相沢亜美の話
亜美は明るい女の子。ひょうきん者でおちゃらけたりもします。そんな彼女にも、どうやら気になる男の子がいるようなんですが……。亜美の話が始まります。好奇心旺盛な女の子の話に興味がありますね。一体どんな話なのかな?
「次は私の番だね」と亜美は言ってメロンソーダを飲んだ。
「私が中学2年生の頃の話なんだけど、友達の詩音くんと一緒に自転車に乗って森でレースをしていたの。私が先頭を走っていてゴールが残りあと10メートルというところでタイヤがパンクをしてチェーンが外れてしまった。
「ゲエッ、あと少しだったのに!」と私は腹が立ってタイヤを蹴りあげてから詩音が来るのを待っていたの。ところがいくら待っても、全然、詩音が来ない。20分近く待っても来ないのよ。仕方なく、歩いて来た道を引き返した。
すると詩音が自転車で全速力でやって来た。
「詩音、どうしたの?」と私が少し怒って言ったら「今さ、毛むくじゃらの大男が亜美を追っ掛けて走っていたんだよ!! 亜美ちゃん、大丈夫だった?」と真剣な顔で言ったのよ。
「うそ? 見ていないし、いなかったよ」と私は言ったわ。
「ばかデカかかったよ!」と詩音は手を上に動かしながら話した。
「探してみようか?」と私が言ったら、詩音、リュックサックから小型のスプレーを取り出したのよ。
「なにそれ?」と私が言ったら、
「熊撃退スプレーだよ。万が一のために用意した」と詩音は笑顔で言った。アドベンチャー志向の詩音は磁石や地図や便利ナイフ、護身用の小型のスタンガン、ろうそく、ロープ、あらゆるグッズを常に持っていたのよ。詩音から話では聞いていたけども、一度も見たことのない【秘密のアイテム7種類】というのもリュックサックにあるらしいの。見れなかったけどね。
「詩音…って、そこの角の家の小川詩音だよね?」と僕は言った。
「そう。隣のクラスの詩音くん」と亜美は自分の隣の部屋を右手の親指で示すジェスチャーをして言った。
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僕は小川詩音を思い浮かべていた。詩音は冒険家になりたがっていた。
憧れの冒険家はインディアナ・ジョーンズ。詩音はユーモアやジョーク、ウィットを、なによりも愛していた。ルックスも男くさい面構えで現在16歳にしては随分大人びた顔立ちをしていた。
笑うと子供のような無邪気な笑顔が心に残った。
詩音は走るのが得意で、実際、犬よりも早かった。
昔、僕と詩音が公園でサッカーをした後、一緒に帰宅している途中、サッカーの話に夢中になっていたので、道端で犬の飼い主同士が立ち話をしているのに気づかなかった。
若い女性の足元には退屈そうに伏せをして待っているシェパード犬がいた。
詩音は誤ってしっぽを踏んでしまったのだ。
踏まれて怒ったシェパードが詩音の足を噛みつこうとしたが、間一髪で、かわして、走って逃げたのを隣で目撃したことがあった。
詩音は小学校のグランドに逃げ込んで笑いながら走っていた。
追いかけていたシェパードは吠えながら必死で詩音の太ももか脹ら脛を噛みつこうと狙っていた。
グランドにいた子供たちは一斉に外へ逃げたので無事だった。
詩音は黄金の足を持っていたので陸上部にもスカウトされ続けていた。
シェパードは追いつかないことが分かって、走り疲れて諦めた。後ろに翻して去ろうとしたシェパードに向かって詩音は「おい犬よ! まだ走ろうぜ!」と言ってしゃがんだ。手を3回も叩いてシェパードを呼び寄せたのだ。シェパードは踵を返して詩音を目掛けて走り込んだ。詩音は笑いながら両手を広げた。シェパードは詩音に抱きつくように懐へ飛び込んで顔をペロペロと舐めた。
「よせよ、こら、犬、止せってばさ、犬」と一瞬で和解して仲良くなった。詩音はなぜか動物に好かれるタイプだった。
飼い主が慌ててやって来て、頭を下げてシェパードを引き離した。
「悪いのは尻尾を踏んだ僕です。犬は悪くありません。この犬は何歳ですか? 犬の顔が凛々しいですね。おい、犬、さっきは悪かったな。ごめんね、犬。この犬は見かけによらず人懐っこい犬ですね。犬の性別は? 犬、お座り!」とシェパードをフォローしたのだが、飼い主は面白くないらしくて「犬じゃなくて、名前はケビンです!」と言って今度は飼い主を怒こらせてしまっていた。
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「それでね、私は熊撃退スプレーとスタンガンを両手に持った詩音の後ろについて森を入って行ったのよ。緑の葉っぱが絨毯のように敷き詰められていて、足音が吸収されて薄く聞こえていた。時々、小枝を踏んだ時に折れるパキッって乾いた音だけが、私たちの存在を感じさせた。交わす言葉も無くてね、妙な静けさがあるばかりだったわ。
