予期せぬ出来事
夏休み前です。しっかりと気を引き締めていこう!
7月の暑い夏の昼。給食のサンマ定食を食べ終えて帰宅の準備に取り掛かる。
「明日は終業式です。気を引き締めて登校してくださいね」と先生は言った。
「はーい!」とクラスの皆は声を出した。
「竣、一緒に帰ろうぜ。ちょっと話しもあるしさ」と憲二は鞄を右肩に担ぐように持ちながら言った。
「ああ、わかったよ」と僕は額をハンカチで拭きながら言った。
「竣、憲二、帰りは気をつけてね。また明日ね!」と亜美は手を大きく振りながら言った。
「憲二、明日『愛と青春の旅だち』を持ってくるからね」と梨香はピースをしながら言った。
「おお、貸してくれるんだったな。悪いな。Thank You!」と憲二は梨香にウインクをした。
「あはははは! ウインクをしたわ!」と手を叩きながら梨香は笑った。
「お2人とも気を付けて、帰宅をしてくださいね」と佐登瀬都子は何回も頷きながら眼鏡を上げて言った。
「委員長もね!」と僕は微笑んだ。
柏木美華はまだ控えめに皆の様子を観察しているように見ていた。
僕は彼女に声をかけて、「柏木さん、また明日ね!」と言いたかったけれど照れるので頭だけを下げて挨拶をした。柏木美華も、はにかんだ笑顔を見せて頭を小さく下げた。
僕と憲二は学校の近所のコンビニまで歩いていた。
僕は憲二に名探偵シャーロック・ホームズについて夢中で話をしていた。
「憲二、ホームズは素晴らしいよ。どの小説も見応えがあるし、魅力的ストーリーばかりだしさ。ホームズが、この世に本当にいたと思えるほどの存在感があるんだよ」と僕が言うと、
「えっ!? 歴史上の実際の人物なんだろう? 名探偵シャーロック・ホームズっていう人はさ?」と憲二は驚いて言った。
「ま、ま、まあね。その通りだ。本当にいたんだ。ここまで来たら情熱は隠せない。もはやシャーロック・ホームズは歴史上の人物なのだよ!
本当にいたんだよとしか(思い込む)今は言いたくないね。ワトスン君」と僕は言葉に力を込めて憲二に嘘を教え込んだ。
「やっぱりな! 竣、俺さ、昔なにかでさ、ホームズの肖像画を見たことがあるんだよね。パイプを持ってこちらを見つめている見事な絵だったよ。髪は後退していたけど結構イケメンだったぜ!」と憲二は思い出しながら言った。
憲二は世界史や歴史に疎いので、僕は、もうここまで話が進んだのならシャーロック・ホームズは実際にいた人物、歴史的に重要な存在、本当にいたと憲二に思ってもらいたい。
何故なら、もっとシャーロック・ホームズを好きになってもらいたいからだ。僕は憲二にホームズの歴史を教え込んで信じ込ませようと決めた。
話に綻びが見えて疑問が沸き納得がいかなくなれば、あっさりバレるし、スマホで調べれば「ホームズは架空の存在どぇ~す。あはははは」と2分で分かる事実だけれどもね。
シャーロキアン(ホームズのファンの事)は楽しむことが何よりも大事なんだ。
ちなみに僕はコナン・ドイルこそがシャーロック・ホームズだったと思っている。
横断歩道を渡ればコンビニだ。赤信号。ここの信号は、やたらと長い。車はほとんどない。僕らは信号待ちの間、タイムマシンがあったら、どの時代に行きたいかを話していた。
チリンチリン〜♪
チリンチリン〜♪
僕らは自転車のベルの音に驚き振り返ると、汗まみれの見知らぬおばさんが鼻唄を歌いながら≪キキーッ!≫と耳障りな音がする錆びたブレーキを掛けて僕らの隣に止まった。
自転車の籠のポメラニアンがこちらを見ている。
おばさんは妖怪の「ぬらりんひょん」に瓜二つだった。瞼が重そうで殴られたように右目を閉じていて、しかめっ面をしていた。
「フフン」と鼻息を漏らしている。
たくましい二の腕、首にかけた白いタオル、汗で濡れた白いTシャツからは黒い乳首が透けて見えた。
同じ黒い色のスカート、ストッキングは脛の半分までしか上げていなくて、すね毛が濃かった。
全体的に特有の威圧感があった。おばさんの目がすわっているから酒を呑んでいるのかもしれない。
先ほどからおばさんは鼻唄をずっと歌っていた。聞いたことのない歌だ。僕と憲二は首を傾げながら鼻唄を聞いていた。
