Good Night
心理的にも肉体的にもハードな状態に追いやられた場合、ケアで必要な事は、周りの暖かいサポートが何よりも1番、心強いし、勇気や自分自信を取り戻す切っ掛けになります。それは思いの外、回復のペースが一段と早くなると証明されているのです。竣は愛する美華を守るために、必死で死に物狂いで戦いました。自分の命さえも捨てる覚悟が竣にはありました。自分の命を美華に与える覚悟がありました。愛する人を守るということは、自己犠牲の上に成り立っているのかもしれませんね。
22時15分。僕と美絵ちゃんが家の玄関先に着くと「お兄ちゃん」と声がした。振り向くとタイミング良く夏奈子がバンド仲間の女の子と一緒に帰宅をした。
「夏奈子、一緒に帰宅するとは偶然だね。お帰り」と僕は夏奈子に顔を背けて言った。
「お兄ちゃん、左の頬っぺたが腫れてない?」と夏奈子が僕の顔を覗き込むようにして言ってきた。
「えっ!? た、たぶん、気のせいでしょ」と僕は頬を膨らませた。
「そうかな? まっ、何ともないのなら別に良いけどね。お兄ちゃん、まさか喧嘩とかはしていないよねぇ?」夏奈子は勘が良い妹だ。いや、女性は、皆、勘が良い。
「たぶん、し、していないよ。あははは。はぁ……」と僕は言ったが夏奈子は怪しいと言わんばかりの疑いの目で僕を見つめた後、しょうがないと肩を竦めた。
僕は美華ちゃんに目で合図の確認をしてから頷いた。
ここは一つ正直になって夏奈子に細かく説明した方が良いので、詳しい事情を話してみた。
夏奈子は相槌を打ちながら真剣になって僕の話に耳を傾けていた。
「そう、分かったよ」と夏奈子は頷くと、それ以上の詮索をしなかった。
「夏奈子、こちらは新しいクラスメートの柏木美華さんだよ」と僕は夏奈子に美華ちゃんを紹介した。
夏奈子は目を丸くして冷やかし半分で「ヒュー!!」と口笛を吹いた。
「シーッ! 夜更けの口笛は良くないよ。蛇が出るとか出ないとかスズ婆ちゃんが言っていなかったっけ?」と僕は夏奈子の口を手で塞いで言った。
「あ〜っ、そう言えば言ってたねぇ。お兄ちゃん、美華さん、美人だし、凄い綺麗な人だねぇ! 美人過ぎてちょっと信じられないんだけども。あはははは。美華さん、どうも初めまして瀬川夏奈子です」と夏奈子は深々と美華ちゃんに会釈をした。
「夏奈子ちゃん、初めまして。どうぞよろしくね。柏木美華と言います」と美華ちゃんも夏奈子に丁寧に頭を下げて言った。
「お兄ちゃん、バンドでベースを担当している新しいメンバーの真美ちゃんだよ」
「こんばんわ〜」と真美ちゃんは挨拶をした。
真美ちゃんは金髪のショートカットで生き生きとした目をしていた。
パンクな雰囲気がある可愛らしい女の子だった。
「お兄ちゃん、B計画の方は順調なの?」と夏奈子は声を落として聞いた。
「順調だよ。ウメさんとスナック『魔女の集い』に行ったことになっているからね。その後は、ウメさんの家に泊まるという架空の話で計画は進行中です」とここまでの状況を簡単に説明した。
「OK」と夏奈子は親指を立てて頷いた。
家に入ると母、幸子はお風呂に入っているようだ。
「♪ 貴方はわからず屋の〜お♪ おっちょこちょいの〜お♪ すっとこどっこいだわ〜♪」と2年前にヒットしたアイドル歌手の仲里亜里沙の名曲『恋しちゃったの』を歌っていた。
惜しみ無く音程を外して歌を披露する母、幸子の歌声に、堪らず美華ちゃんは「ぶふふふふっ」と口を押さえて笑った。
『よかった!』と僕は心の中で思った。
