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それが僕の歩いた道  作者: 本知そら
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第一話 それでも僕は

   第一話 それでも僕は



 常日頃から考えていることがある。どうして僕は生まれてきたんだろうって。誰もが一度や二度は考えたことがあるであろう、明確な答えの出ないありふれた悩み。大抵は謎のままか、それを探すために生きているなどと導き出した自らの答えに酔いしれながら、とりあえずの結論を付ける。もちろんそのどれもが一時の気休めにしかならない取るに足らないものだ。しかしそれで自分を安心させることができるのなら、その答えはその人にとって間違いなく正解なのだろう。問い自体を忘れてしまえば、悩むことなどなくなるのだから。

 ただ、僕にとってこの問いは一般と比較しすると少々重く、そのためいまだとりあえずの答えさえも見いだせないでいた。毎日のようにふと浮かんでは思考の渦に飲まれるが、答えの欠片さえ見つからなかった。


 僕には家族がいた。けれど物心つく頃には、家族は歳の離れた兄一人だけになっていた。母さんは僕が生まれると同時に、父さんは僕が熱を出して病院へ運んでいる途中に交通事故に巻き込まれて死んでしまったらしい。

 そのせいか、まったく記憶にないことなのに、親戚は僕のことを悪魔やら呪われた子やらあんたが二人を殺したやらと、結構酷いことを言われてきた。会う度にそう言われては、本当にそうなんだろうなと、まったく記憶にはないのに思えてきてしまうのは何故だろう。でも事実、みんなからお父さんとお母さんを奪ったのは僕。罵詈雑言を浴びせる親戚はどうでもいいとしても、兄さんの人生を狂わせたのは本当のことだ。

 両親が死んだことで、僕と兄さんは親戚のおじさんのところのところへ預けられた。僕のことを悪魔だと怒鳴っていたおじさんが僕達を受け入れたのは単純に世間体を配慮してのことだった。虐められた、なんてことはなかったけど、おじさんが差し伸べた手には愛情のあの字もなかった。

 やがて兄さんが中学を卒業する頃、僕達はおじさんの家を出て二人で暮らし始めた。兄さん曰く、「あいつの拓哉の扱いが我慢できなかった」のだそうだ。物心ついた頃からおじさんのところにいた当時の僕にはよく分からなかった。それが普通だったから。

 高校生と小学生の二人暮らしでは、たとえ兄さんがバイトをしたとしても人並みの暮らしをするだけのお金はない。しかしその心配をする必要はなかった。世間体をとても気にするおじさんだったから、学費やその他生活に必要なお金を仕送りしてきたのだ。僕達が家を出たのも、周りには僕達が早く独り立ちしたいから自主的に出て行ったと説明していた。仕送りはおそらく口封じなのだろう。金はやるから余計なことを言うな。そういうことだ。そのお金は僕達の両親が残したものだというのに。

 仕送りはそれぞれが大学を卒業するまでの約束。もちろん送られてくるのはお金なので、ご飯は自分で作らないといけない。小学生だった僕には家事なんてできるわけもなく、大抵のことは兄さんがやっていた。僕は食器を洗ったり、洗濯物を畳んだり、お風呂を掃除したり。それくらいのことしかできなかった。兄さんは「充分だよ」と頭を撫でてくれたけど、僕のせいでこんなことになったのだ。それなのに、僕には一つも愚痴を零すことはなく、いつも笑っていた。

 中学生になった僕は朧気ながらも将来のことについて考え出した。僕は思いきって、先に社会人になった兄さんに「高校を卒業したら働きたい」と告げた。これ以上兄さんには迷惑をかけたくないから、早く独り立ちをしたかった。そう言うと、兄さんは生まれて初めて僕を殴った。そして僕を強く抱きしめて、「お前のことを一度も迷惑だなんて思ったことはない」と泣いた。兄として、最低でも大学卒業までは兄としてお前の面倒を見る。兄さんは付け加えるようにして僕に言った。僕はそれに頷くしかなかった。

