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亡蜀記  作者: コルシカ
6/22

謀殺


         六


孫権は、腰が低く聞き上手な劉備を、年上の義弟として気に入っていた。

劉備が、

「長く公安を空けておくわけにもまいりませんので……」

と荊州への帰還をほのめかすと、

「どうか、わが妹をお連れください」

と辞を低くして頼んだ。

孫権の妹は史書に年齢が記されていないが、孫権より年下なので、二十過ぎといったところであろうか。

それにしても、当時の女性における婚姻適齢が十代ということを考慮すると、なぜこれまで婚姻しなかったのか、という点に劉備は一抹の不安を感じた。

劉備は孫権に誘われて、宮室に入った。

孫氏は孫権を含め、代々美男美女の家系である。劉備も眉目秀麗の美女を期待したが、ようすがちがった。

宮室の前に整列している侍女たちが武装し、刀をもっているのである。

「は……これは、いかなる……」

劉備は孫権に、疑義をしどろもどろ呈したが、酩酊した孫権は慣れたようすで、どんどん進んでいく。

「いやはや、妹は兄をまねしたがるもので、困ったものですな」

孫権の妹には、孫翊、孫匡、孫朗という三人の兄がいる。かれらがみな武人であることは、宴会の席で知っている劉備であるが、

(いくらなんでも、やりすぎではないか)

と思った。この孫権の妹はのちに孫夫人とよばれることになる。

稀代の奇人である劉備がそう思ったくらいであるから、孫夫人は女性における奇人であった。

まず男装をして、長刀をもっている。

美貌の持ち主であるが、恥じらいの表情はなく、劉備を侮蔑するように冷眼をむけている。

「これはこれは……私と武を競おうとされているわけではありますまいな」

「……」

劉備の冗談にも、孫夫人は無言である。

劉備は両耳が大きく、両手が立ったまま膝にとどく長さがある。奇相であるといっていい。

(このような醜い男が、世の中にいるのか……)

孫夫人は、美男の兄弟に囲まれて深窓に育ったため、劉備の容貌に吐き気をもよおした。

「これこれ、たわむれはやめよ。玄徳どのの伴侶として粗相のないようにいたせ」

劉備も武器を突きつけられた思いで、背中に冷や汗が流れるのをとめることができなかった。

新婚初夜もあったものではない。

劉備は逃げるように、孫夫人の宮室を後にした。

(孫権は、とんだじゃじゃ馬をわれに押しつけたものだ)

しかも今後、孫夫人だけでなく武装した多数の侍女たちも公安になだれ込むのだ。

まるで敵の武装集団を、堂々と間諜として送りつけるような所業である。

孫権が劉備に好意をもったのに反し、劉備からすれば孫権の陰湿な性格が見えるようになってきた。

まずは酒癖の悪さである。

数多い孫権の配下にも、体質的に酒が飲めないものが数人いる。

かれらにも、飲酒を強要し失神するまで酒を呑ませて嗤っているのである。

(賓客には手厚いが、配下にはこのようなむごい扱いをするのか……)

特段酒が嫌いではない劉備でも、不愉快な風景である。また、非常識なほど長時間つづく宴会にもうんざりさせられた。

とどめが、手に余る妹を政略に利用したことである。

(孫権の配下におさまっていたならば、むごい扱いを受けるところであった……)

劉備は、そのとき諸葛亮が孫権のもとに出向くのを反対していた意味を理解できた。

(孫権がこれでは、曹操に勝てるわけがない)

そうも、感じた。

劉備は曹操と過去生活をともにしていたときがあったが、曹操に陰湿さはなく、配下をむごく扱っているのをみたことがない。

後年、孫権は過度の飲酒がたたって老耄し、後継者をめぐり大混乱をひきおこすことになる。

むろん劉備はそこまで予想したわけではなかったが、孫権のあくの強さには、辟易とさせられた。

(もう二度と孫権とは会いたくないな……)

