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亡蜀記  作者: コルシカ
29/31

曹真と雨


        二十九


曹真は主力を率いて長安を出発し、子午道を南下した。

子午道は益州に侵入する道としては、もっとも東にあり、かつて蜀軍が最初の北伐をおこなうとき魏延がここを通って長安を急襲したいといった。

つまり、おなじ道をえらんだ曹真も、主力では漢中を急襲したいねらいがある。

荊州にいた司馬懿は、漢水にそって益州にちかづき、荊州ではもっとも益州にちかい魏興郡の西城から、山道を進んだ。

曹真と司馬懿は、このまま進んで漢中郡の郡都である南鄭で合流する計画になっている。

司馬懿が出兵したことを知った曹真は、

「さすがは大将軍。諸葛亮を一気に屠ってみせようぞ」

と上機嫌であった。この日のために、じぶんで攻略作戦を練りに練ってきた曹真である。気分の高揚を抑えることができなかった。

 むろん、この主力二軍の他に、斜谷道を経由する軍、さらに涼州の武威郡から益州に侵入する軍があるが、多方面作戦であることから、蜀軍をたんにおびやかすだけでなく、漢中を奪取したあと、成都に進軍し、蜀王朝を滅亡させることもできる大策戦であった。

 「驃騎将軍(李厳)と討逆将軍(呉壱)は、二万の兵を率いて曹真の軍にあたってもらいたい」

 諸葛亮からすれば、精強な兵二万で遠征に疲れきった曹真の主力を足止めできると考えた。

 蜀にとって、天からの大きな味方があった。

 大雨である。

 結果この大雨は三十余日も降りつづき、漢水は水があふれて、道が水びたしになってしまい、魏軍の行軍をおおいにさまたげる結果となった。

 崖に桟道を架けての箇所は、大雨によって桟道が崩壊した。

 曹真と司馬懿の主力だけでなく、ほかの二軍も進軍を停止して、雨が止むのを待った。

 「昭(司馬昭)が懸念していたことが起こったか……」

 司馬懿は山間部の天気が豹変するのを恐れていたこともあり、眉をひそめて天を眺める他なかった。

 曹真が心配していたのは、呉軍のうごきである。

 「荊州に、呉が北上してきたという報せはないか」

 と何度も偵探に探らせた。

 荊州にいる大方の兵は、司馬懿が引率して漢中に攻め込んでいる。

 呉軍が攻勢をかけて荊州北部に攻め込んでくれば、急いで司馬懿を撤退させなければならない。

 (はやく、雨よ、止め)

 曹真は八月の暗い空を見上げて、さけびたい衝動に駆られていた。何日も太陽を見ていないせいで、肌寒ささえ感じる。

 曹叡は、許昌に巡幸している。

 むろん巡幸とは偽りで、戦力が激減している荊州北部を呉軍が攻めた場合、曹叡じしんが迎撃するためである。

 百官と公卿も、許昌に移っている。

 漢中への道中で停滞している曹真軍を危ぶんだ長老の華歆が、ある日上奏を行なった。

 「そもそも兵は、やむをえないときに使用するものです。ゆえに、武はふさわしいときに動かすものなのです。

 いまの大司馬(曹真)の出師はどうでしょうか。

 蜀と呉という賊の間隙は、座して待つのが上策なのです。

 私は宰相の位にあるだけであり、病軀をおして臣下としての考えを述べるべきだと考えました。どうか陛下におかれましては、なにとぞご推察いただきますように」

 曹叡は、曹丕とちがって臣下の提言を聞く耳をもっている。

 「あ、あなたは国の大計を深慮してくれており、そ、それを知らない朕ではない。

 し、蜀賊は山川をたのみに割拠していて、二祖(曹操と曹丕)は前代に苦労なさった。

 そ、それでも平定はかなわないいま、朕がかならず蜀を滅ぼそうと自負はしていない。

 ゆ、ゆえに、出兵して賊の間隙をうかがっている、というわけだ。

 も、もしもまだ天の時が至っていないならば、周の武王が殷都を目前に師旅を還したことを戒めにするつもりであるぞ」

 曹叡が柔軟な思考をもっていることを確認した華歆は安心し、翌年亡くなった。

 益州への遠征を諫めたのは、華歆だけではない。

 少府の楊阜も、上奏文をたてまつった。

 楊阜は天水郡の出身で、かつてはあの馬超と激戦をくりかえしたこともある硬骨漢である。

 (いまがこのような大規模な出師を、蜀に対して行なうべきときなのか)

