校正者のざれごと――サブロク協定と9条「戦争の放棄」
私は、フリーランスの校正者をしている。
今は、とある資格試験の問題集の仕事で、労働基準法(労基法)にあたっている。テーマは「妊産婦の就業制限」。「妊産婦」とは「妊娠中の女性及び産後1年を経過しない女性(労基法64条の3)」のことで、就業をさせるうえで使用者にはさまざまな制約がある。
たとえば、時間外労働。労基法32条には、労働時間は1日8時間、1週間は40時間までと決められている。それに対し労基法36条には、書面で協定を結ぶことでこれを延長し、また休日労働をさせることができるとある。いわゆる三六協定(サブロク協定)だ。
この例外規定として、変形労働時間制とフレックスタイム制がある。どちらも、1カ月などの決められた期間内の労働時間を平均して週40時間以内であれば、三六協定がなくても1日8時間を超えて労働させることができる(ただし、時間外労働をさせる場合は三六協定が必要)。
妊産婦に対しては、労基法66条において、たとえ三六協定などがあったとしても時間外労働をさせてはいけない、と定められている。と、ここまで確認して、次の問題文で引っかかった。
「フレックスタイム制を導入している場合であっても、妊産婦に1週間または1日の法定労働時間を超えて労働をさせることはできない」
これは不正解だという。あれ、時間外労働はダメだったはずでは。もう一度、労基法の条文を確認する。「フレックスタイム制」という言葉は労基法にはなく、32条の3に「清算期間」という言葉を使って説明されている。要約すると、「清算期間内の総労働時間を定めておき、労働者がその範囲内で各日の始業及び終業の時刻を選択して働く制度」となる。そして、先ほどの労基法66条1項はこうだ。「使用者は、妊産婦が請求した場合においては、第32条の2第1項、第32条の4第1項及び第32条の5第1項の規定にかかわらず、1週間について(中略)の労働時間(40時間)、1日について(中略)の労働時間(8時間)を超えて労働させてはならない」3つの条文はそれぞれ1週間、1カ月、1年の変形労働時間制を指す。そうか、ここにはフレックスタイム制の32条の3は入っていないのか。だからさっきの問題文は不正解なのね。スッキリした。こんなふうに、条文を細かく見ていくことで、問題が解決するのはちょっと楽しい。
ちなみに、まだ法律の検索に慣れていなかった頃、不思議に思っていたことがある。この労基法のように、32条の次が33条ではなく32条の2、32条の3となっていて、さらに32条の3の2まであること。以前「校正者のざれごと――どうしてこんなに長いのか」でふれた介護保険法では、115条だけで59もの条文があった(115条の49まであり、途中115条の2の2などもある)。これは、法律が改正され、条文が追加されたことで起こる。確かに、労基法の32条の後にどんどん条文が追加されて36条が42条になったら、サブロク協定ではなくなってしまう。法改正のたびにこんなことが起こったら、現場は混乱するだろう。ほかにも、建築基準法では42条2項に建築基準法が施行される以前からあった幅員4メートル未満の道路を道路とみなすという規定があり、このような道路は「42条2項道路」と呼ばれている。宅地建物取引業法でも「35条書面(重要事項説明)」「37条書面(契約内容記載書面)」というのがあり、それぞれ固有名詞のように使っている。
そして、日本国憲法9条。戦争の放棄について定められている。憲法については改正の手続きがその96条で厳しく定められていて、現在まで改正がされていない。でも、もし改正されて9条が10条になったり11条になったりしたら、やはり混乱してしまうだろう。
最近、こんなニュースを見た。
特殊詐欺事件で、警察を名乗る男からある男性に電話が来た。男は男性名義の口座が勝手に開設され、犯罪収益の受け取りに利用されていると言い、「日本国憲法9条により、犯罪収益隠匿罪が成立します」と説明したという。これを聞いた私は、
「は? 戦争の放棄でしょ」
思わず声が出てしまった。向かいにいた下の子はびっくりしている。「いやいや、さすがにこれはひどいよね」下の子も「ヤバいね」と苦笑いしている。
男は途中で電話を切り、事件は未遂に終わったそうだ。ニュースの解説によると、法律などの知識があるかどうかを試しているのではないかという。特殊詐欺は「絶対自分は騙されない」と思ってはいけないというが、それにしても……。
「妊産婦の就業制限」にはこんな規定もある。労基法65条1項「使用者は、6週間(中略)以内に出産する予定の女性が休業を請求した場合においては、その者を就業させてはならない」65条2項「使用者は、産後8週間を経過しない女性を就業させてはならない」前者は女性が請求した場合であり、後者は強行規定だ。私が下の子を出産したときは、担当していた仕事がずれ込み、予定日の1週間前までかかった。まあ、在宅なのでさほど無理はしていなかったし、フリーランスではこんなことも珍しくないのかもしれない。産後については……触れないことにする。
昨年11月にはフリーランス新法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)が制定された。少しはいい影響が出てくれるのか。これからに期待したい。




