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東風の便り  作者: 啝賀絡太
第一章  御神渡り
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第一話

 僕たちが生まれて間もない頃、都市伝説やオカルトといった「人知を超える存在」というものが流行っていた。


 好き好んでいた人間はごく一部だったかもしれない。ただみんな、怖いもの見たさで興味を持ち、またそれを知って皆で怖がることで、他者と共感をして安心していた、というのもあるのかもしれない。


 しかしそんな流行も、科学が進歩していくにつれ、当時流行となっていた都市伝説がいわゆるガセ情報・創作であることが明るみに出た。


 極めつけは、世界が滅亡するという大予言が外れた事だろう。あれはまた、信仰や神様といったものとは離れたものだが、それをキッカケに、いつしか時の歯車の一部となったオカルトやスピリチュアルは、ブームが過ぎ去ったものとしてひっそりとしたものとなった。


 当時、まだ小学生だった僕も、得体のしれない恐怖よりも、目の前に見える事実の方が、幾分も信じる事が出来た。

 新世紀に入ってから五年目。


 中学生になってから二度目の夏を終えた頃、僕は東京から離れ、長野県諏訪市に引っ越しをした。


 元々病弱だった母が亡くなり、家でほとんど独りな僕を気の毒に感じた父は、それでも仕事でなかなか家に帰れない日々が続き、面倒を見る事が出来なかったため、叔父の家で面倒を見られる事になった。


 見知らぬ土地での初めての冬は、とても厳しいものだった。街の中央にある諏訪湖は前年の十二月には湖面が凍結しており、年が明けてからも氷点下十度以下と厳しい寒さが続いていたため、二年ぶりに“御神渡り”が発生したと噂になっていた。その時、初めて御神渡りを知った僕は、クラスのみんなにそれが何なのか尋ねてみた。


 しかし彼らはそんなことも知らないのかと、いつも通り僕をからかうだけで、


「はぁ~~~~これだから都会もんは!!」


 誰かがそう言うと、クラスは笑いに包まれた。けれどそれは、僕にとっては居心地の悪い空気感だった。ついこの間まで違う場所で住んでいただけなのに、何故こうも笑われなければならないのだろうか。


 結局、誰も僕に御神渡りというものを教えてくれなかった。話の状況から、おそらくこの地域にあるあの大きな湖の事を指しているのだろうと予想したが、なかには山奥に伝わる伝説だとか、ホラを吹く輩もいたもんだから、何を信じればよいのかわからなくなってしまった。


 情報が増えて混乱していたが、とにかく僕は諏訪湖に行ってみることにした。


 日本列島のほぼ中心に位置する長野県の、そのまた中心部に諏訪湖は存在している。新生代と言われる遥か昔に、中央高地の隆起活動と糸魚川静岡構造線の断層運動によって地殻が引き裂かれ、そこに水が貯まって生まれた構造湖のひとつらしい。三つの町が取り囲むほど大きく、対岸の景色ははるか遠くに見える。


 その面積は十二.八平方キロメートルで、徒歩でぐるりと一回りしようものなら、二時間半はかかる。


 僕は一度家に帰り、自転車に乗って諏訪湖に向かった。過ぎていく風がとても冷たい。日差しがほんのり身体を暖かく包みこんでくれていたが、それでも寒いことに変わりなかった。


 自転車で受ける冷気が顔に直にぶつかり、ひりひりと痛む。冬の諏訪で自転車をこぐときは、ゴーグルが必須だと思った。


 湖畔に沿って自転車で走り続けていると、ひらけた公園を見つけた。間欠泉センター付近にあるそこは、眺めがよく、遠くの、湖の中心には鳥居が見えた。


 自転車に降りて、じっくりと眺めながら公園を歩いていく。青白い陸地がどこまでも続いていく光景は、確かに東京で絶対に見ることのない景色だろう。湖の先、対岸の更に奥にそびえたつ山々には雪が積もっていた。


 視線を奥から手前に引っ張ろうとすると、湖の表面に一人分の人影が見えた。


「あれはなんだろう」


 見間違えたと自身の目を疑ったが、一呼吸おいて落ち着いてからも見えるそれは、おそらく幻覚ではないようだ。


 不思議な髪色をした少女がたたずんでいた。新雪の中、根強く芽吹いた新芽のように、少女は氷のうえで一人。直後、彼女はその場で倒れてしまった。


 当時、御神渡りを知らなかった僕は、このままだと彼女は湖の中にひとりのこって、隔離されていまうのではと心配した。


「大丈夫ですか!危ないですよ!」


 精いっぱいの大きい声で彼女に呼びかける。しかし今自分がいる場所から人影まで距離があり、届いていないようだった。残念ながら周りには人が一人もいない。


 僕はその場に自転車を停め、その氷上のステージに踏み込もうとした。


 スケートを経験した事がなかった僕は、足をその上に置くことに若干の不安があった。が、足を載せた際、その氷が今までみたどの氷よりも頑丈で心を落ち着かせることが出来た。


 僕は繰り返し呼びかけながら、滑り転ばないように少女に近づいていく。少女は仰向けに寝転がったまま、動く様子はなかった。彼女の姿がよく見えるようになった時、ようやく僕の声が聞こえてきたのか、少女は起き上がり、きょとんとした顔で僕を見た。


