ラブホテル〜○世界の終わりと☆輝く季節〜
○日曜日は決まって彼女からの返信が遅い。彼女のお相手、つまり旦那さんが休日だからだろう。だから、日曜日は嫌いだ。
☆ある夏の日の朝。自分と仲の良い仲の良い先輩が、自分が苦手な後輩と不倫しているという話を、先輩本人から聞いた。吐き気を催すほどのショックだった。そして実際ちょっと吐いた。何がショックだったのかはわからない。悲しさでも寂しさでもない。尊敬している先輩がそんなことを、というショックではない。その後輩のことが好きだったからショックを受けている、というわけでもない。その後輩に酔った勢いでチューされたことがあるのに、実は先輩と身体の関係があったことがショックだった、わけでもない。そして、不倫という行為そのものが許せないというわけでももちろんない。先輩の奥さんとお子さんが不憫だとか、20個以上も歳下の後輩に手を出すなんてとか、そりゃちょっと思うところはあるけど、他人の不倫で騒ぐほど自分は人間ができていない。ただ、何かがとてもショックでだった。あらゆる科学者も研究者も原因を特定できず、匙を投げる。多分人類が生まれてから初めてこの世に芽生えた感情かもしれない。この感情に名前はまだない。広辞苑にも載っていない。
○彼女の旦那さんは教師らしい。運命だと思った。一生相容れないであろう存在が、人生最大の敵として君臨するであろう存在が、自分がこの世で最も許せない存在である教師そのものなのだから。
☆自分の中でその感情を留めることができなかった。誰かに話せばスッキリするのか。でもこんな話そう簡単に誰かに話せる訳がない。だからぼくは、思いつく限りの中で最低な方法でこの感情を払拭させることにした。
○ぼくと彼女はお互い結婚しているけど、ぼくと彼女には決定的な違いがある。ぼくは奥さんとそれほど仲良くはないけど、彼女と旦那さんはすごく仲が良いということだ。近々結婚式も控えているらしい。自分が奥さんと冷戦している時、彼女と旦那さんは仲良く愛し合っているのかもしれない。悲しい寂しい。彼女の結婚式の日、ぼくはどんなモチベーションで生きていればいいのか。その日にでも死んでみようか。
☆先輩の話を聞いた数日後、仲の良い後輩の女の子2人と飲みに行く約束があった。2人とも、数年前に3人で飲みに行って以来、特別可愛がっている後輩だ。お酒も話も進み、先輩の不倫相手にチューされたことがある話をした。後輩の1人は少し驚いていたが、そんなこともあるんですねくらいの感じだった。ちなみにぼくはこの後輩と一度、過ちを犯したことがある。もう1人は、なぜかすごく怒っていた。簡単にチューされたぼくにではなく、チューをしてきた先輩の不倫相手に対して、見てわかるほどの苛立ちと憤りを露わにしていた。どうしてそんなに怒っているのか聞いてみた。その後輩は、ぼくのことが推しだったと教えてくれた。シフトが出るたびに出勤が被っている日がないかチェックしていると、職場で姿を見るたびに遠くから姿を目で追っていたと教えてくれた。そんな先輩に、本気でもないくせに近づいてきてたぶらかそうとしてきたそいつが許せないと言った。この2人になら話せるかもしれない。この2人を使えば、自分の中で押し留めることができない正体不明の感情を霧散させることができるかもしれない。ぼくは2人に、今話したことよりも大切な話があると伝え、ここで話せることじゃないから、場所を変えようと提案した。
○その子はほんとに可愛くて、職場でも、自分がモテていると勘違いしている先輩なんかが近づいて話かけてくる。近づくなよ。誰の許可取って喋りかけてんだよ。そんなやつに愛想良く返事しなくていいよ。自分ってどの立場なんだろう。そもそもこんなに仲が良いのは自分だけって思っているのは自分だけで、他にも仲良くしてる男とかいるのかな。誰にでも、推しですとか、出勤被ってるってわかっただけでドキドキしますだとか言ってんのかな。あぁ、もういいや。どうせどれだけ足掻いたところで自分は1番にはなれないんだから。もう、結婚してんだから。
☆大事な話があると伝えて店を出てから、どこを歩いてどうやって辿り着いたのか、見覚えのあるラブホテルの前にいた。あぁそっか、今いる後輩のうちの1人とぼくは一度過ちを犯してるんだった。だからここにホテルがあることも知ってたし、見覚えもあるのか。正直この2人なら、ぼくについてきてくれると思ってた。ずっと仲良くて、1人はとは一度来てるし、もう1人は推しだったって教えてくれたし、不思議と嫌われる気も見損なわれる気もしなかった。心配なのは、ホテルって3人で入れるのかくらいなもんだった。
