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ワンダーボーイ

いよいよ今回で最終回です。

是非、読んでください。

 

 僕は原田真美子の家まで行くことにした。冴子さんの家とお店は燃え続けていた。初めて目の前で火事を見た。僕は知人の被害を通して究極的な現実を体感していた。恐ろしい燃え方だった。うねるように黒煙を上げて燃える火は地獄のような光景になっていた。

 

 野次馬が集まり出してきた。僕は野次馬の間をすり抜けて原田真美子宅を目指す。早歩きで移動をするが、時折、燃え盛る火事の異様な音を聞くと寒気が身体中に襲ってきた。赤々と悲鳴をあげて燃える空が遠退いていくと、いくらか冷静さを取り戻し呼吸を整える事ができた。

 

 原田真美子の家まであと15分くらいは掛かる。少し急がないとな。

 

 僕はシャドーボクシングをしながら走った。ボクサーとしての体に変えて目覚めさせないとね。いつもより体が軽く感じるな。パンチも速い。キレがあるし、コンパクトに振り切れている。重く強いパンチを打てるな。調子が良いね。

 

 実は、さっきから気付いているけど、ずっと尾行されている。僕は試しに走った。尾行する奴も走ってきた。僕は後ろを見てすぐに立ち止まった。暗闇で人影がしゃがみこんだ。それで隠れているつもりなのかい? 

 

 僕は走った。

 

 人影も走ってきた。

 

 コイツはしつこいな。

 

 僕は本気の走りをした。

 

 尾行者は追うのを止めたようだ。暗闇の中で立ち尽くしていた。さすがにこの日本オオカミ並みの走りだと追い付けまい。あっははは。僕は運動会で小学1年から6年まで1位だったんだよ。『稲妻ボーイのあんちくしょうはニクい奴だぜ、こんちくしょう』と皆に呼ばれていたんだ。怪しい尾行者め、アディオス。

 

 原田真美子の家まであと数百メートルと近付いてきた時だった。

 

 「ブァバルボーン、ブルバボーン」と、耳をつんざく、ものすごい船の汽笛が2度鳴り響いた。突然の爆音に多少気持ちが焦った。また汽笛が鳴った。夜も深まりつつある時間帯にだ、非常識なバカ野郎が続け様に汽笛を5連発も鳴らしやがった。バカな船長だな。今夜は騒がしい夜だ。夜空もうねりある星月夜に見えてきた。

 

 原田真美子の家が見えてきた。僕は走るのを止めて、ゆっくりと歩いた。

 

 原田真美子の家には明かりが点いていた。駐車場には先ほど刺酢股源五郎(さすまたげんごろう)と豆スピンが乗ってきた車はなかった。刺酢股源五郎の奴は家にはいないのか?

 

 僕は玄関に着くと居間のカーテンが僅かに開いているに気付いたので部屋の中を覗いた。明かりは点いているが人気(ひとけ)はなかった。部屋の中は物で散乱していた。一部分しか見えないが床は弁当の箱やペットボトル、丸めたティッシュペーパー等や新聞紙で溢れていた。数多くの有料のゴミ袋が至るところにあった。足の踏み場もないといった状況だ。原田真美子が汚した跡なのか、それとも刺酢股源五郎と豆スピンに占拠されてからの汚れなのかは判断できなかった。

 

 僕は緩くなった玄関のドアノブを回した。鍵は掛かっていなかった。ドアを開けて中に入ると強烈なゴミの匂いがした。玄関の先にある廊下を行くと2階へ続く階段があった。階段は比較的、綺麗になっていた。僕はまず居間から調べることにした。鼻を押さえながら居間に入ると、床に引きずられたに血の跡があり度肝を抜いた。血の跡はゴミの山を掻き分けていた。僕の心臓が早鐘の様に鳴って胸が締め付けられるように痛い。血の跡は居間から隣の座敷へと続き、座敷から斜め横にある浴室へとあった。僕は浴室の扉を開けるのを躊躇った。僕は歯を食いしばり扉を開けてみた。茶色の椅子が浴槽の中に置いてあったが人は座っていなかった。

 

 どうやら血を洗い流した形跡が見られる。何者かが誰かに頭を殴打されたか。血を拭い何処か別の場所に監禁されている可能性もありえる。原田真美子の血と断定はできないがこの家の(あるじ)なので原田の線で進める。

 