 と納得がいかなかったからである。

 蜀軍は諸葛亮が雍州に侵入するようになったとはいえ、董卓の頃のように住民に略奪暴行は一切おこなっていない。

 また蜀帝の劉禅は悪政を行なっておらず、むしろ宰相の諸葛亮が富国強兵を実施して国力は充実してきているように見えた。

 「わが軍が出発して間もないのに、すでに天雨の禍がありました。山が険しいため、軍はとどまったまま日をかさねています。

 物資を輸送する労苦や、兵が荷物を背負う苦痛があり、そのため多大な軍費を浪費しています。

 もし糧道が断たれれば、かならず本来の遠征とは別の結果になることは必定です。

 『春秋左氏伝』にありますように、すすむことができればすすみ、むずかしいとなれば退く、それが軍における賢いやりかたなのです。

 いたずらに六軍を山谷の間に困窮させ、すすんでも攻略できるところはなく、退いても得るところがないとなれば、それは兵をつかさどる道ではありません」

 茨の道を素足で歩いてきたような楊阜の諫言は、曹叡の胸にひびいた。

 (ぜ、全軍撤退は、やむをえないか……)

 さらには王朗の子である散騎常侍の王粛から、撤兵をうながす上奏文がとどいた。

 「いまとなっては、この遠征軍には無理がありましたな」

 秦朗も声を低くして、曹叡にいった。

 一方漢中郡の成固に陣をすえている李厳は、

 「こたびは、戦はないであろう。

 二万もの兵は必要ではなかった。敵は大雨で道路を寸断されており、二千でも魏兵を漢中から叩き出すことはできただろう」

 と呉壱にいった。

 (驃騎将軍は、応変の才があるな)

 軍の進退にかけては魏延に匹敵する呉壱も、李厳の軍事的才能に感心した。

 李厳は北伐にあたっては巴郡の郡府である江州県にいたが、呉との友好関係が堅固になったいま、諸葛亮は魏との戦いに、李厳の才能を活用しようとしている。

 魏の王朝で遠征軍を撤退させようといううごきが活発になっていることを、曹真も承知している。

 大雨の中、道を拓こうとする工作兵を監督したり、士気がどん底までさがっている各陣営を鼓舞するために、曹真は毎日将兵をはげまし、ねぎらってきた。

 そこへ曹叡から、

 「兵を撤退し、帰還せよ」

 という詔がとどいてしまった。

 曹真はきまじめな性質が鬱となって発症しており、雨中の連日での監督が肺炎となってその身体を蝕んでいた。

 「大将軍(司馬懿)の陣営は……」

 「はい。すでに撤退を完了したとのことです」

 「そうか。主上や大将軍には、すまぬことをした」

 属官から司馬懿が撤退したという報せを聞いた曹真は、曹叡に蜀征伐を提案した己を責めた。

 考えてみれば、天候は曹真のせいではないのだが、病弱になっている曹真は遠征の責任者であるじぶんがなにもかも悪いと断じてしまっている。

 (この機会を逃せば……)

 ふたたび魏は西方で蜀軍をふせがなければならなくなり、南方で呉軍と戦わなければならない。

 蜀を壊滅させておかなければ、魏の国力が疲弊する一方である。

 ある日の朝、曹真は鬚を整えようと兵に鏡を持参させた。その鏡に映っていたじぶんの顔は、痩せ衰えて幽鬼のような表情であった。

 (われは、病に罹っているのか)

 鬱と肺炎の罹患を自覚した曹真は、ついに病牀についた。

 「いそぎ撤退をすべきです。大司馬(曹真)のお身体がご快復されれば、ふたたび蜀を討つこともかなうでしょう」

 左右の者が、曹真を心配して兵を退くことを助言するものの、曹真は首をたてにふらなかった。

 「われの病を、全軍に知らせてはならぬ。蜀軍が撤退するわが軍を、かならずや追撃するであろう」

 曹真はみずからの罹患を秘密にした。

 (このような大規模な出師を皇帝に訴願したものが、まっさきに撤退できるものかよ)

