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それが僕の歩いた道  作者: 本知そら
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最終話 それが僕の歩いた道

   最終話 それが僕の歩いた道



 一ヶ月後の週末の、ある日のこと。

 待ち合わせ場所へやってきた透に小さく手を振る。すぐに気付いた彼はこちらに駆け寄ってきたが、目に見えて不機嫌そうだった。理由に心当たりがある僕は顔を引きつらせて乾いた笑いを浮かべた。

「……なんで君達が付いてきてるんだ?」

 透が僕の両脇を指さす。そこには僕が逃げないようにと腕を抱え込んだしいちゃんと沙織さんの姿があった。

「え、えっとですね。今日は透さんと遊ぶ約束をしていることを二人に話したら――」

「二人の様子が見たかったのと、ついでに待ち合わせの時間まで一緒に買い物がしたかったから、さっきまで三人で買い物して、それからここで先輩のことを待ってたんですよ」

 僕の言葉に被せるように、しいちゃんが話を続けた。

「最近二人が仲良いようなので、どこまで進んだのかひと目でも見てみたかったんです」

 小さくすみませんと頭を下げながら謝罪したのは沙織さん。謝るくらいならこんなことしなければいいのに。

「いやー、でも順調そうで良かった良かった。しかもまさかいつの間にやら雪花が先輩のことを名前で呼んでいたとは」

「あっ」

 しまった。恥ずかしいから二人の前で透のことを話すときは「槙納先輩」で統一していたんだった。透が「いつまでも先輩と呼ばれるのは他人行儀で嫌だ」なんていうから名前で呼ぶようにしたのに、まさかこんな目に遇うとは。

「あらら、真っ赤になっちゃって。相変わらず雪花はかわいいなあ。先輩もそう思いますよね? 今日のこの気合いの入った服なんてどうですかっ。かわいいとしか言いようがありませんよね!?」

「あ、ああ。……すごくかわいいな」

 ぼんっと頭の中で音がした、気がする。頬が熱い。慌てて視線を下げて俯く。

 今日は真夏とまではいかないまでも気温が上がるでしょうと天気予報で言っていたので、半袖で花柄のシフォンマキシワンピースを着ている。クローゼットにあったのを見つけたので引っ張り出したのだ。別に透が見たら喜んでくれるかなあとか、かわいいって言ってくれるかなあとか期待したんじゃなくて、単純に雪花に似合いそうだったから着たのだ。うん、他には決してまったくこれっぽっちも他意はない。……ま、まあ、透がかわいいって言ってくれたのは正直嬉しいけど。

 最近は透に褒められたりすると、前とは違ってダイレクトに感情が揺れ動いてしまう。以前だと透に褒められても心の奥のあたりがほんのり暖かくなる感じで、「ああ、雪花が喜んでいるんだな」というのがはっきり分かったのだけど、あの日以来それがあやふやになってきた。記憶もどっちがどっちのものかちょっと考えないと判別できなくなってきたし、なんというか……僕と雪花の境目がなくなって混ざり合い、一つになっているかのようだった。おかげで最近は自分の感情に戸惑うことが多い。

「それじゃ、用事が済んだお邪魔なあたし達はそろそろ退散しますっ」

「先輩、雪花のことよろしく頼みます」

 僕達が見えなくなるまでしいちゃんは手を振りつつ、沙織さんと商店街のアーケードへと消えていった。

 残された透と僕。俯いたままなので、何か透が喋って、それをきっかけに何事もなかったように顔を上げて会話したいところなのに、一向に透から声がかけられない。

 なんだろうこの空気は。まるで初々しい恋人同士じゃないか。そりゃたしかに雪花と透はお互いのことを好きなんだけど、今の雪花は僕であって、僕は透の親友で、でも今の僕は雪花なわけで……あれ?