人物鑑定を独自で養ってきた劉備の出した答えとはそれであった。

翌日、劉備は小船に乗り込んで、帰途についた。しかしそれを孫権は、しつこく引き留める。

「なごり惜しいことです。離宴を催しましょう」

またか、と劉備はうんざりした。しかも孫権は張昭や魯粛をも連れてきている。

孫権の大船で、別れの宴が開かれた。

孫夫人も列席しているが、表情を変えずにうつむいているだけである。

魯粛は内心、

(劉備も主の悪癖にふれて、つらかろうな)

と同情した。

劉備は、この居心地のわるさに、つい皮肉をいってみたくなった。

「周公瑾提督は文武に優れ、器量も広い。

いつまでも人に仕えていることはないでしょう」

劉備にとっては、めずらしい警告である。

孫権はすでに泥酔の域に達しており、

「なあに、公瑾はわが呉の宝……われが頼りなくても、かれがいれば呉を支えてくれましょう……」

と赤ら顔をむけて、酒臭い息でいった。

(尊大な男だな)

劉備は軽蔑をとおりこして、あきれた。

「主よ、そろそろ出発の刻限です」

孫乾と簡雍が、ふたりで宴にやってきた。

(救われた……)

ほっとした劉備は、

「船に戻らねばなりません。重ね重ねのご厚情、感謝いたします」

と礼を述べて、宴席を後にした。

「もう、あの孫権には懲りた」

ここから公安まで「昼夜兼行」と『山陽公載記』に記されている。

劉備としては、孫権が江水をさかのぼってじぶんをひきとめにくるのではないか、というようにおそれたと勘ぐりたくなる。

公安に帰着した劉備は、留守居役の諸葛亮の顔をみるなり、安堵していった。

「やはり、孔明がいったとおり孫権に会いに行かなければよかった。

厄介な荷まで背負わされてきたのだしな」

孫夫人のことである。

彼女はつねに男装しているし、あいかわらず劉備を寝室に近づけない。

とはいえ、孫夫人と武装侍女軍団は、おおがかりな呉の間諜組織であるといっていいので、劉備も粗略にあつかうことはできない。

孫夫人は、劉備とその重臣の丁重な挨拶を受けた。

孫夫人が気に入ったのは、関羽と諸葛亮である。

「あなたが白馬津の戦いで、顔良の首を討ち取った関雲長どのですね」

女性の教養よりも、武辺話が大のこのみである孫夫人は、背が高い堂々たる体軀をもつ関羽にはじめてうちとけた。

諸葛亮は、物腰がやわらかく一を訊けば十を識る教養のもちぬしなので、好感をもった。

(荊州にも、ましな男はいるではないか)

にもかかわらず、劉備という奇人と縁組みした兄を、孫夫人は恨んだ。

関羽は孫夫人の歓迎の宴が終われば、武陵郡に還らなくてはならないので、もっぱら孫夫人の世話役は諸葛亮と、話題の豊富な簡雍が担当することになった。

「とはいえ、孫権と会見したことは、むだであったとはいえません」

諸葛亮は、劉備にいった。

「周瑜です。かれはおそらく主を呉に軟禁して還さないように孫権にうったえたはずですから。孫権が漫然と主をもてなし、妹を嫁に与えて公安に還したことで、孫権と周瑜の離間をはかることができます」

「そうかな……」

孫権は、周瑜のことを呉の宝、と自慢していたではないか。

「周瑜は、孫権に疑心をむけるでしょう。

主を呉に監禁して、私や雲長どのらとの離間をはかっていたようですから」

「なに……周瑜はそのようなことをたくらんでいたのか」

劉備は、あおざめた。

しかし、孫権陣営の事情をどうやって諸葛亮がしったのか。

「龐統、字は士元。この名をおぼえておいてください。公淵(廖立)をうわまわる楚の逸材です」

劉備ははた、と手をうった。

「龐士元とは、水鏡先生(司馬徽)が鳳雛と絶賛していたあの人物か」

「さようです。いまは孫権に仕えているようですが、孫権に士元を抜擢する器はありません。いずれ主との縁があることでしょう」

「鳳雛が、われを扶けてくれているのか……」

水鏡先生こと司馬徽門下で、諸葛亮は臥龍、龐統は鳳雛と絶賛される逸材であった。

司馬徽とすれば、諸葛亮は起きさえすればすぐにでも天下に才を発揮できる逸材であるに対し、龐統は鳳凰の雛、つまり成長するのにしばし時間がかかる、といいたかったのであろう。

