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亡蜀記  作者: コルシカ
33/33

星墜五丈原


        三十三


渭水は、すでに初秋である。

蜀軍と魏軍の対陣は、ずいぶん長期間になってしまった。

五丈原に本営を据えている諸葛亮は、

「今回は冬になっても、撤退はせぬぞ」

と決意している。

はるか西に屯田兵を配置して秋の収穫をそのまま軍に送らせるよう輸送路をつくり、木牛と流馬で運用するからである。

(司馬懿がしびれをきらせて、こちらにしかけてくれば……)

一日で勝負はつく。魏延がこころを入れかえた蜀軍は、魏軍を粉砕するであろう。

しかし、司馬懿は甲羅にとじこもった亀のように冒険をせず、陣から出ない。

ふつう両陣営がなにもせず、長期間滞陣していると天子や王から、

「情報をくわしく送れ。はやく敵を壊滅させよ」

と督促が来るものである。諸葛亮は蜀における独裁を敷いているので、皇帝の劉禅から叱責されることはない。

(司馬懿は、曹叡から何もいわれないのかな……)

諸葛亮は、敵ながら司馬懿の心配をしてみた。魏軍に内偵がいないわけではない。

「司馬懿はわが軍に戦いを挑みたいと上表したそうですが、曹叡は却下したそうです」

それを聞いた諸葛亮は、驚愕したといっていい。

(戦地の将軍が戦いたいといっているのに、曹叡は戦うな、といっているのか……)

おそるべき皇帝である。

曹叡の存在は、蜀にとって大きな障害になっている。

「ならば司馬懿を挑発して、わが軍と戦わせるとよろしいのでは」

護軍の姜維が、諸葛亮に提案した。その内容を聞いた諸葛亮は笑って、

「それはいい。さっそく使者を司馬懿の陣営に送ろう」

といった。大きな箱をあずけられた使者に、

「これを魏の大将軍(司馬懿)に、おわたししてくるように」

と送り出した。

戦地で敵将同士が使者の往還をすることは、とくにめずらしいことではない。

「諸葛亮からの使者……」

さっそく本営に使者を通した司馬懿は、大きな箱を贈られたことに不審をおぼえた。

箱の中身は、巾幗つまり婦人の髪飾りであった。

「……」

司馬懿は、顔面蒼白になった。いつまでも営塁にとじこもっている司馬懿に、

「女でなかったら、出てきて戦え」

と侮辱されたのである。

(婦人のようにかっとなって飛び出していく方が、男子らしくないわ)