「……雪花」

「ひゃ、ひゃい」

 噛んだ。恥ずかしい。

「時間ももったいないし、行くか」

「う、うん」

 伸びてきた手に自然と左手を重ねる。引かれて歩き始めたところでそれに気づき、今更振り払うわけにも行かず、俯きがちに透の隣に並ぶ。

「き、今日は人が多いからな。はぐれたら大変だ」

「そ、そうですね。はぐれたら大変です」

 うん。これははぐれたらいけないから仕方なく繋いでいるんだ。うん。それ以外に他意はない。

「ま、まずはお昼ご飯からですね。どこへいきましょうか。この前みたいにファミレスに行きます?」

 早口で捲し立てる。ふたりきりになっても慣れてしまった丁寧語で自然と会話してしまう。使い分けが出来るほど器用な人間じゃないので、いつもこんな感じだ。

「いや、今日はもう決めてある」

 珍しい。透が場所を決めてくるなんて。大抵いつも遊ぶときはとりあえず集まって、それから決めるのに。

 やたらぐいぐいと引っ張っていく透に小走りで付いていく。透は一歩が大きいんだからもう少しゆっくり歩いて欲しいものだ。抗議しようと思ったけど、見上げた彼の顔が真っ赤だったのでやめた。

 透に連れられてやってきたのは商店街のとあるビルの二階のレストラン。入口にあった看板を見た感じではイタリア料理のお店のようだ。

 店員さんに通されて窓際の席に向かい合って座る。広げたメニューを見る限りはリーズナブルなお店なのに、アンティークが整然と並ぶ内装に、照明をちょっと落としたいい雰囲気の店内は、高校生の僕ではちょっと緊張してしまう。

「何頼むか決まったか?」

「えっ? えっと……」

「決まりそうにないなら、俺が一緒に頼もうか?」

「……うん、お願いします」

 メニューが多すぎて決められない。ここはこのお店に詳しそうな透に任せよう。メニューを閉じて、店員さんにメニューを指さしながらいくつか注文していく透。なかなか男らしいかも。

 注文を終え、そわそわしている間に運ばれてきたのは、鶏肉とネギが載ったパスタと、カニの身が添えられたクリームパスタ、そして大きな木の台座に載せられた細長いピザだった。

「雪花は鳥が好きだろ? あとここのピザがすっげえ美味いんだって」

「へ、へー……いただきます」

 別人のように見える透に圧倒されつつ、目の前に置かれたネギと鶏肉のパスタに手を付ける。さっきの店員さん、これをなんて言っておいていったっけ。たしかネギと鶏肉のコフィン、とか言ってたような……。

 パスタをフォークでクルクルと巻いて口に運ぶ。次いでテーブルの真ん中に鎮座するピザを一切れ掴んで齧り付く。うん。どっちもおいし――

「ど、どうだ?」

 声に顔を上げると、いまだカニのクリームパスタに手を付けていない透が不安げにこちらを見ていた。なんでそんな顔をしているんだろう。

「どうって、とても美味しいですよ?」

「本当か? お世辞とかじゃないよな?」

「僕が透さんにお世辞なんて言います?」

 透らしくない。やけに疑り深いな。美味しいと言ってるんだから素直にそう受け取ればいいものを。

「そうか。それならいいんだ」

 透はそう言うと、やっとフォークを手に持った。今から食べ始めるらしい。ああ、また透はパスタなのに音を立てて啜っている。……やっぱり変だ。

「ねぇ、透さん」

「んん、なんだ?」

 物を口に入れたまま喋らないで欲しい。まあ今はいいや。

「透さんはこのお店に来たことがあるんですか? こんなお店知ってるなんて驚きです」

「それ、どういう意味だ?」

 ジロリと睨まれた。ああそっか。聞きようによっては、こんなお店透には似合ってない、って言ってるように聞こえるもんな。実際その通りだし。

「えっと、ここには僕と一度も来たことがないじゃないですか」

「ん、まあ、そうだな。その、なんというか……」

 何故か歯切れの悪い透。どうせクラスの友達から聞いたとか、そういうことだろうに、どうして渋っているのだろう。

「……お前がこの前、パスタ好きだって言うからネットで探したんだよ」

「えっ」

 不意打ち過ぎて、危うくフォークを落とすところだった。

 い、今のってつまり、僕がパスタが好きだって聞いたから、わざわざ僕のために調べてくれたってこと? そうだよね? あの透が……うわ、なんか嬉しいどうしよう。

「おい。伸びるぞ、さっさと食べろ」

「う、うん……」

 ぶっきらぼうに言う透の顔は真っ赤になっていた。それが妙におかしくて、彼にばれないようにくすっと笑った。


 ◇◆◇◆


「ふぅー。美味しかったですね」

「ああ」

 お腹を膨らませた僕達は、レストランを出てアーケードを歩いていた。週末と言うこともあって人通りは多く、僕達のように二人連れのカップルらしき人々があちこちに……い、いや、僕達は別に、か、カップルなんかじゃないし……。