龐統は仕えてはみたものの、孫権の偏屈さに幻滅している。呉は人材の層が厚いので、周瑜や魯粛のように天下に驥足をのばすことはできまい。

 親友の諸葛亮と書簡のやりとりをしているうちに、

 (劉備は、おもしろそうだな)

 と興味をもった。

 (だが、手ぶらでは劉備のもとへはゆけぬ)

 龐統はいずれ主を劉備に鞍替えすべく、孫権陣営の情報を諸葛亮に秘密で伝達するようになった。

 「士元は元直(徐庶)にまさる軍事の才能があります。

 きたる益州攻略のあかつきには、軍師としてその才を発揮するでしょう」

 諸葛亮はのちの歴史が証明することを、すでに嚢中に描いている。しかし、その際おこった悲劇までは予想できなかったのである。

 さて、怒気がおさまらないのは周瑜である。

 「劉備を公安に還したことは、車騎将軍(孫権)にとっておおいなる悔恨になる」

 そう叫んで、みずからの机を打ち砕くほどになぐりつけた。

 (たった数人で劉備を殺せたことをなさなかったために、将来荊州をめぐって数万の呉兵が死ぬことになる)

 周瑜にとって、劉備は人の恩義を感じない狡猾な男である。

 魯粛が劉備と仲がよいことも、失念していた。周瑜がじぶんで孫権に劉備を殺害する重要性を説けばよかった、と慚愧にまみれた。

 周瑜は江陵攻めの頃から、精神を病んでおり、夜は眠れず昼はとりつかれたように行政執務にはげんだ。

 (劉備が荊州南部を領有したとなれば……)

 次にねらうのは益州であろう、と周瑜は充血した目で断定した。

 「こうしてはおられぬ」

 数日後、呂蒙を呼んだ周瑜は、

 「車騎将軍に会いにいってくる」

 といいのこして船に飛び乗った。

 (常軌を逸しておられる)

 呂蒙はまるで生き急ぐような周瑜の性急ぶりに、一抹の不安を感じた。

 「偏将軍(周瑜)が面会をもとめていると」

 呉都の孫権は、いぶかしげにいった。むろん周瑜のような重臣の直訴を拒むものではないが、その周瑜の容姿を見たとたん、

 (まるで幽鬼のようではないか……)

 とその変貌ぶりに絶句した。頬はこけ、蒼白になった肌からは、執念のような妖気がたちのぼっている。

 「このままでは、劉備に益州を奪われてしまいます」

 周瑜は孫権への挨拶もそこそこに、食いつくようにいった。

 「劉備は、わが義弟ぞ。われに相談もなく、そのような性急な軍事をおこなうであろうか」

 孫権は、少々狼狽した。周瑜の突飛な提案に不安をもったともいえる。

 「車騎将軍(孫権)は、劉備をあまくみすぎておられます。劉備が領土を拡張する前に、益州を攻略し、呉の勢力を盤石にして曹操に対抗せねばなりません」

 「……」

 孫権と魯粛は、周瑜の霊に憑依されたかのような口調に、ことばをうしなった。

 (子敬も主のそばについていながら、なにをしているのか)

