ゾンビから逃げて飛び込んだ先はアダルトショップ!
俺は右手にマッサージ器を左手にローションを握りしめ、階段の上で待ち構えている。
階段の下には蠢く無数の動く死体。その群れの足元には前に俺が投げつけた新作AVが幾つも散乱しているが、誰もそれに見向きもしない。
「性欲があるわけないよな! 豚に真珠じゃなくて、ゾンビにAVかっ!」
階段を上ってくるゾンビに向けて叫ぶと、俺は奴ら迎え撃つため身構えた。
どうしてこんなことになった。俺はただ本を買いに来ただけだというのに!
ある晴れた日の昼時。三車線の道路に面した歩道を一人歩いていた。
現在、時刻は一時。冬場とはいえ、空が暗くなるにはまだまだ時間の猶予がある。
行きつけの本屋にでも寄って、新作のラノベを三冊ほど購入する予定だ。
「はぁー、さっむいなぁ」
呟いた言葉は白い湯気となって口から吐き出された。
かなり厚着しているにも関わらず、今年一番の冷気が俺をいたぶってくれる。
口を開くのもおっくうになった俺は目的の本屋を視界に捉えると、駆け足で近づいていく。小さな本屋なのでお世辞にも品揃えは良くないのだが、店主の趣味なのか何故かラノベだけは豊富に取り揃えているのだ。
「まあ、ありがたいことだけど」
足早に向かう俺の目に本屋の古ぼけた看板が徐々に大きくなっていく。それと同時に本屋が入っている雑居ビルの二階に書かれた、窓際の文字も目に入ってしまう。
『アダルトショップ』
シンプルでわかりやすいのはいいが、一体何を売っている店なのやら。
いや、アダルトショップがどういった店なのかは理解している。三十にもなってその存在を知らなかったら、恥ずかしいからな。
普通にAVだけを置いている店なのかと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
上の店には本屋の脇にある屋外階段からしか行けないのだが、たまに利用している客を目で追うと、やたら大きな段ボールや紙袋を手にした人がいるのだ。
それに男性だけじゃなく、派手な格好をした女性と一緒の客もちらほらと見かける。週に三日ほど通う本屋だというのに行き来する頻繁に客を見るということは、アダルトショップは結構儲かっているのだろう。
正直、興味はあるのだが……足を踏み入れるのには勇気が必要となる。毎回、本屋に行くたびに好奇心がうずくが結局行かず仕舞だ。
なんてことを考えている間に到着。さあ、暖かい店内でのんびり掘り出し物のラノベがないか探索しよう。
重いガラス扉を押し開いて店内に滑り込むと、
「きゃあああああっ!」
鼓膜を貫くような女性の悲鳴が聞こえた。
な、なんだ! えっ、強盗か!?
怯えながらも声のした方へ視線を向けると、最近髪が薄くなってきている店長にスーツを着た男が抱きついていた――えっ、おいおい! 喉元に噛みついてないか?
「離せっ、離さんかっ!」
「この野郎! 店長から離れろおおっ!」
店員が噛みついている男を後ろから抱きかかえて、引きはがそうとしているが噛みついたまま離れようとしない。
首にめり込んでいる歯、あふれ出る鮮血。まるでホラー映画のワンシーンを見ているかのような、そうゾンビ物の映画でよく見る光景。
あまりに現実離れした現状に映画の撮影じゃないかと疑う自分がいた。
「うりゃああっ!」
体格のいい客の一人が噛みつき男に体当たりをして、吹き飛ばしたみたいだけど……店長の首の肉が抉れ白い何かが見えてしまった。
「ひぅっ、あ、あ、あ」
あれは骨か。大量の出血が辺りの本と床を真っ赤に染め上げている。
本物は映画とは比べ物にならない強烈な恐怖とおぞましさ。そして血の匂いが胸にこみ上げてきた不快感を増幅させる、が、落ち着け俺。こんなことはあり得ない!
最近の特殊メイクは進化しているからな、ドッキリかっ! カメラは何処だ?
