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東風の便り  作者: 啝賀絡太
第一章  御神渡り
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第三話

「ご無沙汰しております」


 東風谷さんが挨拶をする。もちろん、僕に対してではない。僕が今見えていない何者かに対してだ。


 今、僕の側を通り過ぎたその者は僕と東風谷さんの間、少し右にずれた場所にいるようだ。断片的なので、内容はわからないが、東風谷さんはその者と世間話を交えていた。


「えぇ、その節は大変お世話になりました。今日ですか?実は御神渡りに興味のある子がいて……はい、関東の方から来たようなのですが、最近来たばかりなので見るのは初めてだと……えぇ、折角ですからその目で見ていただこうかと思いまして」


 一通り説明を終えた彼女は最後に僕を見ながら、彼がそうですと、微笑んだ。


 僕は誰と喋っていたのかわからないが、その者がいると思われる方向を見てあいさつした。


「ど、どうも。よろしくお願いいたします」


 ぎこちない挨拶だっただろう。自分が見る先に誰かがいるのはわかったが、どうもそれが本当なのかまだ半分疑った心持であり、そんな中で誰もいないその空間へ挨拶するのは違和感があった。


 だが、もう半分はその場に誰かがいるのを信じていた。だからこそ、何か挨拶をせねばと考えたのだ。


 一瞬だけ、その姿が見えたような気がした。その相手は男性だっと思う。返事こそなかったが、挨拶は無駄ではなかったようだ。


 僕と東風谷さんと共に三角をつくる一角の、その何者かがいると思われる場所からふわりと小さなつむじ風が生じた。と次の瞬間にはその誰かは湖の方へ跳んで行ったようで、例の氷の筋の端に降り立ったようだ。


 無論、降り立ったというのも僕の憶測にすぎない。だが、 筋の端が少しだけ崩れた。まるでその上に人が乗ったかのように。


 湖に駆け寄ってより近くで見ようとした時、イメージしていた面影はさらに濃くなっていく。


「ちゃんと見ててね」


 東風谷さんがすぐ隣で、僕と同じように湖を見ている。そして彼女は突然、僕の左手を握りしめた。すると、氷の筋に立っている男性の面影がはっきりと見えるようになった。


 男性は、今に歩き始めようとしていた。片手を天に掲げ、そして湖面と水平になるまでゆっくり腕をおろす。すると、湖全体がきしむような音で鳴き始め、男性の前方の氷の筋が少しずつせり上がっていき、湖の反対側へと続く一筋の道が出来上がった。


 男性は何も言わず、僕らに背を向けて去って行く。


 彼は何者だったのだろう。そう疑問に思った僕の心を読んだかのように、東風谷さんが隣で答えてくれた。


「彼は、近くの神社に祀られている神様なの」


「神様……それじゃあ、これが」


「そう、御神渡り。あの人は湖の向かい側……下諏訪にいる神様に会うために、この氷の湖を渡っているんです」


 あの男性の神様は、年明けになると下諏訪にいるとある女性の神様に会いに行っているらしい。御神渡りの氷の筋は、彼が凍った諏訪湖の上を通るときに、湖面を割らない為に作り上げた彼の為の道筋らしい。


 毎年会えるわけではないため、彼はいつも急いでいるそうだ。


「これが、この土地に伝わる御神渡りの伝承……」


 僕は、口の中にたまっていたつばをゆっくり飲み込んだ。気が付くと、僕は東風谷さんの手を強く握りしめていた。気が付いて、僕はごめんと一言謝って手を放す。


 小さく見えていたあの神様は、気が付くと跡形もなく、目の前にはせり上がった大きな氷の筋しか残っていなかった。


「信じてもらえますね」


 東風谷さんは笑みを浮かべながら僕にそう尋ねた。あの男の神様は決して影が薄かったわけではない。最初は僕が見る事が出来なかったのだ。それでもはっきりと見えるようになったのは、東風谷さんの手を掴んでからだ。


