祭囃子
トントントン。
タンタンタン。
その音は、今夜も聞こえている。
寝入る前、枕の奥から聞こえている。
枕を持ち上げても、その先には何もない。
しっかりと洗ったシーツが見え、その先にはマットレス。更にその先にはベッドフレーム。続いて空間があって、床に当たる。その下は三階の住人の部屋だが、こうした音を立てるような住人ではないし、時間でもない。
万が一、何か普段の生活で気に入らないことがあったとして、例えば天井を叩いてこのような音になるだろうか。
第一、枕から頭を外すと、その音は聞こえなくなるのだ。
そして、鳴り始める時間は、いつでも外村が寝入る前だった。
下の住人がそれを全て把握している訳はない。
枕を外せば、シンと静まり返る部屋があるだけだった。
トントントン。
タンタンタン──。
その音は、暫く鳴ると、ふいに掻き消える。
そうして、外村も眠りに落ちるのだ。
奇妙な現象だが、何か生活に支障をきたすようなものではない。
いつからか始まったその現象を、外村は受け入れていた。
しかし、一体これは何の音なのだろうか。そういう疑問だけは、頭の中にふっと湧くことがあった。
普通、枕から正体不明の音は聞こえてこない。
そのような機能など、ある訳がない。
では、何が、何故、音を立てるのか。
外村は、そっと枕に耳を付けた。
──聞こえない。
寝入る前でないと、聞こえない。
それならば、寝入る前のぼんやりとした夢うつつの状態で、自分の頭が作り出した架空の音なのか。
それも、違うように思う。
その音を聞いていると、少しだけ胸が弾んでくるからだ。
楽しそうな音。
トントントン。
タンタンタン。
ふと、外村はその音の正体に気が付いた。
太鼓だ。
太鼓の楽しげな音が、聞こえているのだ。
念の為、寝室の窓から外を見てみるが、太鼓を鳴らすような場所は思い当たらない。
夜中に楽器の練習をするような者も、この辺りでは居ないだろう。
それに、練習だというのなら、あまりに短すぎる。
外村は、少しだけすっきりしたような感覚で、再び枕に頭を預けた。
今夜も、太鼓の音は楽しそうに聞こえている。
その日、変わらず太鼓の音を聞いていた外村は、ある違和感に気が付いた。
太鼓の音に混じって、他の音が聞こえてきたのである。
トントントン。
タンタンタン。
ピューピュー。
その掠れるような高い音が、太鼓の音のずっと後ろから届いてくる。
勿論、枕の向こうに奥行きなど存在しない筈だ。
だが、どうにも太鼓の音と、その音は、同じ場所から聞こえているとは思えない。
太鼓の音の後ろから、ピューピューという音が追いかけてくる。
改めて考えれば、太鼓の音も以前より大きくなっている気がした。
トントントン。
タンタンタン。
ピューピュー。
音は、より一層楽しげに耳に届く。
──ああそうか、これは、祭りだ。
太鼓の後を追ってくるのは、笛の音。
楽しげな音を鳴らしながら、行列が通っている。
毎夜、少しずつそれは進み、ついに笛が加わった。
はた、と外村は考えた。
この行列は、何処から来て、何処へ行くのか。
何の為の行列なのか。
今一度調べてみても、結果は以前と変わらなかった。
判らない。
はっきりしたことは、何も判らない。
未だ、枕から聞こえる音の正体は判らない。
再び疑問が生じる。
一体、この音は何なのか。
トントントン。
タンタンタン。
ピューピュー。
何故、何の為、行列は、何処へ行く。
判らない。
だが、楽しげな音は、聞いていて嫌な気持ちになることはない。
「良い耳だ」
ふと聞こえた声に、外村は体を起こした。
──良い耳だ、と言っていた?
恐る恐る枕に耳を付けてみる。
しかし、もう音は聞こえなかった。
良い耳だ。良い耳だ……?
耳とは、この耳のことだろうか。
外村は自身の耳をそっと撫でた。
良い耳、というのは、聴く力があるということか。
それとも、ただ形が良いということか。そのようなことは言われたことがない。聴力も、見た目も至って普通だ。
良い耳、という言葉が、妙に心に引っ掛かった。
日を重ねるごとに、枕の中の行列は賑わいを増していった。
楽器の音が増え、時折掛け声が入る。
行列の賑わいは、もうすぐそこまで来ている。
そう、感じざるを得なかった。
近付くなんてことはない筈なのに。
しかし、外村にはどうしようもなかった。
枕を外して寝れば音は聞こえない。確かにそうだ。だが、今では耳を付けていなくても、枕から微かな音が届くのだ。
トントントン。
タンタンタン。
ピューピュー。
ヨーォ、ヨーォ!
ここにきて、外村はうっすらと恐怖を感じ始めた。
得体の知れない音。
それも、こちらの意思とは関係なく、寝入りばなに聞こえる音。
どうすればいいのか。
判らない。
聞きたくない。
「さぁ、開け」
知らず耳を塞いでいた外村の耳のすぐ近くで、何かが言った。
外村は、音を探るように手を外して、息を潜めた。
部屋の中には自分以外誰も居ない。だが、確実に声が聞こえた。
楽器の音に混じって、何者かの声が。
その時、突然耳の中で鳴り始めた音に、外村は跳ね起きた。
トントントン!
タンタンタン!
ピューピュー!
ソォーレ! ソォーレ!
今までは耳の外で聞こえていた音が、耳の中から響いている──!
それは、賑やかさを増しながら耳の奥へと進んでいく。
おあぁあと、言葉にならない声を上げながら、外村はその場でのたうち回り、耳の中の行列を振り払おうとした。
しかし、行列は外村が暴れ回っていることなどに乱されず、変わらず耳の奥へと進む。
ドンドンドンッ!
行列とは別の音が響いた。
壁だ。──音だ。
──もっと大きな音だ!
外村は、耳を掻きむしり、叩きながら部屋を見回した。
音が出るもの。大きな音が出るもの。
駄目だ。
外村の部屋にはテレビもコンポも固定電話もない。
スマートフォン……駄目だ、手は離せない。
ドンドンドンッ!
壁が鳴っている。
駄目だ。
足りない。
外村は裸足のまま外に駆け出した。
隣室の扉が開いたが、それを無視して廊下を駆ける。階段を下りて、通りに出る。
夜も深まり始めた今、人通りは少ない。
それでも、時折車が通り過ぎる。
迷わず、道路に飛び出した。
すぐに目の前が光に包まれ、擦れるような高い音とパァーッというけたたましい音。
一瞬、行列の奏でる音は掻き消えた。
しかし、すぐに音は戻ってきてしまう。
トントントン!
タンタンタン!
ピューピュー!
ヨーォ! ヨーォ!
「何やってんだ⁉ 危ねぇだろ⁉」
声が聞こえたが、外村は他の音に気を取られていた。
カンカンカンカンカンカンカン。
──あれだ。あれだ……!
カンカンカンカンカンカンカン。
聞こえない。この音で、行列の奏でる音は聞こえない。
カンカンカンカンカンカンカン。
目の前が赤く染まる。
黄と黒の邪魔なものは手で除ける。
カンカンカンカンカンカンカン。
この音で満たしたい。
この音で満たせば、行列の音は聞こえない。
この音なら──
ファアン、とより大きな音が響き渡る。
あぁ、この音なら、この音なら……!
その瞬間、外村は息の止まる程の衝撃を受けた。
あぁ……。
もう、音は聞こえない。
何の、音も。
は、ぁ……。




