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亡蜀記  作者: コルシカ
4/22

荊州四郡

         四


 曹操にとっては赤壁の戦いは、惨敗であった。

 火炎につつまれたどれほどの船を失ったかは、はかりしれない。

 溺死あるいは焼死した兵もそれに比例して多く、その前に疫病にかかって死んだ兵も多かった。

 大軍に策なしというが、兵法に長じていた曹操がこのように大敗した例はなく、おそらく水軍の戦に長じていなかったことと、疫病の蔓延で戦術に精彩を欠いたのであろう。

 いずれにせよ、周瑜と黄蓋の策と勇気は抜群であり、その気魄がふだん吹かない東南の風を呼び、曹操軍の大船団を焼き払った。

 まさしく曹操の天下統一を阻んだのは、周瑜である。

 曹操と周瑜がいま気になっているのは、劉備の動向であった。

 敗走する曹操を護るのは、近衛隊長ともいえる虎豹騎の曹純である。

 曹純は逃走路を江陵に向かう華容道とし、江陵にいる兄の曹仁と合流しようとした。

 しかし、情報として劉備軍が長江沿いに北上していると偵探が伝えており、劉備が華容道に伏兵を置いていたら万事休すである。

 劉備は、なにをしていたのか。

 「曹操を、殺す必要はありません」

 諸葛亮がまず陣営で発言した。

 「そうだ。周瑜は主にこたびの戦を見ているだけでいい、と大言壮語したではないか」

 関羽が、見事な鬚をなでながらいった。

 諸葛亮はうなずきつつも、

 (関羽は、曹操に恩を返したがっている)

 と感じた。

 関羽は劉備が袁紹の陣営に逃亡していたとき、反対に曹操に降って厚遇され、官渡の戦いの前哨戦で袁紹の先鋒である顔良を殺害して功績を立てたこともある。

 趙雲だけが、不満げな視線を諸葛亮にむけている。

 諸葛亮はそれに答えるように、

 「曹操の憎しみを、孫権と周瑜のみにむけさせるのです。

 周瑜は、陸上では凡将です。曹仁のいい相手となるでしょう。

 曹操と孫権が争っているあいだに、曹操が去った後に残った荊州の空白地を占領します。ここで貴重な兵力を消耗する必要はないのです」

 「それは、名案だ」

 劉備も、おおきくうなずいた。

 曹操が死んでは、劉備の存在価値は大きく下がる。曹操とあくの強い孫権の両方に仕えたくない人材が、これから劉備のもとに殺到するだろう。

 「劉備は、まだ曹操を追っていないのか」

 周瑜は、馬上で鞭を振り上げて怒った。

 (なんの役にも立たぬ男よ)

