第二話
悪事千里を走る、という諺がある。悪い評判はすぐに広まるという意味だ。
僕は悪事を犯したつもりなど毛頭もないが、人の印象と言うのは、悪い噂ほど大きく変化しやすく、強く根付きやすい。
小学生の頃、道徳の時間で先生が言っていたのを覚えていた。まさかそれを身をもって体験するとは思っていなかったけれど。
夏休みが終わったあとの学校生活は、また空気が悪い生活に変わってしまった。
「なぁ、この前の湖上花火大会の話って」
「あぁ、あいつが東風谷早苗といたのか」
「あの人って確か去年東京から来たのよね」
「なるほどな。そりゃあ知らないわけだ」
昇降口で、廊下で、クラスで、あらゆる場所ですれ違う生徒が、僕を見てひそひそと話していた。
誰がこの噂を広めたかもおおよそ見当がつく。
「あいつ、おかしな奴だったんだな」
誰かにそう言われて、僕は咄嗟に声のした方を見た。しかしそこには複数人の生徒がいて、誰が言ったのか特定はできなかった。
教室で席に着くたび、深いため息が出る。皆が皆、僕に対して冷ややかな視線を向けてきているわけではなかった。
だが、全員でないにしろ、視線が刺さり続けるというのは決して楽なものではなかった。授業に支障が出るほどではなかったが、酷くストレスを感じる。
今はもう十月に入ったというのに、学校の空気はまだ変わらなかった。また学校が居心地の悪い場所に戻ってしまった。それが残念でならない。
放課後、早々と教室を出た僕に、茅野が話しかけてきた。
「随分疲れているみたいだが、大丈夫か?」
「あぁ、うん。なんとか……」
苦笑いをしながら答えた僕に、彼は放課後どこかに遊びにいかないか、提案をしてきた。
ありがたい誘いだったが、僕は首を横に振った。
「今、僕と一緒にいると茅野くんにまで被害が来てしまう。それに、たぶん叔父さんが外出を許さないよ」
そう聞いた茅野は、そうかと、残念そうに呟いた。
校門の前に行くと、叔父がまた出迎えに来ていた。夏休みが明けてからずっとこうだ。僕は深いため息をついた。
「帰るぞ」
叔父は厳しそうな顔をしてそう言う。僕は言われるがまま、車の中へ入った。
結局、彼は夏休みが終わった後も。僕への警戒を解くことはなかった。登下校時もこうして僕は叔父の車に乗せられて送られている。
もはや、無理に会話を交わす必要もない。だから車の中はいつも静寂だった。
僕はただ、いつまでこんなことが続くのだろうと、外を眺めながらぼんやりと考える事しかできなかった。
湖の周辺を走っていく。僕の視界からは夏の湖と、一人の少女が見えた。
「すみません、駐車場で止めてください」
僕は咄嗟に叔父にそうお願いした。叔父はバックミラー越しに一瞬だけ僕を見た。
「早苗様にはもう会えないぞ……」
「違います。知り合いが見えたので、ちょっと話がしたくて」
僕は湖を指す。叔父も少女の後ろ姿を見て、了承した。
諏訪湖は秋にめかし始めていたが、夏の残り香が漂っているような気がした。
「そこでなにしてるの」
立ち入り禁止の柵を超えた先、湖の水がぎりぎりかからない境界線で立ち尽くしている少女に話しかけた。
彼女はゆっくりと振り返る。湖上花火大会でも出会った、ゴシップ少女だった。
「そこ、入っちゃいけない場所だよ」
そんな事を言いながら、僕も共犯者になった。
人の事言えないじゃん、なんて目で訴えてくるようにゴシップ女は僕を睨む。
でも僕が聞きたいことはそこじゃない。そして、彼女もそれをわかっているようだった。
「別に、ちょっと考え事をしていただけ」
「水に入ろうなんて、思ってなかった?」
「はぁ?私が?何の冗談?」
ややぶっきらぼうにゴシップ女が言う。しかしその後すぐ、彼女はばつが悪そうにつぶやいた。
「ここにいればあの子に会えるんじゃないかなとは思ってたけど……」
そう言ったのち、彼女は僕に向き直し、僕に一言ごめんと告げた。