 周瑜は魯粛を一睨みすると、話をつづけた。

 「いまの曹操は赤壁での大敗が影響し、軍をたてなおすことに腐心しています。とても車騎将軍と合戦する余力はございません。

 そこで、私からの策を実行されるようお願いにまいりました。

 奮威将軍(孫瑜)と私に益州を攻め取り、漢中の張魯を併呑することをお命じください。

 益州と漢中を攻略し終えたあとは、奮威将軍に益州をかたく守備していただき、涼州の馬超と連携して、曹操と対峙するのです。

 私は江陵に還り、車騎将軍みずから率いる軍勢と合流し、襄陽を攻め取ります。

 これにより劉備を荊州に封じ込め、曹操の北方の領土に侵攻することができる……」

 周瑜は江陵における曹仁との戦で、曹操に南征をおこなう余裕がないことを確信した。

 そうなれば呉と誼をつうじた劉備がだれの掣肘も受けず、益州に目をむけることは自明の理である。

 そのまえに、孫権が益州を平定しておかねば、こんどこそ百年の悔恨となるであろう。

 周瑜は嚢中で、そのような大略を実行して孫権が天下の半分を得るように画を描いている。

 しかし、孫権と魯粛はひややかな目で周瑜の力説をきいていた。

 (構想が巨大すぎはしないか……)

 孫権と魯粛が感じたことは、それである。

 しかも江陵攻めで陸戦では凡将にすぎないとその能力を露呈した周瑜が、これも水戦以外の益州における山岳戦を経験していない孫堅の弟の孫瑜とともに、堅く守備する敵を撃破できるとはどう考えても現実的な策とはいえないのではないか。

 諸将も呆然として、周瑜をみつめている。

 しかし精神を病んでいる周瑜は、感覚のにぶさが助長されており、周囲の反応のうすさに気づいていない。

 「南郡には裨将軍(程普)や子明(呂蒙)など偉材も多く、留守をまかせられます。

 先鋒は興覇(甘寧)がよろしいでしょう」

 甘寧は益州出身なので、山岳戦になれているがゆえの人選である。

 周瑜だけが目を異様にかがやかせて、頭部から湯気が出ているのではないかというほどの気魄をみなぎらせている。

 困惑している孫権に、魯粛が目くばせした。

 「うむ、偏将軍がそのようにいうのであれば、やってみよ」

 孫権は、その場を収拾するために、なんと周瑜の献策を認可した。

 益州への遠征をゆるされた周瑜は雀躍して、

 「呉の繁栄は、これで約束されたでしょう」

 とさけんだ。

 (一年だ。一年で益州を降してやる……)