 それからだ。どうして僕は生きているんだろうと考えるようになったのは。


「おーい拓哉ー。それ以上寝たら死ぬぞー」

「起きてるよ」

 顔を上げ、声のした方に目を向ける。そこにはお馴染みの顔があった。

「なんだ起きてたのか」

 槙納透まきのとおるは残念そうに言う。その手には鞄があり、それは僕の頭上にあった。

「なにこれ?」

「いや、これで起こそうかと」

「そんなの落としたら痛いじゃないか」

「痛いからいいんだろ?」

 まあたしかに。微妙に納得して体を起こし、鞄を持って席を立つ。

 ホームルームを終えた放課後。既に教室の人はまばらだった。

「よし、じゃあ行くか」

「部活は?」

 透はサッカー部に所属している。それなりの腕前らしく、一年で唯一レギュラー入りしている。中学の頃は僕も彼に誘われてサッカー部に所属していたのだけど、結局ベンチ入りが関の山で、今では帰宅部に落ちぶれている。

「今日は休み」

「またそれは珍しい」

「雨だからな」

 あれ、と廊下を歩きながら外を見る。いつの間にか外はどしゃ降りだった。ホームルームが始まるまでは晴れていたはずなのに。

 二月にこれだけの雨は珍しい。雪がほとんど降らないこの街では、冬に降るとしたら雨なのだけど、この時期は天候が安定しているため、めったに雨は降らない。降ったとしても傘がいるかどうか迷う程度のもの。だから困った。僕は傘を持ってきていない。

「どうしたものか」

「なにがだ?」

「傘がない」

 なんだそんなことか、と透が笑う。頭の上にハテナを浮かべていると、彼は鞄の中から折りたたみ傘を取りだした。

「用意周到だね」

「よせよ褒めるなって」

 別に褒めたわけじゃないのに彼は照れくさそうに頭を掻いた。

「仕方ない。ここは相合い傘といこうじゃないか。親友の俺と一緒だなんて嬉しいだろ?」

 なんで男と相合い傘、同じ傘に入らなくちゃならないんだ。僕は首を捻り、透の顔を覗き込むようにしてジロリと睨んだ。

「君ね……そういうことを言うから変な噂が――」

「おぉっと。これは拓哉お得意の『君ね』攻撃じゃないか」

 僕の言葉を遮って、透が声を上げ、大袈裟に仰け反ってみせる。

「……意識してやってるわけじゃないよ」

 ふんっ、と鼻を鳴らして前に向き直る。切り忘れた爪を爪で弾いてパチ、パチと音を鳴らす。

「とにかく、君の傘に入るつもりはないよ」

「まあまあそう言わずに。からかったのは悪かった。俺のせいでお前が風邪を引いちゃ悪いからさ、すぐそこの商店街まででいいから入っていけって」

「桐町まで? 僕も君も家は別の方向じゃないか」

 学校の近くには桐町商店街というこの街で一番大きな全天候型のアーケード街がある。最近では大手ショッピングモールの登場で客足は遠のき昔ほどの活気はないけど、それでも平日の放課後は近隣の生徒でそれなりの賑わいをみせている。

「せっかくの部活休みだぞ? 二人で遊ぼうぜ」

 二人でをやけに強調する。また僕をからかっている。無視してやろうかと思ったけど満面の笑みの彼を見て、渋々ここは彼に付き合おうと決める。

「遊ぶって、どこへ?」

 昇降口で靴を履き替え、真っ黒な空を見上げて言う。透は「そうだな……」と同じく空を見上げる。

「とりあえず腹が減ったし、ファミレスでもいこう」

「賛成」

 それには僕も二つ返事でオーケーを出す。ちょうど小腹が空いていたところだ。

「ファミレスってことはプラナスか」

 プラナスとは全国にチェーン展開するファミリーレストランで、和風、洋風と豊富なメニューを取り揃え、その全てを注文しても五万円に届かないことをウリにしている二十四時間営業の飲食店だ。

 あそこはたいてい料理がいまいちな味だけど、コーンスープとほうれん草のソテーだけは美味しい。僕はいつもプラナスに行ったらその二つとドリンクバーを注文するようにしている。

