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婚約破棄から獣人の国へ

「カヨ・アルベリーニ公爵令嬢、本日をもって婚約を破棄する」


 その日、わたしは婚約者であるエミール・ガリエから婚約破棄を言い渡された。


 散々浮気をされ、放置され、蔑ろにされ、バカにされ、虐げられ、五年間ありとあらゆる仕打ちをされ続けた挙句の婚約破棄である。


「あの、婚約破棄の理由をおきかせいただけますか?」


 自分で言うのもなんだけど、わたしはつねに寛容でやさしく、彼のことを最優先に考え想い、尽くしてきた。


 だれからも「婚約者の鑑」と言われていた。


 非の打ちどころがなかったはず。だから、そう尋ねずにはいられなかった。


「えっ、理由?王太子のぼくが婚約破棄するのに理由がいるのか?」


 彼は、ちっとも可笑しくないのに可笑しそうに笑った。


「いくつかあるけどね。まず、きみはちっとも面白くない。それから、ぼくがほかの令嬢と仲良くしていても嫉妬しない。それどころか無関心だ。それと、自尊心がない。きみな、自分自身を愛していないだろう?ぼくみたいに自分自身を愛せなくって、どうして他人を愛せる?まだまだあるけど、面倒臭くなったからもういいよ。ああ、そうそう。ぼくは慈悲深いからね。一応、四年間・・・は婚約者ごっこというか、ぼくに仕えてくれたんだ。その記念に、きみに新しいあるじを紹介するよ」


 ちょっ……。


 あまりにも情報量が多かった。そのどれもが、わたしの常識の範疇を超えすぎている。


 呆れ返って、というよりかはもはや思考が停止してしまっている。


 そもそも、わたしたちが、婚約者どうしだったのは四年間ではなく五年間だった。


「妹だよ。妹が隣国のカッソーラ皇国に行くことになった。野獣と名高い皇帝の婚約者としてね。きみがついて行って、妹を野獣どもから守ってくれればいい。どうせ屋敷に居づらいだろう?王太子の婚約者でなくなったんだ。きみの義姉も用済みだって言っていたしね。だったら、いっそ野獣のところに行っても問題なし、だろう?」


 またしても情報量が多すぎる。その一つ一つを咀嚼するつもりもない。


「承知いたしました、ご主人様(・・・・)。これでわたしもすっきりいたしました」


 もうどうでもよくなった。


 はやい話が、わたしはていよく獣人のところに追いやられてしまうというわけね。


 それならそれで、わたしも覚悟を決めたわ。


 もう装ったり猫をかぶったりしなくてもいい。これからは、わたしらしく生きて行けばいい。


「ご主人様(・・・・)。せめてものお礼に、お別れの言葉を贈らせて下さい」


 彼が口を開くまでに、胸いっぱいに空気を詰め込んだ。


「ご健康とご活躍を、心よりお祈り申し上げますわ」


 自分の鼓膜が震えるほど叫ぶと、彼に背を向けた。


 それから、スキップしてその場を後にした。



 元婚約者のエミール・ガリエは、自分勝手で独りよがりで傲慢でスケベでバカでトンマで愚か者だけど、その妹のドミニク・ガリエも救いようがない。彼女の愚かさを表現する悪い言葉は省略する。


 兄妹ともに、いいのは外見だけである。


 どちらも金髪碧眼。絶世の美男美女として、このペレッティ王国だけでなく近隣諸国でも有名なくらいである。


 だけど、どちらも内面は悪すぎる。この世のすべての負のイメージをしょっていると言っても過言ではない。


 というわけで、なぜかわたしがその彼女のお供として、隣国のカッソーラ皇国に行くことになった。


 カッソーラ皇国は、獣人の国である。冷酷で野蛮。これが、この国の象徴のようになっている。


 わたしが王女のお供でカッソーラ皇国に行くことになったと告げても、継母も義姉も心配してくれたり悲しんでくれることはなかった。ついでに同情や憐憫などもしてくれなかった。


 昨年父が亡くなり、アルベリーニ公爵家は継母が仕切っている。父には一つ年下の弟がいて、父の遺言で公爵家はその弟が継ぐことになっている。


 が、弟、つまり叔父は行方不明である。


 この時代になってなお、冒険心の強い叔父は、大陸を冒険してまわっているのである。


 叔父が戻って来てくれたら、彼が継母と義姉は屋敷を追い出してくれるかもしれない。



 国境までは近衛兵やメイドたちがついてくるけど、国境で引き渡されたらお付きの人々は帰ってしまう。


 わたしをのぞいて、だけど。


 わがまま王女は王族の立派な馬車に、わたしやメイドたちは使用人用の馬車に、それぞれ乗ってガタゴトと田舎道を進み続ける。


 王女はお尻が痛いだの風景が殺風景で面白くないだの、冷えたものは食べたくないだの赤より白の葡萄酒がいいだの、とにかくうんざりするほどわがまま放題である。


 メイドたちの忍耐力と寛容さに、わたしは心から敬意を表したい。


 そんなこんなで王都を出発してから三日後、前夜はある辺境伯が所有する国境の古城に泊らせてもらった。


 古城の窓から隣国が見えるほど、ここは国境に近いのである。


 朝、わがまま王女に呼びつけられた。


『今日は、隣国の皇帝に会うの。現在、彼は国境近くにある城で静養されているらしいわ。これをあげるから、着なさい。いくらなんでも、わたしの専属の侍女がそんなみすぼらしい恰好をしていたら、わたしが笑われてしまうわ』


