十三人目の旦那さま
僕の家には、先祖代々伝わるアンドロイドがある。
十二代の当主に仕えたという骨董品だ。定期的にメンテナンスし、折に触れて部品の交換など行っているが、なにせ中枢が古いので普段の細々した仕事を任せられるような状態では、もうない。
かろうじて彼に(アンドロイドだから性別はないが、便宜上彼と呼ぼう)与えられた職務は、必要になった時に過去のことを物語ること、そして当主の子どもたちの遊び相手を務めること。
当然、この家の長男である僕も、これまでの当主たちの例に洩れず幼少期を彼と過ごしてきた。
維持費もかかるし、彼のデータが役立つことは何年に一度という頻度だし、新しいアンドロイドが開発される度に相対的に彼の性能は落ちている。いっそデータだけ吸い出して廃棄してしまえばいいのでは、という議論は何度も持ち上がっているが、その度になし崩しに話が立ち消えてしまうのだ。
親戚連中はこう言う。決定権を持つ当主が幼少期のあれこれを握られているからだろうって。言いたくはないが、僕だって幼い頃の言動について言及されると恥かしさを感じる。そんな話題で簡単に強請られてしまうとなれば、嘆かわしいことだけど。
残念なことに、十二代目の当主である僕の父さんもまた、彼を――エリオットを処分するつもりはないらしい。
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「坊ちゃん」
高くも低くもない合成音声は、耳に心地よい。
当たり前だ。その発声装置、ついこないだ最新型に入れ替えたばかりだし。父さんのゴリ押しで。
僕は振り返って、少し睨み付けてやる。
「なにか用か? 僕はお前ほど暇を持て余してる訳じゃないから、呼び止めるならそれなりに実のある話をしろよ」
無言の圧力を視線に込めたつもりだが、彼にはそんな高度な皮肉は通じない。人間にはありえない整った顔に、いかにも人間らしい微笑を浮かべた。
「今年も庭にオオルリが来ましたよ。坊ちゃんは毎年楽しみにしていらしたでしょう?」
「……このポンコツめ。それは一昨年までの話だ。昨年、そんなことには構っていられないと教えたばかりだろう」
「そうでしたっけ?」
こめかみに細い指をあてて、首をかしげる。完璧すぎる疑念の示し方は、今の最新技術とは程遠い。今はむしろ、少し不自然なぐらいが自然だと言われるのに。
その目線がまだわずかに僕より高いことに、僕は無意味に苛立った。
「そんな子どもっぽいことは、もう僕にはどうでもいいんだよ」
「子どもっぽい……でしょうか。ですが、旦那さまは今もまだオオルリの渡りを楽しみにしていらっしゃいます。毎年、この時期に少しの間留まるだけですから、この数日を逃すと見られないとおっしゃって――」
「それなら、僕じゃなくて父さんに教えてやればいいだろ!」
苛立ちをそのまま声にぶつけると、彼は微かに眉を寄せた。
悲しそうな顔をするのが、なんて巧いんだろう。感情なんてこれっぽっちも持ってない癖に。
彼は僕の頭を撫で、子どもに言い聞かせるように穏やかに叱った。
「坊ちゃん、そんな風に声を荒げてはいけませんよ。坊ちゃんはいずれ、この家を背負って立つお方なのですから、負の感情をあらわにしてはなりません」
「お前に言われなくても分かってる! そもそも僕は――」
言いかけたところに、風のように滑り込んだ執事のセバスチャンが、僕と彼に向かってこう告げた。
「坊ちゃま、エリオットさま。旦那さまがお戻りになりましたので、お出迎えを」
にこりと笑った彼が――我が家に代々伝わるアンドロイドのエリオットが、僕への興味を完全に失って階下へと向かうのを、僕は苦々しい思いで睨み付けた。
「……坊ちゃま」
「セバスチャン、僕もいつまでも子どもじゃない。そろそろその呼び方は止めてくれ。エリオットと違って、君は僕の名前をおぼえられるはずだろう?」
「失礼しました、アルフレッドさま」
執事は軽く頭を下げ、僕を置いてエリオットの後を追った。
僕もまた重い足取りでその背中を追う。
どんなに最新のパーツを使っても、エリオットの中枢は古いプログラムに従っている。
だから、彼の頭の中にはいつも三種の人間しかいない。旦那さま、坊ちゃん、それ以外。彼の人間の分類規則はそれだけだ。
だから、何かの理由で『旦那さま』が存命中に引退し『大旦那さま』が出来たときは、彼の脳内では『旦那さま』に該当する人物枠を増やすという処理がなされたようだった。大旦那さまと旦那さまから同時に呼ばれて、どちらへ先に返事するか迷ってショートしたという逸話があるくらいだ。
