愛ゆえのざまぁ
「わたしの婚約者になってくれないだろうか?本当は結婚を申し込みたいのだが、それだときみもまだ心構えが出来ていないだろうし、実際に住むことになる皇都や皇宮の様子も見てみたいだろう。それで、きみさえよければ婚約者として皇都ですごすというのはどうだろうか?」
皇帝陛下と、庭園の東屋でテーブルをはさんで向かい合っている。
そう切り出された。
大変心苦しい。
彼らをモフモフしながらでもずっと気になっていたし、心を痛めてもいた。
でも、やはり真実を告げなければならない。
たとえこの癒しと愛にあふれた生活に終止符を打とうと、真実を告げて謝罪をしなければならない。
「あの……、陛下……」
「ああ、忘れていた。皇都には、わたしたちよりずっとずっとモフモフ系の獣人がいるんだ。きみがわたし以外の獣人に抱きつくのは、正直なところあまり気分のいいことではないけどね。しかし、きみのしあわせそうな笑顔を見ることが出来るのだったら、それも我慢しよう」
告白しようとしたタイミングで、皇帝陛下がとんでもないことを言いだした。
皇都にはもっとモフモフしているのがいる!
ダメ、ダメダメ。
このまま王女になりすまして行けばいいじゃない……。
つい気持ちが揺らいでしまう。
「陛下、おききください」
その悪しき思いは封印し、そう切り出した。
しかし、彼は手を上げた。
「カヨ・アルベリーニ公爵令嬢、いいんだよ。わたしはきみに、つまりカヨ・アルベリーニに婚約を申し込んでいる。偽りのドミニク・ガリエ王女殿下ではなく、ね」
「はい?」
一瞬、彼の言っていることがよくわからなかった。
「きみに謝らなければならない。わたしたちには、相手の心を感じることの出来る特殊な能力があるんだ。きみが国境でヴィクトルに会った瞬間、彼はすべてを知った。彼はきみだけでなく、きみの従者たちの心も感じたからね。きみは心ならずだまされ、ここにやって来た。その前に、長年付き合っていた王太子に婚約を破棄された。わたしたちは、そのことも知っている。彼は、つまりきみの元婚約者は、こんなことを言うのもなんだが、勘違いしているようだ。まず、わたしたちカッソーラ皇国がきみの国を攻めようとしているということだ。どういう経緯でそんな情報が彼の耳に入ったのかは知らないけれど、まったくの誤報だ。われわれカッソーラ皇国に近隣諸国に攻め入るなんてかんがえは、いまのところまったくない」
呆然としてしまっている。
偽物の王女だってバレていたということもショックだけど、わたしの素性や婚約破棄されたことまで知られていた。
「彼は、妹の王女を生贄に差しだすので攻めてこないでくれと使者をよこしたんだ。もちろん、こちらに攻め入る意志などまったくないので、それは丁寧に断った。だいたい、生贄などと……。そのことも彼は勘違いしている。それはともかく、彼はわれわれに侵略の意志がまったくないということを信じなかった。何度目かのやりとりを経て、こちらも折れることにした。正直なところ、面倒くさくなったわけだ。『それならば、婚約を前提に訪れてもらってくれ』、とこちらから申し出た。あくまでも婚約を前提として、だ」
彼の神々しいまでの美形に苦笑が浮かんだ。
「それからのことは、きみも知っての通りだ。王女の身代わりを婚約者として送るということが、最初から意図してのことだったのか、あるいは彼の気がかわったのかはわからない。だが、彼がわたしをだましたことにかわりはない。なにより、きみを傷つけたことが許せない。カヨ、わたしはきみにだまされたなどとは思ってはいない。きみの心はいつだって正直だし、わたしにたいして誠実で公平で愛に満ちている」
彼は、テーブル越しにわたしの手を握った。
「もう一度申し出たい。カヨ・アルベリーニ、婚約者としてわたしとともに皇都に来てくれないだろうか?わたしは、きみに参ってしまっている。きみのやさしさや前向きさや明るさには、わたしだけではなくみんな癒されている。わたしはきみだけを愛し、かならずやしあわせにする。それから、きみが一生モフモフに不自由しないよう保証する。いまここでそれらすべてを誓う」
わたしには彼のような力はない。だけど、彼のオッドアイにあらわれている光に偽りはない。
バレてはいたけど、わたしが彼をだまし続けたことにかわりはない。