 豆スピンはお日様島の人魚伝説を知っていた。人魚を食すなんて頭がどうかしている。お日様島に汚点を残してはならないと思うね。お日様島の長い歴史の中で人間の傲慢な欲によって汚点を残すなんて愚かすぎるよ。培ってきた歴史を遮断するに等しいからね。いつだってバカが余計な真似ばかりするから厄介なんだよな。災いを撒き散らす奴等の尻拭いをする立場にもなってみろってんだよ。まったく、腹立つ。

 

 僕は浴室を出て2階に行く事にした。

 

 人気のない家で階段の軋む音は気味が悪い。不安感を煽ってくる音そのものだ。言いたくないけどもさ、霊的な気配すら感じてしまいそうで怖い。僕はお化けだけはダメだから考えないようにはしているけどもね、しているけどね、考えてしまいそうになるから本当に参るよ。

 

 明かりのない部屋の前に着いた。暗闇の2階はヤバイ。僕は部屋に入ると両手を大きく動かして電気のスイッチか電灯の紐を探した。左手が紐に触れたので急いで引っ張った。明かりが灯ると僕は目を眩しげに細めた。「げーっ!!」と僕は声を出した。部屋の中に大きな仏壇と壁に掛かっている2枚の遺影が目に入ったからだ。

 

 「マズイ、遺影と目が合っちゃったよ。どうしよう? 南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、一日一善、春夏秋冬、偉大なオッパイ、アーメン、ラーメン、ソーメン、ミッドナイトランデブー」と僕は知り得る限りのポジティブな言葉を唱えた。

 

 僕は遺影が写真ではなくて肖像画だとに気付いた。

 

 写実的で上手い絵だけども、仏さんの心ここにあらずの目が完璧に死んでいるし、絵自体も魂を込めて描かれているものではなかった。冷たい視線でこちらを見つめているといった他人行儀な感じの絵だ。

 

 原田真美子の両親なのだろう。遺影の下に「原田陳平(はらだちんぺい)」と「原田珍恵(はらだちんえ)」とネームプレートがあるからだ。「やるなぁ。夫婦合わせて『ちんちん』か。なるほど、なるほど」と僕は呟いた。

 

 2階は2部屋しかなかったので僕は隣の部屋に移動した。

 

 ドアノブを回したが鍵が掛かっていた。僕は扉に耳を当てた。中から微かに音がする。歩いているような床を転がるような音だ。

 

 僕は扉に体当たりした。

 

 あっさりと扉は壊れた。家全体の老朽化が伺えた。

 

 部屋の中には50代後半の女性が縛られて木製の椅子に座っていた。猿ぐつわされていて声は出せないが意識はあって僕を見ていた。

 

 「原田真美子さんですか?」と僕は猿ぐつわを取って小声で聞いた。

 

 「そうよ。あんたは誰よ?」原田真美子はぶっきらぼうに返事した。

 

 「僕は通りすがりの者です」なんか原田真美子の態度が嫌なので僕は名前を名乗らなかった。

 

 「ちょっとあんた、早く助けてよ、紐が腕に食い込んじゃって痛い」と原田真美子は言って体を左右に揺すった。僕は椅子の後ろ側に回って手首の紐をほどいた。胴体も足も固く紐で結ばれていたのでほどいた。

 

 「頭、大丈夫ですか?」と僕は言った。傷口から血が垂れて顔中に付いていた。

 

 「頭がガンガンして痛みが引かないのよ」と原田真美子は椅子に座り直して頭をさすった。

 

 「誰にやられたんですか?」

 

 「なんかね、気色悪い大柄な男にやられたのよ」

 

 「原田さん、男に見覚えは?」

 

 「あるような感じはするけどもね、ちょっと分からないわ」

 

 「テレビに出たことがある厄介な奴です」

 

 「私、テレビは見ないのよ。8年前に壊れてからそのままにしているの。大体、テレビはどうでも良いことやくだらない事の垂れ流しばかりで勝手に騒いでいるだけだからね」

 

 「まあね。確かに最近はテレビの必要性は問われているよね。自分の時間が無駄に奪われるという意味でもテレビは害があるかもな」と僕は言った。

 

 「で、男は誰なのよ?」

 

 「刺酢股源五郎です。小さい奴が豆スピンという奴です」

 

 「あーっ! 刺酢股! その名前に聞き覚えがあるわ! 通称『死神』でしょ? 昔、週刊誌で読んだ覚えがあるわ」

 