 周瑜の目には、劉備がなにをするのにもにぶく、無能に見える。

 劉備の茫漠とした大きな器を恐れた程昱とは、人物鑑定に差があったということであろう。

 曹操軍はぬかるんだ華容道を補修しつつ、江陵にいる曹仁のいる城まで逃げ込むことができた。

 あまりの追撃路の状態の悪さに、周瑜も曹操を追撃するのをやめ、船に戻った。

 曹操は劉備が追撃しないのを見て、

 「劉備はわがともがらであるものの、計略の先を読んでいない。兵を先に回り込ませ、火を放てば、われらは全滅していたであろう」

 と曹仁にいった。曹操も諸葛亮の深慮遠謀に気づいてはいない。

 曹操は、曹仁を行征南将軍に任じた。

 周瑜との戦いのために、曹仁に重みをもたせておきたかったのであろう。

 なお襄陽には楽進、そのうしろの樊城には徐晃を守らせた。江陵を守る曹仁には、猛将の牛金と賢臣の陳矯を補佐させた。

 さて、孫権のもとに魯粛がもどってきた。

 第一報では三万の周瑜軍が、八十万を豪語してきた曹操軍を撃滅したのである。

 「古来の戦といえども、このような大勝はないであろう」

 孫権はこれまでになく、上機嫌である。

 そこに魯粛が戻ってきた。曹操に膝を屈せず、今日の栄光があるのは魯粛が必死に孫権の降伏を止めたからである。

 そのことをよく知っている孫権は魯粛に、

 「子敬よ、われがなんじを鞍をもって馬から降ろせば、なんじの功績を顕かにしたことになるだろうか」

 と訊いた。魯粛は喜ばず、

 「それごときでは、充分ではありません」

 といった。

 「陛下が四海を征服され、九州を統括なさり、帝位に就かれてこそ、はじめて私の功績を顕かになさったことになるのです」

 群臣からおどろきの声が上がった。

 魯粛は、赤壁の局地戦で勝利を得ることではなく、孫権が中華を統括し、帝位に就くことではじめて功績をあげることができるといったのである。

 「子敬よ。なんと剛毅な男であろうか」

 孫権は冷たい魯粛の手を撫でてやり、呵々大笑した。

 孫権は、これからの対曹操の戦略を整理した。孫権軍は曹操の水軍を撃破しただけであって、これから陸上の戦いになる。

 周瑜に江陵にいる曹仁を攻めさせることにした。

 周瑜ならば、江陵を奪い、その北に位置する襄陽と樊城を陥落させるに違いない。

 「江陵の城内には、劉備に仕えていた吏民が多いと聞くが……」

 劉備を使って、江陵城内に叛乱を起こすことができぬものか。

 「……だめだ」

 劉備が曹操に追われて南下したときは、おどろくほどの官民が劉備を慕って敗走する劉備についてきたと聞く。

 (結局は、あやつの利に働くだけで、主の益にはならぬ)

 周瑜は劉備のことを徹底して嫌いぬいている。

 やがて周瑜は江陵の南岸に船を近づけた。

 こんどは曹仁との陸戦である。

 (たかが曹仁ではないか)

 周瑜は、曹操の従弟にすぎないと曹仁のことをばかにしているが、曹仁は曹操のそばで騎兵と歩兵の動かし方を熟練させ、関羽に匹敵する陸将の能力を身につけている。

 周瑜はまず甘寧をつかって、夷陵を奪取することを考えた。

 夷陵を取れば曹仁の退路を断つ心理的圧迫にもなるし、荊州の南郡と西部を支配しやすくなる。後年益州を攻めるときは橋頭堡にな

るであろう。

 孤立していた夷陵は、甘寧の旗を見ただけで戦意を喪い、降伏した。

 しかしその程度で、江陵の守備を不安に思う曹仁ではない。荊州に入ってからの曹操は、その統治をきめこまやくし、それになついた夷陵の官民も、江陵の曹仁の城内に逃げ込んだ者も多かった。

 曹仁は夷陵を奪還しようとして兵を出したが、甘寧や呂蒙の活躍で、それはかなわなかった。

 「流れはわが軍にあるぞ。この勢いを江陵の曹仁にぶつけよ」

 上機嫌の周瑜は、三万の陸兵を迅速に出動させ、江陵の城下にせまった。

 曹仁は直接対決で、夷陵の借りを返そうと考えている。

 曹仁は属将の牛金に、たった三百の精鋭で周瑜の大軍に突入させた。周瑜軍が布陣する前に混乱させようとねらったのであろう。

 しかしさすがの牛金も徐々に大軍に包囲され、その所在さえ見えなくなった。

 「あれは曹仁ではないのか」

 周瑜は驚いて、鞭を前方に指した。

 数十騎を従えた曹仁が、牛金を救出にむかっている。

 「飛んで火に入る夏の虫、だ。曹仁と牛金の首をもってまいれ」

 周瑜はせせら笑ったが、大軍に吸い込まれた曹仁はたやすく捕斬できなかった。

 土煙と人馬の声で混沌とした戦場に、やがて曹仁が浮かび上がり、そのうしろには牛金が続いている。

 「なんということだ……」

 呉軍は怯えた。そうであろう。四百に満たぬ兵が数万の兵を押し返しているのである。

曹仁は牛金を救出しただけでなく、さらに引き返して、逃げ遅れた兵をも救出した。

 「またしても、曹仁がもどってきたぞ」

 曹仁を恐れた呉軍の先鋒は撤退をはじめた。

 曹仁の奇跡的な奮闘を知った曹操は、

 「これで江陵はしばらく安心だ」

 といったという。曹仁は加増されて、安平亭候に封じられた。

 (してやられたか……)

