落鳳
十一
益州に入った劉備軍は、涪県を出発して北上を続けた。
軍師の龐統は、
(まさか、本当に漢中の張魯を攻めるのではあるまいな)
と劉備の行動をいぶかしげに感じた。
劉璋との会見の席で、かれを殺害しておけばこのような迂遠な軍事行動を取る必要はなかった。ゆえに、
「上計を申し上げます。これから少数の精兵を選抜し成都の劉璋を急襲しましょう。
劉璋は暗愚ですので、らくに成都を平定することができます」
と何度も劉備に献策をおこなった。
劉備は、
「その策は好まぬ、と申したではないか」
と龐統の策を無視し続けた。
劉備軍は、ついに広漢郡北部の葭萌県に到着した。年はあらたまり、建安十七年(二一二)となっている。
葭萌県の北に白水関があり、劉備は劉璋に白水関の守備兵も使っていいといわれている。
「いよいよ、漢中攻めか」
黄忠などはうでをさすって意気込んだが、劉備はここから軍をうごかさず、漢中の張魯を見据えたままであった。
白水関の守将である楊懐と高沛も、
「劉豫州は、何をしているのか」
と不信感をつのらせつつあった。
結局十月まで、劉備は白水関から兵を動かさないことになる。
劉備は郡境で張魯軍を偵察したり、兵士に恩賞を与えたりして時をすごした。
軍の士気を保つことが困難だと焦躁していた龐統は、ある日はっとあることに気づいた。
(そういうことだったのか)
劉備の本意に気づいた、といっていい。
(われが天にかわって、劉備をうごかせばよいのだ)
意を決した龐統は、まず諸葛謹に密使を送った。
「曹操軍が南下しているようなので、劉備に益州から引き上げて、呉に援軍をもとめる要請をしてほしい」
それと同時に、広漢郡太守の張粛に匿名で書簡を送った。
張粛は、別駕の張松の兄である。
張松が劉備を益州牧にすげかえる策をすすめていることは知っていたが、これが成功すれば張松の兄であるじぶんも新政権でおおいに抜擢されるはずであり、わるいことではないと思っていた。
ところが、ここにきて劉備は軍事行動を停止してしまった。
「劉備がうごかなければ、弟の謀略が露見してしまう」
張粛は容姿端麗であるが、小心である。
不安をおおきくしているところへ、龐統がよこした匿名の書簡が届いた。
「劉備が白水関からうごかないのは、兵を転じて成都を襲い、みずからが劉璋にとってかわる野心をもっているからである」
(どこから、密謀がばれたのか)
張粛は驚いて、書簡をもつ手がふるえた。
(このままでは、われも誅されてしまう。殺される前に主へ劉備のたくらみを密告しよう)
ついに張粛は、弟の張松を売る決意をかためた。
さて、諸葛謹が孫権を説いて、曹操軍南下を理由に劉備に救援の使者を送ったとき、劉備は即答した。
「劉益州に説明をし、かならず呉に救援にむかうでしょう」
龐統は、ほくそ笑んだ。
(やはり、こういうことであったか。これで、ことはおおきくうごく)
劉備は、軍の向きを変えた。そして成都の劉璋に使者を急行させた。
「曹操が、呉の孫将軍(孫権)を攻撃しています。私と孫将軍は唇歯の間柄で、縁戚でもあり救出してやらねばなりません。
また荊州においては、青泥で関羽が楽進と交戦しています。
こちらにも対応しなければ、曹操は荊州の境を越えてわが領土に進出し、張魯を討つどころではなくなってしまいます。
張魯は、みずから益州に討って出る野心がないと判断しました。つきましては、兵一万と軍資をお借りしたい」
劉璋は、書状をみて怒りをおぼえた。
張魯が曹操に降れば、その手引きによって益州に侵入する防備として、劉備に兵と軍資を提供し、益州に招き入れたのである。
白水関の楊懐と高沛も、
「劉備にはまったく戦意がなく、まるで遊興のために益州に来たようなものです。