 「原田さん、どういう経緯(いきさつ)で刺酢股源五郎が来たんですか?」

 

 「何か『すいません、道に迷って。近くに旅館かビジネスホテルはありますかね?』って言って家に訪ねてきたの。『ちょっと調べます』と私が居間に戻ろうとしたら、いきなり頭を殴られて気絶したみたい」原田真美子はおでこから血が滴り落ちていた。傷が深いのだろう。

 

 「原田さん、今、刺酢股源五郎は何処にいますか?」

 

 「知らない。何だか若い男二人連れて出たり入ったりしているみたい」

 

 「若い男? ちんちくりんの豆スピンの事ですか?」

 

 「いや、私を2階に運んだ男は背の高いタトゥーだらけのヤンキーだったね。無口な男だった。もう1人は長髪の男でね、そいつも無口で刺酢股源五郎の言いなりだったわよ。服従しているみたいな感じ」

 

 「3人か」僕は悩んだ。

 

 玄関の扉が(ひら)く音がした。


 僕と原田真美子は黙って見つめあった。

 

 「おい、向こう側の洞窟は見たんだろうな?」刺酢股源五郎の声だ。

 

 「見ました」若い男の声だ。

 

 「見ましたよ」と、もう1人、甲高い声がした。 

 

 「早く人魚を捕らえろ。怪しい女の子がウロチョロしていると目撃されている」刺酢股源五郎の声は苛立っていた。

 

 「しかしボス、もう3日もまともに飯を食っていなくて力が出ません」若い男は力なく言った。

 

 「俺もです。腹が鳴りっぱなしでして」甲高い声の男も重ねて言った。

 

 「人魚を見つけたら飯を食わせてやる。俺だって3日も食っていないんだ。つべこべ抜かす前に早く人魚を探せ! 早く見つけろ! クソども! 今は夜の10時半だ。2時間後に家に戻ってこい」と刺酢股源五郎の怒号が響いた。

 

 「へい、分かりました」と若い男たちは言って玄関から出ていったようだ。

 

 「さて、バカのクソ野郎共がいない間に焼き鳥屋にでも行ってくるかな。腹減った」と刺酢股源五郎は言って家から出ていった。

 

 「危ないところだった。原田さん、人魚伝説は本当にあるんですよね?」

 

 「あるよ。私の祖母も人魚を見たし母もね。まだ私は見て無いけどもさ」原田真美子の母親、原田珍恵は見たんだな。

 

 「今から原田さんを愛原南さんの家に連れていきたい。ここを脱出しましょう」

 

 「分かったわ」

 

 「冴子さんもいます。今の状況を知っています」

 

 「顔を会わせづらい」原田真美子は顔を伏せて言った。瞳には暗い影が宿った。

 

 「原田さんが冴子さんに言った酷い発言は既に近所全般に知れ渡っています。これを気に、心を開いて皆さんとコミュニケーションを取るようにしてください。冴子さんの家が放火されて全焼しました」

 

 「……」

 

 「刺酢股源五郎たちの仕業です」

 

 「分かりました」と原田真美子は落ち着いて答えた。

 

 「原田さん、歩けますか? 大丈夫ですか?」

 

 「歩けます。貴方は誰ですか?」

 

 「僕は瀬川竣と言います」

 

 「助けてくれてありがとう」原田真美子の瞳は潤んでいた。

 

 警戒しながら1階に戻ると僕は玄関の覗き穴を見た。まだ刺酢股源五郎が何か考えながら車の回りを歩いていた。刺酢股源五郎は踵を変えて原田真美子の家に戻ってきた。

 

 「原田さん、マズイ。刺酢股源五郎が戻ってきた!」と僕は言って2階に駆け上がろうとした。

 

 「瀬川さん、地下室があるのでそこに逃げましょう。地下室の奥の部屋はパニックルームになっています」原田真美子は自分の頭を押さえながら僕の手を引っ張って浴室の隣にある扉を開けると地下へと続く階段を降りた。地下室は少しほこりとカビ臭い匂いがしたが、ヒンヤリとした空気のおかげで僕の目は覚めていった。

 

 「瀬川さん、すみません。パニックルームの扉が開きません。鍵を失くした事を思い出しました」原田真美子はパニックルームの前でパニックになって言った。

 

 「原田さん、声を落としてください」

 

