表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神様の実験  作者: P4rn0s


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/6

存るということ、生み出したということ。

最初に触った命は、意外なほど軽かった。

指先で摘まめるほどの重さで、抵抗という抵抗もなく、ただそこに「在る」だけだった。


彼はそれを生き物と呼ぶことに、まだ少しのためらいを覚えていた。

培養皿の上で、透明な寒天に包まれ、わずかに脈打つその存在は、動物とも植物とも言い切れない。

学会用の言葉を使えば、合成微小多細胞構造体。

だが彼にとっては、もっと単純な呼び名で十分だった。


試作一号。

それでよかった。


顕微鏡を覗き込むたび、彼は安心した。

この小ささなら、何をしても許される気がしたからだ。

倫理委員会の書類も、共同研究者の目も、すべてがこのサイズを前提に成り立っている。

小さなものは、誰も恐れない。

小さなものは、責任を問われない。


彼はもともと、生物を「愛して」いたわけではなかった。

正確に言えば、生物に対して特別な感情を持っていなかった。

好きでも嫌いでもない。

ただ、理解したかった。


なぜ動くのか。

なぜ形があるのか。

なぜ壊れると戻らないのか。


子どもの頃、昆虫を分解したときの感覚が、まだ指に残っている。

羽を外しても飛ばない。

脚を取ると逃げない。

当たり前のことなのに、それを自分の手で確かめた瞬間、世界は急に静かになった。


生き物は、構造だ。

構造は、組み替えられる。


それが彼の出発点だった。


試作一号は、設計通りに振る舞った。

外来遺伝子は安定して発現し、細胞分裂のリズムも予測範囲内に収まっている。

何より重要なのは、自己維持を行っていることだった。

餌を与えれば活動が上がり、遮断すれば鈍る。

刺激に対して、反応を返す。


それだけで十分だった。

彼は「成功だ」と思った。


成功の基準は、極めて低かった。

生き延びること。

それだけ。


彼はノートに淡々と記録を残す。

日付。

環境条件。

反応速度。

変異の兆候。


そこには感想も、感情も書かれない。

まだ書く必要がなかった。


だが、ある日、彼は気づいてしまう。

顕微鏡から目を離した瞬間に、妙な空白が胸に残ることに。


観察を終えたあと、研究室がやけに広く感じられる。

誰もいない。

音もしない。

ただ機械の低い駆動音だけが、時間を刻んでいる。


彼はその静けさを、不快とは感じなかった。

むしろ、落ち着くと思った。

世界が、自分の理解可能な範囲に収まっている感覚。

予測できるものしか存在しない安心感。


しかし同時に、ほんのわずかな違和感も芽生えていた。

あまりにも、静かすぎる。

あまりにも、従順すぎる。


試作一号は、何も求めない。

抵抗もしない。

逃げもしない。

こちらが与えた刺激を、ただ受け取り、処理し、返すだけだ。


それは正しい。

設計通りだ。

完璧ですらある。


なのに、彼の中に、言葉にならない欲求が生まれ始めていた。

この反応は、本当に「生命」と呼べるのか。

それとも、ただの精巧な装置なのか。


違いを確かめる方法は、簡単だった。

より複雑な構造を与えればいい。

より多くの遺伝情報を載せればいい。

より大きな器に移せばいい。


彼はまだ、それを欲望だとは認識していない。

ただの探究心だと思っていた。

学問的な自然な欲求。

誰もが持つ、次の段階への興味。


だから彼は、次の設計図を引いた。

ほんの少しだけ大きく。

ほんの少しだけ複雑に。

ほんの少しだけ、「動物」に近づけた構造。


マウスでも、ラットでもない。

だが、細胞の配置は、哺乳類の初期発生を参考にしている。

心臓に似た拍動器官。

神経束の原型。

反射的な運動回路。


成功する保証はなかった。

失敗しても、誰も困らない。

この段階なら、そう言い切れた。


彼は培養槽の前に立ち、新しい試料を静かに見下ろす。

透明な液体の中で、それはゆっくりと形を作り始めていた。


そのとき、彼は初めて、はっきりと思った。


もっと大きくしたら、何が起きるのだろう。


それは疑問の形をしていたが、

すでに、欲望だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