「で、電話! 救急車と警察に誰か!」
って、髪を振り乱して慌てふためいている店員のアレが芝居なら、あの人はオスカー賞を取れる逸材だ。
現実逃避をやめて我に返るとスマホを取り出し、電話をしたのだがコール音がするだけで一向に電話を取る気配がない。
「ど、どういうことだ」
俺だけじゃなく他の客も電話をしていたようだが、警察の反応がないようだ。
えっ、コールを無視するなんてあり得ないだろう。そんなの何かしらの非常事態が発生していない限りは。
ふと馬鹿げた発想が頭に浮かび、視線を噛みつき男に向けた。
血だまりが広がる店内で押さえつけられても、必死になって抵抗している。その男の目は……真っ赤に充血していた。
血に濡れた口からは涎が垂れ流れ、「ぐあうぎぐあああぐがるあぃぃ」と意味不明なことを叫び続けている。
「こいつ、薬でもやっているのか」
押さえつけている客の声を聞いて、そうに決まっていると思い込もうとしているのだが、「これは本物だ」と囁く心の声を否定できない自分がいた。
馬鹿な憶測で頭を悩ませるぐらいなら、確認をすればいい。
俺はスマホでネットニュースを開いてみた。もし、ゾンビものなら、各地で同じような現象が起こっているはず……。もし、万が一本物だとしたら、ここにいるのはヤバい!
スマホを確認するのをやめて、慌てて本屋から飛び出す直前に背後から、
「店長、どうしたんですか! やめてくださ、ぎゃああああっ!」
聞こえてきた悲鳴を無視する。
外に飛び出して辺りを見回すと、そこは――地獄絵図だった。
血まみれの人が逃げ惑う人に襲い掛かり、その体に噛みつき貪り食う。助けを呼ぶ声と怒号、懸命に逃げる人々と追う目が血走った人々。
子供を庇い噛みつかれた母親が、抱きかかえていた子供に食らいつく。
道路に飛び出してきた男が車にはねられ、慌てて出てきた運転手が駆け寄ると、何もなかったかのように立ち上がり噛みついた。
ホラー映画やゲームで何度も見たことのある光景が、目の前に広がっている。
「やばい、やばい、やばい!」
映画や漫画やゲームでこの展開腐るほど見てきたぞ!
考えるより行動だ! 逃げるか? 何処に、今空いた車に乗るか……乗って何処に行く!?
道路には事故を起こした車が散乱していて、まともに走れるかも怪しい。
周りはゾンビだらけに加え、絶賛増殖中。移動も危険となると引きこもるのが妥当。
大通りに面しているからコンビニが近くに見えるけど、そこまでの道には逃げ惑う人と無数のゾンビ。難易度が高すぎる。ゲームのようにショットガンの一つでもあれば話が変わるが、そんなもの日本で所有していたら即逮捕だ。
時間が経てば経つほどゾンビは増える。悩んでいる暇はない。
本屋もゾンビがいる。避難できる場所は……。
「アダルトショップか!」
雑居ビルの側面に設置されている屋外階段を駆け上がると、鉄製の扉があった。プレートがぶら下がっていて、そこには『アダルトショップ ズコバコ』という最低のネーミングをした店名が書かれていた。
ドアノブを握りしめ、鍵がかかってないことを祈り捻り引っ張ると、鉄扉がきしむ音を上げながらゆっくりと開いていく。
「おっし、ついてるぞ!」
かなり重いが全力を振り絞り、こじ開けていく最中に階段を上る音がしたので思わず振り返る。
そこには体中にかじられた跡がある血まみれの女が、涎をまき散らしながら上ってくる姿が……こええええええっ!
「うおおおおっ、お客さんですよ! オススメのAV一ダースください!」
扉をたたいても何の反応もなかったので、少し開いた隙間から強引に中へ滑り込み、必死になって扉を閉める。
徐々に閉まっていく扉の隙間から、血まみれの女が見えたがギリギリで扉を閉めることに成功した。
ドンドンと扉を激しく叩く音が響いてくる。
「入ってます! ここは女性が一人で来る店じゃありません!」
鍵を閉めて、人心地つく……って、落ち着いている場合か。まだだ、やるべきことがある!
室内を見回し、窓と扉の位置と状態を確認だ。ゾンビが入ってくる可能性のある場所を封鎖しないと!
