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●6月21日(木)午後9時


 悪い予感というものは当たるんだ、と開いたドアの向こうにいた人物を見て、私は顔を無意識に強張らせてしまう。もしかしたら、という思いはあった。でも本当にそれが起きてしまうと、適切な応対なんて、出来るはずもなくて。


 落ち着いて、息を深く飲み込む。何かの間違いじゃないの? との期待を込めて。しかし、


「いや~ただいま! やっぱり東京の方が蒸すね! こっちは何となくだけど涼しいなあ。これお土産。携帯忘れちゃって、メールは送ったけど、その途中で宅配が来て、それ応対したあとすぐに出かけちゃったから、そのまま置いてきちゃったって、あれ? 何でここにあるんだろう?」


 どう見ても汗だくの久我学途、27才だった。それも完全に心が凪いでいる私と正反対の、何かわけの分からないハイテンションで喋り続けている。ここの鍵も忘れちゃっててさあ、などと言いながら、テーブルの上に置かれた自分の黄色の携帯を見つけ、不思議そうに首を傾げるけど、不思議なのはお前だよ。


「……何で連絡しなかったの?」


 怒りが臨界に達すると、却って言動や挙動はニュートラルになる。よく聞くその事を結婚生活が始まる前から学んでしまった。


「あれ? メールしたよね? うわあ、汗でぐしょぐしょだ。お風呂いいかな?」


 のっぴきならない状況に追い込まれつつあることの自覚もせず、ハハッ呑気だね、君は。


「メールってこれ?」


 ずいと私の携帯画面を、その脂ぎった顔面に押し付けられたくらいから、何となくの危機感を感じ始めたようだ。目が泳ぎ、両手が意味なく動き始めたけど。遅いよ、野性だったら喰われているよ。


「送信されてなかったし、例え送信されていたとしても意味わからないんだけど。何この暗号?」


 壁際まで押し込まれながら、あわわわ、「あ行」「た行」「「ま行」とか、押せないボタンが沢山あったから、知恵を絞って何とか伝えようと頑張ったんだよ、などと努力をアピールしてこようとするけど。それは知っとるわ。そしてそれは何の加点にもならん。


「『ははははのは』ってのは?」


 段々と私の声が、プロのバーテンダーが使用するアイスピックのように鋭さを増していく。だだだ濁点も押せなくて、「おばあちゃん」が無理だったから、「母+母」で「祖母」、みたいな……と尻すぼみに小さくなる声に被せて、私は満面の笑みで全ての解読を要求する。


 あの暗号は、曰く「母母の墓に詣で後、東京二泊後の帰郷なり」。わかるか。そもそも墓に詣でるって言わんだろ。いや、それより。


「東京で、何してた」


 それだけは言えない、みたいな決意を丸い顔に秘めたのも一瞬で、穏やかな表情を保ちながら激しい怒りを秘めた私の見たこともない剣幕に恐れおののき、震える手で背負ってた紫色のリュックから小箱を取り出すと、力無くテーブルに置いてうなだれる。


「結婚指輪を、作ってました」


 その答えは予想外だった。おばあちゃんとおじいちゃんの指輪をリメイクしたとのこと。前に二人で選んでいたのはダミーで、これが本当の、ってことらしい。私への、サプライズも込めて。


 それはちょっと、ぐっと来た。似合わないことを何の衒いもなくやってのけるところ、そこは私の好きなところでもある。だが、本件はそれを差し引いても、私に与えた心的ダメージは充分にギルティレベル、と全私が判断した。


「……」


 無言で何かを探し始めた私の背中に、指輪の仕上げにいかに苦労したかを言い訳のようにかまして来るけど、今後の円滑な結婚生活においては、あかんことはあかん、と体に覚え込ませる方が手っ取り早いよね。


「これな~んだ?」


 戸棚の奥に入っていた竹の物差しを見つけて取り出し、笑顔で掲げてみせる。年季の入って艶の出た、いい質感。これもそう言えば、私がおばあちゃんから貰ったものだわ。やだ奇遇。


 ええとそれは定規と言って物の長さを測ったり真っすぐな線を引いたりする時に使う道具で……と、そろそろやばい事態に気付き、頬肉が小刻みに震え始めたガクちゃんの言葉を遮り、


「うううん、これはね、これは、愛の、愛の鞭よぉぉぉぉ」


 スナップを利かせられたその切っ先が、中空でふおんと唸る。丸い顔から血の気がすっと抜けていくのが、暖色の灯りの下でもはっきりと分かった。さあ、お仕置きの時間だよ。


「……これは、私に掛けた多大な心配のぶんっ!」


 ソファに手を突かせ、前かがみの姿勢にさせてから露出させた、脂の乗った艶のある巨大な臀部目掛け、竹の刃を振り下ろす。うぉーむっ、というような高い悲鳴が人の口から漏れ出るのを、生まれてはじめて私は聞いた。


「これは私の、失われた時間のぶんっ!」


 あらぁす、とのいい叫び声を上げる未来の旦那への打擲は、止まらない。


「どんだけ心配したと思ってんの? これは、これも、これもこれもっ! みんな、みぃんな、私のぶんだぁっ!」


 支離滅裂になってきた私の連打に、サセンシタァ、モ、シマセン、モウシマセンカラァァァ、みたいな謝罪の言葉が吹きこぼれてくるけれど。まだまだ。


「これは……伊駒のぶんっ! これは、えーと守須のぶんだぁっ!」


 それ冤罪ィィィ、との断末魔を残し、不届き者への成敗は終わった。あとは残る一日、式の準備を必死で滞りなくこなすしかない。



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