「どうせお前はほうれん草のなんとかとコーンスープだろ?」

「ソテー」

「それだそれ。ソレー」

 透が言うと同時に、雨が少しばかり弱まった。きっと彼の寒いギャグに天気も凍り付いたのだろう。僕は鞄を肩にかけ直し、軒下から走り出た。桐町はすぐそこだ。走ればそんなに濡れないだろう。

「おい、拓哉、傘!」

 慌てた様子の声に振り返れば、透が僕を追って走り出していた。サッカー部の彼が本気を出せばすぐにでも追いつかれる。案の定みるみるうちに差が詰まっていく。僕は諦めて速度を落とした。

 まあ、親友との相合い傘も仕方ない。彼も彼なりに僕を気遣っているのだ。彼は僕の過去を知る唯一の親友なのだから。


 ◇◆◇◆


「最近あの子が来なくてさ」

「ふーん」

 ファミレスについた透は開口一番にこう言った。僕は見る必要のないメニューをパラパラと眺めながら相槌を打つ。

「うちの学校の入試が終わってもしばらくは毎日来てたんだ。しかも『合否の報告します』って言ってくれてたんだよ」

 話題は透が県立図書館で良く会う少女のことだった。曰く彼女とは半年前の夏休みに同じ図書館で出会い、届かない位置にあった本を取ってあげたことから仲良くなったらしい。以来待ち合わせをすることなく、定期的に図書館で会っていたそうだ。彼女が千里学園高校を受験することを聞いてからはほぼ毎日図書館に通って勉強を教え、試験を終えた後も顔を見せていたのに、数日前からぱったりと来なくなったらしい。

「いろいろと学校行事で忙しいんじゃない? その子、中三でしょ?」

「ああ」

「きっと卒業文集とかそういうのでこれないんだよ」

「そうだといいけど……」

 煮え切らない。そんなに心配なら彼女の自宅か学校へ行ってみればいいものを。まあ、彼はこう見えて結構恥ずかしがり屋だから、彼女の学校まで出向くなんてできないのだろう。

 僕は前を通りかかった店員を呼び止めて注文をする。僕はいつものを、彼はハンバーグセットを頼んだ。

「合格発表は一ヶ月後か。それまでは待ってみたら?」

「……そうだな」

 ぎこちなく頷く彼を見て小さくため息をつく。

 僕の予想からして……というか誰から見ても、透はその彼女のことが好きなのだ。だから彼はこんなにも悩んでいる。

「よしっ。なんか元気出てきた。やっぱお前と話すとすっきりするな」

「僕は何もしてないのに?」

「話を聞いてくれるだけでいいんだよ」

「単純だね、君は。それなら僕じゃなくても」

 僕が笑う。つられて彼も笑う。

「拓哉だから話せるんだよ」

 よく分からない理屈。でも、なんとなくその気持ちは分かる。僕も本音を話せるのは、兄さんと透くらいのものだ。

 注文してから数分足らずで料理が運ばれてきた。さすが全国展開しているだけはある。全てマニュアル化されているのだろう。

「今日は俺が奢ってやるよ」

「ん、今日はやけに気前いいね」

「そんな気分なんだよ」

「ふーん。来週の試合スタメンだから?」

「それもある。だから応援しにきてくれよ?」

「さあ、どうしよう」

 僕は曖昧に返してほうれん草のソテーを口に運ぶ。やっぱりこのお店ではこれが一番美味しいと思う。

「そんなこと言わずに、応援に来てくれよ、なっ?」

「そういう台詞はその女の子に言ってあげたら?」

「なっ……!?」

 透の顔が真っ赤になる。なんて面白いヤツだ。よし、さっきの分をここで返してやろう。

「あれ、真っ赤になってどうしたんだ? 簡単なことじゃないか。いつも僕にしているように誘えば良いんだよ」

「おまっ、そ、そんなことできるわけが……」

 酷く動揺する透が面白くて笑いがこみ上げてくる。声に出して笑いたいところだけど、それはさすがに可哀相だ。

 僕は彼が怒って何も言わなくなるまでからかってやった。その後、透の機嫌を直してからゲーセンに行き、ひとしきり遊んで別れる頃には完全に日が落ち、真っ暗になっていた。天気の方も芳しくなく、アーケードを抜けてしばらくすると大粒の雨が降ってきた。