 刺酢股源五郎が何かを喚きながら2階に上って行った。その隙に僕は地下室の扉の鍵を内側から掛けた。僕はパニックルームの鍵を探した。原田真美子も一緒に探した。僕は車の工具箱を見つけた。

 

 「それは前に住んでいた人の物です」と原田真美子は言って工具箱を開けた。ドライバーがあるだけで鍵は見当たらなかった。僕は床に置いてある紙コップの中を覗いた。鍵があった。

 

 「原田さん、これですか?」と僕は鍵を持って言った。

 

 「ああ、それですそれです」原田真美子は鍵で扉を開けるとパニックルームの中に入っていった。僕は地下室の電灯を消すとパニックルームに入っていった。

 

 「瀬川さん、少し寝たいです。すみません」と原田真美子は言って小さな敷き布団に横になると直ぐに寝息をたてた。僕はパニックルームから出ると鍵を掛けて地下室の階段を上がり扉の前にいった。恐る恐る扉を開けると刺酢股源五郎が喚き散らしながら走って玄関から出ていき、乱暴に車に飛び乗りドアを閉めるとエンジンを吹かした。

 

 僕はエンジンが遠退くのを待ってから原田真美子の家から出る事にした。

 

 

 僕は雲に隠れた月を見上げながら暗闇の中を走った。もう南さんは警察も消防も連れて来ているはずだ。今、目撃したことを全て警察に話す。刺酢股源五郎がお日様島に災いを撒き散らしているとね。

 

 5分ほど走っていたら、また後ろから尾行者が来た。なんだよ、マジでさ。

 

 僕は立ち止まった。

 

 尾行者がゆっくりと近付いてきた。

 

 「しつこい! 誰だよ? ブチのめすよ!」と僕は怒鳴った。雲から月が顔を覗かせると尾行者の顔を照らし出した。

 

 さっき南さんの家に匿った可憐な女の子だった。

 

 「君!? 一体どうしたの? 大丈夫かい?」

 

 「……」女の子は首を傾げて僕を見ていた。

 

 「今ね、不審者や犯罪者が出歩いていて大変危険なんだよ。一緒にさっきの家まで、南さんの家に戻ろう」

 

 「……」

 

 「どうしたの?」

 

 「……」

 

 「どうして何も答えないんだい?」

 

 「……」

 

 「喋れないの?」

 

 「……」

 

 女の子は僕に右手を差し出した。

 

 「な、何さ?」

 

 「……」

 

 女の子の手には僕の携帯電話が握られていた。

 

 「あっ、僕のスマホだ! ありがとう!」僕はスマホを受け取ると瀬川家に掛けた。が、やはり、繋がらなかった。

 

 「何故、繋がらん!?」僕は女の子に何と言えば良いのか分からなくなっていた。

 

 「あのう、どうして僕の携帯だと分かったの?」

 

 「……」女の子は僕のスマホを受け取ると道の真ん中に仰向けに寝転んで顔の横にスマホを置いて目を閉じた。

 

 「ああ、なるほどね。砂浜に倒れていた僕を見たんだね。盗まれないように保管してくれたんだ」僕は嬉しくなって早口で言った。

 

 「改めてありがとう! 溺れ掛けた僕をお日様島に運んでくれたのも君なんだね?」

 

 「……」女の子は優しく微笑むと海に向かって一直線に走っていった。

 

 「ちょっと君! 危ないって! 戻りなさい!」と僕は慌てて女の子のあとを追い掛けたが、女の子は迷わずに海の中に飛び込んでしまった。

 

 「危ないって!」と僕は叫んだ。

 

 女の子は上半身を海面から出すと僕に向かって大きく手を振った。女の子の顔には笑顔が溢れていた。その美しい笑顔に魅せられた僕は何も言わずに手を振り返した。女の子は体を翻して海の中に潜る瞬間、この世の物とは思えない目映いピンク色のヒレを見せてくれた。深みある桜色という感じだった。

 

 「あっ、や、やはりね、き、君はマーメイドだったんだね。最初から、そんな気がしていたけどもさ、本当かどうか自信なくてね」と僕は女の子が消えた海に向かって言った。僕は不思議な現象を素直に受け入れながら海を見ていた。

 

 僕は海に投げキッスを贈ると南さんの家まで走った。

 

 

 南さんの家の前には3台のパトカーと2台の消防車があった。冴子さんの家は既に鎮火していた。消防士が白い煙に向かって放水している段階だった。消防士は7人いた。至るところでウロチョロする野次馬が目立っていたが、消防士の消火活動を邪魔するような事はしていなかった。

