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東風の便り  作者: 啝賀絡太
序章  ある冬の日
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序 章

 数年ぶりの大雪は、東京の街でも三十センチメートル以上積もり、長くつが必要になった。


 再び東京に戻って、もう十年以上経った。今は都内の企業に就職し、社会人六年目の立派な社会の歯車となって、日々の仕事に追われている。


 就職してからは忙しい日々が続き、父とも全く会えていない。だが、先日電話した際の声を聞くに、まだ実家に突然帰る必要はなさそうだった。


「四番線で中央線、快速東京行きのお客様にお知らせします──現在、大雪により運転を見合わせております」


 駅のホームにアナウンスが流れる。周りには、まだかよと苛立っている人もいれば、見切りをついて会社に電話をする人、タクシーや他の交通手段を使うために駅から離れていった人もいた。


 僕もまた、スマートフォンを取り出して、会社に連絡する。係長が電話に出たため、僕は現在の状況を説明した。

「あー…君も今、そんな状況か。寒いのに大変だったな」


 係長は笑いながら労いの言葉を送ってくれた。


 どうやら僕の他にも会社に辿り着かない人が多いようだ。今、その場にいるのは課長と係長と、あと数人だけで、雪対策をある程度終わらせたら、全員帰るらしい。僕も、急いで向かう事を言うと、無理してくる必要はないと、係長は言った。


「途中で事故に遭って、明日以降来れなくなるなんて事の方が問題だ。今日は早めに帰って、ゆっくり休みなさい」


「はい……では、お言葉に甘えて」


 申し訳なくなり、自然と声が小さくなってしまったが、係長はむしろどんどん休んでほしいというように、僕にそうするよう勧めてきた。


「最近、思い詰めているみたいだからな。疲れているならゆっくり休むといい」


「ありがとうございます。では、失礼します」


 うちは相当、ホワイトな企業なのかもしれない。


 電話を切った後、僕は係長に言われた最後の言葉が引っかかっていた。もしや心配させていたのだろうか。だとしたら、少し迷惑をかけてしまったな。


 ホームの混雑は未だ解消されず、駅から出るには時間がかかりそうだ。僕はラジオアプリを開いた。


「──湖の亀裂の長さは歴代の中でも高く、八剱神社は拝観式を二月五日朝に行うことを昨日決定しました」


 ラジオアプリから聞こえたニュースに心当たりがあった。


 途中からしか聞こえていなかったが、間違いない。この話は御神渡りに関することだろう。御神渡りは、長野県にある諏訪湖で起きる現象だ。


 中学二年の夏、父の仕事の都合で僕はその街に引っ越した。その街で僕は一人の少女と出会う。そのきっかけが、御神渡りだった。引っ越してから初めての冬に経験した御神渡りは、昨今の中では二番目に早いものだったと聞く。


 だが、僕にとってその年の御神渡りは、ただ時期が早かったというだけではなく、僕に青春の思い出をくれた少女との、初めて出会ったキッカケでもあった。


 その思い出の後味はとても苦く残っており、今でも夢で彼女の背中を思い出す。あの秋、あの場所で、やはり僕は──


「もし、そこのお方……」


 不意に話しかけれられた僕は我に返る。


「何やら苦しそうな顔をしておられましたが、どこかご気分がよろしくないのでは?」


 目の前にいた女の子が心配そうにして僕を見ていた。人形のような顔つきをした、華奢な女の子だ。


「なんでもないよ。心配してくれてありがとう」


 僕は笑みを浮かべてそう答えたつもりだった。


 だが、それでも少女の憂いは晴れないらしい。右手を胸元で拳をつくりながら、僕のことを見つめている。まるで僕が駅のホームから飛び降りてしまうのではと疑っている目だった。


 そんなにも、僕の顔というのはわかりやすいのだろうか。試しにそう聞いてみると、少女はこわばった顔で頷いたもんだから、苦笑いが溢れてしまった。大人が子供に心配されるなど、情けない。


「ちょっとだけ嫌な記憶を思い出していたんだ。冬になるといつも思い出してしまってね」


「嫌な記憶なのに、思い出してしまうのですか?忘れることさえできれば……」


 尋ねた少女に、僕は首を横に振った。


「難しいね。特に、僕はその思い出に後悔が混じってしまっているから……あの時、ああしていれば良かったのにって。ふと思い出しては後悔を繰り返す。人によっては些細な事だったのかもしれないけれど、僕はそうしてしまうんだ」


「とても辛いけれど、大切な思い出なのですね……」


 彼女の瞳は真剣に、僕の胸の痛みを共有してくれるような瞳で、そう返答してきた。少女の返答に、僕は少し考えて同意した。


 確かに大切な思い出なのかもしれない。


「もしよろしければ、その思い出の事を話していただけませんか?」


 少女はそう聞いてきた。興味本位で聞いてきているのとは違うような──まるで、カウンセラーみたいな、僕を救わんとするような様子で、気が付いたら少女は僕の手を握っていた。


 その純粋さに、僕はかつての思い出の少女をい一瞬だけ重ねてしまう。と、同時に、幼く見える彼女に似たような経験をしてほしくないという願いも芽生えてしまった。


「学校は大丈夫なのかい?」


「はい。先ほどお休みになったと…………母から連絡がありましたの。迎えがくるまで時間がありますの」


 彼女は微笑みながらそういう。僕もちょうど、休みになったばかりだ。時間はある。暫くの時間つぶしに話しても良いだろう。


「わかった話すよ。少し長くなるかもしれないけれど、ちょっとの間だけね」


 少女は笑顔のまま頷いた。


 今でも脳裏に焼き付いている。冬のあの日、一面氷に覆われた湖の上でひときわ印象に残った、柔らかい草原のような髪色をした少女を。


 その少女の名前は東風谷早苗。


 僕に少女に、今でも後味が消えない思い出を語ることにした。

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