 あまり濡れると風邪を引く。風邪を引くと兄さんや透が心配してしまう。そう考えた僕はいつもの道ではなく、普段は通らない住宅街を抜けていくことにした。街灯が少なく入り組んでいるけど、この道なら早く家に着くのだ。

 雨が降っている時は注意が散漫になる。しかもそこは普段通らない道だ。いつも以上に気をつけなくてはいけない。

 そして僕は重要なことを忘れていた。『何故僕がこの道を普段使わないのか』という簡単なことを。


 知っていたはずなのに、早く家に帰りたかった僕は目の前に見えた少し大きな道へ走り出た。


 それからのことはあまり覚えていない。覚えているのは、夜の雨と、強い白い光、そして甲高いブレーキ音と、紅く染まったアスファルトだった。

 ゴツゴツとした硬いアスファルトに体を横たえ、薄れ行く意識。近くで何かを叫ぶ男の人がいるのに、僕はそれに応じることはなかった。

 ……そういえば透に「スタメン入りおめでとう。頑張れ」って言ってなかったなあ。それに結局さっきは応援に行くって言わなかった。まあいいか。明日言おう。なんか凄く眠いし……。

 そんなことを考えながら、僕の意識は途絶えた。


 ◇◆◇◆


 幼稚園にいた頃。両親のいなかった僕は参観日が嫌いだった。横を見ればいつもなら僕と一緒に滑り台やブランコで遊んでいる友達が、今は僕をそっちのけにお父さんとお母さんと竹とんぼを作っている。誰も来なかった僕の相手は先生がしてくれていた。。

 両親との思い出がない僕は両親がいなくても寂しいなんて思ったことはなかった。けれど、手を伸ばせば届くような距離で、友達が両親と一緒にとても楽しそうに何かを作る様を見せられるのはとても辛かった。

「ねえ、兄さん。僕のお父さんとお母さんはどこにいるの?」

 ある日。耐えきれなくなった僕は、ついに兄さんに聞いてしまった。兄さんを困らせないようにと、ずっと聞かずにいたことなのに。

「……天国っていう遠いところだよ」

 兄さんは少し考える素振りを見せてから、答えた。

「天国?」

「そう。空の上。ずっとずっと高い、雲よりも高いところだよ」

「雲よりも? そんなに高いんじゃ行けないね……」

 僕は両親に会えない。予想通りの答え、それでも僕は酷く落胆する。けれど兄さんが心配するといけないからと、笑顔を張り付けてなんとか平静を装う。

「そうだな。でも拓哉も俺もいつかはそこに行くんだから、いい子にしていないとな。そうしないと地獄に落とされるかもしれないぞ」

 地獄は何かの絵本で見たことがあって知っていた。悪いことをした人が連れて行かれるところだ。お父さんとお母さんは天国にいる。僕が地獄に行ってしまっては本当に会えなくなってしまう。

「僕、お父さんとお母さんに会いたいから、いい子にする」

 痛いのには慣れていた。でも、お父さんとお母さんに一生会えないのは嫌だった。

「そうだな。兄さんも父さんと母さんに会いたいから、一緒にいい子にしような?」

「うんっ」

 今は会えない。けれどいつかは会える。それだけで当時の僕は元気が出た。兄さんと一緒ならきっといい子でいられるから。


 ◇◆◇◆


 意識が戻ると、そこは真っ白な空間だった。上を見上げれば真っ白な空が。下には真っ白な地面。そして左右にはどこまでも続く真っ直ぐな水平線。

 あり得ない。もしここが現世なら、水平線がわずかに湾曲しているはずだ。地球は丸いのだから。それくらいのことは誰でも知っている。

 となるとこれは夢、しかし頭はすっきりと冴えている。夢である可能性は低い。

 そうだ。僕はさっきまでどうしていた? 当然の疑問が浮かぶ。目を閉じて記憶をさかのぼる。

 放課後。珍しく部活が休みだという透と街へ行って、ファミレスでいつものほうれん草のソテーとコーンスープを注文。透の悩みのようなものを聞いて、からかって、機嫌を取り、ゲーセンで遊んで、気付いたら外が真っ暗だったからそこで解散して、雨が降り出して、近道しようと住宅街を……。

