血塗られた夜会
神城学園の中庭に、仮設のホールが建てられていた。
その名も「夜会」。
表向きは新学期を祝う交流式典。だがその実態は――名家と資本家たちの顔合わせ。
裏で動く利権、資金、推薦枠――あらゆる思惑が渦巻く夜。
澪は、招待状を見ていた。
漆黒の封筒に、金文字で記された名前。
「黒瀬 澪 様――特別招待」
意味もなく指で破き、中身を捨てた。
「どうせ、戦いじゃないなら、興味ない」
しかし、この夜の会場には――血の匂いが、あった。
「黒瀬家のご令嬢ですね。お噂はかねがね――」
「お会いできて光栄です」
「やはり本物はお美しい。まさに“呪殺の令嬢”とは彼女のこと……」
式典会場に一歩足を踏み入れた瞬間、
澪は社交辞令と虚飾の笑顔に囲まれた。
金と地位を持つ者たちが、澪を“武器”として値踏みしていた。
その目線が、無数のナイフのように突き刺さる。
澪は何も言わず、壁際の椅子に腰を下ろす。
指先でグラスを回しながら、ただ一言だけ、呟いた。
「……くだらない」
その瞬間――空気が変わった。
会場の中央、巨大なシャンデリアの下。
ひとりの生徒が、異常な動きを見せた。
「っ、が……が……!」
全身を震わせ、痙攣する少年。
その身体から、黒い煙のようなものが漏れ出していた。
「呪、力……? いや、違う、これは……」
術師の一人が察知するよりも早く、
爆ぜた。
少年の身体が破裂するように砕け、
そこから這い出たのは――“異形”。
ぬらり、と黒い粘液に包まれた四肢。
眼球のない顔。無数の口。
歪んだ器官に覆われた肉塊。
その瞬間、空気が凍りついた。
「し……っ、審査されてない……これは……!」
「呪霊、だ。しかも……ランクS――!」
叫びが走る。
結界が無効化され、術師たちの術式が乱れる。
「逃げて!全員、離脱ルートへ!」
だが、遅かった。
次の瞬間、呪霊の咆哮と共に、
会場の天井が吹き飛んだ。
瓦礫が落ちる。悲鳴が響く。
血しぶきが舞う。
それは、式典ではなかった。
“見せしめ”だった。
この学園において、どれだけの血が流れようと、
“彼女”が動けば、事は終わる――
誰かが、そう思った。
だから、彼女が立ち上がった瞬間――
誰もが息をのんだ。
黒瀬澪が、
“剣を抜いた”。
⸻
3.呪災、開幕
「S級呪霊、“禍顎”……」
監視室の術師が震える声で呟く。
「こいつは都市規模の結界がなきゃ封印できない……
どうやって学園に入ったんだ……」
「そんなことより、今は――」
モニター越しに映る少女。
黒髪を翻し、
誰よりも静かに、誰よりも美しく――立っていた。
刀を引き抜くその動作は、芸術のようで、
死神の宣告のようだった。
「“呪壊域”……展開」
彼女の周囲の空間が、再び色を失っていく。
白黒に染まる結界内。
そこに“禍顎”が踏み込む――
いや、踏み込もうとした瞬間だった。
刃が、すでに通り過ぎていた。
一閃。
空間ごと、裂けた。
呪霊の右半身が、音もなく地面に落ちる。
「――何?」
呪霊が、声を発した。
言葉を喋る。それは“S”の証。知性のある災害。
「お前、何だ?」
澪は、無言で歩を進める。
「貴様、“人間”か……?」
「違うよ」
その一言で、呪霊の動きが止まった。
「人間だったら、私……こんなに退屈してない」
瞬間、空気が爆ぜる。
黒瀬澪の呪力が、全開になる。
まるで地獄の底から現れたような“重さ”。
呪霊“禍顎”が、身体を震わせる。
(――逃げなければ、殺される)
この瞬間、
災害指定された呪霊が、
“命の危機”を感じた。
――遅かった。
「終わり」
澪の刀が、真横に薙がれた。
空間が、弾け飛ぶ。
一瞬ののち、
そこにあったはずの呪霊“禍顎”の姿は、
何もかも――跡形もなく消えていた。
式典会場は、もはや修羅場だった。
血の海。折れた柱。ちぎれた衣服。呆然と立ち尽くす生徒たち。
呪霊“禍顎”を斬り伏せた澪は、何事もなかったかのように刀を鞘に納めていた。
その姿に、誰もが言葉を失っていた。
「……すごい……あれ、一撃で……」
「本当に、人間なのか……?」
そんな声すらも、澪の耳には届かない。
(戦いが終わった)
(じゃあもう、用はない)
ただそれだけ。
澪は、ひとり静かに、崩れたホールの瓦礫を飛び越えて立ち去ろうとした。
だが――そのとき。
「――待って」
呼び止めたのは、見知らぬ少女だった。
蒼銀の髪。白磁のような肌。
まるで異国の姫君のような容姿に、純白の制服。
彼女は、迷いなく澪に近づき、深々と頭を下げた。
「あなたが……黒瀬澪。お噂以上ね。
今日、あなたの力を見られて、本当に……よかった」
「誰?」
「神室レア。私も、あなたと同じ――名家出身の“例外”よ」
そう言って笑ったレアの瞳は、氷のように冷たかった。
「私は、あなたを連れていく使命があるの」
「断る」
澪は即答した。
だがレアは、笑みを崩さなかった。
「……このまま放っておいたら、また殺されるわよ。
あなただって知ってるでしょう? “名家の異端”が、どうなるか」
「関係ない」
「でも私は、“興味がある”の。
あなただけが、この学園の中で――私を壊せそうだから」
その言葉に、澪の足が止まった。
レアの笑みは、愉悦に満ちていた。
「また会いましょう、“怪物さん”」
そして彼女は、何の未練もない足取りで瓦礫の向こうへと去っていった。
残された澪は、小さく眉をひそめる。
「……退屈を、壊してくれるってこと?」
そのつぶやきは、誰にも届かない。
ただ風だけが、静かに吹き抜けていった。
⸻
5.夜が明ける前に
翌朝――
神城学園の学内ネットワークに、ある“非公開映像”が拡散された。
それは、黒瀬澪が呪霊“禍顎”を一撃で葬った瞬間の記録。
術式の解析班、武闘派の教師、名家の息がかかった術師候補たち――
すべての者が、戦慄した。
「これが、黒瀬澪……?」
「“単独S級討伐”。記録上、人類史上初だ」
そして彼女の評価は、学園内で“絶対的な異端”として確立されていく。
しかし、当の本人はそんな騒ぎには興味もなく――
「次は、どこで戦えばいい?」
そう、ただそれだけを考えていた。
彼女の戦いは、まだ始まったばかりだった。