 周瑜は陸戦において、大軍に工夫をこらせなかった自分を悔いた。

 せっかく夷陵を占拠して上げた兵の士気も、いまや曹仁の方が高くなった。

 曹仁の狙いは、疲弊した曹操軍の立て直しの時間をかせぐことであり、あえて奇策をもちいたのであった。

 この策戦が成功したことによって、江陵の攻防は翌年の十二月まで、すなわち一年余続くことになる。

 周瑜が率いた呉の主力は、江陵攻めにおいて膠着状態を脱することができなくなった。

 さて、劉備はそのあいだなにをしていたのか。

 正史「三国志」の記述はないので、樊口から曹操軍を追ったのはまちがいないけれども、江陵まで追撃はせず、周瑜と曹仁の戦いを見守っていただけなのだろう。

 「周瑜をたすけておくべきかな」

 「一応形だけでもそうなさっておかれればいかがですか」

 諸葛亮は、すでに別のことを考え始めている。それに行動を移すのにも、周瑜への助力は必要であろう、ということだ。

 劉備が周瑜の本営にゆくと、さっそく周瑜に赤壁での大勝の祝賀を述べた。

 (祝賀をいえるのなら、われに手をついて謝れ)

 周瑜は、劉備に冷眼をむけた。

 そうではないか。敗走する曹操を緩慢に追撃したがゆえに、劉備は曹操をやすやすと逃がしてしまったのである。

 周瑜は怒りをおさえて、劉備とともに江陵を攻めることにした。

 翌日から劉備は営塁を築き、周瑜の軍と協力して曹仁と戦った。

 数日戦闘に参加してみた劉備だが、首をひねって営塁に帰ってきた。

 「いかがいたしましたか」

 諸葛亮が訊くと、

 「周瑜は、陸戦が下手なのではないか。

 あれだけの大軍を擁していながら、まったく大軍の利を活かせていない」

 と劉備は頭をかいた。

 「われと益徳の軍だけが、戦っているのみよ。あれでよく赤壁で曹操に勝てたものだ」

 陸戦に長じている関羽からしても、周瑜の兵の動かし方はまずくうつるらしい。

 劉備軍が加わっても、周瑜は積極的に劉備を活用しようとしないので、戦線はふたたび膠着した。

 (劉備に、江陵をとられてたまるか)