なにか、別の思惑があるのではないでしょうか」
と警告の書状が送られている。
「荊州に帰るから、さらに兵を貸せとはなんたるいいぐさか」
劉璋は張松をよびつけて、いらだちをぶつけた。
「劉豫州の信念に、かわりはありません。
せめて半分でも、兵と軍資を提供していただきたい」
張松は、蒼白になって劉璋に訴えた。
それと同時に、張松は劉備にもあわてて書簡を送った。
「いま、まさに大事が成ろうというときに、なぜ益州を去ろうとなさるのですか」
と翻意をうながした。
その書簡は劉備が閲覧する前に、龐統が手元でにぎりつぶした。
「さて、張粛に一働きしてもらおうか」
龐統は、ふたたび匿名の書状を張粛に送った。
「別駕(張松)の陰謀は、すでに発覚がまぬがれない。広漢太守(張粛)がみずから御身の保全をお考えなら、すみやかに別駕の罪を劉益州に通達すべし」
この密書を見た張粛は、ふるえあがった。
「われや妻子が連座させられないためには、弟(張松)には死んでもらわねばならぬ」
広漢郡は雒県に郡府があり、成都は遠くないので、張粛はみずから馬を飛ばして、劉璋に張松の裏切りを密告した。
「あやつめ、なにかと目をかけてやっていたのに、われを劉備に売りおったか」
激怒した劉璋は、すぐさま張松を逮捕し、目の前に引きずり出した。
「われと益州を劉備に差し出して、栄達をはかろうとしたか。恥を知れ」
張松は、縛られてなお激越に劉璋を見据えたまま、
「なんじが益州を統治して、民に恩恵をほどこしたことが一度としてあったか。
われは益州の民のために、英才ある劉備に救済をもとめたのだ」
とさけんだ。
「やかましい。この悪人め。すぐに首を斬って晒せ」
張松は顔を真っ赤にして張松を斬殺させると、白水関の楊懐と高沛だけでなく、各州の関を守る将に、
「劉備の軍が通ろうとすれば、関を閉じて戦え」
と命令をくだした。
「張松が殺されたと……」
劉備は、龐統の目の前でかつてないほど激怒した。かたわらの法正も怒りに身をふるわせていたが、
(張松を殺したのは、龐統だな)
と気づいていた。
「以前、軍師は上策を提言したが、中策と下策を教えてもらおう」
そう劉備に問われた龐統は、躍動する気持ちをおさえつつ答えた。
「白水関を守備する楊懐と高沛はなかなかの将で、主を荊州に返すべきだと劉璋に書簡を送っていたとききます」
「そのようであるな」
「はい。そこで決起する前に楊懐と高沛に、荊州に帰ると告げるのです。
そうすれば、かれらは喜んで軽騎にてわれらを見送りにくるでしょう。
そこで楊懐と高沛を捕らえ、軍を発し、白水関の兵を接収して成都を直撃するのです。
これが、中の策です」
「……」
劉備は無言で、目を落している。
熟考していると確認した龐統は、
「つづきましては、下の策です。
本当に兵を白帝まで帰し、荊州の兵と連動して成都を攻めます。さて、いかがなさいますか」
と劉備に決断をせまった。
「ふむ……」
劉備は、なおも決断をためらっている。あるいはためらっているように諸将にみせている、と察した龐統はたたみかけた。
「長考なさっているときではございません。
すぐにでも行動をおこさなければ、窮地におちいります。われらがもはや敵地にいるということを自覚なさいませ」
劉備は、顔を上げた。
「よし。中の策を取る」
楊懐と高沛は、劉備から荊州に帰ると報されて、
「どうだ。われらで劉備を殺さないか。そうすれば後顧の憂いを断つことができるぞ」
と匕首をしのばせてやってきた。
しかし、そのような陰謀は劉備と龐統からすれば百も承知である。
劉備軍の営所に入ったとたん、楊懐と高沛は、殺到した兵たちに縛り上げられた。