窓際には鉄の棚が並べられている。そこにはアダルトグッズが満載なので、ちょっとやそっとの力では動かせないだろう。
入ってきた扉以外にも反対側の壁にもう一つ扉がある。駆け寄り鍵がかかっていることを確認した。
トイレと倉庫、休憩室の窓も確認したが全て鍵がかかっている。おまけに防犯の為なのか鉄格子が付いているので、ゾンビが入り込む隙間はない。
「よっし、これで今度こそ一息つけるな……はぁぁぁ」
全身の力が抜け、このまま床に体を投げ捨てて寝ころびたいが、現状の確認をすべきか。このアダルトショップには人がいない。開店時間前なので店員が昼飯を食べに行ったタイミングだったのかもしれないな。
そうじゃなければ、不用心に店の鍵を開けていかないだろう。
そして、その店員はおそらく戻ってこない。そっと窓際に近寄り、棚のAVを一部取り除いて、そこから外の様子をうかがう。
多くの人が虚ろな顔をしているな。逃げ惑う人々は誰もおらず、みんな重い足取りで、ふらついているだけだ。
無傷な人間は一人もいない。全員が死んでいてもおかしくない……いや、致命傷を負った状態だというのに歩き回っている。
「ほんの数分で壊滅か」
そりゃそうだよな。まずあんなの映画の撮影か季節外れのハロウィンの仮装としか思えない。それが本物と分かった時には噛みつかれていて、お仲間入りした後だ。
俺のようになんとか逃げられた人は何処かに逃げ込んでいるから、大通りにいるわけがない。
勝手にゾンビだと思い込んだが、あれはなんなのだろうか。
見た目、動き、迫力からしてゾンビじゃなければなんなんだって話だが。
「あっ、テレビがある!」
サンプルAVを流すためのテレビがカウンターの近くにあったので、スイッチを入れた。
「あんあんっ、もっと、もっとおおおっ」
ええい、今は喘ぎ声とかいらん!
入ったままのAVが再生されていて、色っぽい女性が演技をしているが、そんなものどうでもいい。リモコンを見つけたので映像を切り替える。
民法のチャンネルになると、そこにはショッキングな映像が映し出されていた。
街を闊歩する虚ろな目をしたゾンビの群れ。それが人を襲っている。普通なら放送禁止映像だが、そんな状況でもないのだろう。
「各地で人々が暴れています! 家の中から絶対に出ないでください! 凶悪な伝染病という噂もありますので、噛みつかれたり引っかかれた人は傷口を洗い流し、清潔な布で覆ってください!」
アナウンサーの取り乱した声が、俺しかいないアダルトショップに響く。
ヘリコプターからの映像らしく、街の各地で火災が発生しているのがわかる。交通も麻痺しているのだが、恐ろしいことにそれが自分のいる場所だけではないようなのだ。
日本各地の映像が次々と映し出されているが、何処も同じような状況で直ぐに助けが来るとは思えない。
「こういうゾンビ物は、一部地域だけを隔離して済むなら希望があるが、日本中……いや、世界中に広まっている場合、バッドエンドしか待ってないんだよな」
床に座り込み、天井を見上げる。
蛍光灯の灯りを眺めながら、俺は大きなため息をついた。
「どうなるんだ、これから」
絶望的すぎる状況に、口からはため息しか出てこなかった。
あれから一週間が過ぎた。
店内にあった空気を入れて膨らませる、お風呂でも使えるマットに寝ころび、ぼーっとくつろいでいる。
俺はずっとアダルトショップにこもっている。テレビはもう映らないし、ネットも繋がらないので世の中の状況が不明だ。
まあ、最後に観たテレビではアナウンサーが絶望的な状況を叫び、テレビ局の中にまでゾンビがなだれ込んできた映像だったので、世の中がどうなっているのか容易に想像できる。
――つまり、絶望的だ。
俺がここから出ないのは幸運にも食料と水分が確保されていたからだ。
栄養価の高い「ビンビン69マグナム」という錠剤や「ハイパーチョモランマクエスト」という健康ドリンクといった、怪しげなネーミングの飲食料が常備されていたのが大きかった。
錠剤を呑むためなのかミネラルウォーターも、ダンボールで結構あったのもありがたかったな。
栄養価の高い物ばかりなので、一日の摂取カロリーは足りているはずだ。無駄に体が熱くなるのが難点だが。
電気が通らなくなったが、ここは太くて赤い低温ロウソクが豊富だったので、夜でも灯りには困っていない。
「はあああぁぁ、気持ちぃぃぃ」
ここで売っていたピンク色の電動マッサージ器を肩に当てて、コリをほぐしている。本来の使い方で間違いではないはずなのに、ここでは場違いな気がしてしまう。
しかし、そろそろ動くべきではないだろうか。
ここは立てこもるのに適しているが、そろそろ食料や水、そして日用品の補給をしたい。ぜいたくを言うわけではないのだが、精力剤だけで生き抜くのは辛すぎる!