ようやく、美華ちゃんのリラックスした笑顔が見れたことで、僕は心から安堵した。
スズ婆ちゃんから避難していた和雄爺ちゃんはすでに寝たみたいだ。
スズ婆ちゃんの酔い方はムラがあって、その時にならないと酔いの度合いが分からないのだ。
和雄爺ちゃんは『酔った時のスズには会わないようにするのが、助かるためのベストな方法だぞ』と常日頃よく言っていた。
今日も和雄爺ちゃんは、スズ婆ちゃんがスナック『魔女の集い』から帰宅をするのを間違いなく恐れているはずだ。
スズ婆ちゃんは酔うと必ず和雄爺ちゃんの部屋に行き絡むのだった。
実際には、スズ婆ちゃんは湯布院にいるのだから、今晩、まったく怖がる必要は全然ないんだけどもね。
「お兄ちゃん、美華ちゃんが嫌でなければの話だけどさ、私と一緒の部屋で泊まった方か良いかもよ。真美ちゃんもいるしさ。女子トークもしたいし。あはははは」と夏奈子は照れ臭そうに自分の頭を撫でながら言った。
「そうだな、夏奈子と一緒なら安心すると思う。夏奈子にお願いするよ。あと、僕も後でお母さんに言うけど、夏奈子からも、お母さんに喧嘩の件を上手く言っておいてくれないかな?」と僕は頼んだ。
「分かったよ。美華ちゃん、それでいい?」
「大丈夫です」と美華ちゃんは畏まった顔をして言った。
「あっ! 美華ちゃん、真美ちゃん。スズ婆ちゃんの部屋で一緒に寝ようよ! テレビもあるし、マンガもあるしさ。お菓子が食べ放題なんだよ。私の部屋よりも断然広いからさ。そうしょう! ねぇ、そうしょうよ!」と夏奈子はジャンプしながら言った。
「楽しそうだね!」と美華ちゃんも乗り気な笑顔を見せて頷いた。
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僕は自分の部屋で左手と左の頬を氷で冷やしていると、ノックの音がしたので「誰だい?」と言った。
「竣、上がったよ〜。お風呂が空いたよ」とお母さんが僕の部屋の扉をノックして言った。
「分かったよ。今から入るよ」と僕は慌て扉に駆け寄って、扉越しに返事をした。
「竣、さっきね、夏奈子から喧嘩の話を聞いたよ。美華ちゃんについてもね。喧嘩の理由が女の子を守るためなら今回は仕方がないと思う。許すよ。竣、顔を見せなさい」
「大丈夫だよ」
「本当かい?」
「ああ。ちょっと腫れた程度からすぐ治るよ」
「竣、さっき美華ちゃんにも会ったけどさ、凄い綺麗な人だね! お母さんが男だったら確実に惚れていたよ。竣、お母さんと美華ちゃんはさ、似ているよね?」と母、幸子は図々しくも言ってきた。
「うん……そうだね」と言わないと話が終わらなさそうなので、一先ず、適当に合わせて返事をした。
「若い頃の私に瓜二つだよ。竣、おやすみよん♪」と母は笑い声をあげて自分の寝室に行った。
僕は風呂に入ることにした。
廊下を出て夏奈子の部屋の前を通り、和雄爺ちゃんの部屋を通り、スズ婆ちゃんの部屋の前で止まった。
部屋の中から話し声が聞こえてきた。
夏奈子の笑い声、真美ちゃんの笑い声、美華ちゃんの笑い声が楽しそうに聞こえてきた。
僕は夏奈子の優しさ、思いやりが嬉しくて、心が温かくなっていた。
夏奈子の事だから、帰宅した直後に会った美華ちゃんの顔を一目見て、不安げな顔だと気付き『守ってあげなくちゃ!』と思ったんだと思う。
僕は夏奈子に対して感謝の気持ちで胸が一杯になっていた。
僕は女の子達の綺麗な笑い声を聞きながら、静かに階段を降りて風呂場へと向かった。
つづく
ありがとうございました!




