Ⅰ その価値観は本物か
「殺せ」
一言命じると、銃を構えた兵士たちが一斉に発砲した。
森に鳴り響く銃声。狩猟用の銃は音が派手だ。驚いた鳥が数羽、木の中から躍り出て、バサバサと飛び去って行った。
そして湿った土に倒れる、黒い獣。その背中には大きな翼。翼狼と呼ばれる種族だ。右の翼に大きな傷があるので、依頼された個体で間違いないだろう。
「間違いありません、村を荒らしていたものと特徴が一致しています」
右腕のルークが下した見解も同じのようだ。ルークは僕の私兵たちに指示を出して、獣の死体を運ばせる。後のことは任せて良さそうだ。
「アイデルト様、どちらに?」
「散歩だ」
「……あまり遠くに行くと危険ですからね」
と言っても、貴方の実力なら心配もいりませんね。眼鏡を押し上げながらルークが呟く。その通り、獣如きに遅れを取りはしない。
辺りの兵士たちに労いの言葉を掛けつつ、僕は当てもなく森の奥へ歩き出した。
***
王位継承権第二位、正妃が産んだ二人目の王子、アイデルト。
弱冠十六歳で既に洗練された私兵を連れ回し、日々首都を脅かす獣を討伐し続ける荒い気性。時には国境付近の村にまで遠征し、徹底的に獣を狩る。その行動は農民や市民からは支持されているが、貴族からはあまり理解されていない。
誰かが言った。仮にあの王子が王位に就いたら、こう称されるだろう――殺生王、と。
これらは全て、僕自身のことだ。
周囲からは色々ととやかく言われているが、今のあり方を変えるつもりはさらさらない。実際、僕のやっていることは必要な行為だ。
近頃、人里や下手をすれば人の多い都市にまで、殺気立った獣が現れる。被害も少ないくない。
人々は囁く。きっと十年前に王族が聖獣を殺したから、災いが起きているのだと。
まあ全部、僕にとってはどうでもいいことだ。僕は獣を殺せるならば、動機なんてどうでもいい。理由は忘れたが、昔からとにかく殺さなければならないとばかり考えていた。
――その時、背後で草が揺れる音を耳が拾った。
「誰だ」
素早く振り返り腰の剣を引き抜く。そう問うてみたものの、恐らく相手は獣。言葉を掛けたところで伝わらないだろう。
そう踏んでいたのだが、意外にも返事があった。
「物騒だなぁ、何もしないよ」
両手をひらひらさせながら出てきたのは、人間だった。
銀髪の男は、異国の衣装だろうか。肩を露出させた不思議な出で立ちをしていた。敵意はないらしく、にっこりと友好的に笑っている。
「お前は隣国の者か?」
「いいや、この国の民さ。と言っても、辺境のこの森でずっと暮らしてる森の民だけれどね」
なるほど。それならば見慣れないその装束も頷ける。
胡散臭さは拭えないが、すぐに襲いかかってくる気配はないので、一先ず剣を収めた。妙な動きをされても、この距離なら対応は間に合う。
しかし、友好的な雰囲気は一変して、突然その男は声を低くした。
「それにしても、困るね」
青い双眸が暗く、鋭くこちらを射抜く。
「君は今、翼狼を殺したね。困るなぁ、そんな好き勝手されちゃ」
「何だと?」
僕も目を逸らさず睨み返す。文句をつけられる謂れはない。あの翼狼は、間違いなく害獣の個体だった。
「あの翼狼は近隣の田畑を荒らした。駆除して当然だろう」
「それはあの子の子供を村人が撃ち殺したからだよ。あの子は母親だったんだ」
可哀想に。子供を奪われてあの子は毎晩悲しみに暮れていたよ。
やがて目を伏せた男は、静かに語る。いかにあの翼狼が哀れであったか。
しかし、何故この男はそんな事実を知り得るのか?
「お前は獣の意志を理解できると言うのか」
そんな馬鹿なことがあるはずがない。獣に理性があるとも思えない。そのはずだったのだが、妙に納得する自分もいた。
銀の男は青い目を細め、にやりと笑った。薄い唇の下に覗いた犬歯が光る。
「俺の名はスヴァローネ、獣の代弁者さ。君の殺戮に物申しに来たよ」
僕に立ちはだかると宣言する割に、その声音は安らかに凪いでいた。