もうね、無駄に息子が元気なんですよ!
そして、辺りは性欲を満たすには十分な商品の山!
いくらでもできるけど、体力を温存したいからずっと我慢しているんだよっ!
いい加減、ちゃんとしたものが食べたい。カップ麺や缶詰でいいから、液体と錠剤以外を口にしたい!
「よおおし、行くぞ! 今日こそは二軒先のコンビニに突入するぞ」
早めに動きたい理由の一つが、他の生存者に商品を持っていかれないかという危惧だ。
俺が逃げ延びられたのだから、他にも生存者は必ずいる。その人たちに食料を根こそぎ持っていかれる前に確保しておきたい。
毎日、窓から周囲を観察していたのだが、昨日あたりからゾンビの数が少なくなってきている。生きた人間はこの数日見かけていないので、コンビニの食料品が食べつくされていることはないと思う。
ゾンビがいないのを確認して窓から上半身を出してコンビニを見ると、入り口の扉やガラスが割られていたので、店内に人が閉じこもっている可能性もない。
「今だよな、今行くべきだよな」
昨日と同じことを繰り返す自分にうんざりするが、見えないからと言ってゾンビが潜んでいない保証はないんだ。今はまだあと数日なら、生き延びる食料……精力剤はある。
だから、何度も心が妥協して行動ができないまま、時間だけが無常に過ぎていった。
これからも、生きていくためには食料と日常品の確保。これは譲れない。
「荷物の確認しとくか」
物を入れるための紙袋数枚をリックサックに放り込む。このカバンはロッカーに入っていたので店員さんの物だろう。ありがたく、使わせてもらいます。
ゾンビがいるかもしれない屋外に武器なしでは不安なので、コスプレコーナーに置いていたロングコートを着込んで、その内側に武器になりそうな物を収納している。
なんで、ロングコートの内側に多くのポケットが備え付けられていたり、棒状のものを差し込める紐のようなものが無数に縫い付けられているのか……考えたら負けだ。
そのコートが置いてあった『痴漢プレイ用』と書いてあるプレートが目に入ったが、見なかったことにした。
手にはSMコーナーにあった鞭を握りしめている。まともに武器になりそうな物がこれしかなかった。扱いが難しいので、店内で何度も練習を繰り返しある程度は使えるようになっている。
腹をくくり出発する前に、もう一度だけ窓から外を確認する。大通りには見える範囲で二体のゾンビがいる。あれなら、なんとかなるかな。
俺はずっと何もせずに閉じこもっていたわけじゃない。
こいつらは何に反応するのかを研究していた。ゾンビといっても作品によって能力が異なる。人を見たら問答無用で襲ってくるタイプもいれば、音や体温や臭いで相手を探すタイプもいる。
そこで、無数にあるAVを投げつけて相手がどう反応するか観察していたのだが、基本的に音と熱に反応していることが分かった。
体に物がぶつかると反応はするのだが、辺りを見回して近くに誰もいないのがわかると、再びうろつくだけの存在になる。
音に関しては店員の控室にあった目覚まし時計を、商品として売っていた荒縄でくくって窓からそっと降ろして確かめたのだが。目覚ましが鳴り響くと、ゾンビがわらわらと集まってきていた。
そして、時計に噛り付いて壊してしまったのだ。
今度は休憩室にあった使い捨てカイロを外に放り投げると、ゆっくりとゾンビたちが集まってきた。音よりも反応は鈍いのだが、熱も感知できるらしい。
あとはゾンビの目の前に荒縄を垂らして振ってみても、全く動きがなかったのでちょっとした動きに反応はしないということも分かった。
そうやって実験を繰り返した結果、小さな音では反応しないが大きな音だと寄ってくる。目も見えるようだがかなり悪いようで、遠くは見えず視界も悪い。動くものはある程度の大きさ……人の拳ぐらいは必要となる。