そうじぶんを諧謔した司馬懿ではあるが、本営の将軍たちが怒ってさわぎだしたので、

「さっそく陛下へ上表する。私は臆病者と諸葛亮に誹られ、このまま営塁にこもっているだけでは将帥としての威厳は地に墜ち、兵たちの士気もあがらぬであろうと」

と一応の怒りを演出した。むろん曹叡が司馬懿に専守防衛を徹底せよとなだめるのを、予想しての上表である。

それから数日後、軍師の辛毗が到着した。

司馬懿は辛毗のもつ節に敬礼し、

「われの書いた上表を、陛下はご覧になられましたか」

と訊いた。辛毗は威厳をもって、

「陛下は合肥へ親征中である。いずれ寿春ででも上表を読まれるであろう」

といった。

「それでは、遅すぎます。軍師(辛毗)のお許しがあれば、蜀軍を攻めることができます。将兵ははやく戦いたがっているので、どうか戦うことをお許しください」

「そうかな……」

辛毗は司馬懿に目をむけて、

「大将軍(司馬懿)は、諸葛亮と戦う気はないと見える。われも、陛下から営塁を堅守して諸葛亮と戦うな、と命じられて派遣された」

司馬懿は、辛毗の洞察力におどろいた。

「ならば……」

「うむ。陛下の命により蜀軍と戦うことまかりならぬ、と伝えよ。これでよいな」

魏軍は、兵糧を充分に蓄えている。蜀軍においこまれているわけでもない。

司馬懿は内心感謝して、辛毗に拝礼した。

蜀軍にも軍師の辛毗が、節をもって魏本営に到着したことが知られた。

姜維はそれを聞いて、

「辛毗が曹叡の節をもっているということは、もうあの策にのって司馬懿が出撃することはありませんね」

と落胆した声で諸葛亮にいった。

「そうだな。もともと司馬懿には戦う気がなかった……配下に怒ったふりをしただけだ。

将が軍にあれば、君命をも受けず、という。

司馬懿に勝算があれば、わざわざ合肥にいる曹叡に上表など必要なかろうよ。だが……」

諸葛亮は羽扇で暑気を払いながら、

「わが軍の士気も気になる。明日兵を出撃させるぞ」

といった。

翌朝、蜀軍の戦法は出撃して武江水を越え、東進するうごきをみせた。

これを見た魏軍の陣はざわめき、

「敵は、わが軍の退路を断つつもりだ」

と諸将は司馬懿に出撃をもとめて殺到した。

(たしかに、諸葛亮らしくなく焦りだけの出撃のようだ)