 彼女は、そう言ってドレスを投げつけて来た。


 ううっ……。人を大量に殺して返り血を浴びたみたいな赤色をしている。


 しかも、裾はフリッフリで胸元も大胆なカットになっている。


『髪もそんなおばさんスタイルじゃなく、ちゃんと整えなさいよ』


 おばさんスタイルで悪かったわね。


 髪ごときに手間暇かけている時間も労力もお金もないのよ。


 というわけでメイドたちは、わたしの意に反してドレスを着せ、髪もどうにかしてくれた。


 この時点で気がつくべきだったのよね。


 そして、これまでの三日間と同じようにわがまま王女は立派な馬車に、わたしは貧相な馬車に、それぞれ乗って出発した。


 ここが国境だと、近衛兵が教えてくれた。すでに隣国の兵士たちが待っているのが、馬車の窓から見えた。


 すると、急に馬車が停止した。


 まだ距離があるのに。何かあったのかしら?


「公爵令嬢、降りるんだ」


 近衛兵の一人が馬車の扉を開け、居丈高に命令してきた。


「降りる?まだ距離がありますよね?」

「だから、いまのうちに乗り換えるんだ」

「はい?どういう意味……」


 彼は、まったく意味も状況もわかっていないわたしの腕をつかむと馬車から引きずりだした。そして、荒っぽく豪勢な馬車へとひっぱって行った。


「これに乗るんだ」

「はぁ?なぜですか」


 その瞬間、嫌な、嫌な、とっても嫌な予感がした。


「はやくしろ。ここで止まっていては不審に思われる」


 彼は、イライラしている。怒鳴られてしまった。


 さらにさらに嫌な予感がする。


 王族専用の豪勢な馬車の飾りだらけの扉を思いっきり開いてみた。


 嫌な予感は当たっていた。


 馬車の中は、もぬけの殻だった。



 乗り換えるより前の王族専用の馬車にくらべ、華美ではないけど大きくて立派な馬車に揺られている。


 座席の座り心地は最高で、フワフワもふもふのクッションがたくさんある。カゴが二つ置いてあって、葡萄酒とパンとチーズと果物が盛りだくさん入っている。


 緊張しているわたしに馬を寄せて来て話しかけてきているのは、カッソーラ皇国の将軍ヴィクトル・フランキである。


 彼は、皇帝ラウル・カルローネより命じられ、わたしを迎えに来てくれた皇国軍の若き大将軍らしい。


 らしい、というのは、正直なところわたしがそれを信じられないでいるからである。


 とにかく、彼は可愛い。小柄で可愛らしすぎる。


 獣人って、ふだんは人間の姿をしているときいている。本当の姿が、獅子であったり鳥であったり狼であったり……。


 馬車の小窓の向こうに見える彼は、そんな獣とはほど遠すぎる。獣どころか、どこからどう見ても仔犬にしか見えない。


 愛想のよさも、まさしく仔犬である。


 キュンキュンくるのがおさえられそうにない。


 胸にギュッと抱きしめたい。


 そんな欲望をおさえるのに努力を必要とする。


「それでですね、城の近くにはすごく景色のいい場所があるんですよ」


 彼はそんなわたしの気持ちに気づくわけもなく、ずっと喋り続けている。ときおり、可愛すぎる顔をこちらに向けてくるけど、耐えられそうにないから勘弁してほしい。


「パンは陛下が焼かれ、リンゴのパイは侍従長が焼いたものです」


 彼が可愛すぎてまったく話が頭に入ってこなかった。たけど、いまの説明はたまたま頭の中に入ってきた。


 お腹が減っているということもあったにちがいない。


「陛下みずからパンを?」

「陛下は、何でも出来るのです。ぼくとは大違いです。陛下は、ぼくの兄なんです」


 ああ、なるほど。だから、将軍の地位にいられるわけね。


 パンの話をされて、急激にお腹がすいてきた。


「どうぞお召し上がりください。葡萄酒も最高のものを準備しています」


 その瞬間、勧められてしまった。

 だから、『では』とばかりにカゴにかかっている布をとった。


 焼きたてのパンの香りが鼻をくすぐる。


「ベリーとアンズのジャムも、侍従長のお手製です」


 瓶が二つ添えられている。


 グラスに葡萄酒を注ぎ、いっきに飲みほした。


 美味しい……。


 あまり詳しくないし、味がわかるわけでもない。だけど、これまで飲んだ葡萄酒よりずっとずっと美味しく感じられる。


 それから、ひたすらパンと果物、チーズを貪った。もちろん、パイも。


 どれも美味しすぎる。


 その間、馬車の小窓の向こうで、可愛すぎる将軍がずっと喋り続けている。


 この国のこと、この辺りのこと、などなど。


 お腹がいっぱいになったころ、彼が右斜め前を指さして教えてくれた。


「あれが、陛下の別荘です」


 彼の示す方角に、石造りの立派な城が建っている。


 嫌でも緊張してきた。


 あのわがまま王女の身代わりってことがバレないかしら?