わたしが良心の呵責に苛まれつつも彼の側にいたのは、モフモフや彼の地位や彼の美形が理由ではない。
彼自身に惹かれ、興味を抱き、好きになったからであることにいまさらながら気づかされた。
わたしは皇帝陛下やモフモフの神獣ではなく、ラウル・フランキという一人の男性を愛している。
「陛下、心から謝罪をさせて下さい。わたしは、あなたをだましていた罪を償いたい。あなたの側で、あなたにお仕えしたいです。わたしもあなたを愛しています」
彼は、わたしの心は感じているはず。
でも、言葉にしてそう伝えたかった。
ヴィクトルの姿を数日間見ないと思っていたら、彼はひょっこり現れた。
見たことのない男性を伴っている。
「カヨ?驚いたな。カヨじゃないか?」
男性は、わたしを見るなり驚きの叫びを上げた。
無精髭に覆われた顔にある瞳に見覚えがあるし、さわやかすぎる声にきき覚えがある。
「まさか、叔父様?ロック叔父様?」
行方不明の父の弟ロック・アルベリーニである。
「事情は彼からきいた。兄貴が亡くなったこと、アルベリーニ家が性悪母娘に乗っ取られていること、それから、きみのめでたい話も」
記憶にある叔父よりずっと体格がよく、ワイルドになっている。
彼は、わたしをしっかり抱きしめてくれた。
「おめでとう。きみはしあわせになるべきだ。いままで好き勝手させてもらってきみにも苦労をかけたが、おれもそろそろ地に足をつけるべきだな。ちょうどいい機会だ。兄貴の遺言通り、アルベリーニ家に戻って家を立て直すよ」
「叔父様、よかった。本当によかった」
それにしても、ヴィクトルはよく叔父を見つけてくれたものね。
「きみに残っている彼のわずかなにおいで追ったわけだ。大陸の端まで行かなればならなかったけどね」
小柄で可愛いヴィクトルは、可愛すぎる笑みを浮かべた。
というか、わたしに残っている叔父のにおい?
どれだけ鼻がきくの?シンプルに
「さあ、これで役者は揃った。ひとっ走りきみの祖国に行き、わたしたちの婚約を正式に発表するとしよう」
皇帝陛下がさわやかに宣言したけど、どういう意味なのかよくわからなかった。
そして、早速実行に移った。
わたしはわがまま王女のドレスを着用し、叔父は無精髭をぜんぶ剃り落として皇帝陛下から借りたタキシードを着用した。
皇帝陛下はタキシードを、ヴィクトルは勲章がいっぱいぶら下がっている軍服の上にコートを着用している。
わたしは皇帝陛下の背中に、叔父はヴィクトルの背中に乗った。
たったそれだけで、あっという間に故郷ペレッティ王国の王都に戻ることが出来た。
二頭の神獣は、空を駆けたのである。
叔父も、こうして大陸の端からヴィクトルの背中にのってカッソーラ皇国に連れてきてもらったらしい。
数か月いなかっただけで、祖国はとんでもない危機にさらされていた。
カッソーラ皇国とはまた別の隣国ロラン帝国に攻め入られていたのである。
停戦の条件が、国王や王妃は幽閉、さらには人質を差し出すことらしい。
人質は、王太子と王女の二人である。
わたしたちが王宮に行ったとき、ちょうどロラン帝国の軍勢が王都を占拠し、王太子と王女が連行されるところだった。
人質といえばきこえはいいけど、ロラン帝国でさらし者にされた後に処刑される可能性が高い。
ロラン帝国は、カッソーラ皇国以上に悪名高い。
おそらく、国王や王妃、ほかの王族も遠からず処刑されてしまう。
「この女は?」
「ちょっと、放しなさいよ」
王宮の警備は解除されている。だから、堂々と王宮内に入ることが出来た。
いままさしく、義姉が占領軍の兵士を怒鳴りつけているのに遭遇した。
「その女は婚約者だ」
すでに手枷足枷でがんじがらめになっている王太子、つまりくそったれの元婚約者が叫んだ。
「な、なにを言っているのよ。あれだけ浮気をしまくっていて、どうしてそんなことが言えるの?」
「このあばずれ!おまえこそ、浮気をしまくっていただろう?」
言い合いをはじめた王太子と義姉を、占領軍の兵士たちは呆れ返って見ている。
「ヴィクトル。わたしが連中に挨拶をしている間に、占領軍の指揮官を連れて来ることは出来るか?」
「いやだな、兄上。そういうことを愚問っていうんですよ。将来の義理の姉に、いいところを見せることが出来てよかった」
皇帝陛下の命令に、ヴィクトルは可愛い顔にうれしそうな笑みを浮かべた。
