼らはいとも簡単に抵抗する者を殺し、あとは鋭い眼光でひと睨みするだけで、あっという間にその場を制圧しようとしていた。


 呆然から我に返った僕は、抱き締めた少年を掴み揺さぶった。


「おい、決して動くな。恐ろしくても喚いたり逃げたりしてはならない。いいな?」


 虚ろになりかけた瞳は、強く声をかけるとなんとか立ち直って、小さく首肯した。

 それを見届けてから、腰の鞘から剣を引き抜いた。式典用の飾りだが、ないよりはましだ。剣の金属音に周囲の白狼がこちらを向いたが、構わずに走り出した。民を守ることが王の役目ならば、僕の役目は王も含めて全て守ることだ。


 それに、さっきから疼いて仕方がない。獣は全て殺さなければ!


 人々からこちらに意識を向けた白狼が数匹、飛びかかって来たが、全て斬り伏せた。白い衣装に返り血が掛かる。

 肉を断つ感覚を得る度に、満ちる恍惚。そうだ、獣は殺す、この僕が! ああ、愉快だ! 人を殺める魔獣に掛ける情けなどない! ほら、剣を振るうだけで簡単に死ぬ! 全て僕の思うままだ、ははっ、あははあははははははは――




『アイは、どうして今までたくさん獣を殺してきたの?』



 …………スヴァローネ?



 いつかの言葉が反芻して、迫ってきた白狼に向けたはずの切っ先が躊躇った。まずい、やられる。衝撃に備えて身を庇った瞬間、人影が間に立ち塞がった。


「この人はだめだよ」


 たった今、記憶の中から呼び起こされたのと同じ声。そこにあったのは、銀髪の男の後ろ姿だった。


「スヴァローネ……」


 スヴァローネが割って入った途端、白狼はぴたりと静止して大人しくなった。彼の言葉にははっきりと服従していた。まるで王に命じられた兵士のように。

 その表情はこちらからは見えないが、極めて優しげな口調でスヴァローネは続けた。


「アイはだめ、絶対だよ。その代わり他の人間は食べてもいいし殺してもいいよ。君たちの自由だ、わかった?」

 

 優しいからこそ、寒気がした。


「スヴァローネ! お前、何を言っている!?」


 肩を掴んで無理矢理振り向かせると、いつもと変わらぬ笑みを湛えていた。日常の中の表情を切り取ったかのようだ。今も周囲の至るところで、他の何匹もの白狼が人を襲っているのを背景に、スヴァローネはひどく安らかだった。


「アイちゃん久しぶりだねぇ。会えて嬉しいよ。あの夜はごめんね。俺ももう少しアイちゃんの気持ち考えてるべきだったよね」

「……スヴァローネ? 何を、言っている? 僕はそんなことを話してるんじゃない」

「そうなの?」


 でも、ごめんね。話は後でたくさんしようね。今はとりあえず、殺さなきゃいけない人間がたくさんいるからね。


 スヴァローネの言葉に、瞬時に理解した。彼は敵になったのだ。

 僕はスヴァローネの横を通り抜けて走りだした。スヴァローネは獣の代弁者だとわかっていたのに。彼が人間側の人間ではなく、獣側の人間だというところに、浅はかな僕は考えが至っていなかった。

 未熟さを痛感しながら、フロアの最奥を目指して走る。こんなところで新たな国王を失うわけにはいかない。兄はリリアンネを従えながら、やはり飾り剣を抜いて戦っていた。衛兵も駆けつけているが、場の混乱は増していくばかりで、収集が全く追いついていない。

 その時、急に兄がリリアンネの側を飛び出した。襲いかかる白狼を剣で薙ぎ払う。兄が駆けつけた先には、竦み上がって動けないドレス姿の少女が座り込んでいた。

 前方から襲いかかる方は、すぐに斬り伏せた。だがリリアンネから離れたことで、背後が隙だらけだ。その背中を狙った一匹が、今にも食らいつこうと兄をじっと見ている。


「兄様!」


 僕の声に気づいた兄は、すぐに振り返って飛びかかってくる後ろの白狼も斬った。やっと兄の側に辿り着いた僕も、さらにもう一匹襲ってきたやつの腹を不意打ちで蹴りあげて、心臓を一突きにした。