 勝手に身代わりを強要された自分の不運を嘆く?


 ここまできたら腹をくくるしかない。嘆いたってはじまらない。


 そんなことより、それがバレないようにしなくっちゃ。


 そっちの方が大事よね?


 豪華すぎる馬車は、ガタガタと心地よい音をさせつつ別荘という名の城の立派な門をくぐった。


「王女殿下、ようこそおいで下さいました」


 馬車が停止した途端、怒鳴られてしまった。まるで雷でもすぐ側に落ちたかのような大音声に、驚きすぎて声も出ない。


「うるさいですね、まったくもう。そんなに大きな声を出したら、王女殿下が怯えてしまいます」

「これは地声だ、ワンちゃんっ!王女殿下、長旅でお疲れでございましょう」


 馬車の扉が壊れるかと思った。ふっ飛んでしまいそうな勢いで開けられたのである。


 って思う間もなく、中に丸太棒のような腕が伸びてきた。その手は、わたしの頭を軽く握りつぶしてしまうほど大きくて分厚い。


 殺される?いきなり餌にされる?


 もしかして、さっきの美味しいパンやパイは、わたしという食材を美味しく食べる為の調味料的な役割だったわけ?


 思わず、お尻をずりずりとずらして反対側の扉の方へと逃げてしまった。


 が、大きくて分厚いてのひらは、伸ばされたままそこから動かない。


「王女殿下、どうぞ。大歓迎いたします」


 どうやら、降りるのを手伝ってくれるらしい。


 恐々手を伸ばし、そのてのひらの上に自分の手をのせてみた。


 彼の手は、とってもあたたかい。肉刺だらけの手……。


 その手に導かれ、馬車から降りた。


 ちょちょちょちょっ……。


 なんなの?巨人族?


 聳え立つ人影に、眩暈を起こしそうになった。


「ほら、怖れられています。いろいろな意味で、あなたは刺激的なんですよ」

「だから、だまれってワンちゃん」


 巨人が、わたしの前に片膝をついて礼をとった。


「王女殿下、ようこそおいで下さいました。わたしは、皇帝陛下の近衛隊の隊長を務めますマティアス・シャレットでございます」


 片膝をついているのにもかかわらず、頭の位置はわたしよりずっと上にある。


 燃え盛っているような赤い髪に青い瞳。きれいなブルーアイが、わたしを見下ろしている。けっして威圧的とか敵意があるというわけじゃない。


 やさしい瞳。安心感を与えてくれる瞳。


「申し訳ありません。巨体なもので驚かせてしまいました」

「あ、いいえ。その、ド、ドミニク・ガリエです」


 性悪王女の名前って、これで間違っていないわよね?


「王女殿下、ご案内いたします」

「案内ならぼくがするよ」

「おまえの役目は終わりだ、ワンちゃん」

「ひどいな。ちょっと大きいからって、小さい者を虐めちゃダメだ。ねぇ、王女殿下?」


 ヴィクトルは、馬から身軽に飛び下りた。


 すると、側近らしき将官が彼に駆け寄った。


 彼は銀色の髪をキラキラさせながら、将官たちに国境に戻るよう指示をあたえた。


「というわけで、ぼくもお供いたします。兄上は、どうせ歓迎の料理を作っているのでしょう?」

「ご相伴にあずかろうと?ちっちゃいくせに意地汚いな」

「ちっちゃいは余計です」


 大きいのと小さいのが言い合っているのがなぜか可愛くって思わず笑ってしまった。


「王女殿下、笑顔が素敵ですね」


 ヴィクトルがやさしい笑みとともにお世辞を言ってくれた。


「王女殿下、失礼いたしますよ」


 マティアスの大きな声とともに、突然体が浮いた。


「キャッ!」


 なんてこと。お姫様抱っこ?


 恥ずかしくて顔が火照っているのを感じる。


「階段や段差があります。転びでもしたら大変です」

「あ、で、でも、そのくらい大丈夫です……」


 彼の大きな顔を見上げ、降ろしてもらうよう訴えるも、彼はかまわずずんずん進んでゆく。


 そうこうしている間に、彼は城内に入って大きな廊下を歩き続けてゆく。


 そして、大きな扉の前までやって来た。


 ヴィクトルがその大扉を軽々と開けた。


 大きな食堂だった。


 結局、マティアスがわたしをお姫様抱っこしたまま大食堂の椅子まで運び、座らせてくれた。


 なぜかだれとも会わなかった。っていうか、人の気配すら感じられない。


 こんな恰好、見られなくって本当によかった。


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