司馬懿は、魏軍を出撃させようとした。

そこに立ちはだかったのが、辛毗である。

辛毗は節をかかげて、諸将を一にらみすると、

「天子のご詔勅では、営塁を堅守して出撃してはならぬとなっている。

あくまで営塁で蜀軍を迎撃するのだ」

と張りのある声でいった。諸将は、後ずさりして司馬懿の顔を見た。

「軍師(辛毗)、敵はわが軍の退路を断とうとしています。ここに勝機があるのです。道をあけてくださいませんか」

司馬懿の懇願に、辛毗は横を向き、

「勝機は、いまではない」

と相手にしなかった。

「軍師どのからすれば、いつが勝機になるというのですか」

司馬懿が食い下がると、

「大将軍よ。われは袁紹に仕えて太祖(曹操)との間を使者として往還したこともある。

のちに太祖はわれをおとりあげになったが、勝機を知らぬものを、軍神である太祖が用いようか。

諸将につられて大将軍も出撃を要請したが、その腰は重くみえた。まことの勝機は敵軍が冬の木立のように立ち枯れるときであり、まだ敵軍は夏の繁りにある。

それを承知しているから、大将軍が軍門に到着するのが遅れたのではなかったか」

と諭した。

図星である。

諸葛亮も司馬懿も、自軍の気をひきしめるために、あの手この手をつかっているにすぎない。

辛毗の節が効果を発揮したかたちで、魏兵は営塁から出なかった。

蜀軍も攻撃するかたちだけをみせて、あっさりと引き上げていった。

かねてから食欲のなさをかんじていた諸葛亮が、さらに痩せてきたのはこの頃である。

「丞相は、これだけしか食事をめしあがっておられないのか」

たまたま諸葛亮の食事をはこんでいる給仕の兵に出くわした費禕は、おどろいた。

「はい。この頃は夜半にすこし粥をめしあがるだけで、数刻しか眠っておられないようです」

「……」

まさか、諸葛亮は重い病にかかっているのか。費禕は、いやな予感をひきずったまま浅い眠りについた。

おなじ頃、蜀の本営から数里ほど先に陣をかまえている魏延は、ふしぎな夢を見た。

頭に、角が生える夢である。

「薄気味のわるい夢よな……」

縁起はかつがない性質の魏延だが、この夢のことはなぜか心にひっかかっていた。

そこで占いに長けた趙直を呼んで、夢の意味を占ってみせた。軍中には占いにくわしい者を何人か引き連れており、趙直は夢占いに評判が高い。

「と、このような夢を見たのだが、どのようなことを預言しているのかね」

趙直は無表情であったが、やがて笑顔を見せてこういった。

「吉夢です。麒麟は頭に角をもっておりますが、これをつかうことがありません。

すなわち、賊がおのずと滅亡することを暗示した夢です」

「なるほど、そうであったか。われが武器をつかって敵を攻撃せずとも、敵が自滅してくれるならば、吉夢にちがいない」

魏延は趙直に褒美をもたせて、不安を払拭した。

退出した趙直の貌が、にわかにくもった。

何かを考え込むように兵営にもどったが、そこにいた何人かの易者に不穏なようすを見られて、声をかけられた。

「魏将軍に、なにかあったのか」

趙直は青ざめた貌を上げ、かれらにむけると、

「これから何か不吉なことがおきる。頭に角が生える夢は、大凶だ。

角という文字は、刀の下に用いると書く。頭上に刀を用いるとは、魏延が殺されることを暗示している……」

と答えた。易者たちも眉をひそめて、顔を見合わせるしかなかった。

一方、諸葛亮の食はますます細くなるばかりであった。

それでも諸葛亮は丞相としての職務をなおざりにしなかった。

しばしば諸葛亮は、司馬懿の陣に使者を送った。まったくうごこうとしない敵の情勢を識るためである。

司馬懿もいまや、諸葛亮のことを憎く思っていない。じぶんがかなわない好敵手である。

そこで、使者にこう尋ねた。

「どうかな。丞相どのは、よく食べ、眠っておられるか。一日の政務はどれほどこなしておられるのかな」

諸葛亮は、蜀の使者は誠実な者を選んで送っている。正直に諸葛亮の激務と身体の変調を司馬懿に告げた。

「丞相は夜明け前に起床して、夜更けに就寝なさっています。

鞭打ち二十以上の罰は、ごじぶんで決裁なさいます。お摂りになる食事は、数升にも至りません」

三国時代の一升は〇・二リットルで、日本の一升が一・八リットルであることと比較すれば、かなり少ないことがわかる。

「ほう、それはそれは……」

司馬懿は使者をねぎらって送り出した後、

「おそらく諸葛亮は、臓腑に病を抱えている。まもなくかれは死ぬであろう」

と近臣や諸将にいった。

魏の陣営にも、蜀の間者はいる。

司馬懿の予測を聞いた諸葛亮は皮肉な笑みをうかべて、

「きやつめ、われの命をはかったか」

と苦しそうにいった。

司馬懿の推測を裏付けるようにして、まもなく諸葛亮は病臥するようになった。

食事は粥をすするのみになり、日がなうつらうつら眠るようになった。

蜀の本営は、憂色に満ちた。

「軍医どのは、なんといっている」

長史の楊儀が声をひそめて、司馬の費禕に訊いた。

「胃に腫瘍ができているようだ。不治の病であるらしい」

「そのようなことが、あってたまるか」

護軍の若い姜維は、思わず大きな声を出した。かれは諸葛亮の弟子であり、むろん信奉者でもある。

「伯約よ」

おなじく諸葛亮の信奉者である楊儀は、姜維をたしなめて、

「このような事態になっては、丞相はいつ亡くなられるかわからぬ。

一刻もはやく成都の陛下(劉禅)にお報せせねばなるまい」

といった。費禕も目でうなずいた。

急使が成都にむけて発せられ、劉禅はまもなく諸葛亮の重態を知った。

「丞相が、まもなく死ぬそうだ」

劉禅は書簡をかたわらにいる蔣琬に手渡して、いった。

「そ、それはまことですか」

