婚約者の侍女を除籍なんて聞いたことありますか?
「マレット・マガヨ! 貴様を我が婚約者の侍女から除籍する!」
勢いよく扉が開かれたと思ったら、予想もしない人物の登場と宣言に時が止まったように感じた。部屋の入口に目を向けると、そこには美少年と呼ぶに相応しいよく知る人物が立っていた。
声の主である、夕日のようなオレンジ色の髪を持つ少年は、レオハルト・ガレッティアス様。ガレナルト王国の第一王子である。
少し遅れて、はぁはぁと息を切らせながら部屋に来た初老の男性は、殿下の執事。いつもはビシッとオールバックで整えられている白髪が少し乱れている。
「で…殿下…ご自分の…言葉に責任を…」
咽ながら殿下に物申す執事に心の中で拍手を送った。
先ほど殿下が口に出した、マレット・マガヨというのは私の名前である。そして、確かに私は彼の婚約者であるミント・レベンティア様の専属侍女。髪も瞳も茶色、髪型は清潔感のあるショートカット。容姿は可もなく不可もなく…所謂、どこにでもいる侍女だ。ちなみに、年齢は三十歳である。
レオハルト殿下の言葉に間違いはない。ないのだが…彼が宣言した『婚約者の侍女を除籍』という、生まれて初めて聞く言葉の羅列に戸惑いしかない。
「あの…殿下、よろしいでしょうか?」
「なんだ?」
「私、殿下に何か失礼をしましたでしょうか?」
原因を探るべく恐る恐る問う。だが、殿下は首を横に振った。
「いや、君はいつも完璧に仕事をしてくれている。この前のミントも、とても可愛かった」
「ありがとうございます」
「だが、君はミントの侍女から除籍する。いいな?」
なんでよ、という出かかった言葉は無理矢理喉に押し戻した。一旦冷静になるため、深呼吸をする。
そもそも、高位の人物から放たれるこういった宣言というものは、婚約破棄が今の貴族界隈の流行りだと聞いた。だが、この二人に限って婚約解消などはあり得ない。
レオハルト・ガレッティアス殿下とミント・レベンティアお嬢様が、婚約を結ばれたのは二人が七歳の時だ。
レベンティア家は公爵の爵位にあたる貴族。王家と公爵家の政略的な結婚であり、そこに初恋や運命といった甘い要素はない。
そう思うのが普通だろう。だが、二人は違ったようだった。幼いながらも二人はお互いに想い合っていた。初恋、という表現が一番近いかもしれない。
カチコチに固まりながらも、一生懸命ミントお嬢様に庭の案内をするレオハルト殿下。殿下が差し伸べられた手に、頬を薔薇色に染めながらもゆっくりと手を重ねるミントお嬢様。そんな微笑ましい二人の逢瀬は見ている者たちに癒しを与えた。かくいう私も、ミントお嬢様からの恋愛相談や惚気話を聞くときは、頬に力を入れるようにしている。そうでもしないと、ニヨニヨと不躾な笑みを浮かべてお嬢様の話を聞いてしまいそうだからだ。
婚約してから七年の月日が流れ、現在のお二人の年齢は十四歳。特に大きな問題はなく、両家の関係も良好と認識している。
そして、本日はお二人にとって大切な逢瀬であるお茶会の日。
数日前からこの日を楽しみにしていたミントお嬢様の身支度は、先ほど完璧に完了した。その後、私はお茶会に出すお菓子やお茶などの最終確認をしながら、テーブルの準備をしていたのだ。テーブルクロスを皺ひとつなく必死に整えようとしている私に、目の前の見た目麗しい殿下は除籍と言い放った。
約束の時間よりはるかに早い時間にやってきたうえ、自分の従者でもない作業している者の手を止めてまで。ひいては、ミントお嬢様専属の侍女である私に対して―
いやいや、まさかそんな…
仮に聞き間違いではなかったとして原因はなんなのか…思索に耽り返答することを忘れてしまう。そんな私の態度に殿下は苛立ったのか、怒りの表情を浮かべ始めた。
「おい、返事はどうした!」
「殿下、落ち着いてください」
呼吸が落ち着いた執事が殿下を諫める。
「僕は冷静だ!」
すぐさま否定する殿下に執事は盛大なため息を吐きながら、頭を抱えた。心労を察し、少し憐れんでしまう。
ツカツカとこちらに向かってくる殿下。私は無意識に体を強張らせた。それは相手が殿下だからなのか、はたまた意味不明な発言をしたこの少年を恐れてなのか。どこか冷静な自分が客観的にみたところ、半々といった感じだ。
目の前までやってきた殿下は、真っ赤な瞳を向ける。強い意志のこもった瞳に炎のような熱いものを感じ、思わず頬が引きつった。
