第Ⅲ話 《鳥籠》
―――同時刻。十七時三十二分頃。
敵の斥候の標的となった輝鏡なき焱鳴の聖跡の一行は索敵を警戒しつつ拠点から離れた地点に身を隠していた。周囲の物陰に人の気配はなく、それ故に鬱陰とした空気が満ちている。
私は現状の状況確認をするために懐から携帯端末を開き現在の時刻を確認すると、
最初の襲撃から時間が経過していた。
「………………」
おかしい。
敵の侵攻が突然鳴りを潜めた。
また、各区域で鳴り響いていた爆発音も、今は静謐な時間が場を満たしていた。
ちらりと周囲を見渡すと。
先刻の銃撃戦により脇腹や脚などに致命傷を負った負傷兵が崩れかけの外壁に身体を預けてもたれかかっている。
「…………エ……ヴィ、ッ……」
その時、私の背後から掠れた声色で呼び掛ける一人の少女の姿を確認した。
「フェリスさん!?その怪我はいったい?」
彼女はフェリス=ノクトライト。亜人種に属する人間。
普段は温厚な性格ながら、戦闘時は頼りになる存在。
部隊の皆からも姉御と呼ばれ親しまれている。
また〝輝鏡なき焱鳴の聖跡〟に所属する彼女は前線に出撃しては敵の拠点を屠ってきた。その実力は誰もが認める折り紙付きだ。その彼女が何故こうも深手を……。
「エヴィが無事で、よかった。アタシは敵の斥候に……伏せ、て、腹部に……っ。……エルノアに、医療班に……めの、治療薬で何とか激痛を……っう、緩和して、けどね」
「フェリスさん。単刀直入にお聞きしますがフェリスさんはこの現状を鑑みた上で、ご自身はどう思いますか?」
「……どういう意味?」
「違和感があるんです。何かとは言い難いのですが少し不気味な感じがして」
最初の襲撃もそうだ。
何故、敵の斥候らは霞鏡都市の全域を含む起爆を実行したのか?
その大胆な発想と行動は不自然極まりなく。
素人の発想とも思えない。
それに、どこか嫌な感じもする。
「エヴィのそれは概ね正解かもしれない。アタシも似たような違和感があるの。過程のなかで最も緻密に洗練された戦略。数多の用意周到な計画。その可能性を考慮しても気付かないうちに私たちは掌の上で踊らされた。いえ……鳥籠に囚われた雛鳥のように最低な気分よ」
「……………………」
「エヴィ。落ち着いて。仮にも貴女は組織を統率するアタシたちのリーダーでしょ?」
「私は……」
確かに輝鏡なき焱鳴の聖跡を構成する組織の立場上、フェリスさんの言葉を汲むならリーダーとしての資質の問題も浮上する。
それでも、私はこの現実に目を背くことしかできなかった。
霞鏡都市の民衆は相手に敬意を表し、崇高と期待の眼差しを向ける傾向が多い。
儚い幻想や理想の果てに辿り着く幾千の景色が余りにも滑稽で、自身の心を傷つける鋭利な刃にしかならない。
そんな、自身を卑下する者に統率者の資格はあり得ない。
「フェリスさんには申し訳ありませんが。私にその資格なんてありませんよ?」
「あんたになくてもアタシがただそう思うだけよ」
「……そう、ですか」
フェリスさんとの談笑が重々しい雰囲気に包まれた現場の空気をほんの少し緩和させて、ゆっくりと紐解くように緊張の糸が解れていくのを感じた。
この状況でその行為が一番駄目なことを理解していても。
「見つけた。そして、さようなら。
その輝魔姫の心臓は―――私が喰らうね?」
ほんの僅か数秒の時間に起きた悲劇。
今まさに油断大敵とはこの事だ。
私たちの警戒心が緩んだその一瞬に。
ドンっと力強く胸を押され、その勢いのまま後方に転倒した。
臀部を強打した痛みで顔をしかめたが視線を前方へ向ける。
「――――――えっ?」
大きく見開かれた私の眼に映るは深緋色の血飛沫が空に飛散した光景だった。
ぽたぽたと赤く滲んだ血が穿たれた心臓部の付近から溢れて地面に滴り落ちる。
「がふっ、ふっ……っあ、ごふ、ぅ……ぐっあぅ……なに、が。……えっ?、あぁっ、エ……ヴィ、に、……げて」
「……や。いや。嫌、嫌あぁぁアァァッ!」
「むぅ……」
彼女は頬をぷくっと膨らませるとどこか納得がいかない表情を見せる。
「燐華の嘘つき。不意を突けば輝魔姫の心臓を喰えると自慢げに豪語していたのに。あぁでも、その隣の亜人種には致命傷を与えたから結果オーライ、だよね?」
フェリスの心臓部を貫いた際に付着した返り血を、その瑞々しい唇の隙間から覗く血色の良い舌で余韻に浸りながら味わうようにぺろっと優しく舐める。
「ふ~ん?香ばしくて熟された甘い果実のような匂いがする。美味しそう」
「ふざけないで!!」
エルヴィはその少女に怒号を飛ばした。
「亜人種を。霞鏡都市に暮らす人間をあなたは何だと思っているんですか!!」
「奴隷の烙印による人権の剥奪。それが、人間の罪であり。
人間の地位から堕ちた〝家畜〟でしょ?」
「人権を剥奪されたから、家畜だからと容易に人を殺めるなんて常識から逸脱しています」
「……くすっ」
「なにが可笑しいんですか?」
「ごめんなさい。……あなたたち輝鏡なき焱鳴の聖跡も、霞鏡都市の人間も、すべての人間は生存本能には逆らえない。その結果、飼育された動物を躊躇なく殺害するじゃない。その行為は私と何が違うのよ?」
「…………それ……は」
「エルヴィ!!その化物から早く離れろ!」
張り詰めた緊迫感が支配する空間に突如として鳴り響く銃撃音。
スコープで照準を狙い定めた対象めがけトリガーを引く。
銃口から連射された弾丸は空を切るように、標的へと向かう。
…………だが。
その弾丸は彼女の眼前で粉塵と化す。
「っくそがぁ!?弾が当たらねぇだと?」
「狙撃……?くすっ。残念だけど私にそれは通じない。私の眼は特殊でね、無機物で錬成した物体を遮断する効果があるの」
「まさか、魔眼なのか?」
「ふふっ。正解。見事に正解したオマエには特別なご褒美を、私の異能をお披露目してあげる!」
そして、黒髪を靡かせた幼い顔立ちの少女は言葉を紡いで詠唱を始めた。
お久し振りです。久遠 鏡夜です。
大変、長らくお待たせしてしまい待ち望んでいた読者の皆様には申し訳ない気持ちです。
第三話《鳥籠》は如何でしたでしょうか?
第Ⅱ話の《黒鴉の襲撃》に続き、連続投稿させて頂きました。
序盤の展開も加速させつつ、緻密に構想を練っていますので次話も待ち望んで頂ければ幸いです。それでは皆様、次回の更新もお楽しみに!