『♪ あの娘が嫌いなわけではない〜♪ 好きな映画にただ夢中〜♪ 会いたくないなら私にそう言ってよ〜♪ 貴方が会いたくなるまで私からは連絡をしないわ♪』と、ぬらりんひょんに似たおばさんは、サビらしき歌詞の部分を大声で歌っていた。
僕と憲二は『これは、一体、何の歌なんだろう?』と首を捻って考えていた。
『どうやら、おばさんのオリジナルソングだな』と、ようやく気付いた。
ポメラニアンはこちらを吠えるでもなく見ている。
僕は『人形なのかな?』と思い始めていた。
ずっ~と、おばさんは熱唱しながら興奮をして謎の謎の歌を歌っていた。
面白くて珍しい光景だったか、僕と憲二はこの後のおばさんの展開を読めないでいた。
おばさんの汗が額から右目に何度も落ちた。
「目がしょっぱいわ〜!」とおばさんは瞬発的に大声出した。
僕は心の中で『おばさん違うよ。しみるが正解なんですよ』と思いつつ「ブッホッヘ!」と鼻で笑い声を漏らしてしまった。
慌てた憲二が僕に肘鉄を食らわす。
おばさんが僕を睨み付けるように見た。
ポメラニアンも微動だにせずこちらを見ている。
「こんにちは」と沈黙を破って憲二が先に言った。
「よう、若者」とおばさんは頷いて言ってくれた。僕は愛想笑いを浮かべた。
「あんたらさぁ〜、学校はどうしたのさ? 昼からの帰宅? ははぁ〜あん、あんたら、これはサボりだね? 私もね、旦那に出逢う前の彼とは朝帰りもしたし、学校をしょっちゅうサボったりなんかしていたの。
彼は俊介って名前。素敵な彼だったわよ〜っ。同級生で俳優志望だったわ。思い出がたくさんあるのよ。アラン・ドロンに似ていたわ。
彼は私をB.Bに似ているってよく言っていたわ。誰ってかい? フランス女優のブリジッド・バルドーの事よん。
キスが上手くてねぇ〜。キスのたびに身体中の力が抜けたわよ。フニャッてな感じでね。ムフッ。
今にして思えばねぇ……、俊介とは別れるべきではなかったと物凄く後悔しているのよねぇ。本当に本当に、後悔。無念なり。無念無想にはなれないなり。
俊介はね、今、よくテレビに出ているわよ。毎日出ていると言っても過言じゃない活躍ぶり。知らない? 境輪俊介ってさ? ドッグフードのCMと焼き肉のタレのCMに出ている男? 最近はね、蚊取り線香のポスターにも浴衣姿で出ているわよ。ポスターはね、5丁目の薬局『ハゲ鷹』のトイレの扉にね、ドーンと貼ってあるよ」とおばさんは俊介のローカル的な活躍が悔しくてチッと舌打ちをして言った。
僕らは、全くその名前を聞いたこともないし、知らないので頷かなかった。
「もちろん、俊介の事はうちの旦那にはシーッよ! 秘密よ。秘密のアッコちゃんなの。女はねぇ、忘れられない人を胸に秘めて生きるものなのよ。
君たちも、彼女をちゃんと大切にするんだよ。絶対にね、彼女を泣かせないほうがいいよ」とおばさんはウインクをした。
♪チリンチリン♪
♪チリンチリン♪
またベルが鳴ったので、おばさんを含めて後ろを振り返った。
「ヘイ! 坊主ども! 俺の女をなぁー、ナンパしたらいかんぜぇ〜いっ。そこの青少年のA君とB君よ」と後ろから短パン姿で蛇行しながら自転車に乗ってきた笑顔のおじさんが現れた。
おじさんは前歯が抜けまくっていた。
「あんた、も〜ぉう。なにいってんのよっ! ぶははは!」とおばさんは長年、「俊介」の事を胸に秘めていて、その事実を何も知らないでいる憐れな旦那さんに向かって言った。
おばさんは勝手に言いたいことを言ってスッキリ満足をしたようで「あんたらも頑張れよ! じゃあね〜、バイビー!」と手をあげて走り去った。
ポメラニアンは「キャンキャン」と鳴いた。
『動いたよ! よかったぁ! 人形じゃなかった』と思いながら僕らは頭を下げた。
しばらく見送ってから、僕らは空を見上げた。
変な違和感を持つ大人達の人生に関わるのは非常に良くない。
僕と憲二は頭に残ってしまったおばさんの謎の歌とTシャツから透けて見えた、真っ黒い色の立っていた乳首を早く、とにかく、一刻も早く忘れたくて仕方がなかった。
つづく
読んでくれてどうもありがとうございました!次回もよろしくお願いします。