 周瑜の己を過信しすぎたこのあまい予想は、病のためか、それとも赤壁での大勝による過剰な成功体験への埋没だったのか。

 「奮威将軍が一日もはやく江陵に到着されるのを、お待ちしております」

 それが、周瑜と孫権の最後の謁見となった。

 「どうおもう」

 周瑜が退出したあと、孫権は魯粛に諮問した。

 「公瑾(周瑜)の策は画餅ですな……」

 絵に描いた餅、ということであり、すなわち酷評である。

 曹操からの援軍の来ない江陵を落すのに三年を要した周瑜が、一年で峻険な益州を攻め取れるはずがない。

 「公瑾をしまつさせるか……」

 暗い表情でうつむきつつ、孫権はつぶやいた。それは、実現しようのない計画に無言の反対を表明した諸将の意見を代弁したものである。

 「万をもってかぞえる兵の命のためです。

 南郡は裨将軍(程普)と子明(呂蒙)で経営できます」

 魯粛も、孫権のことばを否定しなかった。

 「公瑾は兵権をにぎっておる。どうする」

 周瑜が身の危険を感じ、兵を引き連れて郡ごと曹操に降れば、一大事であろう。

 「士元(龐統)に、毒をもって公瑾をしまつさせます」

 「あくまで病死にみせかけよ……暗殺は討逆将軍(孫策)を想起させ、皆がよくおもわぬ」

 孫権の兄である孫策は乱暴な性格であり、配下をむごくあつかったため、殺害した許貢という太守の息子たちに暗殺された。

 また、龐統は狷介な性格なので、孫権に嫌悪されて周瑜のもとにいる。

 「わかりました。ところで、士元を諸葛亮がほしがっておりますが……この手柄をみやげに劉備に仕えさせましょう」

 「諸葛亮と士元は、若年より学問の同窓だったな。よかろう。毒をもって毒を制す……われは士元を好かぬ」

 周瑜が体調を著しく崩していたことは、事実である。

 曹仁との戦いで受けた矢傷の縫合がうまくいかず、傷口が膿み、その治療からくる疼痛から精神の均衡をうしなった。

 人間の体内にある疼痛の神経と、気鬱の神経はすぐそばにあり、たがいに悪影響をあたえる。

 帰途、周瑜は巴丘において傷口の痛みから

起き上がれなくなり、滞在をつづけていた。

 「偏将軍(周瑜)のお加減は、いかがでしょうか」

 周瑜の病室に通されたのは、龐統である。

 周瑜は、病牀で半身をおこした。

 「士元か……うむ、いつもの傷口がすこしひらいたようだ。安静にしていれば問題ない。ただ、いつまでもこうしてはいられぬ。江陵に還れば、益州攻めの用意に忙殺される」

 よく見れば、龐統のうしろに医人が器をもって控えている。

 「……なんだ、それは」

 周瑜は不吉な予感がして、龐統に訊いた。

 「はい、車騎将軍(孫権)よりのお見舞です。薬湯をおあずかりしました」

 「……」

 医人は周瑜の前に参上して、薬湯がはいった器をささげた。

 「われは、のまぬ……といったら」

 「偏将軍は、呉の柱石です。のんでいただかなくては、私が車騎将軍に叱責されます」

 龐統は、屈託のない笑顔である。

 「……子敬(魯粛)は、この薬湯のことをしっておるか」

 「ご存じもなにも、子敬さまが都の名医から厳選させた薬です」

 「そういうことか……」

 周瑜は、目の前にささげられた薬湯の器を手に取った。

 「いや、まだこれをのむわけにはゆかぬ。

 われは益州を取り、荊州から劉備を駆逐し、曹賊と戦わねばならぬ」

 周瑜は絶叫すると、薬湯の入った器を床にたたきつけた。薬湯は床に染みこんだが、分厚い陶器は病弱な周瑜には割ることができず、床に転がっただけであった。

 「ききわけのないことをなさる。車騎将軍のご厚意をむげにされては……」

 まったく動じない龐統は、大きく手を三度たたいた。

 その音に反応して医人が下がり、屈強な兵士ふたりが、あらたな薬湯をもって病室に入ってきた。

 ひとりが病牀のうしろにまわり、周瑜を羽交い締めにする。もうひとりは薬湯を周瑜の口に近づけてきた。

 「よせ、無礼者。だれかある、この者どもを逮捕せよ」

 周瑜の絶叫は、病室にこだましただけであった。

 遺体となった周瑜を龐統はみおろして、

 「存外往生際が悪かったな」

 といった。ふたりの兵士とともに、周瑜の机や書棚を捜索していると、

 「このようなものが見つかりました」

 とひとりの兵士が、書簡を龐統のもとにもってきた。それを広げて黙読した龐統は、

 「遺書は用意していたのだな……ふふ、車騎将軍と左将軍(劉備)にいい手土産ができた」

 と微笑した。

 周瑜の享年は、三十六歳であった。

 最期の地となった巴丘は、赤壁の戦い前夜、曹操軍に疫病が蔓延し、おびただしい船と病死した兵たちを焼いた土地であった。

 (周瑜は土地の神に祟られたか)

 龐統は周瑜の棺をまもって呉都にむかいながら、英雄といわれた人間であっても人を殺しすぎると相応の報いはあるのかもしれない、と感じた。

 「公瑾が亡くなったと」

 孫権はその報せを聞くや、喪服に着替えて地に伏し、声をあげて慟哭した。

 魯粛も喪服に着替え、粛然と頭を垂れている。

 (主従そろって、劉備に負けない芝居上手ではないか)

