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東風の便り  作者: 啝賀絡太
第二章  風祝の少女
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第一話

「……くん、大丈夫ですか?」


 誰かに呼ばれた気がした。


 はっと僕はジャーキングのように一瞬痙攣し、顔をあげる。目の前には、髪を後ろにまとめた東風谷さんが、こちらの様子を窺っていた。


 口からよだれが垂れたまま僕はなに?と答えたつもりだったが、寝起きの口は思ったより上手に動いてくれなかったようだ。そうとう酷い滑舌だったのか、東風谷さんは吹き出した。


「ごめん、ちょっと今日は寝てなくて……」


 言い訳じみたことを言った僕に、東風谷さんは笑いながら気にしないでと言ってくれた。


「最近は勉強づくめでしたものね。今日はもう終わりにしますか?」


「いいや、まだ頑張るよ。自分で決めたことだからね」


 僕は机にかじりつきながら答え、目の前にある参考書を再度見つめ直した。


 御神渡りの出会いから、僕と東風谷さんは学校の外で会話するようになった。


 普段から制服を着ていなかったために、どこに通っているのか見当つかなかったわけだが、本人にはもちろん、学校のクラスメートや先生にも聞いていない。それを詮索するのは野暮だと思っていた。


 そんな事よりも僕は、彼女と話すことがなによりも楽しかったからだ。会話の内容は、この町の出来事やとりとめのない話だってしていたが、一度たりとも飽きたことはない。


 中学生最後僕達はもう受験シーズンに入ったわけだが、塾には行かず、東風谷さんに勉強を見てもらっていた。学校では会えない分、少しでも彼女と一緒にいたいと考えていたからだ。


 彼女は勉学の方も優れているようで、僕が苦手だった教科についてもスラスラと教えてくれた。


「うーん、このままだと高校受験も不安だなぁ……」


「大丈夫ですよ。こつこつと一つずつ理解していけば、今からでも間に合いますよ」


 励ましてくれる東風谷さんに、いつもごめんねと言う。彼女は優しい顔をしながら、好きでやっている事だから、と首を横に振った。


「それにしても、もう少し真面目に授業を聞いていれば、勉強も楽だったんじゃあ」


 いたずらに笑うような顔で言ってきた言葉に、僕はぐうの音も出ない。おっしゃる通りですと、苦笑いを返してから目の前の問題に向き合う。


 英語なんてからっきしだったが、将来的にはきっと必要となるのだろう。


 それにしても、普段使わない言葉の勉強はとても難しい。東風谷さんの言う通り、こんなことなら普段からもっと勉強するべきだったと、後に立たない後悔を頭の中で広げていた。


 勉学は昔から苦手だったわけではない。ただ、中学に入ってから算数は数学に変わり、英語という科目が新たに増えた。


 最初こそ新鮮に感じながら頑張って真面目に授業を受けていたが、一度体調を崩して一週間ほど学校を休んでからは、内容がさっぱりわからなくなり、だんだん内容についていくことが出来なくなった。


 この街に訪れた頃には、授業中もゲームをすることが多くなるほど、身に入りづらかった。


 そんな粗悪な授業態度をしていれば、内容なんて身に入るわけもなく、今年の春ごろにはこのままだと選べる進路が限られると担任の先生に脅された。


 進路については未だ決めかねていたが、それでも出来る限り行ける学校の選択肢を増やしたいと思い、中学一年の頃からの復習からやり直していた。


 問題文とにらめっこしていると、じっと視線を感じた。見上げると、確かに東風谷さんが僕を見ていた。


「どうかした?」


 僕が尋ねると、彼女は首を横に振り、なんでもありませんと答えた。そっか、とだけ答えて僕は再び問題を解き始める。その後も柔らかに彼女の視線がじっとりと僕の頭頂部を刺していたような気がした。


 いつもなら図書館の中の本を借りて読んでいたが、今日は珍しい。読書も趣味の一つだと前に聞いたことがあり、解説を求めず自力で問題を解いている間は彼女も黙々と本を読んでいた。静かに読んでいる様は、普段からの彼女を想像するに容易い。


 だが今日に限って、東風谷さんは僕の事をずっと見ていた。長くこの図書館を利用し続けたのでとうとう読むものがなくなったのだろうか。


「今日は早めに切り上げようか?」


 僕はそう提案したが、彼女はそれも首を横に振った。


「私は、問題を解いているのを見ているだけですので」


 東風谷さんは微笑みながらそう答えた。不快ではなかったが、なんだかこそばゆい気がした。


 彼女の視線を感じながら問題を解き続け、解き終わったら答え合わせをしつつ、わからない事は東風谷さんに聞く。そんなことを繰り返していると、窓の外からさしていた光はいつの間にか山の中へと隠れていた。