ただ、外気が寒いせいか温かいものには、結構距離があっても近づいてくるということが判明した。
つまりだ、目が悪く耳も悪いが温かいものは好き。焚火に集まるご老人のような感じだろうか。これを去年亡くなった祖父の前で言ったら、張り倒されていたな。
そんな祖父を思い出すと、無意識のうちに苦笑いを浮かべていた。
「まだ、じいちゃんの元に行くのは早すぎるからね。気長に待っていて。行ってくるよ」
そう呟くと窓を開け、外にいるゾンビ用のアイテムを取り出す。
ここで大きな音を立てると遠くの敵も呼んでしまうので、温かくて動くもので敵を引き付けるのがベストだ。
そこでアダルトショップに無数にあるグッズを組み合わせて発明した、この逸品だ。
温めたオ〇ホールにバイ〇を入れた、名付けて『ゾンビホイホイ君』
ちなみにオ〇ホールの温め方はUSB端子で温められるオ〇ウォーマーというものがあったので、電気が通っている間に充電しておいたノートパソコンを利用して、温め終わっている。
今日は雪が降るほどでもなく天気もいい。外は十度以下ぐらいだろう。これなら、ゾンビが反応するのは実験済みだ。
「さて、うまくいってくれよ」
窓の隙間から『ゾンビホイホイ君』を道路に向かって投げつけると、落下音に反応してゾンビたちが振り返り、そっちに歩いていく。
よっし『ゾンビホイホイ君』が頑張って地面でビクンビクンしている。
俺はそっと鉄の扉を押し開け、ゆっくりと外へと踏み出した。
「焦るな……焦るなよ……」
自分自身に言い聞かせながら、足音を立てないように階段を下っていく。
ゾンビは遠ざかっていくな。俺に気付いた様子はないので、細心の注意を払って大通りを進む。
周りにゾンビは無し。足元に散乱しているガラスを踏んで音を立てないように気を付けて、コンビニの前までやってこれた。
店内をそっとのぞき込むと人もゾンビの気配もない。床には血だまりと倒された商品棚と食料品が散らばっているな。あとは食べ残された人間の手足も幾つか……。
ビビるのも吐くのも後だ、まずは食べられるものを片っ端から集める。
まずは缶詰を放り込み、菓子類とカップラーメンと袋麺を全て入れる。乾物も日持ちするからまだいけるな。パンも賞味期限が少々過ぎているのは大丈夫だろう。
あとは飲料を紙袋に詰めて、もう一つの紙袋には……あった、カセットボンベ!
控室には水道はあるがコンロが備え付けられていなかったので、その代わりにカセットコロンがあったのだ。カセットボンベがあれば、またあれが使える。
他にティッシュは……大量にあったから大丈夫。他に使えそうなものは全て詰め込む。まだまだ欲しいものは山ほどあるが、これぐらいにしておこう。重すぎたら逃げられなくなる。
「こんなもんだな」
音に注意しながら、コンビニを後にした。
右、左、敵影は無し。本拠地まで遮るものは何もない。行ける、これは無事戻れる。
ホット安堵の息を吐きながらも、油断だけはしない。こういう時に、油断して物音を立ててしまい敵が一気に押し寄せてくるのが定番中の定番。
あとは、まあ、あり得ないだろうが助けを求める――
「た、助けてください!」
そうそう、こんな風に大声を上げて、ゾンビを引き連れてこっちに駆けてくる馬鹿女。
ばーかーやろうおおおおぅぅぅうぅぅぅ! ゾンビから逃げるだけならまだしも、何で大声を上げてこっちに来るんだ!
化粧を全くしてないすっぴんだというのに美人に見えるが、そんなこと今はどうでもいい。混乱した状態で足を引っ張るタイプの人間は、パニックホラーにおいて仲間にしてはいけないと相場が決まっている!