「さて、次はどうするか」

「へっ!? あ、そそ、そうですね」

「何を慌ててんだ……?」

 繋いだ手とは逆の手でブンブンと振って「何でもない」と言う。何か話題になる物はないかとあたりを見回すと、ちょうどいいものを見つけた。

「透さん。クレーンゲームですよ」

「ん、ああ、ゲーセンだからな」

「ぬいぐるみのクレーンゲームですよ」

「そうだな。……お前あのぬいぐるみほしいのか?」

 僕が指さした先を見て言う透に、僕は二度頷いた。雪花は無類のぬいぐるみ好きだ。そのおかげで今じゃ僕も大のぬいぐるみ好きになってしまっていた。

 近寄って中を覗く。そこにいたのは猫のぬいぐるみ。結構大きくて、もし取れたら抱いて歩くことになりそうだ。目立つだろうけど、それでもかわいいからほしい。とにかくやってみよう。お金あったかなあ……。

「俺が取ってやるよ。お前クレーンゲーム下手だろ?」

「うん。でもいいんですか?」

「確率高い方がやるにこしたことはないだろ? まあ任せろって」

 僕が一歩下がると、透は財布から五百円玉を取り出して、躊躇することなく投入した。六回分の金額だ。

 透がクレーンを操作し始める。その表情は真剣だ。ぬいぐるみは取りやすい位置にあるようだけど、それでもなかなかいい具合に引っかかってくれず、あっという間に六回失敗してしまった。小さく舌打ちした透は、間髪入れずに五百円を再投入する。ほしいのはほしいんだけど、そんなに透が熱くなることはないのに……。

 結局、透は二千円もつぎ込んでぬいぐるみを一つ手に入れた。

「ほらよ」

「ありがとうございます。えっと……」

「ああ。お金はいいよ。俺がお前に取ってやりたくてやったんだから」

 押しつけるようにして渡してくるぬいぐるみを両手で持つ。まんまると太った猫のぬいぐるみは思ったより大きくて、本当に抱いて歩くことになった。透が「持とうか?」と聞いてきたけど、さすがにそれは悪いと思って断った。ぬいぐるみがもふもふして気持ちいいし。

 しかし、今日の透はどうしたんだろう。いつもより構ってくるというか、手を貸してくれるというか、なんというか……男らしい。

「アーケードは人が多いな。こっち行こうぜ」

 アーケードから外れてメイン通りから一本南に走った商店街通りを歩く。距離にして十メートルも離れていないのに、こっちは人が少なく、とても静かだ。各所に設置されたスピーカーから流れる今流行の音楽が耳に入る。なんていう曲だっけ、これ。

 そんなことを考えながら、透とウィンドウショッピングを楽しむ。アーケード内にあるような大きなお店はないけど、こっちはこっちで小さいながらもおしゃれで凝ったお店が並んでいる。ズボンがほしいという透に付き合って入ってお店でジーパンを購入。そのお店でちょうどよさそうな帽子を見つけたので、これから夏ということもあって僕もそれを購入し、さっそく被って次のお店へ。

 そうして一通り商店街を往復したところで近くの小さな公園で休憩することにした。

「飲みもん買ってくる」

 そう言って透は走って行った。自動販売機なら国道の方に行けば近くにあったはずなのに、商店街の方へいってしまった。まあいいかとベンチに座り、横に置いたぬいぐるみの頭をぽんぽんと叩いたり撫でたりしつつ、公園を見渡す。小さな公園だから遊具は置いていない。商店街の中にあるんだから、あっても子供は遊びに来ないか。公園の前を通りかかった人の何人かがこちらに気付いては目を丸くしている。ぬいぐるみと座っているのがそんなに珍しいのだろうか。……うん、珍しいか。

