夢見の檻
神城学園・東棟、特級術師専用の寮――“黒翼の間”。
広大な部屋の中、澪はベッドの上で目を開けていた。
眠れない。というより、眠る意味がない。
「……夢を見ると、昔を思い出す」
彼女にとって“眠り”は、拷問だった。
転生前の記憶――鬼として君臨していた日々。
そして、己が手で“退屈”を終わらせた夜。
血に染まった月、焼け落ちる都、
強者をすべて屠ったあとの、空虚――
(……もう、いい加減慣れてもいい頃なのに)
だがその夜――異変が起きた。
目を閉じた瞬間、意識が引きずられるように闇へ堕ちた。
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2.檻の中の楽園
気づけば、澪は“見知らぬ風景”の中に立っていた。
霧の立ち込める森。
白い花が一面に咲く草原。
どこか懐かしく、どこか歪な――夢のような空間。
「……また、夢か」
そう思った矢先、背後から声がした。
「やっと来たね、“黒瀬澪”」
振り返ると、そこにはひとりの少年がいた。
黒いローブに、銀の刺繍。
その瞳は深い碧色で、どこか――人間ではない冷たさを帯びていた。
「お前、誰?」
「僕の名前は、結月。
神城学園“夢術区画”の管理者――そして、君の夢に入れる唯一の術者だ」
「……興味ない」
澪は即答して背を向ける。だが、足が止まる。
地面に敷かれた白い花々が、
まるで生き物のように絡みついていた。
「――これは、私の術式。“夢見の檻”へようこそ」
結月が指を鳴らすと、景色が一変した。
草原が消え、闇が広がり、
空から無数の“目”が見下ろしてくる。
「僕は君を試しに来た。君の本質を見極めるために」
「……あんたも戦いたいだけ?」
「違う。僕は確かめたいんだ。
君がなぜ“退屈”を抱えたまま、戦いを続けるのかを」
澪の表情が、わずかに曇った。
次の瞬間、彼女は刀を抜いていた。
「……聞かなくてもわかる。
あんたは、殺されたいんだろ?」
「かもね。でも――僕を殺せたら、君の“本当の記憶”が戻る」
その言葉に、空気が変わる。
澪の黒髪が揺れ、
“鬼”の気配が、わずかに蘇る。
「……面白くなってきた」
夢の中で、斬撃が走った。
結月の指先から、無数の青白い光線が飛び出した。
それはまるで雷光のように、澪の周囲を囲み、彼女の動きを封じ込めようとする。
だが、澪は一瞬のうちに刀を構え、その場から飛び退いた。
「遅い」
刃が風を切り、目の前で光線が散乱する。
「……速い」
結月は驚きの表情を浮かべながらも、すぐさま手を振り上げ、再び夢の中の力を操った。
「ならば、これでどうだ」
夢世界の中で、風景が一変した。
澪の足元が崩れ、次々と闇の大きな手が伸びてきた。
それらの手は、澪を掴み、引きずり込もうとする。
だが、澪は微動だにせず、そのまま刀を振る。
「――お前、何もわかってない」
刀が一閃。闇の手は切り裂かれ、まるで生き物のように散り散りになった。
結月はその様子を見て、しばし黙っていた。
「すごい。君の力は本物だ。
でも――それだけでは、だめだ」
澪がその言葉を無視して刀をさらに振るったとき、結月は両手を広げて叫んだ。
「――君の中には、まだ恐れがある!」
その言葉が響いた瞬間、澪の周囲に現れたのは、無数の“過去の幻影”だった。
それは、澪が転生する前――鬼として生き、すべてを奪い尽くした時代の自分の姿。
すべての幻影が、澪を責めるように、嘲笑うように立ち並んでいた。
「まだ、終わってないんだよ」
「お前は、どれだけ殺しても――満たされない」
「その先に待っているのは、もっと深い虚無だけだ」
その言葉に、澪の目が僅かに揺れた。
しかし、すぐにその気配を振り払うように、力を込めて足を踏み出す。
「……退屈だ」
その一言が、夢の中に響き渡る。
そして、澪は刀を一閃――今度は結月に向かって。
結月は冷静にその刀の一撃を受け止めようとしたが、
彼女の周囲の“幻想”が崩れ始めた。
「……うそ」
結月の目が、まるで信じられないという表情に変わる。
「君、実は……それほどまでに恐れていないんだね」
澪は無表情のままで言った。
「恐れるわけがない。
私が必要なのは――戦いだけだ」
その言葉とともに、結月の身体が崩れ落ちていった。
彼の姿は、砂のように消えていき、澪の前に残ったのは、ただの闇のみだった。
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4.夢から覚める
次の瞬間、澪は再び意識を取り戻していた。
彼女は神城学園の寝室に戻っており、窓から朝日の光が差し込んでいた。
「……ただの夢?」
それでも、澪はその出来事が単なる幻覚ではないことを感じていた。
あの結月という少年、そして彼が言った言葉。
「“恐れ”……」
彼女は再び目を閉じ、静かに思索を巡らせる。
(何かが――変わった)
だが、その変化が何を意味するのかは、まだはっきりと分からない。
澪はベッドから降り、衣服を整える。
そして、再び鏡を見つめる。
自分の姿が、何も変わらず映る。
「さて、今日も退屈だ」
そう呟くと、澪は部屋を後にし、次の“戦い”に向けて歩き出すのだった。
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5.次のステップ
その日の午後、澪は学園の訓練場で見慣れない人物に出会う。
「黒瀬澪……貴女のことは、聞いている」
その男は、どこか冷徹で、澪に似た無感情さを漂わせていた。
「私は、君を観察する者だ。これから、君の力を見せてもらおう」
新たな戦いの始まりを告げる、謎の人物――
その存在が、澪をどこへ導くのかは、まだ誰も知らない。