プロローグ3
次の日の昼食後、ミルディンは汚れてもいい格好で庭に出た。
既に養父であるリチャード・アルヴァニスは外に出ていた準備運動をしている。
「お、ミル来たか」
「義父さん、よろしくお願いします」
今日は魔術師の勉強をする予定になっていた。
ミルは魔術師としての才能は実父がリチャードと並び称されるほどの魔術師だったこともあって強く受け継がれている。
とはいえ、リチャードは全ての属性に適性を持ちながら、それらをある程度自由に扱えるのに対してミルは魔術の属性としては土魔法にのみ適性があるだけである。
だが、リチャードに無くてミルディンが持つ特性として『精霊魔法』という才能があった。
「精霊魔法というのは精霊と契約する事で魔術を行使する事を言う。とは言え人間と違って精霊は学術で奇跡を起こすわけでは無いからこの場合は『魔法』だな」
「――――今日こそは精霊と契約したいんだけど」
「できると良いんだがなぁ」
ミルディンは今日に至るまで精霊と契約できていない。
精霊との契約は一言で言ってしまえば精霊と友達になり力を貸してもらう事なのだが、これがなかなか難しい。というより、精霊と一口に言っても精霊達は人間の世界に溶け込んでいるので探せば幾らでも見つける事はできるのだが、精霊が「これだ!」と思った相手に契約を申し込むので人間から精霊と契約を申し込む事はできない。精霊にその気が無ければ絶対に契約は成立しないのだ。
「――――我が名はミルディン。我が友となりて現界を望む者あらば来たれ」
魔術陣を用いての召喚魔法は言ってしまえば「私は精霊と契約したいです」と精霊達に広報するような物だ。それに応えるもそっぽを向くも精霊次第である。
確かに、ミルディンは精霊との親和性が高い。
だが、不思議なことにミルディンと契約したがる精霊がいないのだ。
今回もまた、魔術陣は反応があってもそこから精霊が現れるような事は無かった。
「今回もダメか」
「むぅ」
精霊が契約主に望む物は千差万別だが、それでも向き不向きもある。
曰く、精霊と契約するのは伴侶を得るより難しい、とさえ言われている。
幾らミルが魔術の才能があって精霊魔法の素養があっても精霊が『なにか』を気にいらなければ契約を望まないのである。
「ま、その内契約できるさ。土魔術は構成が甘くてもある程度使えるんだ。次の魔術へ移ろう。適性が新たなに開花する事もないわけじゃない」
「――――はーい」
不承不承ながらミルディンはリチャードの言葉に頷いて土魔術の鍛錬に入ったのだった。
さらに次の日。
晩餐会。
名目としてリチャード・アルヴァニスの妻であるケイリーン・アルヴァニスの第一子の懐妊祝いである。
ミルディンとしては「お世話になっている家で子供が生まれる事は良い事だ」と思うのだが、周りの大人たちはそう思わないようだった。
曰く、『このまま子供が出来なければあの子が家督を継ぐはずだった』。
曰く、『いや、女の子なら家督はあのままミルディンになるのでは?』。
曰く、『そもそも犯罪者の息子が―――』。
貴族社会の中での権謀術数はミルディンにとって嫌悪する物だった。
とはいえ、ミルディン個人のその想いは幼いが故の潔癖症から来るものであり、『正しさ』への崇拝や憧憬から来るものだったが。
リチャードやケイリーンは多くの貴族に囲まれて笑顔で話しているが、それがどこまで本当かどこまで嘘なのかわかったものではない。
だがこれが貴族社会であり、自分もまたそんな貴族の一員なのだという事をミルディンは達観した思いで見ていた。
晩餐会が開かれて幾らか時間が経ったが、ミルディンに声を掛ける者はいなかった。
ミルディンの出自や血筋に関して色々な噂が飛び交っており、それが必ずしも良い物では無いからだ。
これがアルヴァニス家の家督を継ぐ可能性があるならまだしも、今ケイリーンの胎の中の子が家督を女性であっても継ぐだろう可能性を考えると逆にアルヴァニス家から排斥されるかもしれないミルディンと知己を得たとして得にならない可能性がある為、接触を図ろうとしない者が多かったのだ。
元々晩餐会にあまり興味が無いミルディンである。
ふらりと晩餐会を抜け出して常夜灯の明かりがあるテラスのベンチに腰かけて休もうかと思ってテラスに出たところで1人の少女が本を読んでいるのを発見した。