○ぼくたちはお互い趣味が音楽鑑賞だった。お互いの好きなバンドの好きな曲を紹介し合ったり、一緒に聴いてこの曲のこの部分が良いだとか、この歌詞がたまらないだとかの話で盛り上がった。特に運命を感じたのは、クリープハイプというバンドの曲がたまたまお互い好きで、昨日照らし出せたわけでもないのに全く同じアルバムを聴いていた時だ。こんなに趣味の合う人に合ったのは初めてなはずだ。月並みかもしれないけど、身近にこんな人がいたことがとても嬉しかった。
☆部屋に入って、まずは3人でお風呂に入った。1人の後輩は以前間違いを犯した時と変わらず細くて、肌は綺麗で、脱毛しているからという理由で毛は全部剃っていた。もう1人の後輩はとにかくスタイルが良かった。初めて見る後輩の裸に興奮したとか、そんな感覚はほとんど無くて、ただただスタイルの良さに見惚れてしまっていた。お風呂から上がって、いよいよ、こんなところに来てしまった原因である、仲の良い先輩とその不倫相手の話を2人に伝えた。2人にとってもその先輩と不倫相手は同僚であるため、2人はもちろんビックリして、ショックを受けているぼくに慰めの言葉をくれた。でもなぜか、その話を2人にした時点で既にぼくの中にあった感情はほとんど消え去っていた。3人でここに来た時点で報われていたのかもしれない。話を終え、場の雰囲気に飲まれたのか、お酒に酔っていたからか、多分ぼくが言い出した。3人でしちゃおっか。
○相性が良い人、というのは本当に実在するんだって彼女と会う回数を重ねて確証を得た。お互いの顔が好き、匂いが好き、服が好き、髪型が好き、趣味が合う、身体の相性の良さ、何回やっても飽きない、手を繋いだ時のしっくりくる感じ、ぼくの話で笑ってくれる、ぼくの話がもっと聞きたいと言ってくれる、無言でも気まずくない、とにかく居心地が良い、ぼくが数年前に住んでた家の向かいにある高校に彼女がたまたま通っていた、こんな運命みたいな人に出会える確率ってどのくらいなのか。一緒になれない方が不自然に感じた。出会うのが遅すぎた。でも、付き合って結婚して一緒に生活するようになれば、お互いの嫌な部分が見える可能性もある。それは嫌かな。今の関係が最終段階なのかな。このまま誰にもバレずに、この関係をずっと続けられるのがいいのかな。
☆突然、1人の後輩、以前間違いを犯した後輩が泣き出した。私はもういいんで、あとは2人で好きにしてください。私は一人でもう一回お風呂に入ってます。といって部屋を出ていってしまった。さっきまで仲良く楽しくお風呂に入っていたのに、いきなりの後輩の心境の変化にこっちがついていけなかった。不思議と嫌われる気も、見損なわれる気もしなかったと感じていたのはなんだったのか。もう1人の後輩はというと、ずっと蕩けた顔をしていて、2人になっちゃいましたね、なんて言っている。ごめん、こんなつもりじゃなくて、誰かが傷付くくらいなら、3人の関係が壊れるくらいなら、今日は別に何もしなくていい。もう帰ろうと告げ、泣いている後輩を慰めながらホテルを出た。そのホテルがある最寄駅が泣いている後輩の最寄駅でもあり、駅まで送り届けたあと、残った後輩とぼくの車まで歩いた。もう酔いは冷めてるから、車で帰る、家まで送るよと伝えた。本当は酔いは冷めてなかったのか、お互いの身体を見せ合い、恥ずかしいことなんて無くなってしまったからか、ぼくたちはなぜか手を繋いでいた。恐ろしいほどの安心感、フィット感だった。帰りの車の中でぼくは言った。次は2人で行こうね。
○彼女はお酒に強くて、会社の飲み会があれば必ず参加している。ぼくはお酒が苦手だし、仕事以外で上司と会いたいと思わないから参加しないことが多い。ただもちろん、彼女に会える機会を自ら放棄していること、彼女が他の男に言い寄られている可能性があること、簡単に気を許してしまいそうな危うさが彼女にはあること、もちろんその日のLINEの返事は遅いこと、わかってる。やっぱり参加しとけばよかったかな。結婚している、しかも新婚の女の子に言い寄り、あわよくばなんて考えてる倫理観の欠如したクソ野郎はぼく1人でありますように。