 思い出した。

 そのシーンは断片的な記憶としてしか残っていないけど、僕は車道に飛び出したところを車にはねられたんだ。こっちはちゃんと信号が青になったことを確認した。車側の完全な信号無視だ。最後に感じたのは、ぬめり気のある赤い液体と、ごつごつとした硬いアスファルト、そして全身を打ち付ける冷たい雨。ただそれも、僕の意識が薄らぐとともに感じなくなっていった。

 それから気付けばここにいる。つまり僕は――

『その通り。君は死んだ』

 唐突に声が聞こえた。それは頭の中に直接流れ込んできて、軽い頭痛を伴った。

 振り返る。そこには黒い布に覆われた少年がいた。いや、少年なのか少女なのか、はたまた青年なのか、それは分からない。何故なら彼はフードで顔を覆っていたのだ。声色から彼を少年と判断したに過ぎない。

『僕のことならどう思ってくれても構わないよ。なんなら君の望む姿にもなれる』

 僕は何も喋っていない。いや、喋ろうとしても声が出ないのだ。どうやら彼は僕の考えていることが読めるらしい。

 それよりも彼は何者なんだ? 彼は僕が死んだと言った。どうしてそれが分かる?

『もちろん、それは僕が君の担当官だからさ』

 担当官? さっぱり分からない。いったいなんの?

『質問が多い。……あーそうか。まだ君は死んだばかりで心の整理がついていないのか。それなら分かりやすく説明してあげよう』

 彼はそう言うと、何もない空間からアニメや漫画でしか見ないような大きな鎌を取り出した。彼はそれを肩に担ぎ、向き直った。

『君達の世界の言葉で言うと、僕は死神。君を含む約一億の魂の管理をする下っ端の死神さ』

 驚愕した。両親に会うため、天国や地獄の存在は信じて疑わなかったけど、まさかこちらとしては何の徳にもならない、空想上のものだと思っていた死神が本当にいただなんて。

 普段なら鼻で笑って蹴散らしていただろう。しかしこの空間に漂う異様な雰囲気が、それが嘘ではないと物語っているようで、何故か自然に信じられた。

『そりゃいるさ。天使なんかよりもずっと数が多い。僕達は下っ端だけど役割は重要でね、それなりの人員が必要なんだよ。……だというのに、最近は無駄に人が増えすぎて魂の供給が追いつかなくなるし、仕方ないから現存する魂を分割してやりくりしているのだけど、今度は個々の質が下がってしまってね。いろいろと管理が大変なんだよ。まったく人という奴は……っと、君に愚痴ってもしょうがない』

 ふいに何かを思いだしたように鎌を手放し、代わりに数枚のA4サイズの紙を手にした。

『本来なら、死んだ君はすぐに断罪棟へ送られるのだけど、僕の手違いで君は約十ヶ月ほど早く死んでしまったんだ』

 ……。

 ……は? コイツは何を言ってるんだ? 手違いで十ヶ月も早く死んでしまった、だって? 僕が? コイツのせいで?

『さっきも言ったように、最近魂の管理が大変でね。どうしてもこういうミスが起こりやすくなっているんだ。本来君は今日事故に遭う予定ではなかったんだよ』

 ミス? 事故に遭う予定ではなかった? 人が死んでいるのに、たった二文字で、事務的に済ませようって言うのか?

 命をぞんざいに扱われたことに怒りを覚えた。彼に掴みかかろうとしたが、体は言うことを聞いてくれず、その場から一歩も動くことはなかった。

『君達の価値観だと、その怒りはごもっとも。ただ、こちらとしては君は数十億分の一の存在。これくらいのミスに左右されていては仕事にならないんだよ』

 人の命を軽視する物言いだ。しかし、彼らからしてみればそれが当たり前なのかもしれない。もちろん許されないことだが、僕達人だって、他の生物を同様に扱っている。彼を責められるだろうか?