声を掛けようかどうか悩んだ末、どうやらその少女も暇だから本でも読んでるのかと気づいたミルディンは声を掛けてみようと近づいた。
すると、本の題名が『魔術陣の有効な活用方法について』と書かれているのを目にしたミルディンはなんだか自分が知っている知識に由来した本だと気づいて嬉しくなった。
「その本、面白い?」
「?」
そうミルディンが声を掛けると少女は顔をあげる。
ミルディンの顔を見た後、億劫気な顔をした後に再び本に視線を落とした。
「面白いわよ。『御伽噺』や『英雄譚』よりもね」
どことなく皮肉気な声音に気づいたミルディンは軽く首を傾げた。
それから、自分とどうやら年の頃があまり変わらない少女が読むには内容が複雑なのだろう、という事に気づいた。
それをどうやら今まで多くの大人や子供に揶揄されてきたのだろう。
「その作者の理論はとても面白いけど、ハルベニク教授の『魔術陣と精霊魔法の類似点について』という論文も興味深いよ?」
「?」
今度は少女のほうが驚いた顔をした。
ミルディンや少女の年の頃は10になるかどうかの年頃である。
とてもじゃないか魔術理論について話す年頃ではない。
だがミルディンは養父が魔術師として高名な貴族ということもあって屋敷の蔵書にはそういった本がたくさんあったのだ。
「――――貴方に聞きたいのだけど」
「ん?」
「魔術陣の適性と魔術師本人の適性が不一致の場合、魔晶石を用いて安定させるために必要な措置として魔晶石の属性を合わせる、とあるけどどう思うの?」
「効率的な物を求めるなら魔術師本人と同様の適性を持った魔術陣を制作し用いたほうが有用だし、魔晶石の劣化は生物から取り出した時点から始まるから必ずしも魔術陣を介しても十分な効力を得られるとは考えられないけど」
「魔術師本人の魔力の量によって魔術師本人の力量は比例すると思う?」
「思わないね。魔術師の持つ魔力量は確かに多い事に越したことが無いけど、無駄撃ちや効率的な魔術の使用でその差は縮まるよ。例えば昨年までの主流だったサーシュペック魔術陣を応用した場合10の魔力量に対して効果は8.23を期待できるけど――――」
「今年に入ってから新たに発表されたシュルツ円環術式のほうが効果を9超える事ができるのは知ってる?」
「もちろん。だけど円環術式は準備に時間が掛かるのが難点かな。戦闘に用いるならばサーシュペック魔術陣のほうが魔術の展開は5秒は縮まるよ?」
お互いがお互いをじっと見つめ合った。
それから、にやっとミルディンと少女は笑い合った。
これは――――同好の士だ。
「――――つまり、クルナ式詠唱魔術を用いるよりサーシュペック魔術陣のほうが効率が良いの?」
「どうかな。でも詠唱魔術は噛みやすいからね。滑舌に自信は無いなぁ」
「――――魔術師としてそれはどうなのよ」
「呪文を唱えるより殴ったほうが早くない?」
「それ、魔術陣を書くのと労力同じじゃないかしら」
「あれは体で覚えちゃえば早いからなぁ」
ミルディンは空中に軽く魔術陣を描いてみせる。
宙に描く事時点、高等魔術の1つなのだが少女が驚いた様子は無い。
「それよりも私が知りたいのは魔術陣を永続的に刻めるかどうかよ」
「自動車なんかは魔晶石をエネルギー源にしてるからエンジン部分に刻まれてるらしいけど」
「発動はどうするのかしら?」
「それはバルサモック魔術刻印で――――」
「魔力に反応して? そっか。運転キーを回すときに魔力を流して――――。でも魔力が無いと使えないんじゃ。そっか、鍵に魔晶石を混ぜてしまえばいいのかしら」
「すごいね、バルサモック魔術刻印なんて知ってる人初めて見た」
「そう?」
「工業系魔術刻印だから一般の魔術師でも知ってる人は少ないよ」
ひとしきりミルディンは少女と話し込んだ後、晩餐会の終わりの気配に気づいてベンチから腰をあげた。
此処まで魔術の話ができる相手は養父以外にいない、とミルディンは新たに話し相手が見つかったことに喜んだ。
「楽しかったよ。僕はミルディン。君は?」
「――――そう、貴方が。私はアストリッド・クラフト」
そのクラフトという家名に聞き覚えがあることに気づいたミルディンは苦笑いを浮かべた。
「どおりで。工業系魔術の名家じゃないか」
「そういう貴方も魔術貴族のアルヴァニス家じゃない」
ふふ、と2人で笑いあった後握手をしてからミルディンとアストリッドは別れたのだった。