☆一週間後、ぼくたちは夜勤が一緒だった。その夜勤終わりの昼、ぼくたちはまた飲みに行った。そういえばその行き道に、あの日泣いたもう1人の後輩とすれ違ったけど、彼女は気まずい顔をしながら挨拶もなく去っていった。飲み終わり、後輩が、やっぱり新婚の後輩をホテルに誘うのは違うかもと躊躇していたぼくの手を掴んで、迷いなく前に3人で歩いた道を進んでいく。見てください、こんなところにホテルがありますね。ぼくのせいだと思った。数週間前まで買いたての結婚指輪を見せびらかしていたような子が、7年も付き合った彼氏さんと結婚した一途な子が、誰から見ても高嶺の花な可愛い子が、自らぼくの手を引いてラブホテルの前まで歩いて来てしまっている。よく見たら、彼女の左薬指には、もう指輪は無かった。
○クリープハイプの曲を古いものから新しいものまで全部聴いてみた。ぼくたちの歌だと思った。ぼくが彼女に対して歌っている歌みたいだなと感じた。クリープハイプの歌詞に共感できる時が来るとは思わなかった。夏のせい。夏のせい。夏のせいにしたらいい。それでもダメなら、君のせいにしてもいい。
☆ここまできてしまったら、ぼくももうその気になっていた。ホテルに入ってお風呂に入って、いよいよぼくたちは身体を重ねた。あり得ないほどしっくりきた。初めて身体を重ねたとは思えないほど、相手が喜ぶところがわかる。どう動けば相手が良くなるのかがわかる。きっとこっちの動きだけでなく、彼女の力の抜き方も上手いんだろう。彼女に聞いてみた。相性良すぎるよね。はい、これはちょっと良すぎてヤバいです。こんなに可愛い後輩の気持ちよがってる顔。職場でこの顔を知っているのが自分だけでありますようにと切に願った。
○別に覗き見るつもりは全く無かったんだけど、彼女が携帯の写真の非表示フォルダを開く瞬間を見てしまったことがある。そのフォルダには、ぼくとのツーショットしかなかった。正直すごく安心した。人に見られてはいけない関係になっているのはぼくだけなんだって。頼むから、本当にぼくだけであってほしい。ぼくには君しかいないから。
☆その次にホテルに行った日はお酒すら飲んでいなかった。素面でホテルに行ってしまえるほどぼくたちのネジは吹っ飛んでしまっていた。冬になった今となっては、ホテルに来た回数は20回を超えたかもしれない。4ヶ月で20回。1ヶ月平均5回。シフト制かつお互い結婚していることを考えても、どれだけお互いがお互いのために時間を使っているのかがわかって少し嬉しい。毎日LINEをして、お互いの愛を確かめ合って、相性が良すぎるねだとか、運命だねとか言い合ってる。彼女は、先輩は私のものなんで、他の人に取られたくないですと言った。先輩の良さに気付いているのは自分だけであってほしいです。LINEの返信が遅いと、既読だけでも付いてないかなって何回もLINEを覗いちゃいますと話してくれた。彼女が全く同じことを考えていたことが嬉しくて仕方がなかった。ぼくって今何歳だったっけ。でもそろそろお互いの認識を合わせないといけない。どれだけ愛を伝え合っても、ぼくたちは一緒にはなれないんだから。お互い相手がいなかったら付き合ってただろうし、結婚まで行ってたかもしれない。でも、そんなたられば言っても何も解決しない。だからぼくは彼女に伝えた。ぼくたちがしてることは、仲の良い先輩後輩の延長上でしかなくて、ぼくたちの関係はあくまで、特別仲の良い先輩後輩だよね。彼女は応えた。そうです。ずっと推しの、カッコいい先輩です。一緒になれない条件が私たちには揃いすぎてます。でも、仲の良い先輩後輩なら、ずっと一緒にいても不自然じゃないですよね。良かった。伝えて本当に良かった。これでずっと一緒にいられる。この認識がズレてたらもう関係を続けられなかったかもしれない。本当に良かった。本当にありがとう。幸せです。
○ぼくたちはお互い、2人であってる時間以外のプライベートの時間に何をしているかはほとんど知らない。何してるかなとか、今日は何食べてるかなとか妄想してしまう。でも、妄想を進めていくうちにやはりお互いの配偶者が浮かんでくる。彼女も同じことを考えているかもしれない。でも逆にそれが安心感に繋がったりもする。旦那さんなら仕方ない、奥さんなら仕方ない。どうせ自分のものにならないなら、一生勝てない不動の1位がいることに感謝しよう。いつもありがとう、それからごめんなさい。