ザマァ後のメアリー。狂った計算と釣り下手な彼。
「……見てよ、あの手。真っ赤に腫らしちゃって。元・プリンスの婚約者候補(笑)様がいい気味ね」
立ち込める石鹸の湯気の向こうから、下卑た笑い声が聞こえてくる。
「婚約破棄を言い出したのはいいけど、陛下が行方不明になって有耶無耶。結局、内々の処分で身分剥奪。美しいだけが取り柄の、強欲女」
「美しいなんて褒めちゃダメよ、また調子に乗るわよ」
言われているのは城の下女として洗濯女になったメアリー。聞こえないふりをして、凍るような冷水が張った洗濯桶に誰ともわからぬ汚れた下着を押し込んだ。
(……お花畑どもが何か言ってる。私の美貌は『資産』なの。これを使える時間はきっと短い。お金持ちを捕まえなきゃ、両親の釈放金が払えない)
メアリーは計算ができる。
自分の希少な虹色の瞳とピンクブロンドの髪が、この薄暗い洗濯場ではなんの意味もないことを知っている。
そして、それがこの城の男たちを釣るための、唯一のルアーであることも。
だが、計算は狂った。
公爵の息子の真実の愛の相手として婚約者を蹴落とそうとしたのに、婚約者の方が何枚も上手だった。
公爵の息子に気に入られて、公爵にも気に入られた。
ドレスも宝石も貰えて、婚約も解消してくれるって言ってくれた。何もかもスムーズに進むと思っていたのに。
罪をでっち上げて、派手に振ればきっと婚約を解消できるって彼が言った。だから断罪パーティーをしたのに。
結果は惨敗。パーティー会場は地獄絵図。
コテンパンにやられ返されてしまったが、幸いにも皆無罪放免、騒動を起こした張本人のメアリーは監視という名目で城内に留め置かれた。
メアリーはどうしてもお金持ちになりたかった。
免罪で長年服役している本当の両親を助けたい。
庶民では払いきれない額が必要だ。
でも、ここにはそんな大金がはした金のようなお金持ちがゴロゴロいる。
公爵の息子、元カレのダニエルはとっくの前に逃げた。
真実の愛だと言ってくれたのに、地位が無くなった途端、メアリーに罵声を浴びせ始めた。
ダニエルも城の下働きとして雇われたが、逃亡したのか今や行方知れず。
メアリーは、一時は真実の愛を信じていたものの、はやりお金が全てだと悟った。
メアリーはめげずに妻子持ちの口の堅そうな騎士たちを誘惑した。
独身は警戒されてお近づきにもなれないし、軽そうな男は彼女のために動かない。
ちょうど奥様と久しく淋しくなってきた男性が一番大切にしてくれた。
肌を見せボディタッチしてみせればコロッと虜になってくれる。
スキャンダルを餌に金を強請ろうとした矢先、嫉妬に狂った貴族の妻たちの根回しによって、風紀を乱す害虫としてついには城から追放を宣告されてしまった。
「きゃっぁ!」
雨の降る日、手荒く城の門番に突き飛ばされ、メアリーは泥の中に倒れ込んだ。
膝が擦り切れ、頭から泥を被る。
(私の計算、どこで間違えたのかしら。……もう、どうしたら)
その時、頭上から絹のように柔らかな声が降ってきた。
「……随分と、ボロボロになってしまったね」
見上げると、そこには上質なコートを羽織った青年が立っていた。 タレ目の、優しげな懐かしい顔。
昔、川辺で一緒に釣りをして、いつもぼーっとして魚を逃がして笑っていた義兄――ダンだ。
「ダン……? 久しぶり……」
「メアリー。迎えに来たよ」
ダンは嫌な顔一つせず、泥だらけの彼女を軽々と抱き上げた。豪華な馬車のふかふかのシートに降ろされると、ふっと懐かしい粉挽き小屋の匂いがした気がして、メアリーの脳裏に古い記憶が蘇る。
メアリーの本当の両親はジプシーだった。
今日よりも酷い嵐の日、メアリーの両親は殺人の罪をなすりつけられ、追ってくる警官から逃げていた。
メアリーの両親はまだ小さかった娘を粉挽き小屋の主人に強引に預け暗闇に消えた。