 

 南さんと冴子さんは家の前で老齢の刑事から事情聴取を受けていた。豆スピンは後ろに手錠を掛けられてパトカーの後部座席に座って泣いていた。

 

 老齢の刑事が僕に近付いてきた。

 

 「てぃみは瀬川竣くんだねぇ?」老齢の刑事は僕を藪睨みをしていた。

 

 「はい、そうです」

 

 「私はねぇ、角山富御功(かどやまふおく)です」角山富御功刑事は警察手帳を見せたが僕に対する藪睨みを解かなかった。

 

 「角山さん、はじめまして」

 

 「富御功刑事と呼んで良いよ」

 

 「何でしょうか?」

 

 「刺酢股源五郎について聞きたい」富御功刑事は一段と藪睨みを強めて言った。

 

 「今、奴は何処にいるか分かる?」富御功刑事はポケットから小さなパンを出して食べ始めた。

 

 「原田真美子の家から車で焼き鳥屋に行ったと思われます」

 

 「焼き鳥屋? じゃあ『焼き鳥屋 梅子ちゃん』だな。お日様島には『焼き鳥屋 梅子ちゃん』しかないからね。午前4時まで営業中なんだよ」と富御功刑事はポケットからメモ帳とペンを出して『焼き鳥屋 梅子ちゃん』と書いた。

 

 「瀬川さん、他には?」富御功刑事は藪睨みを解かない。睨まれるのは苦手だから解いて欲しいんだよな。

 

 「若い男二人が刺酢股源五郎の手伝い、というか、探索の手伝いをしています。名前は知りません。なんでも、洞窟に行くとか」

 

 「東にある洞窟の事だな。人魚伝説だろう? あの洞窟はヤバい。有毒ガスが出ているんだ。匂いがないから分からないうちに中毒になってな、バタバタと倒れて御陀仏になる輩が多くて困っているんだよ」富御功刑事はペンの先を舐めながら話した。メモ帳に何かを走り書きすると「う~ん」と唸って黙ってしまった。

 

 「瀬川さん、どうもありがとう。また何かあれば伺います」富御功刑事はヨロヨロしながらパトカーまで歩いて「よっこらせ」と言って乗り込んだ。

 

 「富御功刑事、待ってください! 原田真美子さんが頭を殴られて血を流しています。今、自宅のパニックルームに避難しています。刺酢股源五郎に殴打されたと言いました。至急、原田真美子の家に行って救出してください」と僕はパトカーの側に行って富御功刑事に話した。

 

 「なに!? 了解! おい、原田真美子の家までGOだ!」と角山富御功(かどやまふおく)刑事は運転席に座る警察官に言うと、警察官は赤ランプを出して車の屋根に装着した。

 

 「ピーポーゥ、ピーポーゥ、ピーポーゥ」とシンプルなパトカーの音が響いた。至近距離で聞くとかなりうるさい音だった。僕は爆走するパトカーを見送ると南と冴子さんの側に向かった。豆スピンを乗せたパトカーもサイレンを鳴らして走っていった。両脇に刑事に挟まれてうなだれている豆スピン。もう2度と会うことはない最後の姿だ。僕は南さんに頷くと冴子さんと並んで南さんの家の中に入っていった。

 

 

 僕は居間にある仮設のベッドで就寝、冴子さんは南の部屋で一緒に就寝した。僕は疲れ果て、すぐに眠った。

 

 翌朝、南さんの部屋から歓声の声があがった。冴子さんが持ってきたノートパソコンでニュースが流れた。

 

 『昨夜、午後11時半頃、「焼き鳥屋 梅子ちゃん」で刺酢股源五郎が逮捕されました。刺酢股源五郎と関わりがあるとされる若者2人が洞窟内で倒れているのを発見され意識不明の重体です』と若い女子アナウンサーが無表情でニュースを読み上げた。南さんの部屋から漏れて聞こえてくるのは、お日様島のローカルニュースのようだった。僕は遠吠えをする冴子さんの声を聞いて笑ってしまった。

 

 僕は朝の9時過ぎに起きると砂浜に行って海を眺めた。マーメイドから返してもらったスマホで瀬川家に掛けてみるが不通だった。

 

 