 数分後、どこまで買いに行ったのか、やけに息を切らした透が帰ってきた。しかしその手には飲み物がなかった。

「おかえりなさい。あれ、飲み物は――」

「はあ、はあ……せ、雪花」

「は、はい」

 飲み物を買いに行ったはずの透から漂う威圧感。静かに次の言葉を待っていると、呼吸を整えた透が差し出したのは小さな箱だった。

「えっと……これはなんですか?」

 透が無言で箱を開ける。中にはまた箱があって……って、まさかこれは。

 見つめる先の箱が上下に開かれる。そこには銀色に輝く指輪が二つ。大きいのと小さいのが一つずつ入っていた。

「…………」

 何も言えなくて、かける言葉が見つからなくて、無言で透を見つめる。

「……き、今日、拓哉の誕生日だろ? どうせなら雪花の誕生日が良かったんだろうけど、まだまだ先だし、せっかくなら記念日がいいかと思って」

 頭をガシガシと掻く透の顔は真っ赤だ。彼の目はあっちへこっちへと落ち着きなく彷徨っている。しかし、ふいに表情が引き締まると同時に視線を合わせてきた彼は、

「好きだ。付き合ってくれ」

 あの時と同じ言葉。通算二度目の告白をした。

「……あ、あの、僕、拓哉ですよ?」

 なんともまぬけな返事をしてしまった。口調はいつものままなのに、出てきたのは一ヶ月ぶりの僕の名前。僕と、そして透しか知らない今の雪花である僕の元の名前だ。

「ああ。そんなこと分かってる。それでも好きなんだよ。だから俺と付き合ってくれ」

 正直、透のこと言葉は嬉しかった。それはもう涙が溢れそうになるくらいに。だってそれは雪花が待ち望んだことなのだから。一度は断り、もうないだろうとさえ思っていたことなのだから。

 しかし、

「……ありがとうございます。透さん。でも、やっぱり僕はそれを受け取ってはいけないと思うんです。僕は本当の雪花じゃないから。拓哉だから」

 やはり僕は再び断わった。嬉しいけど、それは雪花が受け取るべきものであって、拓也である僕が受け取るものではないのだ。

 悲しくて、泣きそうになって、目をそらそうとしたそのとき、透は笑ってみせた。

「それでもいいじゃないか。拓哉は雪花、雪花は拓哉。二人で一人なんだろ? だったらどっちがどっちかなんて線引きしなくてもいいじゃないか。俺は親友である拓哉を含めて、雪花のことが好きなんだから」

「僕を……含めて?」

 思いもよらない言葉に、目が透に釘付けになる。ああ、と大きく頷く透に迷いは感じられなかった。と、思っていたら突然慌て始めた。

「い、いや、別に俺がホモとかそういうわけじゃないからな!? 今のお前は雪花で、親友の延長上に好きというのがあってもおかしくは――」

「あはは、そうですね。そういうことにしときます」

 僕は笑った。あれだけ悩んでいたのが嘘のようだ。透のいうとおり、今の僕は雪花だ。拓哉であり、雪花でもあるんだ。だったらどれがどっちの感情かなんて線引きをする必要もない。どっちも僕の感情なんだ。

 だから僕はこう答えた。

「ありがとうございます、透さん。僕で良ければお願いします」

 深々と頭を下げる僕を見て、透は安堵したのか大きく息を吐いた。そうして僕の左手を取ると、その薬指に指輪をはめた。

「これで俺達は彼氏彼女ってわけだ」

「……はい」

 僕は左手を目線に上げてはにかむ。嬉しくて、泣きそうになるのをぐっと堪えながら。

 でも、透の手ではめてくれたのはいいんだけど……左手は違うよね。これじゃ「結婚してます」になってしまう。

 まっ、いいか。嬉しいから。


 ◇◆◇◆


 透と恋人同士になって始まった今までにないほどの輝かしい日々は、十ヶ月の恐怖さえ忘れてしまうぐらいに心から充実していて、一瞬にして過ぎ去っていった。


 それは唐突に、本当に唐突だった。

 ある日の朝のこと。いつものようにベッドで目を覚まし、いつものように身支度を整えて、最近になってやっと「お父さん」と呼べるようになった亮さんに挨拶して、朝ご飯を食べて、インターホンが鳴ってから鞄を持って玄関へ向かい、後を追ってきた亮さんに「いってきます」と言って家を出た。

 いつものこと。いつもと同じ。何もおかしなことはない。いつも通りの一日の始まりだった。

「おっはよう、ゆき」

 いつものように出迎えるしいちゃんに手を振る。

「おはよう、し――」

 その時だった。

 突然視界が霞み、左右に揺れた。グラリと傾き、地面を映す。

「ゆき、どうしたの!?」

 倒れそうになった僕の体をしいちゃんが支える。切羽詰まった彼女の声。すぐに立ち上がって「大丈夫」と言いたいのに、体どころか口さえも僕の物じゃないかのように動かない。視界に映った僕の膝は曲がったままで地に足が付いていなかった。

