影に潜む声
神城学園・北棟地下四階――通称《灰区》。
ここは、一般生徒が立ち入ることを禁じられた“監視”と“研究”のための隔離区域。呪霊の死骸、残滓、封印された器物など、危険度の高いものが集められている。
冷気のような呪気がうっすらと漂うこの空間で、白衣を着た一人の男が立っていた。
「……やはり、“核”が異常だ。通常のAランクとは比べものにならない」
男の名は千蔵 了護。
神城学園に籍を置く“呪痕調査班”の主任であり、元は実戦部隊出身の術師である。
彼の目の前には、前話で澪が斬り伏せたSランク呪霊《禍纏》の核が、特殊な封印処置を施された状態で保存されていた。
(常識では説明できない再生能力。呪力密度も規格外……)
さらに不可解だったのは、核の一部に“刻印”のようなものが刻まれていたことだ。
「これは……人為的な“呼び出し”か?」
了護は眉をひそめた。
呪霊は自然発生するもの。それが“何者か”により人為的に生み出されているとすれば――それは、世界の均衡を崩しかねない。
(術式による生産? いや、それとも……)
その思考を遮るように、通信が入った。
『黒瀬澪、特別実力評価によりCランクからAランクへ一時昇格。命令下達権限、臨時付与』
「……“現役最速”の昇格か。こりゃあ、また話題になるな」
了護はため息まじりに微笑むと、核を封じた棺を再び封印結界へと戻した。
(だが――黒瀬澪。君も、いずれこの闇に踏み込むことになるだろう)
その予感は、静かに、しかし確実に現実となっていく。
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2.昇格とその余波
昇格通知が正式に届いた翌日、学園内はささやかな騒ぎになっていた。
「黒瀬さんが……Aランク? マジで?」
「いやいや、前回のあの戦闘、見てたか? ていうかあれ、人間じゃねえって……」
「でも、あの人って他人にまったく興味ないよなあ。あれでなんで人気出るのか分かんねぇ……」
そんな噂話が、教室の片隅で交わされる中、澪はいつものように無言で席に座っていた。
目立つことに、興味はない。
賞賛も、嫉妬も、ただの“音”にすぎない。
ただ――その席の隣に座る紗夜だけは、澪をまっすぐに見て、こう言った。
「……すごいね、澪さん。本当に、すごい」
「……別に。強い敵がいた。それだけ」
「それだけ、じゃないよ。あれだけの呪霊相手に、皆を守ったの」
「守るつもりはなかった」
「……それでも、澪さんが動いた。それが事実なら、私はそれだけで……」
言いかけて、紗夜は言葉を濁した。
澪はそれを無言で受け止めたまま、黒髪を耳にかけた。
(あの日の戦い。確かに私は、“戦い”を選んだ。だけど――)
あの時、ほんの一瞬でも“他人のために”動いた自分がいたことを、彼女は認めたくなかった。
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3.“声”を聞いた者たち
その頃、神城学園の外――関東郊外に位置する旧市街で、不可解な事件が相次いでいた。
「呪霊による被害ではないんですか?」
「違う。目撃情報は“声を聞いた”というものだけだ」
“声を聞いた者が、理由なく自ら命を絶つ”
“声を聞いた者が、突如として他人を襲う”
“声を聞いた者が、正体不明の“何か”を見たと証言して消える”
呪霊の存在が日常と化した現代においても、これは異質だった。
神城学園は、緊急対応として少数精鋭の捜索部隊を結成。
そして、選ばれたのは――**黒瀬澪、伊勢涼、如月紗夜、御影匠、斑鳩志真**の5名だった。
「……なぜ、私がこんなものに」
訓練場のブリーフィングルームで、澪は小さく嘆息する。
任務。戦闘。それなら歓迎する。
だが、“調査”は面倒だった。
伊勢が澪の隣で笑う。
「お前が行くってだけで、俺は安心できる。今回は“いつもの斬って終わり”ってわけじゃなさそうだしな」
「……どうせ、お前が先に突っ込む」
「図星かよ」
澪は目を細める。
何かが、変わり始めている――そう思った瞬間、背後から紗夜が声をかけた。
「……澪さん、気をつけてね。私たち、戻ってこられないかもしれないから」
「……」
(それでも、私は行く)
⸻
4.“声”の正体
捜索地に到着したのは、夕刻。旧市街はすでに人の気配を失い、廃墟のような雰囲気が漂っていた。
伊勢が周囲を見渡しながら言う。
「ここ……何か、おかしくねぇか?」
澪もまた、空気の違和感に気づいていた。呪霊の気配ではない。もっと根深く、皮膚の下を這うような“声”。
「――あああ、ああああああ」
突如、御影が耳を塞ぐ。
「くっ……なんだ、この“音”……脳に……直接……!」
それは、誰にも聞こえるはずのない、“脳に直接流れ込んでくる声”だった。
斑鳩志真が冷静に術式を展開。
「……幻聴ではない。明確な“干渉”。これ、呪術じゃない……精神汚染だ」
澪の手が、無意識に刀の柄にかかる。
「いる……“そこ”に、いる」
廃墟の奥。
そこには“人の形をした何か”が立っていた。
(……これは、呪霊じゃない)
次元の異なる存在。呪いを模して生まれた、何か。
その“何か”は、澪に微笑んだ。
「――ようこそ、“鍵”の器よ」