水軍ではあれほど自由自在に軍を動かせた周瑜は、完全に視野狭窄に陥っている。

「このような兵の進退では、百日経っても城は落ちぬぞ」

張飛が虎鬚をいからせて、不満をぶつけた。

「益徳よ」

張飛をなだめるのは、劉備の日常である。

「益徳どののいうとおりです。周瑜の陸戦は力押しにこだわり、百日どころか、二百日も江陵は落ちないでしょう」

「そうなのか……」

諸葛亮までも周瑜の戦術を批判してくるので、劉備ははたと困った顔をした。

「ここにいても無益です。江陵は落ちず、荊州の他の群守は戦況をみまもっています。

周瑜を見限りましょう。そこで周瑜にこうおいいなさい」

諸葛亮はかねてから実行に移したい策を劉備にさずけた。

翌日になって、劉備は周瑜の本営を訪ねた。

「私の兵を、周提督から分離させたいのですが……」

「なんですと」

周瑜は顔色を変えた。

「戦に飽きられたということではありますまいな。理由をうかがおう」

劉備はうなずいて、

「呉軍のために働くことに、変わりはありません。

江陵以外の広い荊州の群守たちを慰撫してまわり、こちらの味方になるよう説諭したいと考えております。

さいわいなことに私は劉荊州(劉表)のもとに長くお世話になっていたので、かれらと顔見知りです。

曹仁が江陵を退去するまでに、かれらが曹操に通じては、さらに平定のための年月が経過してしまいます。

いかがでしょうか」

とやわらかく説いた。

「そうですか……」

周瑜の険のある対応に、変化が生じた。

(たしかに荊州南部は、手つかずのまま放置してある……)

周瑜は劉備の提案に喚起され、熟考を重ねた。

荊州南部には、武陵郡、長沙郡、零陵郡、桂陽郡の四郡がある。

この四郡の太守は故劉表に任命されたのち、子の劉琮が曹操に降ったあとは、叛旗を翻さず曹操の支配に従っている。

北部江夏の太守は劉表の長男の劉琦で、劉備と同盟を結んでいる。

残りの南陽郡と南郡は曹操の支配下にあり、周瑜は南郡の郡府である江陵を攻撃中なのである。

(南部四郡を呉に帰順させるというのは、なかなかの妙計ではあるが……)

周瑜はちら、となにを考えているかわからない劉備を見直した。むろん周瑜の目には、劉備の背後にいる諸葛亮の姿は見えていない。

程普や呂蒙のような、外交に不慣れな呉の武将を派遣したところで、感情を逆なでされた南部四郡が曹操に従ってしまうと厄介である。そうなると、

(もと劉表の賓客だった劉備に任せてみるのも手か)

というところが最善手に思えてきた。

「わかりました。荊州南部の慰撫をおまかせしよう。すぐに出発されよ」

周瑜は、劉備に笑顔をみせた。

このことが、劉備に大いなる開運を、周瑜には百年の悔恨をあたえることになるのだが、そのことに両者はまだ気づいてはいなかった。

「目ざわりな者がいなくなって、曹仁との戦に集中できるわ」

周瑜は、傍らの呂蒙にそういったが、今や兵書を読み込んで軍略にあかるくなっている呂蒙は、

(そうかな……)

と心中で疑問を呈した。

(劉備が、南部四郡を横領してしまわなければいいが)

劉備には関羽と張飛という、兵一万に匹敵する猛将がいる。

(その場合、曹仁より厄介だな)

呂蒙は眉をひそめて、上機嫌な周瑜をじっとながめていた。

諸葛亮が考えているのは、荊州南部四郡を劉備が平定し、そこを本拠地に兵力を培養することである。

これまで何もかも棄てて人心だけを得てきた劉備だが、かれももう五十歳である。

このあたりで荊州南部に割拠し、益州を手に入れなければ劉備を天下の英雄にする計画は頓挫する。

(待ちに待ったが、ようやく機は熟した)

