誰かと笑顔
彼の笑顔がすきだったが、その笑顔はわたしのものではなかった。いつもわたしではない誰かに向けられていて、一度でいいからその顔を真正面から見てみたいものだと思っていたけれど、その機会はついぞなくなってしまったようだ。
「お前は俺を、捨てていくのか?」
別れ際の彼はわたしを睨みつけている。最後くらい愛想よくしてくれたっていいのに、と唇を突き出しつつも、意味がよく分からない。だって、彼はいつもわたしみたいな「混ざりもの」との婚姻など恥だと言っていたではないか。同族の女性か、どうせなら生粋の竜人とがよかった。能力が強いからとはいえなぜ混血を、と。
「ええと、黙って取り決めを変えられたのが不満なのでしょうか? でも、わたしも旦那様に口止めされていたから仕方がなかったのですよ。改めて婚約者となるエリュンナ様はお美しいですしよくご存じの方です。同族の女性のなかでも能力の強く、次期当主のお相手として文句ないと思いますが……」
「そうだな。エリュンナは俺とよく似た生粋の錬族だ。純潔で誇り高い、な」
だからこそ腹が立つのだ、と彼は鼻を鳴らした。
「よく見知ったといえばお前のほうがずっと長いではないか。能力の強さもおまえで問題はない。なぜ、反論もせず黙っていた」
彼は睨むが、わたしが微笑みを浮かべたまま何も言わないでいると、
「俺たちはずっとともにいた。生れてから、ずっとだ」
それだけ言って彼は黙った。
そも、私と彼が婚姻する手筈であったのは、父が旦那様の部下だったことからはじまる。死に際に父に頼まれていた旦那様は幼い私を引き取ったが、なにを思ったのか、わたしと自分の息子と娶わせることを決めたのだった。
この婚約は一族にとって喜ばれ、また哀れみ蔑まれることでもあった。理由はわたしが「混ざりもの」であることに尽きた。
どの種族も自分の種族が一番でそれ以外を大体見下しているが、わたしのような混血は「混ざりもの」と呼ばれどこにいっても立場が低い。理由は単純で、血を混ぜ代を重ねるたび種族ごとの特性がどんどん薄れていくからだ。
ただし、混血の一代目は交わった両種族の特性が強く出て、能力が強い場合が多い。また混血を嫌うといっても近親婚を重ね血が濃くなりすぎるのも問題で、混血を嫌いながらも全くせずにもいられないのはどの種族でも難儀するところだった。
「旧い知人の新たな門出を祝ってはくれないのですか?」
「混ざりものの癖に生意気な」
二つ向こうの国でわたしと同じ混血が新しい街を興したのだという。縁をたどってそちらに商売を拓くという人に、君もどうかと移住を誘われた。随分迷ったが、わたしはそれについていくことにしたのだ。どれくらい遠いのかもわからないけれど、行ったらもうここに帰ってくることはないのだと思う。
「知らぬ土地で騙されたと泣いてからでは遅いのだぞ」
「あら、心配してくださるんですか?」
「誰が心配なぞするものか。おまえなんて襤褸切れのごとく使い倒されるに違いない。此処から離れたところで幸せになれるわけがない」
「幸せになりますよ」
「は、」
「知らない国の知らない街で、新しい仕事を手に入れます。わたしは其処で、わたしに向かって笑いかけてくれる人と、幸せになるんです」
だから、あなたはもういらない。わたしを好きにならない人に期待などしない。何もかもが今更なのだ。いま、彼が何に傷ついているのかなんて気付かないでいたかった。
「今までお世話になりました。もうお会いする機会もないでしょうけれど、あなたの幸せをお祈りしています」
さようなら、今まで好きだった人。