「無礼な。なにをする」
驚いた楊懐と高沛に、劉備は目をいからせて、
「無礼なのは、なんじらの方である。
われは益州のために漢中の張魯と戦い、疲弊しているのに、劉璋は成都で財宝にかこまれ安穏としている。
なんじらはそれでも、劉璋にわれの労苦を報いようとさせず、荊州に追い返そうとしている」
と一喝した。楊懐と高沛の懐からは、匕首が発見された。
「この者どもを、斬れ」
龐統が劉備に代わって、楊懐と高沛を殺害した。
(これで、成都を攻める大義名分は整った)
龐統が目くばせすると、劉備はすぐさま白水関の兵を統合し、
「成都を陥落させ、正義を明らかにする」
と宣言した。
先鋒は、黄忠と卓膺、陳到である。
黄忠は、諸葛亮が趙雲に代わって推薦した猛将であることはすでに述べた。
卓膺は字を子緒といい、黄忠と同じく荊州で劉備に従った武将と思われるが、正史三国志にはほとんど事蹟が伝わっていない。ただし黄忠と並んで先鋒に任命されるだけはあり、武勇の人であろう。
陳到は字を叔至といい、劉備の豫州時代からの宿将である。趙雲に次ぐ武勇を認識されていて、荊州出身のふたりを補佐するに値する人選であった。
劉備軍は、すみやかに白水関を発し、葭萌県を経て、涪県に至った。
「劉備が、本性をあらわしたぞ」
成都の劉璋は、わめいた。しかし怒りを発した劉備に底恐ろしさを感じている。
張任、冷苞、鄧賢らの武将を、涪県に布陣させて、劉備軍を迎え撃たせた。
「益州には兵は多いようだが、良将はおらぬな」
卓膺と陳到は、目前の益州諸将が率いる兵を侮った。
「主が到着する前に、ひとかたづけしておくか」
主将の黄忠も、まんざらではないようすである。
「おまちください」
監軍兼道案内の法正が、諫止をおこなった。
「張任などは、益州においては良将です。主力が到着してから、多数において一度で決戦する方が幸先よろしいかと存じます」
(ほう……)
黄忠は、内心うなった。法正は軍議校尉という卑官でありながら、戦場の呼吸を心得ている。
「監軍のいうとおりだ。主が到着してから、われらの功績をみせびらかせてやろうぞ」
黄忠の発言で、卓膺と陳到も納得した。
やがて、戦場に到着した劉備は整然とした先鋒軍を満足そうに眺め、
「漢升らにおいては、よくこらえてくれた。
これから存分に敵を攻めようぞ」
と士気を高めた。
劉備自身休憩をとらずに陣を前進させたので、黄忠らも勇躍した。
「前方の益州軍を、一気に破砕するぞ」
このときから、黄忠のめざましい活躍が伝説となるのである。
正史三国志は、
「(黄)忠、常に先登(先頭)して陳(陣)を陥し、勇毅三軍に冠たり」
と絶賛している。
「漢升(黄忠)には、敵の矢が当たらぬのか……」
歴戦の将である卓膺と陳到すらも、唖然とした。それだけ雨あられと降り注ぐ敵陣からの矢をかいくぐり、黄忠は先頭きってすさまじい速度で突入したということである。
「われらも、負けてはおられぬぞ」
黄忠が突破した敵陣の破れに、卓膺と陳到も殺到した。
劉備の督戦も効果が大きく、前線まで馬をすすめて励声を発したので士気はおおいに上がり、大勝して涪県を奪取することができた。
惨敗した張任らは、緜竹まで後退して陣をしきなおした。
「もう涪は落ちたというのか……」
愕然とした劉璋は、李厳を呼んで緜竹の護軍とした。
(やっと劉備が、ここまできてくれた)
李厳は益州にいて劉璋に仕えているものの、もとは荊州の劉表に仕えており、劉備に荊州を治めてもらいたいと考えていた一人である。
出身は南陽郡である。
若い頃から各県でその有能さは知られており、曹操を嫌って益州に亡命したのだった。
(このまま劉備に降るにしても……)