「ああアイデルト、すまない」


 厳しく口元を引き結んだ兄に、否定の言葉一言だけで答える。


「いいえ、これが僕の役目です。兄様、貴方は奥へ避難してください。この場は」


 引き受けます、と言い終える前にもう一撃、迫り来る攻撃から兄を守って弾き返す。硬い金属音が鳴る。僕の剣が受け止めたのは、爪や牙ではなく刃物だった。


「アイちゃん、なんで逃げるの? ついでに言うと、なんで邪魔するのかな?」


 短剣を構えたスヴァローネは、理解できないとばかりに眉を顰めた。


「お前こそ、この所業はどういうことだ!」


 力任せに押し返すと、スヴァローネは素早く後退して距離をとった。

 一撃を受け止めた後でも信じられない。スヴァローネに刃を向けられた。

 彼と共有した時間は、たった一ヶ月とそこら。信頼を預けるほどの何かがあったわけでもない。だというのに、ひどく動揺している僕は何だろうか。


「スヴァローネ、君には期待していたのだけれど。この国に仇なす側に与するというのか」


 そんな僕とは対照的に、極めて冷静な兄の声が問いかける。スヴァローネは笑った。いつか見たあの、憎悪に満ちた目を細める。


「与するって、変な言い方をするね。これは全て俺の意志だよ。みんなの方がそれを手伝ってくれてるのさ。この国の王族を皆殺しにするまで終わらないよ」


 兄がゆっくりとフロアに視線を走らせた。僕もそれを追う。あちこちに、他の死体とは別に、執拗に殺されたものがある。一つ違いのレオハルト。末の妹のマキーナ。それ以外は顔までぐちゃぐちゃで、誰だか判別がつかない。

 そしてすぐ側に生首が無造作に放られていることに初めて気づいた。父王のものだった。


 これら全て、スヴァローネがやったというのか?


「本当は一番殺したかったのは前妃のマルテーゼだったんだけどね。残念、三年前に死んじゃった。あーあ、あの女だけは絶対、俺が、惨たらしく殺してやりたかったのになぁ。……あれ、アイちゃんどうしたの? 俺のことそんなにじっと見つめて」


 言葉を交わす気にもならない。黙って斬りかかかった。

 繰り出す攻撃は全て軽く避けられる。不快だ。はぐらかされているようで気に食わない。ひたすらに剣を振るう僕を止める兄の声が聞こえたが、止まれなかった。

 かつて彼は、僕が翼狼が殺したことを咎めた。だから僕も考え方が変わり始めたのに。それなのに、お前は何故殺す? これは無益な殺しではないのか? 


「何故殺した……?」


 微かな呟きが溢れた。獣を殺したことを咎められた僕が、咎めたスヴァローネに今度は尋ねていた。彼の青い目と視線が絡む。


「アイにもわかるでしょ、俺の気持ち」


 渾身の一撃を、スヴァローネの短剣が受け止めた。痺れるほどの衝撃が腕に走るが、視線は青から逸らせない。

 この青い目をよく知っている。とても昔から。


 そうか、スヴァローネ。お前は――




「俺たちを引き裂いたこの王国を、決して許さない」




 憎悪。強い意志。そして悲哀。

 それらが複雑に混ざりあったスヴァローネの静かな叫びを聞いたのが、最後だった。

 全てを理解して呆然と立ち尽くす無防備な僕と距離を詰めたスヴァローネは、返り血に染まった衣装を破って僕の首筋に噛み付いた。

 意識が遠退き力が抜ける僕の身体をふわりと抱えたその腕は、暖かかった。

 


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