 龐統は目をふせつつ、その功績を不朽のものとした周瑜に同情した。

 「もとの偏将軍(周瑜)と裨将軍(程普)は、家に奴隷をもっても、いっさいを不問とする」

 孫権は、ふたりの将軍とくに死んだ周瑜の功績をみとめ、私腹を肥やすことを公に認めることにした。

 「私は凡才であるにもかかわらず、討逆将軍(孫策)によく待遇され、腹心として信任をうけました。

 それから車騎将軍(孫権)に、兵馬の権を与えられるという栄誉に浴しました。

 私の願いは鞭を取り、進軍して巴蜀の地を制圧することでしたが、身をつつしまなかったため、中途にしてお別れすることとなりました。

 人は生まれたかぎりはいつか死なねばならず、短命におわることを惜しみはいたしません。ただし志を果たせず、ふたたび車騎将軍の命令に従うことができぬことを惜しみます。

 今、北に曹操がおり、荊州には劉備が割拠し、国境付近は油断できぬ状況にあります。

 私の後任にはどうか魯粛をお命じください。かれは忠烈で、事に臨んで沈着、私の代わりに呉の柱石として不足はありません。

 人が死のうとするときには、そのことばは純粋です。私の遺言を実行してくださった暁には、車騎将軍の偉業はかならずなされると信じる次第です」

 龐統が見つけた、周瑜の遺言を記した書簡である。

 「公瑾は、死の直前に正気を取り戻したのであろうか」

 孫権は赤心が伝わる周瑜の遺言を読んで、目頭を熱くした。

 「援軍の来ない江陵を攻めながら、三年も陥落させることができなかったふがいなさから、公瑾は己を攻め、心の均衡を失いました。

 陸戦に長じた将を江陵攻めの総帥に任じることができなかったのは、君臣ともの過失であります」

 周瑜の親友であった魯粛は、周瑜を憐れみながらも、つねに冷静である。

 「益州攻めは、どう収拾をつけようかな。奮威将軍(孫瑜)は本気で兵の準備をすすめていると聞くが……」

 孫権の懸念に、魯粛は即答した。

 「士元(龐統)を劉備にお遣わしになり、修辞をかまえて奮威将軍の戦意をくじくのがよろしいでしょう。そのまま士元を劉備に仕えさせれば、このたびの一件は落着いたします」

 「それはいいな……」

 魯粛の提案に納得した孫権は、龐統に仔細を含ませて劉備のもとに派遣した。

 「やっと来てくれたな、士元」

 龐統の来訪を待っていたのは、諸葛亮である。

 「孔明よ、荊州四郡を孫権から掠め取った手腕はさすがだったな。江陵で指をくわえてそれをみている周瑜が気の毒だったよ」

 龐統も、皮肉で諸葛亮に返答した。

 さっそく諸葛亮は、龐統を劉備に会わせることにした。

 人への好悪をおもてに出さない劉備だが、諸葛亮にくらべて著しく風貌が劣る龐統をみて、

 (これが臥龍と鳳雛と讃えられた、鳳雛か……)

 と感じた。風雅な諸葛亮を見慣れているせいもあろうが、

 (周瑜のもとで、なにをしてきたのかわからぬ)

 という不信感もあった。

 龐統はそんな劉備の内心を気づいているのかいないのか、飄々と孫権の提案を劉備に伝えた。

 「五斗米道の張魯が漢中に居座っており、曹操と連携して益州を奪おうとしています。

 周瑜はあわてて孫瑜と単独で益州と漢中を奪おうとしましたが、それはかれの能力からすれば画餅であると孫権と魯粛は考えました。

 周瑜はしまつしましたが、孫瑜はまだ本気で益州を攻める気になっています。

 孫権としましては、孫瑜のやる気を削いで、呉都に帰還させねばなりません。

 そこで、こういって孫権に書簡を出されませ」

 鳳凰の雛が、首を上げて天をみあげようとしている。


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