赤い糸
見守っているからね!
『増子、ありがとうね。そろそろ切るわ』
『華絵、やっぱりさぁ、長話は楽しいわよねえ』
『おしゃべりは良薬よ』
『あははは。そうよね。華絵、女って、話のプロフェッショナルよねえ。小さな話題でも、軽く5時間は過ごせるし』
『本当よねえ』
『華絵、私、本当に信じられないわ。お互いに、死んでから離れ離れになり、膨大な時間が経過していたけれども、不思議な事に、話せばさあ、あの頃の時間が甦ってきて、戻ってくるわよねえ』
『本当にそうよねぇ。増子、ある意味、女の時間は何処か別な時間を生きている感覚になっていたりもするじゃない? 囚われないというのかな、男には絶対に『ワカラナイ』時間かもしれないけどね』
『本当、本当。華絵、近いうちに会わない?』
『良いわ! いつ?』
『今週の土曜日は祝日だから私の家においでよ。華絵は、その日は予定はないのかい? 大丈夫?』
『大丈夫、大丈夫。分かったわ。連絡先教えてよ。私、ガラケーだけど良いかい?』
『私もガラケー。後でまた傘小三郎さんを、間に入れて、改めてこちらから連絡をしまあーす。あっ、どうも、ご無沙汰しておりますぅ〜。どうぞ、どうぞ。華絵、ちょっと、お客様が来たから、一旦切るわね』
『了解、了解。増子、バイビー』
『華絵、バイバーイ』
華絵さんは電話を切り終えた後も、ガラパゴス諸島にちなんだ呼び名であるガラケーを優しい眼差しで、黙って見つめていた。
「ウフフフ。いやぁ〜、楽しかったわ。本当に久々に楽しかったわ…。あら、嫌だわ。ごめんね。増子と話せて懐かしかったわぁ。増子、私が死んだことを知らなかったみたい。傘小三郎さん、ありがとうございました」と華絵さんは上気した顔から御満悦な様子が窺えた。
「いえいえ。どう致しまして。友達は人生の恵みであり宝ですからね」と傘小三郎は華絵さんにウインクをして照れ笑いをした。
華絵さんの顔色が先ほどより良くなっていた。さすが18歳の乙女。中身は円熟を増した立派な老女でも外見はうら若き可憐で清らかな乙女。『今の中身で若い頃に戻りたい』という大人が多い現世の夢の話を、華絵さんは霊界で実践していた。
「さてさて。私の方では瀬川さんの赤い糸を完璧にメンテナンスしましたよ。以前より強度を増した赤い糸と取り替えさせて頂きましたので大丈夫です。瀬川さん、肉体に戻ったら、赤い糸は気にしなくて大丈夫です。自由に肉体を駆使してくださって結構ですよ。全然、大丈夫です」と傘小三郎は胸を張って僕を見ていた。
赤い糸は艶やかで鮮烈な輝きを放ち、僕の腰回りに改めて結び直されていた。
「さて、竣くん。お別れの時が来たわよ。私がね、近々、竣くんの守護霊になるから頻繁に現れたとしても、もう、以前よりは霊に対して全然怖くはないでしょう?」と華絵さんはしんみりとした優しい声で話していた。
「そうですね。華絵さんに限ってなら怖さは無いかもしれませんが、中には、ヤバイ霊やお化けやゾンビがいた場合は、まだ怖さは変わらないかもしれないですけどね」とぼくは率直に今の自分の気持ちを伝えてみた。
「悪霊は地獄にいるから滅多に現世には現れないけれども、気を付けなければならない類いの霊ではあるのは間違いないから悪霊は注意したほうが良いよ。逃げ出したり、脱出したり、未練を残して留まっている霊もいるから気を付けて」
「はい分かりました。具体的にはどう注意したら良いですか?」と華絵さんに悪い霊についての詳しい対応の仕方を尋ねてみた。
万が一の場合を考慮しないといけないからだ。確実に『あの世』があると分かった今だからこそ、しっかりしないといけない。
「まずね、不審な霊は街中でも、結構、佇んだりしているから、3つの約束。【目をあわせない。近付かない。声を掛けられても行かない】事を徹底的に心掛けてね。ヤバイ霊はタチが悪いので、必ずこの約束を守ること」と華絵さんは厳しい表情を浮かべて要点を説明してくれた。
「必ず約束を守ります」と僕は深く頷くと、華絵さんの3つの約束を唱えた。
「成仏出来ない霊魂に対しては、霊魂自体が、今、置かれている状態に自ら気付かない限りは、私たちは手を差し出したり、差し伸べることは出来ない規則にもなっているのですよ。
ましてや、瀬川さんの生きる現世の人間達が、変な形でコンタクトを取ってみたりするじゃないですか、テレビとか映画とかでね。踏み込んでみたり、興味本意に関わる事は非常識でありナンセンスな事なんですよ。本当に私からも重ねてお願いを申し上げますが、十分に気を付けてくださいね」と波賀和良傘小三郎さんは品のある微笑を浮かべて言った後、微かに頷き、ネクタイを直し始めた。
「傘小三郎さん、御丁寧にありがとうございます」と僕は傘小三郎に笑顔を見せて約束を誓った。
「竣くん、御守りに、このネックレスを、是非、持っていってよ」と華絵さんは身に付けていた小さなダイヤモンドのネックレスを自ら取り外すと、僕の首に掛けてくれた。
「華絵さん! こんな事をされては困ります! 高価な物は頂く事は出来ません。気持ちは凄く嬉しいのですが…」と僕は拒絶とまではいかないが光輝くダイヤモンドを見て完全に怖じ気づいてしまった。
間違いなくこの素敵なダイヤモンドの輝きは、きっと華絵さんの大切な人からの贈り物に違いないのだから。