諸葛亮は、武陵郡にむかう道中で、顔を上げた。

江陵から南進した劉備軍は、武陵郡に近づいた。さすがに劉表の賓客だった劉備に好意的な地元民も多く、兵として合流してくる集団が増えてきた。

武陵郡の太守は金旋である。

劉備からの使者に金旋は、

「劉備が虎狼のような野心をもっていることは知っている。

このような小勢で、われに勝てると思うか」

と使者を追い返した。

戦場で相対した金旋だったが、劉備は趙雲を先鋒に出し、あっというまに金旋の軍勢を破った。

大敗した金旋は恐れおののき、城門を閉めたまま籠城してしまった。

「曹操からの援軍は、ここまで来ません。

城内へ矢文を飛ばし、いながらにして城門が開くのを待ちましょう」

諸葛亮は焦るふうもなく、夜中に包囲した四方の門に降伏勧告の矢文を射込んだ。

「荊州は北の曹操、東の孫権に従わず、故劉荊州(劉表)の遺志に沿って独立すべきであり、それができるのは劉備しかいない」

諸葛亮の降伏勧告は、荊州人の心をくすぐる文面であった。

やがて数日が経って、城内から門を開けるという矢文が届いた。

「これを信じてよいものかな……内応者の氏名もなければ使者をよこしてもいない」

逡巡する劉備に、諸葛亮は矢文を検分して、

「身分の低い者が急いで書いた文面でしょう。雲長どのと益徳どのを城内に侵入させれば、この城は落ちます」

と断言した。

劉備の心配には、古来の裏切りの戦術がある。敵兵を城内に入れてこれを殲滅するという計略である。しかし、

「そうだな。雲長と益徳が城内に入れば問題ないか……」

と劉備は心配を振り払った。関羽と張飛は一騎当千の猛将である。

趙雲には念のため、反対側の門を攻撃させることにした。

日没後、劉備は攻撃をはじめたが、門は開かず、城から激越な反撃がかえってきた。

関羽と張飛の攻めた門に、分厚く兵を置き、反対側の趙雲の攻める門には兵をあまりおいていない、と趙雲は即座に気づいた。

「内応者の本意は、こちらの門ぞ。

ここを攻めに攻めれば、門が開く」

趙雲はもはや壮年の将ではあるが、戦場での勇気は関羽や張飛に匹敵している。

城内の兵は、関羽と張飛を退けた、と安心していたところに趙雲の猛攻を食らったので、士気がついにくじけた。

趙雲は身軽にするすると城壁にかけた縄梯子を登ると、

「われが常山の子龍だ。相手はいるか」

と大音声を轟かせた。

「常山の子龍……あれが曹操軍一万人相手に劉備の子を守り切った趙雲か」

「これはかなわぬ。逃げよ」

趙雲の絶倫の勇気に、ついに反対側の城門が開いた。

趙雲の兵たちは、城外から門内に流れ込んだ。と同時に正面の城門も開き、関羽と張飛も城内に突入した。

太守の金旋は、城内の混戦の中で戦死した。

劉備と諸葛亮は、夜明けを待って武陵城に入城した。

さっそく劉備は城内にいる官民の長をあつめて、説諭をおこなった。

「私はまだ二千の兵しかもたず、孫権にやむをえず従っているが、荊州四郡を平定し、江夏太守(劉琦)と連携すれば、曹操と孫権の支配を受けない土地をつくるつもりです。

しかし皆が曹操に従いたい、というのであれば武陵から去ろうと思うが、いかがかな」

ざわざわと官民の長が話し合いをし、長老が代弁した。

「劉荊州さま(劉表)がお亡くなりになるとき、豫州さま(劉備)に後事を託された、と仄聞しております。

われらは、曹操や孫権の支配を受けることを好みません。

このまま武陵郡にとどまっていただけませんか」

「よくわかりました。かたじけない」

劉備は、長老に頭をさげた。

荊州は長年独立国の形態をとっていたので、いまだに劉表が治めていた頃の平和をわすれていない。

曹操と孫権の係争地になるよりは、劉表が後事を託した劉備を慕って独立不羈の旗印を明確にしたいのである。

「郡府に長がいなくなったので、しばらく関雲長を代理とし、政務を代行します」

関羽は徐州時代でも、劉備の代官を務めた経験があり、行政をやらせてもまずくない。

「ところで……」

そっと劉備に近寄った趙雲は、

「城門を開けて内通した者を登用してください。なかなかの智者であると拝察しました」

と提言した。

「そうか。子龍も、内通者の智のきらめきを見落とさなかったか。

孔明がすでに登用しているので、会っていきなさい」

その内通者は廖立、字を公淵という。

「廖公淵と申します。子龍さまの勇名はかねてよりうかがっておりました」

「趙子龍です。あなたは金旋に密告して、正面の門に兵を偏らせ、裏門の守備を薄くして攻略しやすくした。

孔明軍師が登用しなかったら、私が配下にもらいうけようと思っていました」

そういって、趙雲は微笑した。

廖立は劉備が荊州牧となると、長沙郡の太守になり、辣腕をふるった。

「龐統と廖立は、楚の逸材です」

のちに諸葛亮は、廖立を讃えることになる。

その諸葛亮は、荊州四郡を必ず劉備の領土にしたいと考えている。

これまで劉備は、得たものをすべて棄ててきたがゆえに、その対極にいる曹操にはない人気を得てきたといえる。

しかしその劉備も、五十歳である。

(この荊州は棄てられない……)