詩音が「亜美、僕が見たのは身長2メートル50センチはある毛むくじゃらの大男だった。それはまるで……」と詩音は言い淀んだわ。
「まるで、なによ?」と私は不安で一杯だったけれど聞いてみた。
「伝説のビッグフッドにそっくりだった」と深刻な顔をして言ったのよ。
私は半信半疑だから、吹き出しそうなのを堪えるのに必死だったわ。
「へぇ〜。ふ~ん」と感心するフリが精一杯だったわ。
「亜美、この清風の森にも『アッチョン』と呼ばれる伝説の大男がいると云われているんだよ。ビッグフッドや雪男と同じタイプの未確認動物と言われているんだよ。僕は、最初、ネアンデルタール人の生き残りだと推測したけど、目撃者の証言からギガントピテクスの生き残りの可能性が高いんだ。実際は分からないけどね。
今から20年前にこの森で伐採の仕事をしていた、多良木紙次郎さん(65歳)が最初に目撃したんだ。紙次郎さんが目撃する以前からアッチョンはいると言われていたんだ。
ここに決定的な証拠のインタビュー記事が載っている」と詩音は、不思議な現象を追求する月刊誌『アラッ・マアー』の7月号をリュックサックから取り出した。
「じゃあ、読むよ」詩音は深刻な顔を見せて読み始めたの。
インタビュアー
「紙次郎さん、本当に伝説のアッチョンを見たんですか?」
紙次郎
『俺は見たっぺよ。びっくらこいただ。午後2時頃によう、伐採の仕事で森の奥へとずんずん進んだんだわ。良い木が生い茂っているだわ〜、この森は特にね。俺が若い頃によう、家のカミさんともよくここに来たんだよう。何しに来たかはご想像にお任せするけんどもよ。えっ? なに? いやいや、勘違いしないでよ~う。ピクニックだわ。ピクニックに来たんだよう。カミさんの仕事仲間と一緒によう、ピクニックだぁ。楽しいんだわ〜、ピクニック。歌を歌ったり踊ったり朝方まで将来の夢について語り明かしたよ。
そこでよう、キャンプもしたよ。同じメンバーでな。キャンプーファイヤーの火を見ながらよう、俺がよう、ゲタァー(ギター)でよう、『けんずられたあしょべ』(禁じられた遊び)のテーマ曲とよう、『ぜいーむず・じぇーん』(ジェームス・ディーン)のよう、『いでんのすがせ』(エデンの東)を弾いたりしたんだわ。
あとよぉ、カミさんの料理が、また美味いんだわ。サンドのウィッチとか、ハンのバーガーとか、焼のそばとかよぅ。あらっ? 話が逸れたんでないかい? 話を戻すべぇ。でよ、伐採してたらよ、ガサガサ向こうで音がするんだわ」
インタビュアー
「音がした距離はどれくらいですか?」
紙次郎
「う〜ん、だいだい、3メートルの至近距離の範囲だな。でな、『うるせぇな。静かにやれよ!』と音がする草木に向かって怒ったんだわ。で、顔をあげたらよう、黒い人影の頭が何度も動いていたんだぁ」
インタビュアー
「ついに現れたわけですね? 伝説のアッチョンですか?」
紙次郎
「いや、そいつは俺の伐採の仕事仲間の村上だった。朝から腹壊して下痢ぎみでさ、うんこをしていたんだわ。問題は村上の後ろに見える、もうひとつの頭の影なんだぁ。村上が「紙がない場合は手で拭いた方が良いのかえ?」と言うからさ、仕方ないから持参したトイレットペーパー7個のうち1個を村上目掛けて投げたんだよ。するとよ、トイレットペーパーが投げ返されたんだわ。
「村上! 要らないなら手で拭けよ! 葉っぱも代わりになる!」と怒鳴ったら村上が「俺は投げていない! こいつだよ!! うわぁー!!」と叫びながら飛び出してきたんだわ。
「おい、どうした?」と聞いたらよう、「おっさんが覗いているぅー!!」と指を差したんだよ。そしたらさ、いたのさ」
インタビュアー
「アッチョンですね?」
紙次郎
「うん。そう。毛むくじゃらで、顔が猿みたいなゴリラみたいな…。とにかく、へんてこりんな面構えだったわ。最初はおっさんだと思ったので、俺はよう『変態! 出てこい!』と言ってから、持っていた斧を振りかぶったんだわ。
おっさんがジーッと睨んでくる。睨まれたらにらみ返すのが男の悲しい習性だからさ、俺もよう、にらみ返したんだわ。そしたらよう『ゴホゴホ!』とか言った声を出してよう、威嚇し出したんだぁ。
俺も『変態! 売られたケンカは買うタチなんだよう! 出てこいってよ!!』と怒鳴ったら本当に出てきたんだわ。焦ったけど逃げないで対峙したよ。バカでかいんだわ。アッチョン。毛むくじゃらでシラミがいっぱいいそうだったわ。アッチョンは風呂に入っていないから臭くて臭くてさ。