 今まで存在を確信しきれなかったもの。作り話と同様、想像上の存在でしかないと思っていたもの。


 それらを今、僕はこの目で見た。寒さによる幻覚ではない。あの空気感も、声も、そして姿も、すべて本当に僕が感じたものだ。


「本物だったんだ……神様は、存在しているんだ!」


 僕は興奮して声をあげた。得体のしれないものを見た、その第一の感情は興奮だった。


 ここに来るまでの恐怖感はいつの間にかなくなっていて、僕はそれよりも、自分が知らない世界に迷い込んで冒険をしているかのような気持ちになっていた。


「みんな、この事を言っていたんだ……」


 僕はそう呟いた。見に行ったことを言えば、クラスメートの皆も僕のことを認めてくれるのだろうか。


 けれど、東風谷さんは首を横に振った。


「ううん。知っている人はそう多くないはずです」


「え?」


 彼女の言葉に僕は聞き返した。


 けれど、クラスメート達は確かに御神渡りの事を知っていたし、僕にそういったものがある事を知っていた。それに──


「それなら、なんで君は知っているの?」


 そう。何故、彼女はこの伝承を知っているのだろう。


 僕と同年代に見える少女が、神様に纏わる伝承を知っている。少なくとも、僕はそういった事を語り継がれた事はなかった。


 僕の質問に、彼女はたじろいでいた。質問をしたあと、彼女は少しだけ笑みを歪ませていた。


 聞いてはいけない事情でもあるのだろうか。この時、僕は東風谷さんの事を何も知らなかったわけだが、彼女の表情からデリカシーに欠けていたのだということは察する事ができた。


「ごめん、答えづらいなら、大丈夫。その、気になっただけで……」


「いえ、こちらこそすみません……その、予想していなかった質問だったもので」


 そう答えたとき、彼女は眉を下げながら笑っていた。そして彼女は空を仰ぎ、暫くの間考える。


 やはり返答に困る質問だったのだろうか、僕は随分困らせてしまった、いたたまれなくなり、彼女と同じように空を見上げる。


「私はただ、君に知っておいて欲しいと思っただけ」


 暫くして、隣で東風谷さんが呟く。それは、神様の事なのだろうかと再び尋ねると、彼女は静かに頷いた。


「より、多くの人に知っていて、信じていてほしいから……それに、せっかくこの町に来たんだもの」


 隣で彼女は呟く。同年代のように見えて、自分の知らない事を知っている彼女は少し大人のようにも見えた。


「今日は有難うございました。こんな時間に来てくれて」


 彼女は僕の方を向き、両腕を後ろに回してそう言った。


「ううん、僕の方こそありがとう。貴重な体験だったと思う」


「そう思えていただけたなら幸いです……是非、これからもこの町で過ごして、少しでもこの町を気に入っていただければ嬉しいです」


 彼女はそう言って、お辞儀をした。その時、一点の光がこちらに近づいてきているのが遠くから見えた。


「あの光はいったい──」


 僕が尋ねると東風谷さんはすぐに僕の手を引っ張って、駆け出した。


 引っ張られるがまま、僕は彼女についていく。


「多分、パトロール中のおまわりさんですね。ここから逃げましょう」


 走りながら彼女は僕に答えてくれた。


 こんな時間に未成年が歩き回っていたら、すぐに補導され、悪評はすぐに広まるだろう。


 足に力を入れて、とにかく全力で走った。肺がつぶれてしまうんじゃないかと思うくらいに。


 どのくらい走ったのか覚えていないが、気がつくと自宅まであともう少しというところまで無意識に走っていたようで、警官も誰も追ってきていないようだった。


「良かった。追ってはこなかったようですね」

 

 早くも息を整えた東風谷さんがそう言う。僕はまだ息苦しさが続いていて、そうだねとしか答えられなかった。


 東風谷さんは大丈夫ですかと、心配してくれた。僕はなんとか笑顔を作って、平気と答えた。


「じゃあ、私は行きますね」


 息を整えた僕に彼女は言う。


 僕は彼女にまだ言えてない事がまだある。そう思い彼女の顔を見上げると、東風谷さんは微笑みながら僕に語りかけた。


「大丈夫。また会えますから」


 そう言って東風谷さんはその場から去っていった。


 体力が回復していなかった僕は、彼女を呼び止めることができなかった。

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