緜竹へ派遣された将に費観という人物がいる。
(費観は殺すのには惜しい。誘ってみるか)
李厳には劉備に対する親愛の情こそあれ、戦意はまったくない。
ところで、劉備は涪県を攻略して成都を陥落させる目途が立った、と感じた。
ゆえに将士を休息させる慰労も兼ねて、涪城で大きな宴会を催した。
今回の遠征には、はじめて関羽、張飛、趙雲、諸葛亮がいない。
それでも黄忠や卓膺、龐統ら荊州から劉備に仕えた諸将が奮闘してくれたので、劉備は機嫌がよかった。
めずらしく酒をおおいに呑んだ劉備は、酔眼を龐統にむけて、
「この会は愉快である。このまま成都を陥とそうぞ」
といった。しかし龐統は冷静である。
「他人の国を討つことの、どこが愉快なのですか」
と冷水を浴びせたようなことばを返した。
龐統とて皆が機嫌良く飲食を楽しんでいる席で、苦言を呈したかったわけでもあるまい。
ただ、
(まだ劉璋を降伏させたわけでもないのに、この宴会の規模は大きすぎる)
と水をさした。温厚な劉備ではあるが、群臣の前で辱められたと感じて、怒気を発した。
「周の武王が殷の紂王を打倒したときは、戦の前に歌い、後に舞ったというではないか。
それを仁者の戦いではないというのか。
席を立って出ていけ」
座が、粛然とした。
黄忠や卓膺らも顔を見合わせて、困惑している。
龐統は激しい叱責を浴びたのに、平然と席を立ち宴会場から出て行った。
やがて賑やかな空気が戻ってきたものの、劉備は酔いが冷めたような気分であった。
(士元のいうことも、もっともであったかな……)
緒戦で快勝しただけで、分不相応の大宴会を催してしまったことに、後悔した。
劉備の良いところは、それを素直に認めることができるところである。
「士元(龐統)に、席に戻ってくるように、声をかけてきなさい」
すぐ近侍に命じて、龐統のもとに行かせた。
龐統は、何事もなかったかのように一礼して席につき、飲食をはじめた。
気まずくなった劉備は、
「さきほどの論争であるが、どちらが悪かったのかな」
と龐統に訊いた。龐統はおだやかな表情を劉備に見せて、
「君臣、ともに良くありませんでした」
と答えた。
「そうか……そうであるな。皆、見苦しいところを見せてすまなかった」
劉備は大笑して、龐統と群臣に詫びた。
劉璋を欺いて、州を乗っ取るのである。
そういう不義にうかれる主君を諫言した龐統は、みごとであった。
その龐統を、傍らから冷えた目で見つめる人物がいた。
張松の親友だった、法正である。
(こやつは張永年を殺した男……)
表情を押し殺した法正は、自若として飲食をつづけたのだった。
さて、宴を終えると劉備軍が成都までは三百六十里もあるという現実がまっている。
ここまで破竹の勝利をおさめてきているが、劉備軍が敵中に孤立していることにかわりはない。
「孔明に、輜重を頼もうか」
劉備は、龐統に問うた。
「いいえ、荊州の兵をうごかすことは危険です」
龐統は、その提案を退けた。曹操軍の南下とともに、曹仁が樊城に駐屯している。
となると南郡にいる関羽を、曹仁に貼り付けておかねばならない。
(それに……)
龐統は思案しつつ、みずからの政治的立場も知悉している。
(孔明に助けられては、この先劉備の軍師としての権威は保てぬ)
益州平定後、主力軍を再編してその総帥になるつもりの龐統にとって、ここで諸葛亮に活躍されては困る。
慎重な策をとった劉備軍は、涪城で年を越した。
その危険をいちはやく見抜いたのは、劉璋のもとにいる主簿の黄権である。
「劉備は益州で孤立しており、その兵もなついておらず、兵糧を思うように調達できておりません。
そこで巴西と梓潼にいる民をすべて涪水より西に移し、倉と野の穀物を焼き払うのはいかがでしょう。