 そうして僕の意識は一度途絶え、次に気付いたときはどこかで見たことのある天井が見えた。隣には心配そうに見つめるしいちゃんと沙織さん、そして透。

 彼女達を安心させるように今度こそ「大丈夫」と言って、微笑んだ。


 十二月。

 雪花になって、もうすぐで十ヶ月が経とうとしていた。


 手の届かないドアがコンコンとノックされる。「どうぞ」と声をかけると、ゆっくりとドアが開き、よく見知った顔が現われた。

「よお、元気か」

 笑顔で挨拶した透の手には紙の箱が握られていた。よくケーキを買ったときに付いてくる家のような形をした入れ物だ。

「ん、ああ、これか?」

 僕の視線に気付いたようで、透が軽くそれを持ち上げる。

「普通お見舞いってのは花だとは思うんだが……俺に花の知識なんてないし、似合わないだろ? だからお前の好きなケーキでも持ってった方がいいかと思ってさ」

 視線をそらして言う彼の頬が少しだけ赤く染まる。ケーキもどちらかと言えば透には合わない気がするけど……かわいそうなので言わないであげよう。

「雪花は商店街の店のケーキが好きなんだろ?」

「はい。って、もしかしてわざわざ買ってきてくれたんですか?」

「大したことじゃねーよ」

 ケーキの入った箱を僕に渡し、ベッドの横に椅子を引っ張ってきてそれに座る。

「他の人は?」

「お父さんは今日は仕事で来れないって。しいちゃんと沙織さんはちょうどさっき帰ったところ」

「ふーん。んじゃ良かった。それ全部お前が食べていいぞ」

「え、いいんですか?」

「ああ。俺はあまり甘いもんは好きじゃないからな」

「そういえばそうでしたね」

 箱の中にはケーキが四つ入っていた。みんなの分も買ってきてくれたようだ。甘い物は好きだけど、四つもいっぺんには食べられない。

「どうした。食べないのか? あー、皿とか飲み物か。皿は戸棚にあるんだよな。飲み物はほら、さっきそこの自販機で買ってきたミルクティーが」

「そうじゃなくて、拓哉はともかく、雪花は四つも食べられませんから。……あ、そうだ。透さんも一つどうですか? このチョコレートのはビターだから、透さんでも食べられると思いますよ」

「いや、俺はケーキは……」

「まあまあ、食わず嫌いはダメですよ?」

 透からお皿を奪い取り、そこにチョコレートケーキを載せて渡す。渋々と言った感じで受け取った透は、フォークでそれを切り分け、おそるおそる口に運んだ。

「どうですか?」

「……悪くない。いや、むしろ美味い」

「良かった」

 あの商店街のケーキ屋さんのチョコレートケーキは苦みを利かせた大人風味の味付けなのだ。正直僕はそれがあまり好きじゃなくて、透ならどうかなと思ったけど……気に入って貰えて良かった。

「それじゃ僕はモンブランを……」

「俺が取ってやるよ」

 僕から箱を奪い取り、中からモンブランのケーキを取り出して皿に移し、僕に差し出す。礼を言って受け取り、さっそく一口。最近ずっと病院食だったせいか、久しぶりに食べたケーキは涙が出そうなほどに美味しかった。

「そんなに美味しいのか?」

「うん。美味しいです」

 そっか、と呟いて透がはにかむ。その表情が不意に格好良く見えてしまい、視線をそらした。

 お互いケーキを一つ食べて一息吐いていると、ふと窓の外に白い何かが見えた。

「お、雪が降ってる」

「……本当ですね」

「この街で雪が降るのって珍しいな。何年ぶりだ?」

「小さい頃に一度振ったことがあるらしいけど……最低でも十年以上振り?」

 全国的にも年間を通して温暖な気候であるこの街では、雪が積もることはおろか、雪が降ることでさえ珍しい。雪という物は他県に行ったときや、テレビの中で見るものなのだ。

「へぇ~。今年は例年以上に寒いらしいからな。そういえば朝見た天気予報では、この調子ならクリスマスにも寒波がやってきて、ホワイトクリスマスになるかもしれない、とか言ってたな」