なきじゃくりながら一緒に行くと暴れるメアリーを足の悪い父に代わって一晩引き留めていたのがダンだ。
メアリーがもがくと、小麦の粉が舞い上がって、それと雨と泥の混ざった匂いが立ち込めた。
暴れているうちに外が一掃騒がしくなった。
警官に追いつかれてしまった両親が「人殺し、金を払えば逃がしてやろう」と詰められ、「本当になにもしていません。日銭しか…ご勘弁を…」と懇願している声が聞こえた。
そして最後に2発、ドンッドンッと何かを殴るような鈍い音と引きずるような音。それからしんと静まった。
粉挽きの主人は恐る恐る外を見ると、すでに誰もいなかった。
暴れるのを諦めたメアリーがぽつりと言った。
「お金がないからママとパパは連れて行かれたの?」
誰も何も言えなかった。
それからメアリーは泣くことはなくなり、粉挽きの娘となった。
粉挽きの主人をお父さんと呼び、ダンのことはダンと呼んだ。
メアリーとダンは粉挽き小屋の裏の川でよく釣りをした。 ダンはいつも慎重で、釣り餌のミミズをちまちまと小さくちぎって針につけて釣りをする。
「こうすれば長く使えるし、魚も警戒しないから……」
「えー?じれったいわね! 釣りはこうやるのよ、エイッ!」
メアリーはダンの餌箱をひったくると、中身を全部川へぶちまけた。
「全部ばらまいたっ!?」と驚くダンをよそに、水面がバシャバシャと激しく波打つ。
狂喜乱舞して集まった魚たち。もはや釣り竿なんて間に合わない。二人は着ていたシャツを脱ぐと網代わりにして、夢中で魚を掬い上げた。
「見て、お父さん! 大漁よ!」
「あはは、メアリーにはかなわないな」
お父さんが笑って、ダンがメアリーのおかげだと笑う。 その日の夕食は、溢れんばかりの焼き魚。お腹をパンパンにして、ダイエットだと言ってジプシーの踊りを踊ったり他愛のないことで笑い転げた。
あの頃のメアリーにとって、魚は計算して釣るものではなく、笑いながら掴み取るものだった。
馬車の窓に映る、やつれた今の自分。
貴族に召し上げられたあの日、この瞳と髪を見初めた夫人は「神様が贈ってくださった完璧なお人形だわ」と自分を品定めした。
5人の息子に囲まれた夫人は女児が欲しくてたまらなかったらしい。
粉挽きの価格の件で、足の悪いお父さんの代わりにダンがメアリーを連れてお屋敷を訪ねていた。
その日、ダンはただ美味しいお茶とお菓子をメアリーに食べさせてあげたいと思っただけだった。
ダンに誘われてついてきたメアリーは、そこで見初められてしまった。
ダンは逆らえぬ身分、メアリーはお金持ちになれると嬉々として受け入れてしまった。
「こんなに素敵なお城にすめるなんて夢のようです」
「あら、ここは全くお城じゃなくてよ。お城はもっと素晴らしいの。もっと尊い方々のお住まいはそれはもう…ウフフフ」
貴族は、とくに夫人はメアリーを王子の側室にするために頑張った。射止めたのは公爵の息子だったが、それでも尊い身分にはかわりない。
良くて側室だろうと思っていた矢先、正室の話が出て舞い上がった。結果は失敗に終わってしまったが。
見てくれは良くても、所詮元は下賤の女だ。利用価値が無くなれば簡単に縁を切った。
懐かしんでいると、ダンがシャッと窓のカーテンを閉じた。
メアリーは両親を救うために、自分を売り続けていたがそれももう出来なくなった。
「……ダン、私は自分を一番高く売る方法をずっと計算してきた。でも、失敗しちゃった」
横に座るダンは、穏やかな微笑みを崩さずメアリーに言った。
「君は、ただ、誰よりも必死に生きてきた女の子だよ。……ねえ、メアリー。こんなタイミングでいうのは気が引けるけど、僕の劇場でまたあのダンスを踊ってくれるかい?」
ダンはメアリーが貴族になったあと、メアリーを取り戻す方法をずっと探していた。
嵐の日に粉挽き小屋に放り込まれた女の子。
話すのが得意でない自分と違い、物怖じせず大胆で計算高い女の子。