劉備は荊州に曹操軍がせまっているので、輜重を期待できず、わが軍が固く守れば、劉備軍の兵糧は尽き、百日以内に撤退せざるをえないでしょう」
梓潼郡は葭萌県と涪県の中間にあたる土地で、黄権は劉備の背後にある人と物を消滅させてしまえば、兵糧をなくした劉備は撤退するしかないと献策したのである。
劉璋はいやな顔をして、
「われは敵をふせいで民を安んじるつもりであり、民を動かすことで敵をふせごうとは思っておらぬ」
と黄権の献策を退けた。
(この期に及んで……)
黄権は、劉璋の無能さを再確認し、以後献策をしなくなった。
劉備に心を寄せる李厳は、
「黄権の献策が採用されれば、一大事だ。
劉豫州にこのことを報せねば」
といそいで劉備に密使を送った。
劉備は驚いて、
「黄権の策が実行されたら、われらは敵中に枯死してしまう。いかがすべきか」
と護軍の法正に諮問した。
「劉璋に、黄権を使いこなすことはできません。きっとこの策は無視されるでしょう」
と平然といった。
「そうか……しかしこの策をたてた黄権とはおそるべき男よな」
「はい。新政権のもとでは将軍として一軍を任せられる逸材です」
法正の預言どおり、黄権は劉備のあらたな軍師兼将軍となり、その声望は魏や呉に響き渡ることになるのである。
劉備は命拾いし、春のあいだ進軍を続け、勝ち続けた。
ようやく緜竹に到着した劉備軍を前にして、待ちかねていた劉璋軍の護軍である李厳は、
「これで、劉豫州に降ることができるぞ」
と内心喜んだ。
しかし、同僚の費観も連れて降りたいと考えた李厳は、さりげなく費観を観察することとした。
費観は、李厳とおなじ荊州の江夏郡の生まれである。字は賓伯という。
年齢は李厳より二十以上下で、なんと劉璋の娘を妻にしている。
ところが李厳の見るところ、費観は文武の才能があるのにそれを韜晦し、誇示したことがない。
(費観を連れて劉備に降れば、費観もその才能をじぶんのように存分に発揮できる)
と感じた。
張任、冷苞、鄧賢らには、
「これから、われと賓伯(費観)で劉備を急襲する。なんじらは緜竹を固く守ってほしい」
と命令して、軍を発した。
劉備軍を目前にして、李厳は費観を幕営に呼んだ。
「じつは、これからわれは軍を引き連れて劉備に降ろうと思う。
なんじは劉璋の婿であるので強制はしないが、ともに降らないか」
と打ち明けた。費観は笑って、
「護軍どのがそうお考えだと思い、劉璋に頼んで軍を同行させてもらったのです」
と驚くべき事実を告げた。
「われの思惑を見抜いたか……それでどうする。われを緊縛して劉璋に差し出すか」
「ご冗談を。私も劉備に投降したかったのです。劉璋の女婿として贅沢な暮らしをするよりも、天下国家のために働きたい。それが私の野心です」
李厳はおおいによろこんで、
「それはよい。われもなんじを殺したくなかった。ともに劉備に仕え、益州の民を救おうぞ」
と費観の肩をたたいた。
その日のうちに、李厳と費観は劉備に投降する使者を遣わせた。
劉備陣営で使者は歓待され、安心した李厳と費観は、翌日涪県の城門をくぐった。
「正方どの(李厳)、賓伯どの(費観)、お待ちしておりました」
城門でふたりを待っていたのは、一足先に劉備に降り、護軍に任命されている法正である。
「おお、孝直(法正)。劉豫州に先に仕えているなんじがいれば、われらも心づよい」
李厳と費観は、法正に案内されて劉備に謁見することになった。
「劉豫州の度量は、広大ですね」
費観は感心して、李厳に話しかけた。
「まさに……」
これから降伏する李厳と費観は、成都の令と劉璋の女婿である。にもかかわらず、佯降を疑わない劉備は、ふたりが疑心暗鬼にならぬよう、兵をほとんど配置していなかったのである。