驚いたのは、蔣琬の方である。劉禅は沈鬱な貌をしているが、動揺は見られない。

劉禅は、すでに二十八歳である。

諸葛亮に粛正されてきた配下を何人も見てきたし、じしんも諸葛亮の政策に反抗すれば追放されることを知っている。

臣民にむごい扱いを決してしない諸葛亮も、じしんの魏、いや曹家への復讐のためならば鬼になることも知悉している。

その諸葛亮が、死ぬ。

蜀王朝はたしかに劉禅のいる成都にあるが、政治の中心は、つねに諸葛亮のいる丞相府という幕府にある。

幕府とは諸葛亮が遠征している先や、漢中に場所を変えるが、政治の全権を握っているのが諸葛亮にあるのはちがいない。

「ようやく、解放されるかな……」

劉禅のつぶやきに蔣琬は、

「なにをでございますか」

とは訊かなかった。

諸葛亮の怨念ともいえる北伐から、臣民が解放されることを蔣琬は知っているからである。

「朕は、丞相が無理に無理を重ねて、からだを病に蝕ませることを知っていながら、北伐をやめよ、といわなかった。

忠臣にとって悪い皇帝であると思うかな」

劉禅はためいきをついて、蔣琬に訊いた。

蔣琬はおもわず涙を流し、

「いいえ……丞相もそのことはご存じだったと思われます」

と面を伏せた。

「ともあれ……丞相の息がかかった者は成都にも多い。後事を託す人物を幕府に訊きに遣らせよう」

「尚書僕射(李福)を遣らせましょう。しかしその際、後継者については丞相の口から出ないうちは問わせぬ方がよろしいかと」

 蔣琬は慎重に慎重を重ねて、諸葛亮との最期の折衝を行なう手はずを整えた。

 使者に選ばれた李福は、あざなを孫徳という。

 梓潼郡出身の、益州人である。才知をきらびやかにみせる人ではないが、諸事に疎漏がなく使者にはうってつけの人事であった。

 「丞相は病篤く、朕みずから戦場にゆくことはできぬ。よって、なんじが丞相を見舞ってくれ」

 劉禅じきじきに命を受けた李福は、

 「かしこまりました」

 と慇懃に礼をし、退出した。

 諸葛亮のことを思うと、李福ははらただしさが増してきた。

 (丞相が不治の病になるまで、側近はだれも気づかなかったのか)

 なにしろ、諸葛亮はまだ五十四歳である。

 これから二十年も、いや三十年も蜀の国を差配してもらわねばならぬのに、いま諸葛亮が亡くなってしまうと、

 (この国は、どうなる)

 と戸惑わずにはいられない。

 「とにかく、急がねば……」

 近侍の者にそういって、ことばを切った。

 諸葛亮の命があるうちに、面会しなければならない。

 五丈原に急行した李福は、まだ存命の諸葛亮に会うことができた。

 李福は皇帝劉禅の使者なので、諸葛亮は病牀から立ち上がって拝礼した。

 「陛下はご心痛で、丞相の快復を祈るとおっしゃいました。

 今から撤兵して成都にご帰還され、療養することはできませんか」

 諸葛亮は重病であるということだが、意識がないわけではない。

 「このたびの戦いには、国家の命運がかかっております。兵を徹する理由はありません。

 どうか、陛下にはそのように言上くださいますよう……」

 李福は二、三日諸葛亮と面会して会話したが、極度に衰弱したようすはなかった。

 (丞相の後継者に関する話題を出すな、と長史(蔣琬)は念を押していたが)

 「丞相のご快復を、心より祈念しております」

 こういいのこして五丈原の本営を後にした李福に、仲秋の風がなでていった。

 二日の行程をこなした後、李福は諸葛亮の近侍がかもし出す悲痛な表情を思い出していた。

 (やはり後継者のことは、われが訊き忘れていたことにして引き返そう)

 李福はそう決意して、きびすを返した。

 「五丈原の本営にもどる」

 従者はおどろいたが、李福にしたがった。

 突然帰ったばかりの李福が五丈原に戻ってきたことを、諸葛亮は予測していたかのように牀の上に腰かけていた。

 「私は、君が還ってくるだろうと思っており、ゆえにこうして待っていた。

 君との会談で、ようやく思いがまとまったので伝えておこう。

 私の後継者は、公琰(蔣琬)がもっともふさわしい」

 (やはり、そうであったか……)

 李福が、諸葛亮から後継者の名を聞いたのは初めてであったが、予想どおりであった。

 諸葛亮の気が変わらないうちに、蔣琬の次の後継者を訊いておこうと思った。

 「公琰どのの次は……」

 「文偉(費禕)がよいだろう」

 費禕は司馬として、五丈原の本営にいる。

 「文偉どのの後は、どういたしましょう」

 李福は、なにかに取り憑かれたように諸葛亮に後継者の名を問いつづけた。

 「……」

 しかし、諸葛亮はこれ以上なにも語らなかった。

 (そういうことか……)

 宰相の器として蔣琬と費禕以外に、蜀には人材はいない。

 諸葛亮は、無言でそれを伝えたかったのである。

 成都に帰着した李福は、諸葛亮からの上表文を劉禅に手渡した。

 「成都には桑八百株とやせた田が十五頃あります。私の子弟の衣食としてはこれでもじゅうぶんに余るくらいです。

 私が遠征に出るときは、特別な支度は必要とせず、衣食はすべて官給されておりました。

 それゆえ私が死んでも、家に余分な帛はなく、外に余った財はありません。

 陛下には私の子弟も、けっしてそむくことはいたしません」

 それだけ、諸葛亮は質素倹約に生きていた。

 劉禅は目に涙をためて、

 「古今の名宰相とは、丞相のことをいう」

 とかたわらの蔣琬にいった。

 うなずいた蔣琬も、泣いていた。

 その諸葛亮に、後継者とみとめられた重圧はある。しかし、諸葛亮と同時代を生きた蔣琬はそのことが誇りであった。

 (陛下は、存外落ちついておられるな)