「改めて言おう…マレット・マガヨ、君を僕の婚約者であるミントの侍女から除籍する」
「……えっと、ですね…」
「なんだ、そのふざけた返事は!」
「ここでは…その…詳しくお話を伺えませんから…」
「君が頷けばいいだけの話だろう!」
ここはレベンティア家の客室で、今はお二人の逢瀬のお茶会の時間と家の者は把握している。だから、他の貴族たちがこの場にはいないので、殿下のアホな除籍宣言を口外する者はいない。
だが、壁に耳あり障子に目あり…いつ誰が来るかわからない。加えて今の殿下の声量は、大きい。もし、噂好きのメイド達にでも聞かれたりすれば、恥をかくのはミントお嬢様だ。お嬢様の顔に泥をぬるわけにはいかない。ましてや、第一王子であるレオハルト殿下の評判を下げるわけにはいかないのだ。
なんとか、殿下に落ち着いてもらおうと言葉を選びながら提案をするが、話を聞こうとしない。怒りのボルテージが上がった殿下は、怒声をあげる。
「君より僕の方が頑張っているんだ! 黙って僕の指示に従え!」
ダン!と床に足を叩きつけた殿下に、プチンと何かが切れた。
私の努力や気遣いをすべて無駄にするばかりか、あまりにも身勝手な目の前の子供に何かが冷めていく。
チラリと伺うように執事に視線を送る。何が言いたいか理解した執事は、コクリと頷くと親指をグッと立てた。顔には出ていないが執事も、もしかしたらお怒りモードなのかもしれない。
私は小さく息を吐くと、スッと目を細めた。
「お言葉ですが殿下。私はミントお嬢様のご実家であるレベンティア家に仕える身。殿下の指示を素直に受け入れられません」
先ほどとは打って変わって、きっぱりと言い切る私に殿下は目を丸くした。無表情に殿下を見据える私の茶色の瞳に、殿下は動揺したのか数歩後ろに下がる。
だてに名誉あるレベンティア家の長女である、ミントお嬢様の侍女を務めているわけではない。修羅場とまではいかないが、それなりの経験はつんでいる。殿下といえど、たかが十四歳の子供相手におくれをとるわけにはいかないのだ。それに、三十歳の威厳というものもある。
一瞬怯んだ殿下ではあったが、すぐに立て直したようだ。
「僕はミントの婚約者だ。レベンティア家の事に口出しをしても不自然ではない」
「筋が通っていないと言っているんです。それに、この件に関して旦那様や国王陛下はご存じなのですか?」
「そ、それは…」
ぐっと言葉が詰まっていることから、殿下の独断で動いているのが明確に分かった。
先ほど殿下からも言われた通り、私は仕事に関しては結果をだしている。
正直言うと、他家からの引き抜きの話も何件か頂戴したことがある。もちろん、いつも丁重にお断りしている。どんな好条件であったとしてもだ。それを聞きつけた旦那様から、レベンティア家に対しての絶対的な信頼を私は得ることとなった。そして、それは公爵家の長女であり、未来の王妃になるミントお嬢様の専属侍女に任命されるという形となったのだ。
そんな私を不祥事も起こしていないのに、旦那様がクビにするなどありえない。
少し考えれば分かりそうなことなのだが…そこは箱入り息子。考えが及ばなかったようだ。
「殿下にどのような意図があるのか分かりませんが、私はミントお嬢様のお側から離れるつもりは微塵もございません」
強い意志を込めた言葉が静かに部屋に響く。
ミントお嬢様が生まれた時から、私の覚悟は決まっている。何があっても私は、お嬢様をお守りするのだ。
少し俯いていた殿下の肩がわなわなと震えているのが分かる。
「うるさい! 僕が除籍といったら、除籍なんだ! ミントから離れろ!」
「そもそも…除籍の理由はなんなのですか?」
ここで、事の発端である除籍の理由を知らされていないことに気が付いた。殿下の言葉から察するに、私に対しての嫌がらせの類では無いことは分かる。ミントお嬢様から私を切り離して、何の得があるのかいまいち理解できないのだ。
キーキー騒いでいた殿下の声がピタリと止まり、妙な緊張感が漂う。
「だって…君がいたら、僕は…いつまでも、ミントの一番になれないから…」
ポツリと殿下の口から落とされた除籍の理由…
「はぁ?」
率直な気持ちが口から飛び出してしまった。私の間抜けな声に、執事が顔の半分を手で覆ってしまっている。執事は知っていたのだろうか…
意味が分からないという声に、殿下の眉がキッと吊り上がった。
「君には分からないだろうな! ミントにとってずっと一番だった君に…僕の気持なんて!」