「遠慮は無用。絶対に、竣くんに身に付けていて欲しいのよ。このダイヤモンドはね、どんなことがあっても竣くんを守ってくれるはずだから」と華絵さんは頑なに言い張って、僕に素晴らしい笑顔を見せた。
「大丈夫なんですか?」
「全然大丈夫」
「そうですか……。分かりました。有り難く受け取ります。華絵さん、どうもありがとうございます!」僕は胸に熱いものが込み上げてきた。
華絵さんが、あの世にいても、ずっと瀬川家、僕の大切な家族の皆を見守ってくれているなんて……。
目には見えない聖霊が、現実の世界にたくさん存在していることを、改めて気付かせてくれたし、素直な気持ちを持って理解が出来ていた。心の準備が整って真っ直ぐな思いでいっぱいになっていた。
【死後も愛は生き続ける】ことの意味を初めて受け入れることが出来たのだ。
「じゃあね。竣くん。頑張ってたくさんいっぱい生きてね!!」華絵さんは泣きながら僕を抱きしめた。
「竣くん、これからね、辛いことや苦しいことがあっても構わないのよ。生きるとは、痛みを感じることなのよ。苦痛のあまり、痛みから逃れたくて、安易に自分の人生を放棄して、何かにすがりたくなったとしてもね、誰も絶対に助けてはくれないのよ。誰しも痛みを抱えて生きている。自分の痛みは自分で乗り越えていくしかないのよ。苦痛を周りに言い吹らしても、無駄な話。相手に甘える事で味をしめたら、闇雲に甘え、それが快楽になっていき、甘える事がクセになるだけだからね。
竣くん、自分を助けてくれるのはね、自分自身しかいないのよ。それこそが人生の素晴らしいところで、生きていく事の醍醐味なんだよ。自分を信じて生きていく。そうすれば、竣くんのソウルメイト、味方や仲間や人が必ず現れて、支えたり守ってくれるようになるわ。お互いを思いやる関係が築かれていく事になるでしょうね。あと、もう1つだけ。竣くん、あの世もこの世も愛が一番大切だと言うことを絶対に忘れないでね」と華絵さんは泣きながらずっと僕に語りかけていた。時折、しゃっくりが出そうにもなっていた。僕も涙を流して華絵さんの言葉に耳を傾けた。
『僕はなんて幸福者なんだろう』と心から思っていた。
「竣くん、また逢いましょうね。直ぐに守護霊になるから待っていてね。竣くん、スズ、幸子、夏奈子を守ってあげるんだよ」と華絵さんは僕の体を引き離すと涙を拭った。
「任せてください。命を掛けて家族を守ります」と僕は堂々と胸を張って答えた。自信が溢れていく。僕を止めることは誰にも出来ない。
「竣くん、何か最後に聞きたいことはあるかい?」
「あの世はどんな場所なのですか?」
「深い愛があって、無限に奇跡を起こす事が出来る純粋で素晴らしい世界なのよ。怖がらなくていい。安心して大丈夫だからね」
「分かりました。傘小三郎さんもどうもありがとうございました」
「なんのこれしき。またなにかあったらいつでもどうぞ」
「さよなら、華絵さん」
「竣くん、またね」
僕は倒れている自分の体にダイブをした。
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「起きろコラ。飯だ」
和雄爺ちゃんがタンクトップに水色の短パンを穿き、うちわを扇ぎながら僕のベッドの傍にいた。
「えっ!? 飯?」と僕はベッドから体を起こした。僕はパジャマを着ていた。
「爺ちゃん、俺さ、居間に居なかった? 倒れていたよね?」と僕は驚きながら話し掛けた。
「ちゃんとベッドで寝ていたよ」と和雄爺ちゃんは額の汗をビートルズのイラストが描かれているハンカチで拭いながら言った。
「夏奈子は?」
「夏奈子? 夏奈子は、昨日からライヴの合宿で泊まり込みに行っているのを忘れたのか? 今は真美ちゃんの家に居るよ」
「嘘だぁ! からかっているんでしょう?」
「からかって、その後、どうするのさ?」
「またまたぁ。冗談が好きな爺ちゃんが居るのも困った話だよね。スズ婆ちゃんは?」
「茶の間でウメさんとトーク中だよ」
「ねぇ、爺ちゃん。波賀和良傘小三郎って聞いたことある?」
「知らんね」
「じゃあ、華絵さんは?」
「……。」
「うん? どうした? 爺ちゃん?」
「いや、知っているも何も、華絵さんはスズのお母さんの事だよ。華絵さん。懐かしいねぇ。久々にその名前を聞いたよ」和雄爺ちゃんはソワソワしながら話していた。
「尾上増子さんは?」
「……」
「尾上増子は知っているのかい?」
「何で竣がその名前を知っているんだよ。教えたことはないはずだろう?」と和雄爺ちゃんは緊迫した表情を浮かべていた。
「教えてよ。温泉旅行には和雄爺ちゃんも同行していたの?」と僕はさりげなく言ってみた。特に詮索するつもりはない。
「……。 もう帰る!」と和雄爺ちゃんは顔色を変えて部屋から出ていってしまった。
「何を言ってんだか。帰るって言ったって、ここは自分の家じゃん」と僕は呆気に取られていた。
僕は再びベッドに入ると布団の中で背伸びをした。体を伸ばすのは本当に気持ちがいい。
僕は頭を掻いてからアクビをすると、うつ伏せになりたくて体勢を変えた。
「痛いっ!! 何だよ!!」と僕はかなり驚いたので、半分だけ怒りながら胸元をまさぐってみた。
取り出してみると、華絵さんがくれた小さなダイヤモンドのネックレスが優しく光輝いていた。
つづく
ありがとうございました!