「助けてええええっ、お願いぃぃぃ!」
鼻水と涙まみれの十代後半に見える女性。もう一分もしないうちにゾンビに追いつかれそうだ。髪の毛はぼさぼさで涙と鼻水が垂れ流しで――絶望に染まった顔。
「ああああっ、くそおおおっ! そのまま走れっ!」
俺はコートを勢い良く広げると、内側に収納しておいた『ゾンビホイホイ君マークⅡ』と防犯ブザーを取り出し、女の子の後方に向けて投げつける。
音と物につられてゾンビの群れがあらぬ方向へと走っていく。
今にも倒れそうな女性に駆け寄ると、その手を掴みアダルトショップの方向へと引っ張る。
「こっちにこい!」
「あ、ありがとうござい……ひいっ、こ、こんな状況で何を考えてるのっ!」
掴んだ手を女性が払おうとしているが、そんな弱弱しい力じゃ無駄な抵抗だ。
って、なんで怯えた目で俺を見る。ここは助けに来たヒーローに惚れる場面だろ。
「何をしているんだ。早く逃げないと、あいつらに食われるぞ!」
「だ、だって、あんな怪しい店に連れ込もうなんて……」
恐る恐る彼女が指さす方向には『アダルトショップ ズコバコ』と書かれた看板があった。そして、そこに連れ込もうとするロングコートの男。
……そういうことか!
「あそこは、俺が逃げ込んで拠点にしているだけだ!」
「で、でも」
「ここでゾンビに食われるか、あそこに逃げ込むか選べ!」
説得する時間も惜しいので、これ以上何か言うのであれば見捨てるつもりで口にした。
こんなバカな問答を続けて心中をするつもりはない。
「わ、わかりました。ゾンビにやられるぐらいなら、貴方にやられたほうがマシです!」
「人聞きの悪いこと言うな!」
あきらめた表情の彼女を引っ張り、階段を上がっていく。
そこで囮を破壊したゾンビたちがこっちに気付き、一斉に迫ってくる。
ここのゾンビは厄介なことに獲物を見つけたら走り寄ってくる系なので、ゾンビの群れが一斉にこっちに向かってくる光景は圧巻だ!
「ひ、ひぃ、ひぃ、ひぃ」
「早く上に!」
階段の幅が二人で通るには無理があるので、彼女を先頭にして後ろからお尻を肩で押すようにして上がっていく。
迫りくるゾンビの群れに『ゾンビホイホイ君三号』を投げつけたのだが、あの数だとあっという間に破壊され、足止めにもならない。
扉前の踊り場まで移動したのはいいが、下から押し寄せてくるゾンビに鞭を振るうと噛みつかれ、持っていかれてしまった。
まともな武器を取られた!
「扉開けてくれ!」
「お、重くて直ぐにはっ!」
手を貸してやりたいが階段を上ろうとするゾンビをけん制しないと、あっという間に襲われてジエンドだ。
新たな武器を取り出すために、再びコートを広げて手を突っ込む。
適当につかんで引っ張り出すと、右手には電動マッサージ器、左手にはローションがあった。
「これはいらん!」
電池式のマッサージ機のスイッチを入れてから、ゾンビに投げつけると振動に反応したのか群がっている。
少し時間が稼げたチャンスを生かし、詰め替え用の大容量ローションを取り出し、階段へとぶちまけた。
動かなくなったマッサージ器を捨てて駆け上がってきたゾンビが、ローションに足を取られ下へと滑り落ちていく。
「よっし、追加だっ!」
持ってきたローションを次々と階段や、下にいるゾンビに投げつけていくと、ヌルヌルと足下がおぼつかない奴らが転び、起き上がろうともがいている。
ローションまみれのゾンビってC級映画でもないだろうな。
その間に彼女に手を貸して扉を開け放ち、中へと滑り込む。
「おっしゃあああっ、セーフ!」
紙袋は一つ放り投げてきてしまったが、必要なものは持ってきている。
彼女も助けられたし、上出来だろう。
まるで映画の主役みたいだったな。これで彼女も見る目が変わって、惚れられてしまうのではないだろうか。
そんな期待を込めて彼女を見ると、安堵のあまり座り込んでいた彼女の目が一点を見つめて動いていない。
その顔はゾンビに追われた時とは違った怯えの色が見える。その目が俺を捉えると半眼になり、それはまるで軽蔑しているかのようだ。
不審に思い彼女がさっきまで見ていたところへ顔向けた。
そこには俺が選んだ派手な下着を身に着けた女性――の人形があった。等身大で精密な。
「これ、なんですか……」
「ああ、うんとね、これはラブドールっていう人形かな。すっごい高価で六十万円以上するんだよ」
「……なんで、下着姿なんですか?」
「さ、さあ、初めからそうだったし」
俺が暇つぶしに選んで着替えさせたとは、口が裂けても言えない。
「……なんで、この人形は指をくわえて、もう片方の手は下半身に伸びた格好で、店のど真ん中に座っているんです?」
「う、うーん、元からこうだったから」
俺が移動させたからだね、うん。
そんな高級なものを邪魔になる店のど真ん中の床の上に、普通は置かないよね。
「助けてくれて、ありがとうございました……変態」
この状況でちゃんとお礼が言って握手を求めるなんていい子だ。最後の呟きは無視するけどな!