 僕は無心で海を見つめていた。波の音を聴きながら寝転がった。『よし、決めたぞ。お日様島で暮らす。ここで生きていきたい』とようやく固い決心がついて太陽に向かって腕を振り上げた時だった。

 

 「ババルブォーン、ビルダブォーン」とまたバカでかい船の汽笛が鳴り響いた。

 

「なんだよ、うるせーな」と僕は上体を起こして海を見てみた。

 

 結構、大きな船が5メートル先に停船していた。船の名前は『ワンダーボーイ号』と赤いペンキで書かれていた。

 

 体格の良い背の高い男が甲板に出てきて海にジャンプして降りた。男は早足で僕に近付いてきた。

 

 「おっ! ようやく見つけたぞ! おい竣! 無事か?」と懐かしい声が聞こえてきた。

 

 「お、お、親父、な、な、なんでここにいるって分かったの?」親父の瀬川龍左衛門(せがわりゅうざえもん)だった。久しぶりに親父の顔を見たわ。無事に生きていたんだな。ビックらこいたわ。

 

 「電話は繋がらんし心配したぞ。あっはははは」と親父は腕を組んで笑った。

 

 「親父、俺の話に答えろよ。何でわかったの?」

 

 「お日様島で全国ネットの生中継があって、かなり暴れていただろう?」

 

 「あーっ」

 

 「バッチリ、すぐに俺の息子から生まれた息子だと分かったよ。あっはははは」親父の下ネタは弱い。分かりやすくて非常に弱いんだわ。

 

 「親父、いつ日本に帰国したのさ?」

 

 「竣、今回は帰国していない。国内で仕事をしていたんだよ」

 

 「あーっ、そうなの」

 

 「嫁の幸子や、夏奈子や、スズ婆ちゃんや、和雄爺ちゃんから頻繁に連絡がきてな、めちゃめちゃ参ったよ。あっはははは。俺も生中継は見ていたぜ」

 

 「そうだったのか。僕も家に電話したけども繋がらなくてね」

 

 「竣、お日様島では大規模な新しい電波設備を作っている途中らしいからな。今週末には改善される見通しだそうだ。光通信系みたいな物なら比較的繋がりやすいという話だぞ。まあ、よく知らんけどもね。あっはははは」

 

 「親父、たぶん、途中で水に浸かったから壊れたのかもしれない」

 

「竣、今、家に掛けてみろよ」

 

 僕は瀬川家に掛けた。やはり、繋がらなかった。

 

 「繋がらないわ。これは完全に故障かな?」

  

 「竣、それじゃあ仕方ないさ」親父はオーバーに肩をすぼめた。

 

 「竣、船に乗れ。家に帰るぞ」

 

 「親父、この船はどうしたの?」

 

 「『ワンダーボーイ号』って言うんだよ。カッコいい船だろう?」親父は船に向かって手を振った。

 

 「カッコいいね。で、親父、この船はどうしたの?」

 

 「竣、割りとスピードが出るタイプの船なんだよ。凄く安定感もあってね、ヨーロッパ製の特別な船でもあるんだ。凄いだろう」

 

 「へぇー。凄い。で、この船はどうしたのって?」

 

 「竣、今も絵を描いているのか?」

 

 「描いているよ。親父、マジで、この船はどうしたの?」

 

 「竣、本当に無事で良かったよ。あっはははは」親父は僕に背を向けて『ワンダーボーイ号』に手を振りながら笑った。

 

 言いたくないんだなというのは分かるけども、船は高額な物だし、親父が船の免許証を持っているなんて知らなかったし。絶対に母、幸子に怒られるのは目に見えて分かっているのに。

 

 「親父、俺は帰らない。お日様島で暮らしたい」

 

 「それはダメ。帰るぞ」

 

 「いや、帰りたくない」

 

 「竣、ダメだって。勝手な事を言うなよ」

 

 「散々、勝手な事をしてきたのは誰だよ? 親父だろうが!」

 

 「俺は勝手な事をしていない!」

 

 「じゃあ、この船はどうしたのか言えよ!」

 

 「ノーコメントです」

 

 「はあ!?」

 

 「ノーコメント」

 

 「じゃあ、親父の職業は一体何なんだよ? いいかげんに教えてくれよ?」

 

 「ノーコメントです」

 

 「親父、いいかげんにしろよな。家には帰宅しないしさ。勝手すぎるよ」

 

 「竣、だまらっしゃい!! てめぇ、父親をナメんなよ!」

 