「ホワイトクリスマス?」

「雪が降るクリスマスのことをそう言うらしいぜ」

「そうなんですか。なんかロマンチックですね」

 呟くように言って、窓の外を見る。クリスマスは十二月二十五日。一週間後のことだ。例年通りなら兄さんと一緒に二人で祝っていた。雪花はどうなのだろう。中学はともかく、小さな頃は家族三人でケーキやご馳走を囲んで楽しくやっていたのだろうか。雪花と拓哉の記憶かが完全に一緒になってしまった今では、昔のことになればなるほど記憶があやふやになってしまい、昔の雪花はどうしていたかなんて分からなくなっていた。

「……そ、それで、雪花はクリスマスは何か予定とかあるのか?」

「いえ、ないですよ」

「そうか。……だったら、予定を開けておいてくれ。いいな」

 そっぽを向いての命令口調。しかし、頬が真っ赤になっているから台無しだ。

 クリスマス、か……。きっと僕はここで「はい」と嬉しそうに答えるべきなのだろう。透の彼女として、大好きな彼氏の申し出を受け入れるべきなのだろう。

 でも、

「さあ、どうでしょう」

 僕は曖昧に返事した。

「なんだよそれは」

「一週間も先の事なんて、約束できませんよ」

 嘘をつけばそれで丸くこの場は収まっただろう。でも僕には嘘はつけなかった。

 クリスマスは十二月二十五日。イブでも二十四日。その時、きっと僕は……

 もう、この世にはいないから。

「……医者からは何て言われたんだ?」

「えっ、突然何を――」

「何て言われたんだ?」

 さっきまでの和やかな空気が一変。僕を射貫くような視線に、僕は息を飲んだ。

 どう言えば良いのか分からなくて、下を向いてぎゅっと手を握りしめる。

「……原因不明、らしいです」

「不明って、どういうことだよ」

 どうもこうも、実際に今日、主治医からそう言われたのだ。僕が突然倒れた原因。それは精密検査をしても分からなかったのだ。原因不明の衰弱。自力では歩けなくなり、移動には車椅子を要するこの症状。

 分かるはずもない。だってこれは体の病気じゃない。僕の心の、魂の病。死神と約束した十ヶ月。それが間近に迫ったために、その影響が体に表れたのだろう。

「さあ、お医者さんに分からないことが僕に分かるはずないですよ」

 出来る限り軽い口調で、どうってことはないと、透に心配をかけさせないように振る舞う。

 そのつもりだったのに、

「……だったらなんで、お前は泣きそうなんだ?」

「泣きそうって、別に僕は泣きたくなんて――」

「誤魔化すな。何年お前と親友やってきたと思ってんだ。嘘だって言うなら、その両手を開いてみろよ」

 ハッとして視線を下ろす。膝の上に載せられた両手はきつく結ばれたままで、僅かに震えていた。

「誰に隠しても、俺にだけは隠し事は止めろ。嘘をつくな。全て受け止めてやる。だから話してみろ」

 話したって何も変わらない。これは十ヶ月前から決まっていたことなんだ。だから透に言っても、言うだけ彼を不安にさせるだけだ。良いことは何もない。

 それなのに、

「……僕はもうすぐで死ぬんだよ」

 気付いたときにはそう言っていた。一度話してしまったらもう抑えることはできなかった。僕は死神との約束を透に話した。何故か詳しく知りたいという透に答えて、一言一句全てを伝えた。透は何かを考えるように、目を閉じて静かに聞いてくれた。

「そうか……で、お前はそれでいいのか?」

 全てを話し終えた後、透は不機嫌そうに言った。

「良いも悪いも、十ヶ月前から決まっていたことだから」

「そういうことじゃねえ。お前はどうかって聞いてんだ」

 透の言葉が胸に突き刺さる。

「どうって言われても……」

「考えるな。思ったことを言えば良いんだよ」

 思ったことを、か。……まったく、酷いヤツだ。せっかく諦めていたのに。雪花になったあの日から、いつかはこの日が来ると、毎晩震えながらも我慢していたのに。

「……良いわけないじゃないか」

 透のせいで、抑え込んできた気持ちが溢れてしまった。

「誰だって死にたくないよ! 僕だって死にたくない! でも仕方ないじゃないか! 僕は死ぬんだ! 死んじゃうんだよ! なんで死ぬんだよ!? 僕はまだ生きていたいのに!」

