第二話
翌日も、息苦しいほど暑い空気が、街を包んでいた。
東風谷さんに連絡を取ろうとしても、返事が来ない。気分転換に一人ででも勉強しようと、涼める場所を探していたが、考えている事は皆同じようで、図書館は勿論、喫茶店も他の施設も、どこもかしこも人でいっぱいだった。
椅子取りゲームに負けた僕は居場所を失い、途方にくれていた。
どこでも良い。冷たい飲み物を飲んで落ち着ける場所に行きたい。そんな願望を強く抱きながら、アスファルトが跳ね返す熱気を足で受け止めながらさまよい続けていた。
うな垂れていた僕の背中に、誰かが冷たい物を落とした。突然の出来事に僕はうひゃあと悲鳴を上げる。すぐさま、真後ろで僕の声に爆笑していた犯人を確認した。
「凄い声出したな、お前」
「茅野くん!」
僕は犯人の名前を呼んだ。彼は、昨日偶然出会ったクラスメイト、茅野だった。
茅野は進級しクラス替えをしてから出来た友人だ。もともといたずら好きな性格だったが、彼は僕の事を都会から来た子供だと馬鹿にすることなく、他のクラスメイトと分け隔てなく接してくれた。
「いやぁ、見覚えのある背中がひん曲がっていたからなぁ、つい元気をあげたくなったのだ」
彼は手に持っていた氷アイスをゆらしながらおどけていた。おそらく、僕が感じた冷たい物はその味のついた氷アイスだったのだ。少しだけもったいないなんて感じてしまった。
「別に良いけど。それより昨日はごめん、ちょっと急いでいて……」
「気にせんよ。急いでたっぽいしさ」
茅野は笑ってそう返してくれた。
「にしてもあんな場所で何してたんだ?」
その問いに僕は再び答えられなくなる。暫く返答を考えていると、ナンパなのかと聞かれた為、僕は否定した。
「まぁ、すげぇ焦っていたのはわかっていたからさ。流石にナンパじゃないか」
「そういうのじゃないよ……ただ、友達と話していたら口論というか、ちょっとした言い合いになりそうになって……」
「友達って、やっぱあの緑髪の人?」
僕は静かに頷く。
すると彼は、目を右に左に泳がせ、暫く唸っていた。そして、意を決した表情を見せ、彼はもう一つ僕に問いかける。
「あの人って、東風谷さんだろ?」
茅野の問いに僕は肝を冷やした。さっきまでの蒸し暑さが吹き飛んでしまったほどに。
彼が東風谷さんを何故知っているのか。否、地元の人ならば彼女の事を知っていてもおかしくはない。ただ、今まで彼女のことを話題にあげていなかった為、不意に当てられたことに僕は何も答えることが出来なくなってしまった。
しかしそれこそが、正解であることと理解できたのか、茅野はやっぱりなと納得していた。
「俺達のクラスに、噂好きな女子がいるだろう?あいつが最近お前と東風谷さんが二人でいる事を言っていたんだよ」
茅野が言ったその女子は、学校でも有名な噂好きの生徒だった。彼女は噂を集める事も広める事も大好きで、特に色恋沙汰に関しては目がなかった。
そんなゴシップ少女が広めてしまっている以上、学校で噂になるのは時間の問題だろう。
「しかし、お前が東風谷さんと知り合いだったとはなぁ。お忍びって事は、あいつの噂はマジなのか?」
「まさか、普通の友人だよ……」
ぺしぺしと叩く手を払いながら答えた。
つまらないと呟いた茅野に、僕は心の中で同意する。
「東風谷さんに勉強を教えてもらっていたんだ。教え方もうまくてさ、よく図書館で教えてもらっていたんだよ」
「ほぉん、教え方がうまいからねぇ……でも、その割にはあまり良い別れ方ではなかったと思うがなあ。」
彼の言葉に僕は何も返せず言い淀む。
そう、彼は実際の現場を見ていた。喧嘩別れしたところを。
「あの時は俺も変なタイミングで話しかけたのが悪かったな。すまなかった」
「茅野のせいじゃないよ。その前から、少し口論みたいな事にはなって……」