その代の大旦那さまと旦那さまは、結局、二人で話し合った結果、エリオットに同時に話しかけないよう協定を結んだという。
本当に馬鹿馬鹿しい。アンドロイドの都合に人間が合わせるなんて。
しかも、骨董品レベルの中枢を維持するためだけに、こっちが譲歩するなんて。
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エリオットもセバスチャンも部屋を辞してから、僕は扉をノックした。
「――おかえりなさい、父さん。昨日の話ですけど」
「ああ、ただいま、アルフレッド。昨日の話ってなんだったっけね?」
タイを緩めながらソファに腰かけ、僕にも座るように手で指す。僕は腰かけて同じ目線になってから、じっと父さんを見つめた。
「エリオットの話です。やはりそろそろ時代にそぐわないんじゃないかと」
「……ああ、その話か」
父さんは困ったように眉を寄せる。
「時代遅れになっているのは事実だろうね。かなり単純なプログラムを使っているから、最新型と比べると色々と手がかかることも認めるよ。だが、家内で使うだけのものだ。外で誰かに見せびらかす訳でもないし、今のままで困ることがあるかね」
「デメリットはありませんが、メリットもありません。維持費がかかるだけのごく潰しだ」
「そんなことはないよ。お前だって、エリオットにたくさん遊んで貰っただろう? お前の子どももきっとエリオットは可愛がってくれるよ」
父さんがエリオットの名を呼ぶときに目を細めるのが、僕は嫌いだ。何か眩しいものを見るような顔をして、そのくせ、その対象は目の前にはないのだ。
「そんなの、最新型の育児アンドロイドを買った方がずっと便利です。もっときちんと育児を任せられるし、最新の理論に基づいた教育をしてくれるし」
――母さんが出て行くこともないし。
言おうとした言葉は、かろうじて喉元で止まった。
父さんと母さんが、エリオットを理由に喧嘩していたことは、僕が知っていてはならない類の話だった。
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立ち聞きなんて、本当は不躾なことだ。だけど、母さんの剣幕は分厚い壁をやすやすと越えてしまったから、僕は冷たい指先を揉みながら黙って聞いているしかない。
「あなたはアルフレッドのことなんて可愛くないのね! あんな骨董品の、低性能のアンドロイドに我が子を預けるなんて……いいえ、黙ってはいません! あのポンコツ、『奥さま』という言葉すらおぼえられない癖に、あなたに色目を使うのは天才的。いずれアルフレッドもそうして手玉に取るつもり……」
時々トーンが落ちるのは、どうやら父さんも言い返してはいるらしい。母さんの声と違って、僕に聞こえないだけで。
「ふふ、そんな機能がないなんて、それが理由になりますか? あなたの中では彼が一番で、私とアルフレッドは二番。ええ、そうね、全然知りませんでした。そんなに好きならいっそ連れて歩いていれば良かったのよ! そうすれば私、あなたと結婚なんてしなかったわ……」
あとはもう、泣きじゃくる声で言葉にはならなかった。
翌日、母さんが屋敷を出て行った。
僕はエリオットに告げた。
「もう今後は、オオルリが来たとか蛹がかえったとかブルーベルが満開だとか、そんなくだらない報告はしなくていい。僕はもう大人だから、お前と遊んでる暇なんてないんだ」
エリオットは微笑んで頷いた。相変わらず底のない上っ面だけの――いいや、上っ面さえないただの条件反射の笑みだった。
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初夏の中庭には、爽やかな風が吹いている。建物と木々に囲まれたあまり日当たりの良くない場所だが、今日は天気がいい分、降り注ぐ木漏れ日が心地よい。
その下で、小休憩ともいうべきお茶の時間を迎えているというのに、僕の心は晴れなかった。
「坊ちゃん、こんなところでどうしました?」
腹立たしいことに、彼はこういう時に限って僕を見つける。そうして、声をかけてくる。この上なく優しい、無私の笑顔で。
「自宅の庭でアフタヌーンティーをしていることが、そんなに変か?」
「いいえ。でも坊ちゃんは、こんな隅の方にはあまり来られないので」
「それは……単に、冬の間は寒かったから……」
「そうですか。こちらの中庭よりもサンテラスのある主庭の方がお好きなのだと思っていました」
ポンコツの癖に、僕の言ったこともおぼえられない癖に、なんでそんなことだけちゃんと知っているんだろう。