 上表文を読み返している劉禅を見た蔣琬は、意外な思いであった。

 政治と外交(戦争を含む)を専断してきた諸葛亮の死後に、劉禅は不安をもっていないかのようである。

 「なあ、公琰(蔣琬)」

 ひどく気軽に、劉禅は蔣琬に話かけた。

 「なんでございましょう」

 「丞相が亡くなると、大規模な北伐は行なわなくてすむ。民には、長年過重を強いてきたが、それをせずにすむので心安らかである」

 (このお方は……)

 驚いた蔣琬には、ことばどおり安らかな劉禅の貌があった。

 「丞相は信念の鬼であった……それを私心であると朕は責めはせぬ。

 しかしそもそも中華を大乱せしめたのは、後漢の皇帝と宦官、外戚らであった。そこに、丞相が守ろうとする正義はなかった。

 朕が存命のうちに魏と和睦し、曹氏と劉氏が手を携えて民のために平和を享受させねばならぬ。

 朕は、悪い皇帝かな」

 劉禅は、上表文に目を落したまま蔣琬にいった。

 「とんでもございません。陛下は昭烈皇帝(劉備)におとらぬ名君でらっしゃいます」

 蔣琬の涙声に、

 「はは、世辞はよい。いまは丞相を見送り、戦地の将兵をぶじに蜀へ還してやりたい。

 そのために力を尽くそうぞ」

 と劉禅は蔣琬の肩に手をおいた。

 諸葛亮は、そのころ五丈原の本営で重態におちいっていた。

 (もう、われは起き上がれぬな……)

 諸葛亮の脳裏に走馬灯がよみがえった。

 (思えば、数奇な人生であった)

 荊州の隆中で書生をしていたころ、劉備が草庵を訪ねてきて、諸葛亮の運命は回転した。

 (あのまま、隆中で書生のまま生きていれば……)

 人馬による塵汚が積もる戦場に、立つこともなかったであろう。

 しかし。

 (われは、復讐の鬼になった。それが寿命をちぢめることになったが)

 子どもの頃住んでいた徐州で、曹操による住民の大虐殺を見るにおよび、

 (曹操に、中華の覇をとなえさせてはならぬ)

 という憎しみがつよくなった。

 劉備を皇帝にのぼらせ、その死後は蜀の国の丞相となって正義の具現者たろうとし、曹操の建てた魏になんども挑戦した。

 (だが、それももういい……)

 枕頭にある蜀の丞相の印綬は、諸葛亮の生きてきたかたちそのものであった。

 「長史(楊儀)と司馬(費禕)、そして護軍(姜維)をここに呼んでくれ」

 三人が、沈痛な面持ちで参上した。みなここに呼ばれた意味はわかっている。

 人払いさせた諸葛亮は、

 「われが死ねば、戦いつづけることはない。

 漢中に撤退せよ。

 魏軍はかならず追撃してくるであろうから、魏延に後拒をまかせて撃退するのだ。

 護軍(姜維)は魏延をたすけて、全軍を撤退させよ」

 と窶れた声でいった。

 「かならず、そのように」

 姜維は、昏睡にちかい諸葛亮に聞こえるようにはっきりした声でいった。

 長史の楊儀は、魏延のことを嫌い抜いており、撤退にしたがわないと思っていたので、

 「おことばですが、魏延は撤退に反対するでしょう。そのときはいかがなさいますか」

 といまいましげにいった。

 諸葛亮は、その答えも用意していた。

 「……いざというときは魏延を斬れ。万をもってかぞえる将兵たちのためだ」

 この声が、諸葛亮の最期の声となった。

 その夜、赤い尾をひく星が、東北から西南に流れて、諸葛亮の本営に落ちた。

 こうして諸葛亮は、薨じた。

 享年は五十四である。

 建興十二(二三四)年八月のうちに亡くなったのはまちがいないが、いつの日に亡くなったかは「諸葛亮伝」にも記されていない。

 おそらく諸葛亮の死後、十万もの蜀軍を撤退させなければならない楊儀、費禕、姜維の三人が、諸葛亮の死をしばらく秘匿したのはまちがいないので、それが不明となったと思われる。

 諸葛亮の死を知っている者は、この三人以外この時点ではだれもいない。

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