(劉備は、われらを信用してくれているのだ)
李厳と費観は、感激した。その感激はつづく。劉備はなんと官衙の前の広場までみずから出てきてふたりを出迎えたのである。
「李正方どの、費賓伯どの。待ちかねておりましたぞ。さあ、中に」
李厳と費観は、狷介な劉璋に慣れているので、度量の大きい劉備に仕えることになって心が洗われるようだった。
おおいに歓待されたふたりは、ともに裨将軍に任ぜられ、新政権でおおいに累進することになるのである。
「李厳と費観が、そろって劉備に降伏しただと……」
張任ら緜竹の諸将は、愕然とした。
「この軍にも、劉備に通じているものがいるのではなかろうな」
劉備軍が動いたと同時に、客将は疑心暗鬼となり、兵たちの士気は下がった。
こうなると、まともな戦になるはずがない。
劉備軍は、劉備が率いる主力軍と黄忠らが率いる先鋒軍、そして李厳と費観が率いる別働隊の三軍にまで膨張している。
これらは連動し、各県を順調に降伏させていった。
「ここはいったん、雒県まで退いて戦線を立て直そう」
老将の張任は、冷苞、鄧賢と話し合い、雒城に立て籠もった。雒県は広漢郡の郡府があるので、成都攻略の最重要地点となった。
「よし、緜竹まで全軍を進軍させよう」
劉備軍は、本営を涪県から緜竹県に移動させた。
それにしても軍師である龐統の軍事における緻密さは賞賛に値する。
成都まで間近の雒県に至るまで、兵糧や軍資の兵站管理は完璧で、一度も敵軍に囲まれたり苦戦したことすらなく、威徳によって益州諸県を平定しつづけたのだから、その能力は劉備もおおいに信頼したであろう。
その龐統に唯一欠けるものがあるとすれば、武功である。
「どうか雒県の攻略は、私にお任せください」
龐統は大功の仕上げに、みずから軍を指揮して雒城を陥落させ、武功をあげようとした。
「そうか。ぞんぶんにやってみよ」
劉備も龐統に武功を立てさせてやりたかったので、その申し出をこころよく受け入れた。
雒県は成都を前にして最後の砦といってよく、ここで龐統が武威を輝かせなければ、成都包囲戦を劉備じしんがおこなうため、出番はないわけである。
雒城には、成都から劉璋の子である劉循が派遣され、主将となった。
龐統は、劉循という名をこれまで聞いたことがない。さっそく李厳と費観に、
「劉循とは、いかなる人物か」
と問うた。
李厳と費観は、顔を見合わせた。
「凡愚さだかならず……よい評判もわるい評判も聞きません」
「そうか……」
龐統は首をひねった。雒城は成都の最終防衛線である。そこを長子である劉循に守らせたということは、劉璋に従順で、あくのない人物なのであろう。
(ただし、益州にはこれといった将器はだれもいなかった)
劉循が切り札なのであれば、どうして劉璋は開戦と同時に劉循を元帥に任命せず、ここにきて雒城の守将に任じたのか。
(しょせんは苦しまぎれの策よ)
翌日から、龐統は黄忠や卓膺、陳到らをつかって力攻めを行うことにした。
城兵を休ませなければ、いずれ守備に疲れが生じ、城門はたやすく開くであろう。
龐統は、そう楽観していた。
ところが、である。
連日連夜、雒城は龐統の猛攻をしのぎつづけた。三十日、四十日が過ぎても、黄忠でさえ雒城の城壁を越えることができない。
「ここの守将は、張任らではないのか」
「いや、劉璋の子が守将として入っているらしい」
「劉璋の子はそれほどの名将なのか……城はびくともせんぞ」
黄忠と卓膺、陳到も劉循の健闘に不気味さを感じた。
(緜竹までの城と、ここは何が違うのか)
龐統も当初の余裕を失って、攻撃に疲れ果てた兵たちを巡回した。
「ここで城から反撃をくらったら、軍が瓦解する。堅固な塁塹を構築せよ」