僕のことなんて大勢の坊ちゃんのうちの一人としか見ていない癖に。
「お前にとっては、おぼえる気もないことなんだろうけど……こっちの中庭は母さんが好きだったんだ。よく、ここで一人でお茶を飲んでいた」
そう、たった一人で。僕も父さんもいるというのに。
僕はどうしてそのことに気付かなかったんだろう。母さんがこんな寂しい場所でただ一人時間を過ごしていたことに。
僕も、そして父さんも。
「父さんはやはり、お前を愛してるのかな。こんなポンコツ捨ててしまえばいいと言ったら、延々と諭されたよ。紳士なら長く使うものには愛着を持てってさ」
「そうでしたか」
頷くエリオットには後ろ暗い様子は一切ない。
当然だ。母さんがどんなに嫉妬しても、父さんと彼が浮気するなんてあり得ないのだから。
そう、あり得ない。エリオットが「坊ちゃん」を「旦那さま」より優先することがないのと同じように。
「お前はさ、いつか僕が父さんの後を継いだら、僕のことを旦那さまと呼ぶようになるんだろうね」
「そのときは、もちろん」
「そうしたら、僕はお前を捨ててやるんだから」
「それが旦那さまのお言葉なら、従います」
エリオットの表情はあくまで穏やかだった。
僕は苛立ちつつも、心のどこかで溜飲を下げた。
いつか。いつか僕がエリオットを廃棄してやる。
先祖代々この家に巣食う、人ならぬもの。人の皮を被った別物。人工皮膚を剥いで、優美な顔の下に隠された機械部品をさらけ出してやるんだ。
先祖の中の誰もできなかったことを、僕がやる。
きっと皆、同じだ。幼い頃の感傷や、片側からの愛情に誤魔化され、手が出せなかったんだ。
だけど、僕なら――
立ち上がった僕を、彼は黙って見上げていた。
静かな瞳は鏡面のように、ゆがんだ僕の顔を映し出していた。
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「エリオット」
主庭の端から、旦那さまが手を上げて私を呼んでいます。
私は摘みかけの花を抱えたまま、旦那さまの元へ駆け寄りました。
「何かご用でしょうか?」
「いいや。そろそろオオルリが来ているのじゃないかと思ってね」
「ええ、ちょうどいい時にいらっしゃいましたね。明日にはまた飛び立ってしまうでしょうから」
旦那さまの手を引いて、オオルリの姿がよく見える場所へ案内します。旦那さまはにこにこと機嫌よくついてこられましたが、木陰に入ったところでふと足を止められました。
「最近アルフレッドは、ずいぶんお前にご執心のようだね」
「私を壊したいと言っていました。旦那さまの後を継がれた時には、自分がそうすると」
「どこかで聞いた話のようだ」
「確かにそうですね。旦那さまが坊ちゃんだった時にも同じことをおっしゃっていたかと」
錆び付いた過去の記録を引き出して答えると、旦那さまはくくっと喉奥で笑いました。
「代々同じことを考えているのに、どうして誰も果たせないのだろうか」
語尾は問いかけの形をしていましたが、その目は私を見ていません。答えを求められてはいないと判断し、ただ黙って頷きました。
私の頬を、皺の寄った旦那さまの手が撫でてゆきます。人工皮膚にはないあたたかな感触が熱センサーを通して伝わりました。外気温より高いのに、皮膚の融点には達しない温度。人が温かさと呼ぶそれは、私のセンサーを反応させ、そしてそのまま通り過ぎてゆきます。
「あいつも僕と同じで、『旦那さま』になったら変わるのかな。それとも、変わらずにいるだろうか。お前を壊さずにはいられないような、そんな情熱を保てるだろうかね」
「私の中に、その答えはありません」
「そうだろうね」
僕は、と言いかけた旦那さまの言葉をしばらく待ちましたが、それっきり口を開かれませんでした。
そこで私は樹上を指し、アイカメラに映ったオオルリの姿を示します。私にはあらかじめ優先度の定まったこと以外は選択できませんので、旦那さまに委ねるしかありません。
「旦那さま、オオルリがあそこに来ています。お話を続けるなら、お付き合いいたしますが」
「おや、本当だ」
遠目にもオオルリは鮮やかな青い姿をしていました。満足げに頷く旦那さまの目が、飛び立つオオルリを静かに見送ります。
その横顔はこれまでの十一人の旦那さまとまったく同じで、そして少しずつ違っていました。いずれこのデータの中に、坊ちゃんの顔も記録されることでしょう。
私はそっと目を閉じ、毎年変わらぬオオルリの姿をデータに残しました。
オオルリは来年もやって来るはずです。
いつかこの場所を忘れる日までは、ずっと。
巣をかける訳でもない、ただ立ち寄るだけの庭の隅に。