存るということ、生み出したということ。
最初に触った命は、意外なほど軽かった。
指先で摘まめるほどの重さで、抵抗という抵抗もなく、ただそこに「在る」だけだった。
彼はそれを生き物と呼ぶことに、まだ少しのためらいを覚えていた。
培養皿の上で、透明な寒天に包まれ、わずかに脈打つその存在は、動物とも植物とも言い切れない。
学会用の言葉を使えば、合成微小多細胞構造体。
だが彼にとっては、もっと単純な呼び名で十分だった。
試作一号。
それでよかった。
顕微鏡を覗き込むたび、彼は安心した。
この小ささなら、何をしても許される気がしたからだ。
倫理委員会の書類も、共同研究者の目も、すべてがこのサイズを前提に成り立っている。
小さなものは、誰も恐れない。
小さなものは、責任を問われない。
彼はもともと、生物を「愛して」いたわけではなかった。
正確に言えば、生物に対して特別な感情を持っていなかった。
好きでも嫌いでもない。
ただ、理解したかった。
なぜ動くのか。
なぜ形があるのか。
なぜ壊れると戻らないのか。
子どもの頃、昆虫を分解したときの感覚が、まだ指に残っている。
羽を外しても飛ばない。
脚を取ると逃げない。
当たり前のことなのに、それを自分の手で確かめた瞬間、世界は急に静かになった。
生き物は、構造だ。
構造は、組み替えられる。
それが彼の出発点だった。
試作一号は、設計通りに振る舞った。
外来遺伝子は安定して発現し、細胞分裂のリズムも予測範囲内に収まっている。
何より重要なのは、自己維持を行っていることだった。
餌を与えれば活動が上がり、遮断すれば鈍る。
刺激に対して、反応を返す。
それだけで十分だった。
彼は「成功だ」と思った。
成功の基準は、極めて低かった。
生き延びること。
それだけ。
彼はノートに淡々と記録を残す。
日付。
環境条件。
反応速度。
変異の兆候。
そこには感想も、感情も書かれない。
まだ書く必要がなかった。
だが、ある日、彼は気づいてしまう。
顕微鏡から目を離した瞬間に、妙な空白が胸に残ることに。
観察を終えたあと、研究室がやけに広く感じられる。
誰もいない。
音もしない。
ただ機械の低い駆動音だけが、時間を刻んでいる。
彼はその静けさを、不快とは感じなかった。
むしろ、落ち着くと思った。
世界が、自分の理解可能な範囲に収まっている感覚。
予測できるものしか存在しない安心感。
しかし同時に、ほんのわずかな違和感も芽生えていた。
あまりにも、静かすぎる。
あまりにも、従順すぎる。
試作一号は、何も求めない。
抵抗もしない。
逃げもしない。
こちらが与えた刺激を、ただ受け取り、処理し、返すだけだ。
それは正しい。
設計通りだ。
完璧ですらある。
なのに、彼の中に、言葉にならない欲求が生まれ始めていた。
この反応は、本当に「生命」と呼べるのか。
それとも、ただの精巧な装置なのか。
違いを確かめる方法は、簡単だった。
より複雑な構造を与えればいい。
より多くの遺伝情報を載せればいい。
より大きな器に移せばいい。
彼はまだ、それを欲望だとは認識していない。
ただの探究心だと思っていた。
学問的な自然な欲求。
誰もが持つ、次の段階への興味。
だから彼は、次の設計図を引いた。
ほんの少しだけ大きく。
ほんの少しだけ複雑に。
ほんの少しだけ、「動物」に近づけた構造。
マウスでも、ラットでもない。
だが、細胞の配置は、哺乳類の初期発生を参考にしている。
心臓に似た拍動器官。
神経束の原型。
反射的な運動回路。
成功する保証はなかった。
失敗しても、誰も困らない。
この段階なら、そう言い切れた。
彼は培養槽の前に立ち、新しい試料を静かに見下ろす。
透明な液体の中で、それはゆっくりと形を作り始めていた。
そのとき、彼は初めて、はっきりと思った。
もっと大きくしたら、何が起きるのだろう。
それは疑問の形をしていたが、
すでに、欲望だった。