夏の暑さはとうに過ぎ、秋の風が戦場に吹いていた。
龐統が防備を厚くしたことによって、攻守両軍のにらみ合いが続いた。
「冬が来る前に、総攻撃して城を陥落させねばならぬ」
幕営は龐統の意気込みに反して、静まり返った。
「城は堅固ですし、張任らの戦意も高い……そこを攻撃しますとこちらの被害が増すばかりです」
まず、費観が反対を述べた。
「糧道を断って、まず敵の戦意を喪失させてから攻撃すべきではないでしょうか」
李厳も、費観に同意した。
黄忠と卓膺、陳到らも、
「ここは、無理押しすべき戦況ではない」
と同調したので、雒城を包囲して越冬すると軍議は一決した。
幕営を出てゆく諸将をいらだちをもって見送っていた龐統は、法正に声をかけた。
「護軍(法正)に訊きたいが、劉循とはただの凡器なのか」
「かれの戦いようを見ておりますと、籠城の才があるように思えます。つまり、一州を任せれば父には劣りましょうが、一城を任せれば父に勝る、ということでしょう」
(そのような馬鹿なことがあるか)
龐統は憮然として、法正を見送った。
そして、ふがいない己を恥じた。
「数ヶ月をもっても雒城を陥落させられず、面目次第もございません」
緜竹の本営にいる劉備に、詫び状を届けさせた。
劉備は配下の将が負けても、叱りつけたことがない。いわんや、龐統は負けたわけではなく、城を包囲して優勢を保っているのである。
「あの周瑜でさえ、曹仁が守る江陵を一年間攻め落せなかった。詫びる必要はない。
城にはかならずほころびが出る。それを待てば好機は遠からず訪れよう」
(なんという忍耐強いお方か……)
龐統は、あらためて劉備を尊敬した。
表情をなくした龐統の姿を、法正はじっとみつめていた。
寒い冬が訪れて、雪が戦場に積もりはじめた。
龐統は長く感じられた冬を、ただひたすら雒城を眺めることだけに費やした。
年が明けて建安十九年(二一四)。
春の陽射しを浴びて、城壁が明るくなってきた頃をみはからって、龐統は軍議を開いた。
(こんどこそ、総攻撃を敢行して城を陥落させてやる)
龐統が諸将から聞きたかった意見とは、これに尽きる。ところが、
「糧道を断ったので、そろそろ城内にもひるみが生じるはずでしょう」
猛将で戦場では先頭きって突進してきたはずの黄忠が、戦意にとぼしい発言をするではないか。
「その機を待てば、城はやすやすと陥ちましょう」
豫州時代からの譜代武将である陳到も、それに追従した。
「それがよろしい」
「ここでご無理をなされても」
卓膺や李厳らも、積極策を提案するものはいない。
(われをあなどっているな……)
龐統は、熅然と軍議を聞いていた。
(やはり武将としての実績がないのは、つらい)
とも思った。
つまり劉備から元帥旗をさずけられているからには、みずからが前線で武功を立てなければ諸将が従わぬ、ということである。
一方、緜竹にいる劉備は悠然と春を愉しんでいるかのようであった。
いっこうに雒城は陥落しないが、それを譴責する使者を出そうともしない。
成都と雒城は糧道を断たれているのに、劉璋や他県の将は、だれも劉循を救援しようともしない。
「ここが、潮時かな」
こうつぶやいた劉備は、公安にいる諸葛亮に書状を出した。
「軍を発して、益州の諸県を攻略すべし」
これは諸葛亮に、雒城救援を要請したものではない。
荊州の軍をつかって、別方面から成都にむかうという戦略である。
書状を受け取った諸葛亮は、
(これで成都は陥落し、益州は主のものになる)
と確信した。それと同時に、
(このことで、士元がかるはずみな行動をしなければいいが……)