 「ナメちゃいないよ。正直に話してくれよ。一体何の仕事をしているのかだけ教えてくれよ」

 

「分かった。これを見ろ」と親父は言って胸のポケットから免許証らしいものを開いてみせた。

 

 「竣、分かったか? ちゃんと家族を養うために必死になって死ぬものぐるいで働いているんだぜ! 俺を信じろよ!」と親父は言って、すぐに全く何が記されているのか分からないし、見えなかった謎の免許証を胸ポケットに仕舞った。

 

 「親父、僕はお日様島で暮らしたい」

 

 「竣、高校を卒業したら暮らしていい。最低限の学歴がないと大変なんだぞ。高校くらいは出ておけ」

 

 「嫌だ」

 

 「嫌だじゃない。高校を卒業したら何でも好きにして良いから。話はそれからだ」

 

 「嫌だ」

 

 「竣、今、学業という、本来、成すべきこと、大事なこと、やるべき事を無責任に捨ててまで勝手に1人で思い上がった行動をするのは家族や自分自身を傷つけることになるぞ。今の連続が未来に繋がっているんだ。自分を見失うな!」


 「嫌だ」

 

 「竣くんっ! あんたね、いい加減にしろよ!」と船の甲板から女性の声がした。

 

 美華ちゃんだった。

 

「み、美華ちゃん!?」

 

 「さっきから聞いてりゃお父様に対して偉そうにズゲズケと一丁前な口を聞いてさ、この生意気BOY! 分からず屋の生意気BOYFRIEND! それでも愛しい生意気ララバイボーイ!」と美華ちゃんが激怒していた。なんだかいつもと違う。怖い。

 

 美華ちゃんは甲板から海にジャンプして走ってきた。

 

 「竣くん、皆、心配しているから家に帰るよ。分かったね?」美華ちゃんの顔が鬼のように怒っていた。

 

 「はい、帰ります」と僕は美華ちゃんに言って頭を下げると親父を先頭にして『ワンダーボーイ号』に向かって歩いた。

 

 船に乗り込むと新品の匂いがした。真新しい素敵な船だった。親父の運転する船に乗るなんて夢のような話だ。予想もつかない親父の行動力には、毎回、戸惑うばかりだか、新しい息吹や風を運んでくれるのは確かな事実だった。きっとこの『ワンダーボーイ号』も仕事に必要があって手にしたものに違いない。

 

 「実はね、竣くんがいない間ね、私、ずっと瀬川家に泊まっていたんだよ」と美華ちゃんも予想がつかないことを言ってきた。

 

「家の家族は元気かい?」と僕は言って海を眺めた。

 

 「昨日の竣くんのお母様は家の中でヨガに夢中で、夏奈子ちゃんはバンドの練習に出掛けて、スズ婆ちゃんは友達と温泉旅行に行っていて、和雄爺ちゃんは再上映の『グーニーズ』を観に行ったよ」と美華ちゃんは嬉しそうに話した。

 

 「そりゃ良かった」と僕は照れながら言った。

 

「竣、出発進行します!」と親父は言って汽笛を2度と鳴らした。

 

 僕は親父に手を振った。

 

 「竣くん、ラジオでも聞こうよ」と美華ちゃんは言って小さな青い鞄からポータブルラジオを出した。僕はラジオを受け取るとスイッチをONにしてダイヤルを回した。馴染みのある音楽専門のラジオをつけた。

 

 ああ、この曲は僕の大好きな曲だ。僕は流れている曲を聞きながら海を見ている美華ちゃんを静かに抱き寄せた。

 

 優しい歌声に癒されていく。

 

 美華ちゃんの美しい姿に見惚れてしまう。

 

 美華ちゃん、僕はね、すぐにでもね、今流れているラブソングに合わせて美華ちゃんをデッサンしたい気分なんだよ。

 

 ずっと美華ちゃんが恋しくてさ、君が恋しくてラブソングを聞きながら君の姿を描きたいんだ。

 

 

 

THE END

今まで読んでくれて本当にどうもありがとうございました。初めて書いた長篇小説でした。


全214話。遂に完結致しました。最終回はバレンタインデーの日にちを1つの目標にしていました。大変なこともありましたが、最後まで書けた達成感は何よりも嬉しいです。今まで読んでくれてありがとうございました。また思い出したら読みに来てね!皆さん、ありがとう、さようなら!瀬川竣くん、ありがとう!

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