得た領土を保持していかなければ、いつまでも反曹操の思想的勢力としてしかみなされず、対抗する兵力を維持できない。

「つぎは長沙かな」

諸葛亮は、なるべく武力をつかわず、荊州の官民を劉備に従わせたいと思っている。

そこで外交に才をもつ孫乾と簡雍を派遣して、のこり三郡を接収したいと考えた。

武陵では金旋を殺害してしまったので、その血なまぐささを消して、やわらかく太守を説くことができるのは、この二人である。

長沙郡に派遣されたのは、簡雍、字を憲和である。

簡雍は、なんと劉備とおなじ涿県の出身で幼なじみである。年長の劉備がもつ資質に共感し、挙兵から今までずっと付き従ってきた。

(玄徳は、えらそうでないのがよい)

簡雍は、そこが気に入っている。

もともと関羽や張飛のような武人ではなく、機転の利いた弁舌の徒である。

ふだんから劉備の話相手になり、今の劉備像をつくりあげたのは、簡雍なのかもしれない。ふだんは使者としておおいに相手の心象をやわらげた。

長沙の郡府は、臨湘という土地である。太守は韓玄という。そこに簡雍は、従者を連れただけで面会を求めた。

「劉備の使者が、ひとりで来たというのか……」

曹操に付くかどうするか態度を決めかねていた韓玄は、動転した。

(まさか、恫喝にきたのではなかろうな)

劉備が武陵郡の金旋を鎧袖一触で討ち平らげたことは、長沙でもうわさになっている。

「漢升をよんでくれ」

韓玄が相談相手にえらんだ漢升は字で、名を黄忠という。

劉表が荊州を統治していた時代から中郎将に任命されている、猛将である。

黄忠は劉備より十歳年長であるから、老将といっていい。曹操が劉琮を降伏させたとき、主戦論を唱えたので、長沙に左遷されていた。

赤壁の戦いで曹操が北に去ったのちは、長沙郡の軍隊は黄忠が統括している。

「劉備の使者が来ている。会ってよいものかな」

韓玄は思案し尽くした表情で、黄忠をみた。

「お会いになるべきです」

黄忠は即答した。

「劉備と戦うにせよ、和するにせよ、故劉荊州(劉表)に後事を託された劉備の意見を聞くことは礼にかなっております」

「そうか……そうだな」

亡くなった劉表の名を出されると、韓玄も弱い。一も二もなく、簡雍を城内の応接室に招き入れた。

やがて簡雍が、招き入れられた。

簡雍は、劉備にも幼なじみのよしみか頭を下げたことがない。それは韓玄と黄忠にもおなじではあったが、世俗から離脱したような無欲さが、ふしぎと傲慢さを感じさせなかった。

「ちかごろの荊州では……」

簡雍は、話術の天才である。世間話から諷刺、古典の引用など韓玄を飽きさせない。

黄忠は微笑みながら、ふたりの会話をただ聞いていた。

「簡憲和どのは、劉豫州のご使者とうけたまわっておりましたが、われらのことはお話になられないのかな」

つい気安さで、韓玄が簡雍に訊いた。

「はは、私は玄徳になにかをいいつけられたわけではありません。ただ、『韓太守さまはどのようなお方か会ってきてくれないか』とたのまれて、お目にかかりに来ただけなのです。