その瞬間、彼の姿が消えた。
「さあ、行こう」
そして、彼は見苦しい言い合いをしている場に歩を進めた。
「やあ、きみがカヨ・アルベリーニの元婚約者かい?それから、わたしの本当の婚約者の王女ドミニク・ガリエだね?それから、そちらはカヨの義姉と義母、かな?」
王宮内の使用人たちに混じり、継母もいる。
突如現れた美形に、だれもが注目した。
無精髭のない叔父は、身内贔屓するわけじゃないけれどそこそこかっこいい。
そんな美形ぞろいの中、わたしだけ浮いている気がする。
「わたしは、カッソーラ皇国の皇帝ラウル・フランキ。そして、こちらはわたしの婚約者カヨ・アルベリーニとカヨの叔父のロック・アルベリーニ公爵。それから、これはわが皇国の大将軍ヴィクトル・フランキ」
その瞬間、ヴィクトルが現れた。それこそ、忽然とである。
彼は、立派な軍服に身を包んだ大男を伴っている。かと思った瞬間、彼はその大男を頭から地面におさえつけた。
「カッソーラ皇国?」
「獣人国?」
占領軍、王宮の人々たちの間から驚きの声が上がった。
「ロラン帝国軍の全将兵に告ぐ。司令官の命は、わたしの手の中にある。その場でじっとしていることをお勧めする。この司令官は脂がのりすぎているようだ。個人的には、もう少し脂っこくない方が好みなのでね」
ヴィクトルは、低く静かな声で占領軍を脅した。
「カヨ、どうにかしてくれ。その獣人にわたしを救うように言うんだ」
「カヨ、わたしを助けて。その獣人は、本来ならわたしの婚約者なのよ」
呆れかえってしまった。
元婚約者もわがまま王女も、どの口がそんなことを言わせるの?
まともな思考力じゃない。ついでに精神じゃない。
「カヨ、こんなクズ兄妹はどうでもいいわ。わたしたちを獣人国に迎えなさい」
「そうよ。そんな美形がわんさといる国ですもの。そっちの方が楽しいはずよ」
まともじゃないのはまだいる。
継母と義姉。いいえ、わたしにとっては赤の他人の母娘もまた、愚かきわまりない。
「カヨ、どうする?きみの判断に任せるよ。叔父上のことは心配いらない。彼は、冒険者だけあって広い見識をお持ちだ。彼が望めば、わたしの側近に迎えていろいろ意見をきいてみたい」
「陛下、お気遣いありがとう。だが、おれは大丈夫。たとえ故国がなくなったしても、おれはまた冒険者に戻るだけのこと。アルベリーニ家はなくなるが、それもカヨとおれが生きてさえいれば血は後世につなぐことが出来る。まぁおれは生涯独身だったとしても、すくなくともカヨは残し、つなげてくれる。皇帝陛下、あなたという立派な夫と子どもともにね」
叔父の言葉に、思わず顔が火照るのを感じた。
それにしても、せっかく故国に戻って来たのに残念なことである。
皇帝陛下とヴィクトルの思いやりに感謝をした。そして、気遣いにも。
わたしは迷わなかった。皇帝陛下の問いについてかんがえるのに、そんなに時間を必要としなかった。
「陛下、故国が占領されたのは残念でなりません。これもひとえに、王族や官僚たちの怠慢です。こうなるまでに、彼らは対処をするべきでした。その為に、彼らは存在しているのです。彼らは国民に養われているにすぎません。そのかわり、彼らが国民を守って日々の生活をつつがなく送ることを保障しなければならないのです。それを蔑ろにした王族をはじめとする支配者階級を、たとえいまここで助けたとしてもいつかまた同様のことが起こるかもしれません」
「カヨ、なにを言いだすんだ。それが、婚約者の言葉か?」
「そうよ。あなたも恩恵に授かっていたんでしょう?」
元婚約者と王女の非難を受け、わたしは彼らににっこり微笑んだ。
「ざまぁみろ、よ」
そして、一言放ってやった。
ずっと言ってやりたかった言葉である。
それから、あらためて皇帝陛下にお願いをした。
わたしの祖国ペレッティ王国が隣国ロラン帝国に攻め入られてから、すでに二年の歳月が経っている。
祖国は、もうほとんど元の状態に戻っている。
いいえ。元の状態よりずっとよくなっている。
国民にとっては、という意味でだけど。
結局、ロラン帝国軍は手ぶらで帰国せねばならなくなった。
なぜなら、逆に自国が攻め入られているという急報が入ったからである。
攻め入ったのは、カッソーラ皇国軍である。
大陸随一と謳われているカッソーラ皇国軍に攻め入られ、ロラン帝国軍もずいぶんと慌てたことでしょう。