仕方ないじゃないか。一人で寂しかったから話し相手が欲しくて、このラブドールをセットした俺の気持ちもわかってくれ。
と、言おうとしたが、あまりにも情けないので、黙って握手をするだけで自重した。
アダルトショップの店内に若い女性と二人きりか……。
「……うるううがあいいぃぃあぐれぎぃぃぃ」
外から聞こえてくるうめき声がなかったら、違う展開もあり得たのだろうけど、ここでその気になるのは相当の猛者だ。
「とりあえず、ご飯にしようか」
「本当ですかっ! 二日間なにも食べてなかったの!」
お腹と首筋を押えて、彼女は嬉しそうに笑っている。
コンビニから集めてきたラーメンとお菓子、それと炭酸飲料を用意して、栄養は無視した食事を二人で堪能した。
その夜、安心感と満腹感で油断しきった彼女がぐっすりと眠っている。
まあ、食事にこの店で見つけた睡眠薬を混ぜておいたから、当たり前なんだが。
寝入っている彼女にそっと近づくとSMコーナーに置いてあった手錠をかけ、荒縄で体を縛り、口にギャグボールと呼ばれる白い玉のついた口枷をする。
これで目が覚めても声を荒げたりできないだろう。
手錠に結んである荒縄を店内の柱に括り付け、その強度を確かめる。
「暴れても、抵抗しても逃げられないな」
それを確認した俺はゆっくりと彼女に近づき、肩下まで伸びている髪をかき上げ――首筋を見た。
「やっぱりな」
そこには噛みつかれた跡がくっきりと残っていた。彼女は隠そうとしていたようだが、ゾンビになる前の肌荒れが手に現れていたので、もしやと思っていたが……。
噛まれた人間がゾンビになるまで短くて三十分。長くて半日。それは毎日のゾンビウオッチングで学んでいる。人である間に最後の食事をしてもらったのが、せめてもの手向けだと思って欲しい。
ただ、完全にゾンビになるまでは見捨てることもできない。奇跡が起こり偶然に耐性を持ち合わせている可能性だって0じゃない……ゲームや漫画だったらな。
ほんのわずかな可能性に賭けて傷口を水で洗い、寝ずに明日の朝まで彼女を見守ることにした。
「今日もいい天気だね。また食料を取ってこないと。何が食べたい?」
二人に話しかけているのだが、両方とも返事をせずにこっちを見つめているだけだ。
「なんでもいいっていうのは、一番困るのだけどな。お菓子が残っていたらいいけど」
そうぼやくと「んぐぐが……」とうめき声だけ返してくれた。
もう一人は同じ体勢で微動だにしないが。
やっぱり、少しでも反応してくれる人がいるのはありがたい。一人っきりでこんなところにこもっていたら、頭がどうにかなりそうだからね。
「さーて、今日も頑張って生き延びるか。行ってくるね!」
何日も食事をしてないのに柱に繋がれたままやたらと元気な彼女と。その隣で妖艶なポーズをしたままの彼女に声をかけ、重い鉄扉を開け放った。
「絶対に生き延びてやるぞっ!」
これ……セーフですよね?
性行為もしてませんし、大丈夫だとは思うのですが、運営から注意されたら消します。