『おい! 臭いぞ!!』と怒鳴ったら飛び掛かってきたんだわ!」
インタビュアー
「どうなったんですか?」
紙次郎
「アッチョンの左腕に一撃を喰らわせたら、血が吹き出したよ。だけどもよぉ、俺はアッチョンに頭を殴られてその場で気を失ってしまったんだわ……。一瞬の出来事だったよ。目が覚めたら日が暮れていたから、これは遭難するかも? と思ったよ。隣にいたはずの村上が後方10メートルの所で気を失っていたんだわ。アッチョンに引きずられたみたいだった。幸いにも村上は生きていた。まあ、目撃した状況はよ、大体こんなかんずだぁ。アッチョンは気性が荒いよ〜。臭いし」
詩音は本を閉じた。
「怖いわねぇ…」と私は寒くなるほど震えたわ。
「大丈夫さ」と詩音はワクワクしていたわ。
それから20分くらい歩いていたら、後ろで人の気配を感じたのよ。ヤバイなと思って、ゆっくり振り返ると5メートル先にいたのよ」
「何が?」と僕たちはハモった。
「アッチョン。殺されるかと思ったわ。不気味な雰囲気を漂わせてね。離れていても本当に臭さかったわ。私は怖くて、その場でうずくまった。そうしたら、詩音が「よう! アッチョン!」と昔からの友達みたいに話し掛けたのよ。
「ちょっと、詩音! あんたバカなの? やめなさいよ!!」と私が動転しながら言ったら、詩音はアッチョンに向かって歩き出したのよ」
「何を考えてやがる!」と憲二が立ち上がってレモンティーを飲み干した。
「詩音は1メートルまで近付いたわ。アッチョンは唸り声をあげていた。本当にバカでかいのよ、2メートル以上はあったわ。アッチョンはターザンみたいに「アーー!」と吠えた。万事休す。もうダメだと思ったその時「俺の好物のクッキーだよ。無添加だから体に良いぜ」と詩音がアッチョンにクッキーを差し出したのよ。
アッチョンは不思議そうな顔をしてね詩音を見ていたわ。
アッチョンは、おずおずとしながらクッキーを奪い取ると、臭いを嗅いでから食べ出した。
詩音は「亜美、どうやら危険じゃなさそうだ」と私に言ったけど、アッチョンの迫力に怖くて私は返事をが出来なかったわ。
アッチョンは詩音に敵意を失ったように見えた。
詩音は本を取り出して、「ここに君の事が書かれているんだ。読むよ」と言って、さっきの話をアッチョンにし出したのよ! アッチョンは言葉が分からないのに聞いているように見えたわ。詩音が読み終えた時、アッチョンは泣いているように顔を手で覆ったわ。
詩音は「アッチョン、君は悪くないよ。縄張りを荒らして御免よ」と握手を求めたら、アッチョンは攻撃と判断したようで詩音の頬をビンタした。よろめいた詩音はもの凄いキレたわ。スタンガンをアッチョンの右腕に押しつけた。アッチョンは痺れて動けなくなり倒れた。
「どうだ? 痛いだろ? 俺も殴られて凄く痛かったよ」と左の頬を腫らしながら詩音はアッチョンに説教気味に言ったわ。
アッチョンは動けないでいた。詩音はクッキーが入った袋と例の本をアッチョンの側に置いてから、アッチョンの頭を優しく撫でた。
痺れて動けないアッチョンは、反省しているようにも見えた。
「人間を襲うなよ。俺達もアッチョンを襲わないから」と詩音はアッチョンに諭すように言ったわ。
すると、アッチョンがね、「うぉん」と小さく吠えてから痺れているのに右手を差し出そうとしたのよ! まるで握手を求めているみたいだったわ。
でも痺れているから無理だった。
詩音はアッチョンに「さようなら」と手を振ったわ。横たわるアッチョンは、あと30分くらいは起きれないので、そのまま私たちは自転車を押しながら走って逃げたわ。
私は詩音に猛烈に怒ったわ。『むやみやたらに近付いたら危ないよ!』とね。詩音はさっきよりも2倍も頬を腫らしていたけど、笑顔で頷いたわ」
「詩音はどうなったのよ?」と梨香は自分の左肩を回してから揉んで言った。
「病院に行ったらね、顎の骨に5ヶ所のヒビが入っていたみたい。詩音は『今度、清風の森でアッチョンに会ったら、しつけを教え込む』と言っていたわ」
「詩音はヒビだけで済んで良かったな。ひょっとしたら、殺されていたかもしれない、と思うと胸が苦しくなるよな」と僕は唇を噛んで冷静な意見を述べた。
「本当よねぇ…。怖かったけれど、詩音の明るさに救われたのは事実なのよ。本当にバカなんだから」と亜美は想いを馳せたのように優しい眼差しで窓の外を見つめた。
つづく
ありがとうございました!