もちろん、それは、皇帝陛下がわたしの祖国を守ってくれる為の陽動である。、ロラン帝国軍が迎撃の準備を整えるまでには、カッソーラ皇国軍はさっさと撤退してしまった。
皇帝陛下は、知っていたのである。
わたしの祖国の状況を。そして、それを目の当たりにしたわたしが何をどう望むのかを。
何の罪のない国民は助けて欲しい。
皇帝陛下は何の見返りもないのにもかかわらず、わたしのその望みをきき入れ、かなえてくれた。
元婚約者であるくそったれの王太子やわがまま王女をはじめとする王族や官僚たちは、王宮から永遠に追放された。
とはいえ、全財産を没収されたわけではない。いま、彼らはペレッティ国の辺境にある別荘で細々と生活をしているらしい。
現在、ペレッティ国は、選挙で選ばれた有識者が中心になって国を動かしている。
いまのところ、ロラン帝国がふたたびペレッティ王国をどうにかしようという動きはない。
なぜなら、カッソーラ皇国が目を光らせているからである。
そうそう。結局、叔父は様々な国で見て来た見識の広さを買われ、ペレッティ国の官僚の一人として活躍している。
継母と義姉だった母娘は、行方不明である。
図太い二人のことである。どこかの国であらたなカモを見つけてしれっと暮らしているにちがいない。
「おおおおおおっ、立った。カヨ、見たかい?クロードが、クロードが立った。自分の力で立った」
「陛下、皇子が立ち上がるたびに興奮するのはおやめください。親バカすぎて恥ずかしくなります」
これでもう何十回目の注意である。
皇帝陛下とわたしの息子のクロードは、最近つかまり立ちが出来るようになった。ヨロヨロと立ち上がるたび、皇帝陛下は大興奮する。
わたしたちの皇子は、皇帝陛下とおなじオッドアイである。それがまた、彼に似て美形なのである。歩きだすのも言葉が出てくるのも、もう間もなくにちがいない。
「この分では、もう間もなく剣を振れるかもしれないな。皇子、ヴィクトル叔父が最強の剣士にして差し上げますよ」
親バカだけじゃない。叔父バカもいる。
「なにをバカなことを。皇子は剣より力自慢だ。立派な体格になって、皇国一怪力の持ち主になるんだ」
ああ、近衛隊隊長バカもいるわよね。
「それこそバカなことだ。剣や力はもう流行らん。頭脳だ、頭脳。皇子、わたしが頭脳明晰な皇帝にして差し上げます」
執事バカまでいる。
「さあさあ、みなさん。皇子を褒め称えるのはもう充分です。そろそろわたしにモフモフをさせてください」
「皇妃殿下、仰せのままに」
執事のローマンが頭を軽く下げた途端、皇宮の居間に獅子と狼と熊の三頭の神獣があらわれた。
わたしの癒し、モフモフよ。
「きみが彼らをモフるのは、やはり見ていて楽しいものじゃないな」
「あら、焼きもちですか、陛下?」
皇帝陛下は、わたしを抱き寄せた。
皇子がモフモフを見つけ、笑い声を上げた。同時に、ゆっくりと一歩を踏み出す。ところが、よろめいてしまった。
皇帝陛下と同時に、皇子に手を伸ばそうとして……。
が、皇子は倒れず踏ん張った。一歩、また一歩とモフモフたちに近づいてゆく。
「カヨ、すごい。すごいぞ。わたしたちの愛息は、もう歩いている。どうしよう、感動しすぎて涙が……」
「いやですわ、陛下。皇子くらいの月齢だと、歩きだすのは遅くも早くもありません」
「モフモフッ!」
え?
「モフモフッ!」
なんですって?
皇子はヴィクトルに抱きつき、たしかにそう叫んだ。
「きいたかい?喋った。わたしたちの愛息が喋った」
大興奮の皇帝陛下に、力いっぱい抱きしめられてしまった。
それにしても、第一声が『モフモフ』ですって?
父上や母上ではなく、『モフモフ』なわけ?
さすがはわたしの息子だわ。
「カヨ、しあわせすぎて怖いくらいだ」
そのとき、皇帝陛下がささやいてきた。オッドアイは、やさしく満ち足りた光を発している。
「わたしもです、陛下」
「この感動を、また味わいたい。十回でも二十回でも味わいたいよ」
「いえ、陛下。さすがにそこまで子をなすのは……」
最後まで言わせてもらえなかった。
なぜなら、唇を彼のそれでふさがれてしまったから。
しあわせすぎて怖いくらいだけど、このしあわせがいつまでも続いて欲しいと願わずにはいられない。
そう願ってもいいわよね?
(了)