譲れない気持ち
僕は本棚にあるジャン・アレックス・水詩の最初の詩集を取り出した。17歳で発表したデビュー作だ。現在までに詩集は5冊、小説は3冊出版されている。デビュー作『君に聞いてほしいんだ』は若さと勢いがあり、土台がしっかりとした文章がきめ細かく並べられていた。久しぶりに特別収録のインタビュー記事を読み返しそうとしたら、
「お兄ちゃ〜ん、ごはんだよ〜!」と夏奈子の声が聞こえたので、僕は本をベッドの上に置いた。
「今いくよ〜」と僕は返事を返した。机の引き出しを開けて破ったページの確認をしてから茶の間に行った。
「お兄ちゃん、スクラブルエッグとオレンジジュースとカツサンドとお味噌汁だけどいい?」と夏奈子は左腕を回しながら言った。
「上出来だよ! 感謝。夏奈子、ありがとうございます。では、いたたぎま…」
「ちょっと! その前に待って!」夏奈子はソファーに勢いよく座るとソファーの上で胡座をかいた。首をゆっくりと回して肩を上下させると静かに言った。
「何か私にいうことあるでしょう?」
「えっ?」
「誤魔化さないで。正直に答えなさい」
「何のこと? 説明してくれないと分からんよ」
「この雑誌に見覚えあります?」
夏奈子はファッション雑誌を両手に持って上に高く掲げた。
「あるよ。テーブルの上に置いてあったよ」
「中を見ていない?」
「見ていないよ」
「本当?」
「本当に本当だよ」
「ある人の特集記事を目当てで買ったのよ。貯めていた、お小遣いから800円も出してさ。やっと買えたのに、楽しみにしていたのに、その記事だけすっぽりと消えてしまっているのよ。お兄ちゃん、心当たりない? 誰の特集か知っている?」
「見ていないから、知らないなぁ〜? 誰さ?」
「本当?」
「本当に本当です」
「特集記事の中でクイズがあったの」
「ふ〜ん」
「フランス」
「はっ?」
「好きな色は青」
「き、急に何さ?」
「子供の頃に飼っていた犬の名前は、ジャック」
「ブーブー♪ 違います。子供の頃に飼っていた犬の名前は、ジョンでした。最近、飼った犬の名前はね、ジャックでぇーす! ジャックはコリー犬なんだってさ。ジャック、良い名前だよな! あっ!? しまった!」
「なんでコリー犬まで知っているのさ!!」
「ファンは何でも知りたがりだからね」
「ジャン・アレックス・水詩の特集が消えているのよ! 完璧にお兄ちゃんでしょ?」
「証拠は?」
「お兄ちゃん、雑誌に、新作の詩集の中から1編の詩が掲載されていたけど、あの詩は本当に良い詩だったよねぇ〜! 『愛のぬくもり』という題名も良いよねぇ〜?」
「あははは。夏奈子、違うって。『愛の誓い』でしょ? 夏奈子、あれは本当に良い詩だったよ。げっ!? しまった!!」
「引っ掛かったな! なんで知っているのさ! この雑誌で本邦初公開、初めて詩が掲載されたのよ! 見ていないのに何で知っているのさ。この雑誌でジャックも初めて公開されたのよ」
「見たから知っているのさ! 確かに見たし、兄ちゃんが記事も抜き取った。でもな、ジャン・アレックス・水詩は兄ちゃんの方が思い入れが強いし、本格的なファンだし、夏奈子より詳しいし、熱狂的ファンだと自認しているんた。夏奈子にジャン・アレックス・水詩を教えたのも兄ちゃんだろう? にわかファンの夏奈子にはね、まだ10年早いんだよ」
「早いも遅いも関係ないじゃん! 私だってジャン・アレックス・水詩の大ファンなんだよ! 記事返してよ!」
「嫌だね!」
「じゃあ、お兄ちゃん、弁償して!!」
「嫌だね!」
僕と夏奈子は、お互いに睨み合って一歩も譲らないでいた。
「私はそんな酷いことはしない」
「嘘をつくなよ! 夏奈子が着ているそのジョン・レノンのTシャツ、俺のだぞ! 『ダブル・ファンタジー』のTシャツ。俺は2回しか着ていないんだぞ。夏奈子は既に2年近くも大事に着ているじゃないか! しかも、勝手に袖を切りやがってよ…。限定品だったんだからな!『 ライヴで着たいから1回だけ貸して』とか言って、貸した俺が馬鹿だったよ。夏奈子、弁償してくれ! そのTシャツ」
「嫌だね!」
「く、くっそ…」
「お兄ちゃん、こう言われたら嫌でしょ?」
「ああ、嫌だね」
「Tシャツは謝るわ。ゴメンね。大事にしていたのにさ」
「えっ…、ま、ま、まあ、しょうがない…」
「お兄ちゃん、このTシャツはもう売っていないんでしょ?」
「うん」
「ゴメンね。何処かで似たようなのあったら買うよ。幾らしたの?」
「5000円」
「え〜っ!? 高〜い! やっぱり、やめた」
「買えよ」
「お兄ちゃん、とりあえず、雑誌の破ったページを返してよ」
「後で本屋に行くから買ってくるよ。破った雑誌は、俺が貰うね。夏奈子、ゴメンね」
「うん。分かってくれたら、それでよし。お兄ちゃん、冷めたかもしれないけど、ご飯食べなよう」
「うん。いただきます」僕はお味噌汁を飲んでからカツサンドを口に含んだ。
「グワッ!? ぎゃばい!! ウグッワ! ぎょえ〜〜〜い! からあ〜〜い! カツサンドって、人でなしだったっけ?」と僕は叫んで、舌を出しながら冷蔵庫へ走って麦茶を取り出して飲んだ。
「あはははは! 参ったかぁ〜! 『辛ッシュシタツン』を買ってカツサンドに入れてみたの。どう? 辛い?」と夏奈子は言って『辛ッシュシタツン』の袋を取り出して腹を押さえて笑っていた。
「凄い辛いって!! 昨日も亜美の家で皆で『辛ッシュシタツン』を食べたんだよ。やっと忘れていたのに、この辛さ。本当、辛いわ!!」
「私も食べてみよう!」 夏奈子は辛ッシュシタツンを2枚食べた。
「どるるん、どるるん、辛い、辛い、からぁ〜い!!」夏奈子は涙目になって茶の間を走り回った。
「頼もしいくらい辛いだろう? どうだ夏奈子?」
「辛い。食べるのは、やめた方が良いよね。あっ! そうだ! 爺ちゃんに食べさせてみようか?」
夏奈子の顔が一際輝いた。
「夏奈子、よせって。フフフ。止めとけって。ムフフフフ」
「爺ちゃんの部屋に行ってみよう!」と夏奈子は言ってカツサンドに辛ッシュシタツンを2枚挟んでから爺ちゃんの部屋に走っていった。
つづく
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