「雪花……」

「そうだよ雪花だよ! 僕は他人の……雪花の体まで乗っ取って生きてるのに、こんなみっともないまねまでして生きてるのに! どうしてまた死ななきゃいけないんだよ! 嫌だよ死にたくない、死にたくないよ!」

 力なくベッドを叩きつけて泣き崩れる。そんな僕の背中を透が優しく撫でてくれた。

「だったら、簡単に諦めるなよ」

 簡単に言ってくれるな。そう言い返したかったのに、僕は布団に顔を押しつけたまま、無言で頷いた。


 ◇◆◇◆


 ひとしきり泣いた後のこと。

「なあ、その死神ってやつは今もここにいるのか?」

「ううん。いないけど、たぶん呼べば出て来ると思う。僕のことを見てるって言ってたから」

「そうか。……そいつと俺が話す事って出来るのか?」

「さあ……どうなんだろう」

 透は僕に「死神と話してみたい」と言いだした。何をするつもりなのかは分からなかったけど、今更僕に何か出来るわけでもなかったので、彼のしたいようにさせることにした。

 しかし、僕とは違い普通の人である透が死神を見ることが、声を聞くことが出来るのだろうか。

『可能だよ。彼が君に触れていれば』

 声に顔を上げる。部屋の隅、九ヶ月前に見た死神の彼がそこにいた。

 彼が言ったことをそのまま透に伝える。透が僕に触れて部屋の隅を見ると、小さく声を上げた。何もないはずの空間を凝視する透の様子から、ちゃんと彼のことが見えているようだ。

「ちょっとアイツと話す」

 彼との会話は頭の中でのことだ。僕には二人の会話は聞くことが出来ない。仕方なく頷いて待つことにした。

 数分後、話し終えたらしい透が深くため息をついて、僕に視線を移す。何か思いついたようだ。

「拓哉。冷静に聞いてほしい」

 そう前置きをして、透は言った。

「十中八九失敗するだろうとアイツに言われたが、俺はこれにかけようと思う。お前が生き残るにはこれしかない。だから、何もしないよりかはこれにかけてみようと思う」

 僕は内心苦笑する。透も人のこと言えないじゃないか。十中八九だなんて嘘をつくとは。きっとそれは、万が一くらいの確率だろう。透の苦しそうな表情からすぐに分かった。

「うん。透がそう言うなら、僕もそれにかけてみるよ」

 でも、透なら……大好きな透からの提案なら、僕はそれが何であっても、受け入れよう。

「そうか。ありがとう」

 何で透が礼を言うんだろう。僕の方こそお礼を言いたいのに。諦めていた僕に、僅かでも光明を見いだしてくれたのだから。それがほぼ成功することのない、絶望的な方法だったとしても。

「そんじゃ本題に入る前に、先に明日の予定でも決めようぜ」

「明日?」

 ふいに雰囲気が軽くなり、きょとんと透のことを見つめる。

「外出許可もらってさ、久しぶりにデートでもしようぜ。最近デートしてなかっただろ。気晴らしにしどうだ? お前の好きなところに連れてってやるぞ」

 わざわざ話を戻すことはない。僕は透に合わせることにする。

「好きなところかあ……。それだったら、またゲームセンターに行きたいかな。新しいぬいぐるみがありそうだし」

「よし、今度は一つと言わず全部取ってやる。喜ぶ準備しとけよ」

「はいはい」

「なんだよその期待してませんと言いたげな適当な返事は。明日見てろよ?」

 いつも以上にテンションの高い透。人に嘘をつくなといった手前、自分が嘘をついていることが後ろめたいのだろう。そんなこと気にしなくても良いのに。

 それはともかく、明日は久しぶりのデート。今から心が踊るのは、それだけ雪花が……僕が、透のことを好きだという証拠だ。透には悪いけど、こんなに人を好きになれて、こんなに楽しくいられたのは、透に僕の正体がばれたおかげだ。僕がいなくなると、きっとまた彼は悲しむのだろうけど、この際彼には我慢して貰おう。それくらいのことは彼も許してくれるだろう。

 きっと僕は死ぬ。それがどんな形になるかは分からない。それでも僕が死ぬことには変わりないだろう。だから明日は最後のデートだ。最後なのだから、思いっきり楽しもう。

 どこか悲しげに声を上げて笑う透の声に泣きそうになるのを我慢して、僕も笑った。

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