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退屈な朝

朝はゆっくりとやってきた。

カーテンの隙間から差し込む朝日が、細い光の線となって木の床に落ちる。

部屋は静かで、どこかあたたかい沈黙に包まれていた。


水野セラは気だるそうに目を開けた。

しばらく天井を見つめたまま、短くあくびをしてからベッドの端に腰を下ろす。


静かだ。


――静かすぎる。


何もない静けさではない。

何かが「いる」気配を含んだ、不思議な静けさ。


セラは寝室を出て、ふらふらとリビングへ向かった。

少し乱れた髪のまま、まだ完全に目が覚めきっていない足取りで。


そして、その瞬間。


「……は?」


ソファの上に、男が一人横たわっていた。

黒い髪は寝癖だらけで、体を丸めるようにして眠っている。

まるで、そこが自分の居場所であるかのように、穏やかな寝息を立てて。


セラはしばらく、その場で固まった。


やがて、昨夜の記憶がゆっくりと蘇る。


「……あ。そうだった」


片手で顔を覆い、大きくため息をつく。

「ほんとに……ここで寝かせちゃったんだっけ」


静かに近づき、ソファの端を軽く蹴る。


「ねえ。起きて」


反応はない。


セラは舌打ちし、声を強めた。


「玉田ユラ」


ユラの体がわずかに動き、半分だけ目を開ける。


「おはよう……あれ。水野さん。遊びに来てくれたの?」


セラのこめかみがぴくりと動いた。


「は? 遊びに来たって何よ」

「ここ、私の部屋。あんたがまた間違えただけでしょ」


ユラは瞬きをして、部屋を見回す。

視線はセラの本棚で止まった。


「……ああ」


ゆっくり起き上がり、頬をかく。

「そうか。ごめん、迷惑かけた」


「いいから」セラはため息をつく。

「さっさと自分の部屋に戻って。学校の準備しなさい」


「うん」


ユラはドアへ向かい、途中で立ち止まった。


「昨日は本当に疲れててさ……覚えてるの、ソファに倒れたところまでなんだ」

「次は、ちゃんと間違えないから」


セラは顔を背ける。


「……習慣にしないで」



---


数分後、二人はほぼ同時にアパートを出た。


セラはいつも通り、少し早足で前を歩く。

ユラはその後ろを、眠たそうな目でついてくる。


最初は、落ち着かなかった。


後ろの足音が近すぎる。

遅すぎる。

そして――妙に意識に残る。


セラはちらりと振り返り、無意識のうちに歩調を緩めた。

気づけば、二人は並んで歩いていた。


「……なんでスピード落としたの?」

ユラが素直に聞く。


「別に。関係ないでしょ」


朝の風が吹き、ユラの髪をさらに乱す。


セラは急に立ち止まった。


ユラも止まる。

「どうし――」


その前に、セラの手が伸びていた。

乱れた髪を、さっと整える。


「――!」


ユラは固まる。

「な、何して……」


セラも我に返る。


「……え?」


慌てて手を引っ込め、顔が熱くなる。

「か、髪が……ひどかっただけ」


「そう?」


ユラは自分の髪に触れる。


少しの沈黙。


今度はユラが、セラの髪を見る。

わずかに跳ねた一房。


「――ちょっと」


そっと手を伸ばし、整える。

「セラさんのも。お返し」


セラの顔が一気に赤くなる。


「そんなの嘘。私はいつもちゃんとしてる」


「親切にしたのに」

ユラは淡々と言う。

「文句言われるとは」


「うるさい」



---


朝の駅は、いつも通り混雑していた。


電車の中で、ユラは運良く座れた。

セラはその前に立ち、吊り革につかまる。


ユラが小さく笑う。


セラはすぐに気づいた。

「……何?」


「いや、別に」


少しして、ユラは立ち上がる。

「座れば?」


「ふん。少しは気が利くのね」


だが、その瞬間、年配の女性が座席に座った。


「……あ」


ユラは顔をそむけ、笑いをこらえる。


「笑わないで」

セラは睨む。



---


電車を降り、学校へ向かう。

校舎の廊下はすでに賑やかだった。


ユラが大きくあくびをする。


「いっそ、毛布でも持ってくれば?」

セラがからかう。


「いい考え」

真顔で返す。


「冗談よ」


「……あ、そう」



---


数時間後、休み時間。


ユラは自販機の前で、やたらと悩んでいた。


「何飲むの?」

後ろからセラ。


「まだ考え中」


「早くして」


ユラは適当にボタンを押す。

缶が落ちる。もう一枚、コインを入れる。


「これ、あげる」

「待たせたお詫び」


セラは何も言わず、自分の飲みたいものを選んだ。


ベンチに座ったユラが、またあくびをする。


「やっぱり毛布、必要だったんじゃない?」

セラは軽く笑う。


「本気で欲しくなってきた」


「だから冗談だって」


「……そっか」


ユラが缶を開け、一口飲む。

すぐに表情が変わった。


「……なにこれ」


セラは小さく笑う。

「変でしょ」


「知ってたの?」


「もちろん」


「最悪……先に言ってよ」


「だって、適当に選んだのあなただし」

「反応、見たかったんだもん」



---


放課後。


二人はまた偶然並んで歩き、帰路についた。

他愛ない会話が続く。


アパートに着くと、ユラは自分のドアの前で立ち止まる。


セラは少し驚いた顔をした。


「……なに?」

ユラが首をかしげる。

「また間違えた?」


「違う」

「今日は、間違えてないから」


「今日はそんなに疲れてないし」


「……へえ」


二人はそれぞれ、自分の部屋に入る。


ドアが閉まる。


その日は、特に何も起こらなかった。


――それなのに。


なぜか、とても心地よかった。

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