疲れた一日
翌朝、結局由良が目を覚ましたのは、午前十時近くだった。
あれだけ寝たはずなのに、体は重いまま。疲労が芯まで染みついていて、まるで抜ける気配がない。目覚ましは鳴らなかった。そもそも、今日は日曜日だ。
天井をぼんやり見つめたまま、由良は小さく息を吐いた。
「……まだ、疲れてる」
空腹を訴える腹の音に背中を押され、顔を軽く洗ってから薄手のジャケットを羽織る。向かう先は決まっていた。カップ麺の補充だ。今の由良にとって、それは生活必需品だった。
アパートの扉を開けた瞬間、誰かとぶつかりそうになる。
「おっと……」
目の前に立っていたのは、ちょうど外出しようとしていたらしいセラだった。
「おはよう、ミズキ」
由良は無意識に声をかける。
「買い物? だったら俺も一緒に行っていい? この辺、まだよく分からなくてさ」
セラのこめかみに、ぴくりと青筋が浮かんだ。
「……ミズノ」
低い声で訂正される。
「ミズキじゃなくて、ミズノ。私の名前」
「……あ。ごめん」
セラは小さくため息をつき、視線を逸らした。
「いいよ。ちょうど私もコンビニに行くところだったし。料理の材料、買うから」
由良は軽くうなずき、少し後ろを歩いてついていった。
コンビニに入ると、セラは野菜や簡単な食材を手に取っていく。一方、由良は迷いなくインスタント食品の棚へ向かい、カップ麺を次々とカゴに入れた。
それを見て、セラがちらりと視線を向ける。
「……それ、いつも食べてるの?」
「ん?」
由良は振り返る。
「ほぼ毎日。楽だし、手間かからないし」
「不健康」
セラは即答した。
「毎日それは」
由良は小さく笑う。
「もう慣れてると思う」
セラは笑わなかった。その代わり、野菜をいくつか追加する。
「これ、安いから。あとで作る」
少し間を置いてから、続けた。
「……分けてあげる。ちゃんとしたもの、食べなさい」
由良は一瞬、動きを止めた。
「……本当?」
「本当」
「……救世主だ」
セラは顔を背けた。
「うるさい」
帰り道、由良の足取りはだんだん遅くなっていった。目は半分閉じ、肩も落ちている。先を歩いていたセラは、ふと違和感を覚えて振り返った。
「……え?」
由良は、隣のアパートの建物へ向かって歩いていた。
「由良!」
呼ばれて立ち止まり、ゆっくり振り返る。
「……あ」
セラは近づき、正しい方向を指さす。
「こっち。間違ってる」
「……そうだった」
同じフロアに着いても、同じことが起きた。
並んだ二つのドア。その前で、由良は自然な動きで一つを開ける。
セラの部屋だった。
「ちょっと!」
セラは慌てて由良のジャケットの襟を掴み、引き戻す。
「それ、私の部屋!」
「……あ」
由良は素直に引き返し、自分の部屋へ入った。直後、鈍い音が響く。何かに倒れ込んだような音。
セラはぎょっとして、すぐに由良の部屋の扉を開けた。
「だ、大丈夫!?」
由良はソファに変な体勢で倒れていた。
「……落ち方、間違えた」
セラは静かに扉を閉め、自分の部屋へ戻る。
そのとき、朝から何も食べていなかったことを思い出した。
食材を洗い、料理を始める。出来上がった頃、さっきの会話が頭をよぎった。
セラは由良の部屋をノックする。
少しして、眠そうな声が返ってきた。
「……大事な用なら、入っていい……」
扉を開けた瞬間、セラは言葉を失う。
由良は、さっき倒れた位置から一歩も動いていなかった。
「……まだそこ?」
由良は何かを呟くだけ。
セラはテーブルに料理を置いた。
「ご飯。食べなさい」
「……ありがとう」
数分もしないうちに、由良の呼吸は規則正しくなった。完全に寝ている。
「……だらしない」
セラは無理やり由良を起こし、部屋を見回した。引っ越して数日とは思えないほど散らかっている。
「食べたら片付けなさい」
強い口調で言う。
「こんな生活、見てられない」
「……分かった」
セラは自分の部屋へ戻った。
時間が流れ、時計の針が午後三時を指す頃、由良はようやく目を覚ました。セラの作った料理を食べ、久しぶりにちゃんとした食事だと実感する。
洗った容器を持って、セラの部屋をノックした。
「……遅くなってごめん。三時まで寝てた」
「三時?」
セラは信じられないという顔をする。
「部屋、片付けた?」
「……明日」
由良は正直に答える。
「もうすぐバイト」
セラは深くため息をついた。
「好きにすれば。ただ、言っただけ」
夜、バイトを終えた由良は、さらに疲れ切った顔で帰ってきた。
そして、無意識のままドアを開ける。
セラの部屋だった。
部屋の中では、セラが暗闇の中でホラー映画を観ていた。扉の音に、体がこわばる。
「……誰?」
恐る恐る振り返ると、ゾンビのような影。
「……!?」
しかし、目が慣れてくると——
「……由良?」
「お、ミズキさん」
由良はぼそっと言う。
「また遊びに来たの?」
「ここ、私の部屋」
「……あ」
「それに、ミズノって何回——」
言い終わる前に、由良はソファに倒れ込み、そのまま眠りに落ちた。
セラは起こそうとしたが、反応はない。一瞬、引きずって自分の部屋に戻そうかとも思ったが、やめた。
「……かわいそう」
それに、由良がいるだけで、ホラー映画が少し怖くなくなった。
結局、セラはそのまま続きを観てから寝室へ向かい、由良をソファに残したまま眠りについた。