 傷病医が極秘裏に曹真の本営を訪ね、治療をおこなった。洛陽から名医を派遣してもらえば、おのれの病がばれてしまう。

 曹真は、不退転の決意で蜀軍と病とも戦っていた。

 しかし傷病医の持参している薬では、曹真の病状は悪化する一方であった。

 本陣に曹叡からの撤退を命じる詔がとどいたことによって、曹真を看病する者たちは、

 「これで、大司馬は助かるやもしれぬ」

 と愁眉をひらいた。

 このときにいたって、はじめて曹叡と秦朗のもとに曹真が重病であることが伝えられた。

 「だ、大司馬を、ここまで追い込んだのは、ち、朕のせいである」

 曹叡は誠実一路の曹真の心中を察して、涙をながした。

 「大司馬は私利私欲によって、蜀征伐をおこなったわけではありません。

 帰還後も、相応のお言葉を賜りますよう」

 秦朗も目頭を熱くして、曹叡に助言した。

 曹真は豊かな曹一族の生まれなので、上から賜ったものはのこらず配下に分けてやるやさしさをもっていた。

 配下に財が足りぬときは、私財を割いて将兵にあたえていた。

 そのような徳と武を備えた曹真をもってしても、大雨と病は蜀を討伐することを妨げた。

 「目に見えない呪力が、蜀の地にあるのではあるまいな……」

 曹叡は天を仰いで、そうつぶやいた。

 ともあれ曹真が洛陽にもどれば手篤い看護が受けられるので、再度の遠征も可能であろう、と曹叡は秦朗ら左右の者にいいきかせるようにいった。

 曹真が洛陽に帰還したのは、十一月のことである。皮肉なことに曹真が蜀から離れると、雨はぴたりと止んだ。

 曹叡は、親しく曹真の邸宅を見舞った。

 「だ、大司馬が回復すれば、し、蜀征伐の機会はかならずくる」

 そういって曹真の手をにぎった曹叡ではあったが、その手は氷のようにつめたかった。

 「もって、年内かと存じます」

 王朝の医師は、曹叡に別室で病状をつげた。

 (そ、曹氏一門を率いてくれる総帥が……)

 曹叡は、悲嘆に暮れた。

 それでも曹真は、三月まで生きた。

 「われが帰着すると、雨が降らないとはな。

 蜀征伐は、天の時を誤った……」

 そういって最期まで悔やんだ曹真が逝去すると、三月に雨が降った。

 「だ、大司馬が薨じたのか」

 曹叡は悲報を受けて、さめざめと涙をながした。皇室を支えてきたのは、曹氏と夏侯氏であるが、偉材がつぎつぎと夭折している。

 「もはや、曹家で朝廷を運営するしきたりは、見直さなければならないかもしれません」

 驍騎将軍の秦朗が、曹叡にいった。

 曹叡じしんが袁煕の子であり、秦朗は曹操の後宮で育った杜氏という側室の連れ子である。

 「ぐ、軍事は大将軍(司馬懿)に、ま、任せるほかなかろうしな」

 「はい元候(曹真の諡)のお子では……」

 あれほど実直で、能力のあった曹真の子にしては、後嗣の曹爽はあまりに無能であった。

 その曹爽が、曹叡死後の魏王朝で、司馬懿と熾烈な権力争いをするので、わからないものである。

 南方では、魏の太和四年(二三〇)に築いた合肥新城をめぐって、孫権が攻撃をしかけた。曹真の蜀攻めが頓挫した時期を狙ったともいえるが、孫権の合肥攻略は長年の悲願であったからでもある。