玄徳ははやくても長沙に近づくのは数週間後です。擁する兵も、増えたとはいえ決して多くはありませんぞ。

ごゆるりと、お考えにならればいいのですよ」

(曹操や孫権の使者に、このような人物はいない……)

黄忠は心中驚愕しながら、簡雍をながめた。

卑屈でもなく恫喝もない、まるで暖かな羽毛にくるまれたような会見であった。

「簡雍という使者は、いったいなんのために長沙までひとりで来たのか……」

韓玄は、笑顔が退かないまま黄忠にいった。

「お聞きになったとおりです。太守にお会いするためだけに来たのでしょう」

「そうか……われと雑談をして笑って帰るだけの使者なら、失格であろうに」

「そうお思いですか」

黄忠は、真剣に韓玄の目を見ていった。

「いや、そうではないな」

韓玄は、ため息をついた。

「あのような人物は、わが郡にはおらぬ。

劉備の麾下には、関羽や張飛といった武の者から、諸葛亮といった知嚢、さきほどの簡雍のような弁舌の徒までそろっている。

われに漢升がいようとも、とても対抗しえるものではない」

黄忠が、韓玄に提言した。

「そうお考えでしたら、いさぎよく劉備をお迎えになった方がいいでしょう。

北部の江陵でさえ丞相(曹操)からの援軍がとどいていないようすです。たとえ劉備を撃退したとしても、遠くないうちに孫権の大軍がきます。

われらの首が呉に送られる前に、身の保全をかんがえた方が賢明です」

曹操にひきつづき仕えたいと考えている韓玄は、長沙城を劉備に明け渡して、北の曹操領に帰還する選択をした。

初夏になって劉備が長沙に近づいたときに、韓玄は城門を開き劉備を出迎えた。

「ご英断です。長沙は亡き劉荊州(劉表)のお志を継ぎ、安撫いたします」

劉備はおだやかに、韓玄の手をとっていった。劉備に簡雍の面影をみたおもいがした韓玄は従順に印綬を渡し、北に還っていった。

「おひさしぶりです。劉豫州」

黄忠が入れ替わりに、劉備へ面会に訪れた。

「おお漢升どのか」

劉備は、懐かしさに声をあげた。黄忠は劉表の生前には荊州の中央におり、劉備と顔なじみであった。

「まさか、長沙におられたとは……こたびの長沙郡譲渡には、陰助くださったのですか」

黄忠は、微笑んでうなずいた。

「私は、呉の孫権を好きません。荊州を治めるのは劉豫州以外にはおられぬ」

「そうか……では、わが陣営で漢升どののお力を天下のために尽くしてくださらぬか」

「私が……」

黄忠は六十になろうかという年齢で、戦場を自在に駆け回る自分を想像した。

同僚には豪勇をもって知られる関羽と張飛、趙雲らがおり、それをささえる軍師の諸葛亮、なにより茫洋とした魅力をもつ劉備が主君である。

「微力ですが……」

黄忠は笑顔をみせていった。

ここにまたひとり、天下の豪傑が劉備に従った。さきほどの廖立といい、どこに出しても恥ずかしくない逸材が、劉備の魅力に導かれてきている。

劉備が長沙の郡府である臨湘をおさえたことで、多くの人々が祝賀に訪れた。

その中に羅候(劉表の従子の劉磐)の子である劉封という若者がいた。

「羅候の兵を引き連れてまいりました。私を劉豫州の陣営にお加えください」

黄忠に評判を訊いてみると、容姿にすぐれているだけでなく、武勇もなかなかのものであるという。

「わかった。われの養子になり、側に仕えよ」

劉表に縁のある若者を養子にすることは、荊州の官民を慕わせることができるうえ、まだ三歳にすぎない劉禅の補佐にもなる。

劉備軍の陣容は、兵と人材がいよいよ厚くなってきた。

「このまま、桂陽を慰撫しよう」

劉備は存外若々しい声で、いった。

武陵を治めている関羽からは、曹仁と周瑜の戦いがまだ膠着状態で、まったく決着をつける目途もたたないといってきている。