綺麗な若草色の髪をたなびいていた、少女とは言ったが、僕よりも大人に見えた。高校生くらいだろうか。制服は見たことのない制服だった。


「どうかなさいましたか?」


 とぼけた様子で僕に尋ねてきた。寧ろ、僕がここにいる事の方が驚いていた様子だった。


「その、突然こんなところで倒れていたのが見えたので……」


 僕は先ほどまでいた公園の方角を指さし、言い訳を述べた。


 彼女の顔色を見る限り、僕の早とちりだっようで、僕の顔はみるみると熱くなった。


「ありがとう、私はちょうど風を感じながら空を見ていたところです」


 緑髪の少女は気にすることなく僕に説明した。そして彼女は、自分の隣の氷を二回たたき、一緒に寝る事をいざなわれた。その場にしゃがみこみ、そっと手を当ててみた。


 その見た目通り冷たく、この上で寝ると凍傷を負ってしまうか、風邪をひいてしまうだろう。だが、不思議な事にその少女の隣がとても魅力的なスペースに空間に見えた。


 それなら少しだけと、僕が答えると、彼女はにっこり笑い少しだけ左にずれた。そのとき、彼女が下にタオルケットを敷いていた事に気が付く。張り詰めた心を隠しながら、僕は彼女の隣で横になった。


 寒空の下で寝転がるもんだから、冷たいを通り越して痛みを感じてしまうのではと思っていたが、着こんだ服のまま、タオルケットを挟んで伝わる冷たさはそこまで辛いものではなかった。僕と彼女を見ている太陽が、僕の顔を熱くさせていた。


「お気に召しましたか?」


「うん。なんだか眠たくなってくる」


 予想外の心地良さにそう答えると、彼女はそれは良かったと呟いた。声の方を向くと、彼女は柔らかい表情を見せていた。


「顔が赤いように見えますが、大丈夫ですか?」


 問いかけた少女に対し、僕はそっぽを向いてなんでもないと答えた。


 太陽に暖められたのが原因だと決めつけたが、きっとその時には僕は彼女に惚れていたのだろう。泡沫のような、可憐で優しい正体不明の少女に、僕はすっかり一目ぼれだった。


 背中に伝わる冷たさが、頬を冷やしてくれれば良いのにと考えていた。


 それから暫く静寂が僕たちを包みこんだ。湖の周りを走る車の音は随分遠くに聞こえ、風の音しか聞こえない。


「その制服、下諏訪の学校のだろうけど、最近引越してきたんですか?何年生?」


「うん、去年の夏に。次の春で中三になる」


「そっか……見ない顔だなぁと思ったけど、そうだったんだ」


 彼女はそうつぶやくと、一人で納得したように何度もうなずいた。


 僕は自分から名乗り、彼女の名前を聞いた。


「東風谷早苗っていうの。よろしくね」


 彼女、東風谷さんも名乗ったあと、僕の名前をいい名前だねと言ってくれた。


「御神渡りはご存知ですか?」


 前触れなく、彼女は僕に問いかけてきた。今日、学校で聞いた単語だ。


 僕は正直に知らないと答えた、もしかしたら、馬鹿にされてしまうのではないかと思い、一言謝ったが、彼女が僕を責めることはなかった。


「もう、知らない人の方が多いことだから……」


 そう話す東風谷さんが、僅かにさみしそうな顔を見せた。そうして、東風谷さんは御神渡りの事について僕に丁寧に教えてくれた。


「この湖の南から北に向かって、大きな氷の筋が出来上がるの。それはもう大きな筋が」


「自然現象みたいなもん?」


「いいえ、神様の通り道です」


 なんの気なしに彼女は答えた。また彼女も他のクラスメートみたいにからかっているのかと、僕は彼女の顔を見たが疑いの念はすぐに消えてしまった。


 さも当たり前かのように答えたとおり、彼女はおかしな事を言ったつもりなどなかったようだ。真顔の彼女とは反対に僕は奇妙に顔をゆがませてしまう。そんな僕の顔を見て、東風谷さんは失笑した。


「その顔は信じていないな?」


 まゆをほんの少し下げて、困ったように笑っていた。僕は咄嗟に謝りながら、彼女のくだけた話し方が少し良いなと思っていた。


「いいよ。神様なんていないものね」


「いや、そんな事はないと思うけど……」


 言い淀んだ。


 僕が中学に上がった頃には、神様も妖怪とかと同じように迷信めいた扱いになっていた。


 いるかいないかと言えば、もしかしたらいるかもしれないけど、いたら願い事もかなえてくれよみたいな、本気で信じるような子は、少なくとも僕の周りにはいなかった。


 無神論者、というほどでもない。かといって、神様の存在を確信しているわけでもない。いつからそんな世の中になったのか、具体的なラインは知らなかったが、東京にいた頃から催事は既にイベント行事だった。


「それなら今日の夜中、ここにまた来てください」


 東風谷さんが提案してきた。


 この時、地方の夜にまだ慣れていなかった僕は、少しだけ胸の奥が締まる気がしたが、彼女の不敵な笑みの理由を知りたくて、ゆっくりと頷いた。

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