とも憂慮した。龐統は顕揚欲がつよいので、戦功を諸葛亮に奪われるのではないか、と疑念をもつのではないか、ということである。
諸葛亮の心配は、実現した。
「主は、われに代えて孔明を成都攻めの元帥に任命したというのか」
雒城で足止めをくらっている、龐統は憤慨した。じぶんの才能は諸葛亮に劣っている、と劉備にみなされたと誤解した。
(おのれ、孔明……)
軍議の場において、あからさまに不機嫌な表情をしている龐統を見て、李厳は不吉を感じた。
「軍師、主のとった戦略は雒城攻めとは連携しておりません。荊州の軍が成都に迫れば、雒城もおのずと動揺し、たやすく陥ちます」
また黄忠も、
「さよう。劉璋に、二正面攻撃をささえる能力はない。ここでわれらが強引に軍を動かさずとも、益州は瓦解するでしょう」
と龐統の内心を察して、助言した。
軍議が解散しても、龐統は憤懣やるかたない。そこに護軍の法正がさりげなく近づき、ささやいた。
「これでよいのでございますか」
「どういうことか」
「諸葛亮に軍師筆頭の座を奪われて、くやしくないのですか」
「……」
龐統は、黙り込んだ。法正は、龐統のこころを的確に指摘している。
「……どうすればよい」
戦場で実際に兵を指揮したことのない龐統は、法正に問わねばならない。
「荊州の援軍が到着する前に、軍師が先頭に立って雒城に総攻撃をかけるのです。
いまの雒城は、糧道を断たれているうえ、荊州から主の援軍が出発したことを知っています。ここが好機ですぞ」
「そうだ、そうせねばなるまい」
龐統は、覚悟を決めた。
益州攻略をここまで主導してきながら、総仕上げを諸葛亮に奪われてなるものか。
「ご英断です」
法正は、笑顔で龐統に同意した。
翌日、軍議で龐統はみずからが指揮して雒城の総攻撃をかけることを、諸将に通達した。
「後軍は、叔至(陳到)どのにおねがいしたい」
豫州時代からの宿将を後軍とすれば、諸将には独断とは思われまい。
黄忠や李厳たちは沈黙したが、常ならぬ龐統の血眼に、
「ここでひとつ、力攻めもよいかもしれません」
と出陣に賛成した。
翌日塁塹を出た龐統は、雒城に激しい攻撃を加えた。
雒城の士気は、それでも落ちなかった。
矢の雨が城壁上から降り注ぎ、巨岩が落されて、龐統が指揮する兵たちは、たやすく雒城に近づくことすらできなかった。
(これが、戦場か……)
数日の総攻撃は、徒労に終わった。
日が暮れて、営塁にもどる龐統は、うらめしそうに雒城を振り返った。
そのときである。
「伏兵です。軍師を盾で守れ」
兵たちの絶叫する声が、龐統の耳に入ってきた。
いつも城へ出撃する道は用心深く変えており、その道筋を知られることはない。
龐統を守っている兵たちが、ばたばたと矢で斃れはじめた。
(……とすると、法正か)
法正は龐統が雒城を総攻撃するにあたり、往復を敵兵に襲われないように幾筋かの道を提示してくれた。
(きやつは、張松と親友だったな)
龐統は、じぶんが罠にはまったことを知った。
幾本もの矢が龐統の鎧を貫き、龐統は落馬して死んだ。享年三十六。若すぎる死であった。
幕営に、悲報が急報された。
「龐軍師が、伏兵の矢で落命されました」
「なんだと」
黄忠は立ち上がって、さけんだ。
「あれほど、城への往復は慎重にとご助言したのだが……」
李厳も、元帥戦死に落胆が隠せない。
法正は、うつむいて無言だったが、
(龐統よ、わが友の復讐だ。諸葛亮に先んじて筆頭の軍師になるのは、われよ)
と龐統の死をよろこんだ。
悲報は、その日のうちに緜竹にいる劉備のもとにもたらされた。
「士元が、死んだ……」
劉備は、愕然としてそういった。
流れ落ちる涙を、止めることはできない。
それは志半ばで落ちた、鳳凰の志を哀悼するこころであった。