まさに曹仁と周瑜は、劉備が荊州南部を得るためだけに戦ってくれているのである。

「予想どおりですね」

諸葛亮も、充実感をもっている。この渾身の策が劉備を天下に雄飛させる基盤となるであろう。

晩夏に南隣する桂陽太守の趙範は、劉備軍の盛名を聞いただけで降伏した。

零陵郡の劉度を従わせるのは、時間の問題と思われた。

長沙、桂陽、零陵を統括するものとして、劉備は諸葛亮を任命した。

さて、ここに零陵郡出身の人物がいる。

名を劉巴、字を子初という。

曹操に仕えていて、劉備のうごきには危機感をもっていた。ゆえに曹操に、

「なんじは零陵の出身ゆえ、荊州南部を説いて劉備に降らぬようにせよ」

と命じられたときは熅度の表情で、

「劉備はすでに武陵と長沙、桂陽を自領としてしまいました。それではおそすぎます」

と抗議した。

曹操軍は赤壁で大敗したおり、軍が機能不全に陥った。

兵が激減したがゆえに、曹仁のいる江陵に援軍も送れない。軍の再編のために、荊州南部の軍事に手がまわらなかったのである。

「子初よ、なんじが劉備にとらえられそうになれば、われは六軍を率いてなんじを追う。

心配はするな」

六軍とは天子の軍のことである。

そこまで丞相である曹操にいわれれば、劉巴も零陵に向かわざるをえない。

(六軍など、修辞であろうな……)

劉巴は、じぶんが曹操に見棄てられたような気がしてみじめであった。

「だが、やってみるか」

劉備に信義も能力もないと見切って、曹操に仕えた劉巴である。まだ諸事ぬかりがあったかつての劉備であれば、つけこめる隙があるかもしれない。

しかし、である。

劉備は劉巴が零陵に到着する前に、郡府の泉陵に入っていた。郡内の諸県も、次々と劉備に気脈をつうじているという。

(あの劉備が、この劉備か)

劉巴は、まさかの事態に愕然とした。

江陵を周瑜に攻めさせておいて、その隙に荊州の南部四郡を略奪するなどという狡猾な策を、劉備がたてられるはずがない。

劉巴は、生まれ故郷の烝陽県に入った。

「どうか、劉備に従わないでいただきたい。

劉備に従うということは、朝廷の賊になるということです。まだ劉備に従っていない諸県で結束し、正義を示してください」

劉巴は、そのように熱心に説いた。

そのとき臨烝県にいた諸葛亮は、孫乾から徐庶よりあずかった密書を読んでいた。

「なるほど……そういうわけか」

諸葛亮は合点がいったようすで、笑顔をみせた。

「元直(徐庶)からは、何が書かれていたのです」

孫乾が尋ねると、諸葛亮は密書を孫乾に渡した。

「劉巴が……」

「そのようですね。どうりで風がなびくように諸県が従わないわけがわかりました」

劉巴は、世間に智者として知られた名士である。その劉巴が、劉備の四郡平定を妨害していることが明らかになった。

「ほしい……」

「は、零陵郡がですか」

孫乾がいぶかしげに、諸葛亮に訊いた。

「はは、零陵もそうですが、劉巴をわが陣営に加えたい。

かれの度量は一郡の旗幟をあきらかにさせるために使用するものではなく、天下の事業に使ってこそ意義がある」

そういった諸葛亮は、五十人からする騎兵を隠密で組織し、劉巴を捕らえようとした。

「諸葛亮……きいたことがない名ですな」

一方の劉巴は、烝陽県令に劉備の策をたてている軍師の名をはじめて知った。

「そうか……劉備は、諸葛亮という頭脳にかつぎあげられた神輿なのだな」

劉巴はその諸葛亮にじぶんが追われているという事態の深刻さには、まだ気づいていない。


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