このまま、彼に悩みを打ち明けたい気分だった。しかし、それがはたして適切な手段なのか、すぐに乗り切れなかった。
そんな僕を見かねたのか、茅野は住宅の奥を親指で指しながらちょっと付き合わないかと僕を誘った。
いつもからは想像もつかない、真面目な表情だった。僕がぎこちない頷きを返す。
僕と茅野は、大通りを外れ、車が一、二台ほどしか通れない細い小道を歩いて行った。
「ここら辺で良いな」
茅野がそう言ったとき、目の前にあったのは空き地のような場所だった。僕たちはガードレールを乗り越え、敷地内に侵入した。
「ここ、なんだっけ?」
「スケートリンク場。冬だとそこそこ人が集まるけどな、今は季節が違うから人があまり通らないのよ」
そう言うと茅野はその場に座り込み、隣の地面をたたく。僕は彼が叩いたその場所に座り込んだ。
「さて、どこから説明するかな」
「ど、どうしたんだよ」
普段と違う彼の様子に、僕はいつの間にか不安で声が震えていた。
怯えてるように見えた僕の事を、茅野は笑いながら背中を叩く。
「そんな声出すなよ。今から怖い話をするわけじゃねぇんだ。ただまぁ、お前がちゃんと知っているか、知らなくても知っといた方が良いだろうと思ってさ」
それは東風谷さんの事だろうか。
そう尋ねた僕に頷いて答えた茅野の顔は、少し切なそうな顔をしていた。
「あの人は、俺達の間じゃあ相当な変わり者って事で有名なんだ」
「変わり者?」
「あぁ、俺達とは雰囲気が違うというか、話す事もてんで不思議な事ばかりというか……」
確かに、彼女の雰囲気は不思議だ。初めて出会った時から、どこか浮世離れしているような。けれどそれは異質と捉えるほどではないとは思っていた。
「去年転校してきたお前は知らないだろうが、あの人には関わらないって暗黙の了解があるんだ」
「なんだって!?」
彼の突然の告白に、僕は声を荒げる。ハッと我に返った僕はすぐに彼に謝った。
「いいんだよ。聞き返したくのも、なんとなくわかる」
彼の言葉に僕はそうだよと答える。
東風谷さんが何故、そんな村八分みたいな扱いを受けなければならないのか、理解できなかった。
「彼女はいつも優しくて、誰かを虐げるような事は喋らないし、誰かを悪く言うこともないのに……」
うわごとのように呟いていた僕の隣で、茅野は静かに頷いてくれていた。
空を仰ぎながら、東風谷さんにしてくれた事を僕は思い返す。
彼女が周りから孤立する理由がなんなのか。だが心当たりは簡単に思いついた。
「もしかして、この街の伝承のことなのか……?」
僕の問いかけに、茅野の顔が強張った。彼は御神渡りを見た翌日の、当時のクラスメイトと同じ目をしていた。
それこそが、タブーな領域なのだろうか。
「そうなんだな?」
たたみかけて尋ねた僕に、彼は聞き返す。
「どこまで知っている?」
「この街に伝承があることは、東風谷さんから何度も聞いた。きっかけは、一月の御神渡りだった」
僕はそれから、この街にある伝承の事を彼女から聞いた。
七不思議と言われる数々の伝承が残っていることも、この街を遠い山から見守る土着神がいる事も、そしてそれらのお話は、今では誰も語らない事を、僕は東風谷さんから聞いていた。
そのことを茅野に話すと、彼はそうかと一言呟き、拳を口にあてて考え込んでしまった。
「お前はそれを聞いた時、何も思わなかったのか?」
暫くして、茅野は僕に尋ねた。
「不思議なことだなとは思った。でも、東風谷さんといると、その伝承がとても面白い物だと思っていた」
「怖いとは思わなかったのか?この街に纏わる事も、あの人のことも」
「まさかそんな……!」
僕は思わず立ち上がり、彼に反論した。