ダンがメアリーとずっと一緒にいたいと思うのにそう時間はかからなかった。
貴族になってしまったのは自分のせいで、そのせいでしなくてもいい辛い思いをさせてしまった。
貴族がメアリーを娘にすると言い出した時の醜悪な笑顔は忘れられない。
時折貴族たちから小耳に挟み挟むメアリーの噂は、案の定ひどいものだった。
無類の男好き、婚約者のいる相手にもアタックしているという。
メアリーがお金持ちになりたいのは前から言っていたから知っていた。きっと両親を救うためだと言うことも気づいていた。
助けなければ。
自分が貴族になるのは無理でも、真似のようなことは出来る。粉挽きの息子として貴族たちの間を泳ぎ、気づけば、街一番の劇場のオーナーになっていた。
劇場は「芸術」を愛する場所であるとすでに位置づけた。ダンはメアリーの気高い美しさを守るために、不埒な客をすべて裏で排除する。
メアリーは自分のせいで転がり落ちてしまった。
悪女が放たれるぞと知り合いの騎士から聞いて、迎えに行った今日。
まさかまた泥だらけの彼女を抱えるとは思わなかった。
最初に粉挽き小屋に来た日と同じ、ドロドロのボロボロ。いやそれよりももっと酷い。
彼女は辛い思いをしているのに、不謹慎にもまた会えたことが嬉しくてずっとニヤけてしまった。
馬車の窓の外を見ると彼女に注がれているのは汚物をみるような目線。思わずカーテンを閉じた。
もう充分辛い思いをしたから、もう、見下すような、無粋な目線は誰からも向けさせたくなかった。
後日、劇場の執務室で、メアリーがダンに劇場の経営方針を不満を漏らしていた。
「ダン、あなた経営者として甘すぎるわ。私は私をもっと安売りすれば儲かるのに」
「いいんだよ。トップダンサーはミステリアスの方が売れる。それに君が誇りを持って笑っている、それが僕にとっての一番の利益だから」
優しい微笑みを浮かべつつ、実は街一番の財力を築き上げ、メアリーを守る壁を作っていたダン。
メアリーはダンの仕事ぶりを共演者から小耳に挟み、無欲なおっとりさんから凄腕の尊敬できる人なんだと意識を改めはじめていた。
そして、ある夜。
「お疲れ様、メアリー。君へのとっておきボーナスだよ」
渡されたのは、一枚の書類。
両親の釈放通知書。
そして、部屋の奥から現れたのは、長い服役から解放され、やつれながらも笑っている父と母だった。
「……っ、嘘……」
メアリーの頭の中が真っ白に弾け飛んだ。 自分が体を売り、魂を削り、一生をかけても届かないと思っていた保釈金を、ダンは何も言わずに、何の見返りも求めず、用意していたのだ。
「君が城で必死だった間、僕も君を救い出す準備をしていた。……もう、誰かに媚びを売る必要はないよ。君は自由だ」
メアリーは、粉挽き小屋に放り投げられた日以来一度も流さなかった涙を、決壊したダムのように溢れさせた。
両親との再開を喜んでたっぷり両親と話したあと、涙でグズグズになっているメアリーがダンに言った。
「ダン!私、一生かかっても返せない……!」
「返さなくていいよ。……やっぱり、たまに一緒に釣りに行ってくれたら嬉しいかな」
「なにそれ…!」
数日後。二人は粉挽き小屋の川辺にいた。
相変わらずダンは釣りが下手で、大きな浮きが沈んでも気づかずにメアリーを困らせている。
「ほら、また逃がした! ダンは本当にダメね」
「あはは、そうだね(でも、一番欲しかった獲物は、もう釣り上げちゃった気がするからいいんだ)」
「ちゃんと釣ってよね(このお人好しの天才に、一生かけて恩返しするんだから)」
二人の間に流れるのは、甘く、けれど計算の成り立たない無償の愛。
二人がいつか、お互いを「愛している」と口にするのは、そう遠くない。
そんな心地よい予感に包まれながら、メアリーは世界で一番幸せな計算違いを噛み締めていた。
お読みくださりありがとうございました