 「蜀軍は、曹真から漢中を守りきったのだな」

 「はい。魏軍は大雨に妨げられて、進退に窮して全軍が撤退したとのことです」

 いまや呉と蜀は同盟が安定しているので、漢中攻防戦の推移は、孫権も諸葛亮から書簡で報せられている。

 「この好機に、合肥を奪取する」

 孫権は、出師を決めた。

 「敵は、酒飲みの老人……満寵であろう。疲弊した魏軍を大破してやる」

 満寵は老人であるが戦がうまく、曹叡からの信用を得て征東将軍である。

 酒飲みでかつ酒癖のわるい孫権にそう評されるほど、満寵は酒が好きだった。

 しかし、その頭脳は年老いても衰えることはない。

 「合肥の守備は、万全だ。孫権は陛下からの援軍が撤兵したところを、総攻撃してくる算段をたてている。

 陛下に援兵を撤退させないように、書簡を出すぞ」

 孫権の狙いは、春秋時代に楚の荘王が鄭を攻めた策を模倣したものであることに、読書家の曹叡が気づかぬわけがない。

 「え、援軍は、撤退させてはならぬ」

 満寵と曹叡の呼吸は、抜群である。

 「満寵め、わが策を見抜いたか……」

 落胆した孫権は、合肥でほとんど戦うことなく兵を退いた。

 ただ軍費を浪費しただけの孫権は、失意のうちに首都建業に帰還した。

 (周瑜や魯粛、呂蒙のような知嚢が、われには不足している)

 かつての三人の名将はいずれも四十歳前後で夭折しており、唯一名将といっていい陸遜は、太子の孫登につけている。

 孫権はおのれの戦下手を自覚しているだけに、蜀や魏の人材が豊富に見えてしかたない。

 「皇帝が戦略をみずからねり、出師しているのはわが国だけではないか」

 孫権は、不機嫌にいいはなった。

 たしかに皇帝の位にありながら、軍を進退させているのは三国のなかでも呉しかない。

 曹叡も劉禅も、宮室で戦況を聴いているだけである。

 (朕も、諸葛亮や司馬懿がほしい……)

 孫権の本音は、それであった。

 呉の群臣はそれぞれの職分に精一杯で、自国の益を生む意見を出すことができる余裕のある者はいないのが現状なのである。

 その孫権の嘆きに策をたてたのは、中郎将の孫布であった。

 孫布の策は、佯降つまり偽りの降伏を魏にもちかけて、大破するというものである。

 以前曹休をそのような策にかけ、大勝したので二匹目のどじょうを狙ったわけである。

 結果、揚州刺史の王淩をだまして少数の兵ながら撃破することに成功した。

 しかしながらいまの呉に勝てる手段といえば、そのような姑息な戦略しかないともいえる。

 一方の蜀では、曹真をいながらにして撤退させた諸葛亮が雍州の天水郡への侵攻を画策していた。

 「呉は、人を騙すしか能がないのかな」

 諸葛亮は苦笑して、かたわらの姜維に話しかけた。これから進軍する天水郡は姜維の故郷である。

 「わが国は、堂々と賊を撃破せねばなりません。卑しい策で敵に勝ったところで、そこに正義はないからです」

 「そうよな……」

 蜀は漢の正統を継承した国なので、いちども魏の将を騙したり、魏国内の領土で略奪などをおこなったことがない。

 諸葛亮は、この若い姜維の素直な性格が気に入っており、なにかと戦の相談をしている。

 「曹真は死ぬか、しばらく戦線に復帰することはあるまい……ここで、漢中から逆に雍州の天水郡に出師する」

 諸葛亮は、親友の徐庶から魏王朝の情報を得ている。

 「すぐさまわが軍が反転攻勢をしかけてくるとは、曹叡も思わないでしょう」

 姜維の兵略眼は、往事の馬謖を凌駕しているので、打てば響くように諸葛亮の策戦に賛成した。

 「そこで、例の木牛を運用する」

 「ああ……あの輸送器機ですな」

 諸葛亮は、戦争器機を発明することに長けている。夫人である黄夫人が、うどんを作る器機を製作していたとあることから、夫人からの考案を参考にしていたとも考えられる。

 木牛とは一輪車を使用した輸送器機と推測されるが、詳細は不明である。ただし一輪車ならば、動物の牛よりも狭隘で険阻な戦場でも、容易に輸送を完遂できる。

 二月、諸葛亮は万全の態勢で、雍州の天水郡に進軍を開始した。

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