「怖いはずがない、僕に優しく接してくれたあの人を、怖く感じるはずがない!昨日だって僕の勉強を見てくれた。確かに他の人とは違う事を知っていて、それが好きなのが不思議かもしれないけれど、東風谷さんは普通の女の子じゃないか!」
茅野は目を見開いていた。僕が大きな声で反発した事が、驚きだったのだろう。
なんだか、東風谷さんのこととなると、情緒が不安定になってしまう。僕は再び彼に謝った。
「ごめん……君も僕のことを気にかけて話してくれているのに」
「いいんだ。お前が優しいのも、そして東風谷さんとそれほど仲が良いってことなんだろう。だからなんだろうな」
言葉尻にそう呟いた彼は、また何か考え込むように拳を口にあてた。
「昨日、僕は確かに東風谷さんと喧嘩別れした……あの後、僕は東風谷さんを探しに行ったけど、見つからなかったんだ」
いつの間にか僕は彼に昨日の出来事を打ち明けて、心情を吐露していた。
「僕は本当に、彼女といるのが楽しいんだ。でもそれは彼女にとっては本当は困らせてしまう事だったのかもしれない」
「何故、そう思うんだ?」
「東風谷さんは、僕はここにいてはいけないと言ったんだ。元いた故郷に帰った方が良いと」
「東京に帰れってことか?」
「うん。僕は出来れば、東風谷さんとこれからも仲良くしたいと思ってて、この街の伝承の事を語り継ぐ手伝いをしたいと思っていたんだ。でも東風谷さんはそれを良くない事だと思っているみたいで……」
難しい表情を続ける茅野に、僕は尋ねた。
「ねぇ、東風谷さんは僕や君と違うの?彼女は、いったい何者なの……?」
僕の問いかけに、茅野は答えなかった。
暫く黙りこくった後、出てきた答えは歯切れの悪いものだった。
「東風谷さんは、普通の女の子なんだろうよ……すくなくとも、お前の前では」
「でも、僕が聞きたいのは────」
「聞きたい事とは違うだろうけど、でも東風谷さんはそうでありたかったんじゃないのか」
質問を遮って、彼はそう言った。
どうも、腑に落ちない。誰もが東風谷さんが何者なのか教えてくれないなんて。
「もし聞きたいなら、彼女に直接聞けば良い」
彼の提案に僕は唸った。
それが出来ればなんの苦労もないのだが……
「そうだ、お前に良い情報を教えてやる」
彼はわざとらしく、言葉通りに膝を打った。
茅野が次に案内したのは、とある掲示板の前だった。
なんでもないただの町会掲示板に貼られていた文字を僕は読み上げる。
「花火大会……今週末の夕方に、湖で」
掲示板に貼られたポスターは、この夏で最後の花火大会のお知らせだった。
この街には、毎年いくつかの花火大会を開催している。
ひとつめが、貼られている湖上花火大会。
ふたつめは前述の花火大会を除き、毎年七月下旬から三十五日間かけて開催されるサマーナイト花火大会。
三つめが、こちらも七月に行われている宿泊感謝イベントで、湖南側の温泉街で行われている。
今、ポスターに貼られている湖上花火大会は、名称のとおり湖の上から発射されるわけだが、その数も他に負けないほどの大多数で、約四万発の花火がこの街の夜空を彩る。
「全国屈指の花火大会だ。盛り上がる事も間違いなしだぜ」
茅野が僕の隣で誇らしげにしている。
確かに、去年ここに引っ越してきた時には行事は既に終わっていたし、七月に行われた花火大会は勉強に集中していて見る事も忘れてしまっていた。
「仲直りして行ってこいよ」
茅野は僕にそう提案した。
出来るかな、と弱音をぼそりと呟いた僕の背中を、彼は強くたたく。
「東風谷さんは、嫌いになったからお前から離れたわけじゃねぇよ」
「そうかな……」
「そうとも。お前には、昔あった事やこの街の空気に染まりきった先入観はない。だから贔屓目なく彼女に接することが出来た。それから交友をずっと続けているなら、東風谷さんは怖い存在ではないんだろうな」
茅野は笑みを浮かべながら僕に話す。
「影ながらで悪いが、応援してやるよ」