自分勝手な謝罪に聞こえ、僕はなんのことと聞き返してしまう。
彼女はよりいっそう申し訳なさそうに答えた。
「あんたと、東風谷早苗のこと。大人の人達に話したら、みんな急いで山の方に行って……無理矢理連れさられたって聞いたから」
「やっぱり君が……」
「私だけじゃないわよ!」
ゴシップ少女は声をあげた。
「他の奴らだってあんたを尾けていたし、学校のことだって時間の問題だったっていうか……大体、あんな怖い人と一緒にいられるあんたが変わっているのよ。あの人は私達とは全然違っていて、異常なの。危険な目に合う人がいたら大人に報告するのは当たり前だし……」
彼女は言い訳を並べる。私がしたことは間違えていないと主張するように。ならば先ほどの謝罪はなんだったのだろう。一度謝れば後は何を言っても良いのだろうか。
僕はなんだか、この女の子含め、周りの人間の言っている事がどうでもよく感じてしまっていた。
「なぁ、そこまで東風谷さんが怖い理由はなに?東風谷さんが何かしたの?」
言い訳を述べ終えた彼女に聞いた。
彼女は目を泳がせ何も答えなかった。
「なら、どうして……」
「私達と違うからよ」
なんだそれ、と僕は思ったが、その理由を尋ねるより先に、彼女は僕に聞いてきた。
「あんた、宇宙人と仲良くなれると思う?」
「は?」
僕は聞き返す。だが彼女はいつもと違って真剣な目をしていた。これは決してふざけて聞いているわけではないと。
一度考えてみた。つまるところ、未知で不可解な存在というものと、仲良くなれるかという事だろう。
「わからない、僕はまだ会った事がないから。どんな性格をしているかにもよるんじゃないか?」
しかしゴシップ少女は首を横に振る。
「私達に似た姿をしていて、私達と違う存在なら、既に出会っているでしょ」
「東風谷さんのことを宇宙人だと?」
「あの子は神様なんでしょう。神様は人間に出来ないことが出来る。いつ何をされるかわからない。オカルトが創作だと世間は言っているのに、自分達の目の前には実在しているの。頭がおかしくなりそうよ」
彼女の言い分に僕は何も言い返せなかった。
無論、彼女の言っている事は彼女の視点から見た感想にすぎない。周りと違うところがあっただけで、東風谷さんが普段何もしていなかったのならば、ゴシップ女は自分の偏見で話をしているだけだ。
だが、それこそが今の人々の感性なのだろう。僕だって、東風谷さんと出会う前はゴシップ少女と同じ考えだった。この世界は神様を信じるには、科学が進みすぎてしまっていたのだろうか。
常識が覆ったとき、人間の思考にバグが生じる。彼女達は古くからそのバグを見つけていて、バグを受け入れなかった。その結果、拒絶を選んだ。
生存本能だと彼女は主張したいわけだ。
「でも、もうこんな言い争いも無駄なものになるわね……」
ゴシップ少女がが、不穏な事を言い出した。
僕は何のことかわからず、眉をよせて彼女を見る。
「あんた、知らないの?東風谷さんがこの街が出るって事──」
顔が引きつっていた。訝し気にゴシップ少女を見ていた事が自分でもよく分かった。だが彼女もまた、驚愕と納得の顔を順番に見せていた。
彼女は深く息を吐き、僕のことを真っ直ぐに見ながら説明してくれた。
「東風谷さんの家族はこの街にいられなくなったから、遠い場所に行くってパパが言ってたわ」
「遠い場所にって……どこに、いつ!?」
「わからない。けど、パパ達の話を聞いたら、もうそろそろだと思う」
胸騒ぎがした。
引っ越しなんて大事なこと、東風谷さんは一度も話してくれなかった。
夏休みが終わってからも、僕と東風谷さんはこっそり電話をしていた。なのに、そんな話は一度も出てこなかった。
かといって、ゴシップ少女が嘘をついている素振りは見えない。もしかしたら、本当に東風谷さんは遠くへ行ってしまうのだろうか。