「いや、どこの乙女ですか貴方は…」
初恋故なのか、年相応なのか…くだらなすぎる小さな嫉妬に、こめかみが痛んだ。
思わず吐いてしまったため息に、殿下は唇を嚙み締めた。そして、ポロポロと瞳から涙をこぼし始めた。突然の展開に思わずギョッとしてしまう。
「僕は…僕はミントの一番になれるように努力した! でも、彼女の心にはいつも君がいる!」
「そんなことは…」
「家柄も容姿も頭も、平均よりちょっと下の君が!」
「突然の悪口ですね」
流れるように飛び出した悪口に、殿下を励まそうとした自分に怒りを抱いた。
殿下の努力は確かに相当なものだ。ミントお嬢様と婚約をした次の日から、家庭教師達から逃げなくなったらしい。そればかりか、自主練や教師への質問を積極的にするようになったと聞いた。
殿下の喜ばしい変化の要因になっているのは、ミントお嬢様だと周りが気付くのに時間はかからなかった。
ミントお嬢様と結婚するため、他の国王候補に負けないよう殿下は大嫌いだった勉強から目を背けなくなった。そして、その努力の成果をいつも一番にミントお嬢様に披露するのだ。
殿下の成長を心から喜ぶミントお嬢様に、彼のモチベーションはますます上がり、今では神童と呼ばれるくらい目覚ましい成長をされた。
恋をしたら変わる、殿下は典型的なそのタイプのようだ。
大きく深呼吸すると、殿下…もとい、恋する青春真っ盛りの少年に向き合う。
「伝えればよかったではないですか。マレット・マガヨの名前を出さないで、と」
優しいミントお嬢様のことだ。はっきりと、思いを伝えれば殿下の気持を汲んでくださる。それに侍女の話などせずとも、お二人の中で話題は尽きないだろう。
「ダメなんだ…」
言葉をこぼすと共に、殿下は弱々しく首を振った。首をかしげる私を感じ取ったのか、殿下は言葉を続けた。
「公爵令嬢ではない、ミントの本当の笑顔がこぼれるのは…君の話題だけなんだ」
普段は公爵令嬢として、凛と美しく佇むミントお嬢様。
第一王子であるレオハルト殿下の婚約者ということは、ゆくゆくは王妃になるということ。公爵令嬢として優秀だったとはいえ、この国の象徴である王妃になるためには、特別な教育が必要だった。それはとても厳しく辛いもの。幼いミントお嬢様が耐えられるのか、正直不安なくらいに…
けれど、そんな不安など不要だった。なんとミントお嬢様は、歴代最高の成績で王妃教育を終えたのだ。周りからは淑女の鑑だ、と言われるくらいにミントお嬢様の努力は実を結んだ。
だが、いくら殿下と互いを想い合っていても、誰もが認める優秀な令嬢であったとしても、王妃の座を狙う者は多数いる。
王妃でなくても貴族の令嬢の常識として、少しでも隙を見せれば、殿下の隣はすぐに奪われてしまう事を知っている。それを避けるためにも、ミントお嬢様はいつも公爵令嬢として背筋を伸ばしているのだ。
けれど、そんな彼女でも私の話題になると花がほころんだように笑うらしい。コロコロと表情を変えて楽しそうにするミントお嬢様が、殿下は愛おしいのだ。
「僕は…その笑顔が引き出せないのが悔しい。僕だけを見て、笑ってほしい…ミントにとって一番になりたいんだ」
令嬢としての仮面を取ることは難しく仕方がないこと、と頭でわかっていても、心では理解できない…そんな抑えきれない感情が嫉妬となって爆発してしまった、というのが今回の騒動なのだろう。
自分の小さな嫉妬心だけで、彼女の笑顔を壊したくない殿下にほんの少しだけ笑みを浮かべてしまった。そんな優しい殿下だからこそ、ミントお嬢様は彼を愛しているのだろう。その想いが伝わっていないことに、歯がゆさを感じてしまう。
「レオハルト様」
柔らかく澄んだ声が耳に届いた。無意識に姿勢を正し、頭をさげる。
たおやかなブロンドの髪を背中に流し、春の日差しに照らされた若葉のような新緑の瞳。公爵令嬢だというのに、アクセサリーは小さなルビーが一粒輝くネックレスのみ。オレンジ色のドレスは無駄に着飾らない彼女と同じようにシンプルなデザインのものだ。彼女が持つ本来の可愛らしさを、よく引き出している。
我が主にして殿下の婚約者、ミントお嬢様の登場だ。
ニコッと微笑むミントお嬢様に、レオハルト殿下は慌てて涙を拭う。カッコ悪いところを見られたくない心理が働き、ササッと身なりを簡易的に整える。
「や…やぁ、ミント」
「レオハルト様…申し訳ございません。先ほどのお話、全て聞いておりました」
ミントお嬢様の言葉に殿下の肩が大きくはねた。