『……意外と君は冷静だね。大抵の人間はこのあたりで意思の疎通が困難になるのに。でもおかげで助かる。つまりそういうこと。君は死んだ。これは紛れもない事実だ』

 抑揚のない、あくまでも事務的な言葉。それは僕に再び残酷な現実を突きつける。二度目の言葉は静かに受け入れるしかなかった。

 ……そっか。僕は死んだのか。生まれてからずっと兄さんに助けて貰ってばかりで、迷惑ばかりかけて、それなのに何も返すことなく死んじゃったのか。あーあ。これじゃ両親どころか兄さんにまで会わせる顔がないよ。親友には頑張れの一言も言いそびれたし、ほんと僕は何のために生まれたんだろう。

 自然と涙が溢れた。どうしようもない自分がただ情けなかった。

 そんな僕を見ていた彼が小さくため息をついた。それは呆れなのか、それとも別の感情なのか。

 彼はこう言った。

『とは言え、最近僕はミスが多い。さっきも一人殺してしまった。まあ、あれはどちらかと言えばあちらが悪いのだけど、それでも僕のミスに変わりない。先月も先々月も僕はミスをしたばかりだ。今回の件を上に報告すれば、僕の存続が危うい。下手すると消されてしまうかもしれない』

 ……ミスをしただけで消される? 殺されるってこと?

『当たり前だ。ミスを重ねる奴なんていらない。消されて当然じゃないか』

 心からそう思っているという風に、少しもぶれることのない彼の声。自分がいなくなることに恐怖はないのだろうか。

『もちろんある。君達よりかなり稀薄だけど。だから僕のために、君にチャンスをあげよう』

 彼の横の空間が歪む。ぼやけていた映像のピントが合うように、少しずつ鮮明になるそれは、どこかの病室、いや、手術室のようだった。

『彼女は君と同じ時刻、同じ町で同様の事故に巻き込まれ、同じ病院に搬送された。本来なら彼女は助かるはずなのだけど、予想以上に弱り切っていた彼女の魂は耐えきれず、輝きを失ってしまった。このままでは僕のミスは君のを合わせて二つ。消されるのも時間の問題だ』

 手術台に寝かされた少女を見ていた彼がゆっくりとこちらに向き直る。吸い込まれそうな漆黒の瞳が僕を見つめる。

『もし君が彼女の魂に入り込み、彼女として残りの十ヶ月を生きてくれれば、君と彼女へのミスが帳消しとなり、僕も消されることはないだろう』

 彼が僕を見据える。そのときになって初めて彼の顔が見えた。彼はどことなく僕に似ていた。

『このまま死ぬか。それとも彼女になって残りの日々を過ごして死ぬか。さあどうする?』

 彼の声が頭に響いてこだまする。僕は笑った。さあどうするって、選択もなにもあったものじゃない。彼女にならなければ、僕はこのまま死ぬんじゃないか。しかもたとえ彼女になっても十ヶ月の命。なんてどうしようもない二択だ。

 ひとしきり笑ってから、手術中の彼女に目をやる。長い茶色の髪に小柄な体。僕より年下、中学生くらいだろうか。個人的主観で言うと、結構かわいい子だと思う。今の僕とは似ても似つかない。そりゃそうだ。彼女は女の子。性別から違うのだから。それでも、その彼女にならなければ、僕は元の世界に戻れないのだ。たった十ヶ月だとしても、彼女という別人だとしても、女の子だとしても、彼女にならなければ、あの世界に戻れないのだ。

 しばしの沈黙。彼は黙ったまま、僕の言葉を待っている。やがて僕は意を決して口を開く。

「彼女になるよ」

 女の子として、彼女となって生きていけるか分からない。それでも、それでも僕はもう一度、後一言、せめて彼らにお別れの言葉を告げたかった。そのためなら何だってやってやる。

『交渉成立。それじゃ、残りの十ヶ月、楽しんできなよ』

 彼のその言葉を最後に、僕の意識は再び途絶えた。

 その間際、ずっと無表情だった彼が少しだけ笑ったように見えた。

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