 集中力が尽きた僕は、深く息を吐きながら、大きく身体を伸ばした。


「本日もお疲れ様でした」


 優しく声をかけてくれた東風谷さんに、僕はお礼を返す。


 今日でようやく、現在の授業内容に追いついた。


「素晴らしい継続力ですね」


「いやいや、東風谷さんのおかげだよ」


 僕の言葉に東風谷さんは謙遜していたが、偽りなく僕は東風谷さんをほめる。


 実際、東風谷さんの解説のおかげで理解することが出来た箇所がいくつもあった。伝承について聞くときもそうだが、東風谷さんは教えるのがとても上手だ。


「おかげで、ある程度の高校でも受けることが出来そうだ」


「高校……どこか、行きたい高校とかはあるんですか?」


「いやぁ、実はまだ特に決まっていなくて……なりたい職業とかも特にはないけど」


「やりたい事とかは?」


 尋ねられ、僕は考えを巡らせている。


 将来になりたい夢は小学生の頃にあったが、今となってはその分野に触れる事も少なくなっていた。


 興味がある事と言えば、地域伝承についてだろうか。僕がそう答えると、東風谷さんはたいそう驚いた様子でそうなんですかと言っていた。これもまた、東風谷さんのおかげなのだろう。


「いろいろと面白い話や興味深い話を教えてもらえたし、それが知られないっていうのはやっぱり寂しいと思う。だから、出来ればこの町でもっと昔のことを知れたらなって……」


 僕がそう言ったとき、東風谷さんは数歩後ろで立ち止まっていた。東風谷さんはお礼を述べたが、どうにも表情はどこか重苦しそうにしていた。


「ありがとう……ございます。でも、それはやめた方が良いと思います」


僕は彼女の返事に、返事をする方もできず困惑する。


「君はきっと優しい人だから、気を利かせてそう言ってくれているんでしょう?」


「気を利かせてなんて、そんなつもりは……それに、僕は本気で」


「簡単に言わないで!」


 彼女は僕の言葉を遮る。彼女が激昂している様子を見るのは初めてで、僕は当惑した。


「そんなに本気でなんて言わないでください……この街の人たちの様子を、あなたは何度も目の当たりにしているはずです」


 彼女に言われ、僕は思い出した。


 この街の人々の、伝承に対する姿勢を。


「もしこの地の伝承が気に入っていただけているならば、それだけで嬉しいです。でもそれならば、あなたはこの街にいない方が良い……」


「そんな、どうして」


 理由を尋ねても彼女は口を開いてくれない。


 そんな時に、背後から僕を呼ぶ声が聞こえてきた。振り返ると、そこにはクラスメイトが、遠めに僕を呼んでいた。


「そんなところで何をしているん?」


「い、いや……その……」


 彼の問いに僕は戸惑う。


 彼女との関係を明かしても良いのだろうか。そう思い、東風谷さんの方を向いたがその場に彼女はいなかった。


「近くにいた女の人なら、俺らが近づいた瞬間に向こうに走って行ったけど、知り合い?」


「ごめん!また今度!」


 答えになってない返事をして、僕は急いで彼が指さした方向へ走っていく。


 何度か呼び止められたような気がしたが、それでも僕は走る事をやめられなかった。


 僕はとにかく走り回った。しかしこの広い土地で少女一人見つけることは無謀に近く、結局僕は彼女を見失ってしまった。


「何か、事件に巻き込まれたのかね?」


 家に帰ってきた僕に、叔父が心配そうに話しかける。それもそうだ、僕がこんな遅くまで外に出ていた事なんて、今まで一度もなかったのだから。


「ううん、なんでもないよ。少し、道に迷っただけ」


 僕は笑顔を作ってそう答えた。叔父は一度大きく息を吐き、それなら良かったがと小さく呟いてた。


 最近、叔父は僕のことをよく気にかけている。どこに出かけるのかとか、誰に会うのかとか、そういった事を聞くようになっていた。


「今日も、東風谷さんと会ったのか」


 そして、ほぼ必ずと言っていいほど、この質問をする。その時の叔父の顔は張りつめていて、なんだか不快だった。


 僕は頷いた後、勉強を見てもらっていたと答える。叔父はそうかと呟き、うつむきながら何度も頷いていた。


「ねぇ────東風谷さんは、どんな人なの?」


 思い切って、僕は今まで周辺から覗いていた領域に踏み込んだ。


 しかし叔父は僕を一瞬見た後、目をそらし、お前は知らなくて良いとだけ答えた。


「知らなくて良いって……でも僕は──」


「夕飯、居間に置いてあるから。レンジで温めてから食べておいで」


 言及しようとした僕の言葉を遮って、叔父はそれだけ言うと自室へ戻ってしまった。


 僕が聞こうとしたことは、勝手にタブーだと思い込んでいたことで、それは間違いないのだろう。けれど、彼女の今日の様子を見ると、彼女以外から彼女の事を聞いた方が良いのではないかと思った。


 不自然にあたたかくなった夕飯を食べながら、僕はひたすら東風谷さんのことを考えていた。

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