「全てって…どこから?」
「マレットを除籍にする、というところからです」
それって全部じゃん、と思ったが言わないでおいた。殿下の顔色が、可哀想なくらい真っ青に変化したからだ。
「レオハルト様…私、怒っております」
「ご、ごめん…君の侍女を勝手に除籍にしようとして…」
「それもございますが、もっと別のことです」
謝罪の言葉を出した殿下に、悪いとは思っていたのかと感心した。
首を横に振るミントお嬢様に、殿下は首をひねる。思い当たる節がないのか、執事に目を向けるが答えは返ってこない。混乱している殿下にミントお嬢様は、胸元で輝くルビーに手を添えた。
「このネックレスに見覚えはございませんか?」
「…えっと……」
「レオハルト様が私に最初にプレゼントしてくれた手作りのネックレスです」
愛おしそうにルビーを撫でるミントお嬢様に、殿下は大きく目を見開いた。
そのネックレスは殿下が八歳の頃、ミントお嬢様の誕生日プレゼントに内緒で作った物だ。無骨ではあったが、殿下の心が籠ったそれは彼女の宝物となった。どんなに豪華で美しく色鮮やかなアクセサリーがあったとしても、許される場所であれば、必ずこのネックレスを身につけることを選ぶ。
「レオハルト様がいたから、私は王妃教育を頑張ることができました」
ミントお嬢様が王妃教育を頑張ることができたのも、周りからの重圧に耐えられるのも全ては殿下に相応しい淑女になるため。
「貴方の隣に私以外の女性が立つなど…想像もしたくないほど苦しく、胸が痛むことなのです」
いつか現れるかもしれない、別の王妃候補にミントお嬢様は恐怖を抱いていた。それでも愛する人の隣を、胸を張って歩めるよう、彼女は努力を惜しまなかった。未来の王妃としてではなく、一人の恋する少女として。
「それなのに…私の心に貴方がいない、と…どうして、そんな悲しいことを言われるのですか…」
悲しげに微笑むミントお嬢様。殿下の炎の瞳に、水が宿っていく。
「ごめん…ごめんよ、ミント。君の想いに気が付けないなんて、僕はまだまだ未熟だ」
「いえ、きちんと言葉にしなかった私も悪いのです。ごめんなさい、殿下」
涙をこぼさないように袖で目を擦ると、殿下はミントお嬢様の手を両手で包んだ。その暖かさは、彼女の悲しみを喜びに変えた。殿下の言葉に、ミントお嬢様は恥じらいながら応える。
「私、貴方のことを心から愛しております。私の心には…レオハルト様は一番の存在でございます」
「ミント…僕も君を心から愛している」
お互いの気持ちがやっと通じ合った二人に、胸をなでおろした。
殿下は一輪の花を慈しむように、ミントお嬢様の頬に手を伸ばした。だが、ミントお嬢様はするりとその手を避けた。驚く殿下をよそに、ミントお嬢様は私の隣に並んだ。
「み…ミント?」
「ですが…それは異性の中で、という意味です」
「異性?」
「はい。この世に生ある者の中で、私の心の隙間を埋めてくれる…一番愛おしい存在…」
ミントお嬢様はギュッと、私の腕に自分の腕を絡め抱き着いた。
「それはマレットであることは変わりありませんわ」
「何言ってんの!?」
とびきりの笑顔のミントお嬢様。対照的に真っ青になる自分の顔。主従関係を忘れて素でツッコミを入れてしまうほど、私は焦った。敬語を忘れた私に、ミントお嬢様は嬉しそうにほほ笑んだ。
「ウフフ、冷静でないマレットを見るのは久しぶりですわ。それに普段から、敬語なんていりませんのに」
「いやいや、無理ですよ! ご自分の立場をお考え下さい!」
綺麗にまとまりそうだったのに、わざわざ火に油を注ぐ主に冷静な対応なんて無理な話だ。ポカーンとなっていた殿下は、言葉の意味を理解すると顔を一気に赤く染めた。
「貴様ぁ! やっぱり、除籍だ! 除籍!」
「ほらぁ! 殿下の怒りが再燃したではありませんか!」
「あら、私嘘はつかない主義ですの」
「いやはや、マレット殿とミント様は本当に仲がよろしいですなぁ。殿下も頑張らないと」
「執事さん! 余計なこと言わないでください!」
ウフフと花のように笑うミントお嬢様。烈火のごとく怒りを露わにするレオハルト殿下。遠くからその様子を和やかに見守る執事。
私の苦悩を理解するかのように、お茶会の始まりを告げる鐘が遠くで鳴っていた。
読んでいただき、ありがとうございます。
2024/02/12 誤字脱字報告、ありがとうございます。
☆この作品はカクヨムでも公開しています。