第8話 ♁大阪マラソンの日の夜に
第8章 ♁大阪マラソンの日の夜に
《2016年10月30日 乙酉の日 友引 神吉日》
十月三十日の日曜日午後十時過ぎ、大阪市天王寺区の市営住宅三階のわが家にて。
この時、わたしは心身ともに幸せの絶頂を味わっていた。隣には目に入れても痛くない程の愛娘・ナナがいて、その隣にはわたしの人生に最大の明かりを灯してくれた同士であり夫の健ちゃんがいる。
この幸せはいつまで続くのだろうか、という不安を抱えながらも、わたしたちは「家族」なんだ、という心の拠り所を持って、今を生きている。
しかし、それ以上の希望や欲望を持てば、わたしたち亡命家族は砂上の楼閣のように崩れ去ってしまいそうで怖い。
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「♪ア~リラン、ア~リラン、アラリヨ。ア~リランコゲロ、ノ~モカンダ(アリラン アリラン アラリよ。アリラン峠を越えて行く)……」。わたしは陽気に大きな声で生まれ故郷・共和国の歌「アリラン」を家族の前で歌った。いつもはこの歌は歌わない。なぜなら、わたしは脱北者であることを表に出してはこの国では生きていけないことを身に抓まされたからだ。わたしが脱北者であることを知った瞬間、この国の人の目の色が変わる。さっきまで親しくしていた人でさえ煙たがり、赤の他人に変貌する。
そうなると、わたしだって、同じ赤い血の通った人間ですもの。身構えて“脱北者”だということを匂わせなくする。ずるい女と言われようがしょうがない。この国で生きていくには仕方がないことなんだ。そうは思わない? そんなことを日本人に問い掛けること自体、ナンセンスよね。わたしって、バカな女。
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わたしが祖国・共和国を憂い『アリラン』を歌っていると、ほんのついさっきまで車椅子だった娘のナナが立ち上がって、どこでどう覚えたのだろう。天賦の才でもあるのだろうか。手拍子を叩きながら朝鮮舞踊を舞い踊った。それが、びっくりするくらい上手くて、他の人にもお見せしたいくらいだ。ナナはわたしを気持ちよくさせる天才気質なところがある。
きっとこの踊りも、時として台所や居間で昔習った朝鮮舞踊を踊っているわたしの姿を見て記憶に留めていたのだろう。本当に賢くて優しい娘だ。わたしって親バカみたい。夫が言うには、「親バカの三乗やな」だって。悔しいけれど、否定はできなかった。
わたしの歌が終わってナナは、「お母ちゃん、歌うまいです。お母ちゃん、最高!」と九歳の女の子にしてはおませさんなことを言ってくれる。夫はとてもにこやかな表情で、大阪マラソンでわたしたちの足を引っ張ったことなど、もう忘れ去ったかのようだった。
私は夫の顔を見て「健ちゃんも何か言ってよ」と言うと、かなり年季の入ったソファーに腰を掛けた夫は照れくさそうにこう言ったのだ。
「うーん、実にうまい。ベリー・ベリー・グッド!」。正直言って、夫はわたしを滅多やたらとは褒めたりはしない。かなりの無愛想男だ。
だから、夫がわたしを褒めてくれると天にも昇る思いになる。嬉しくて自然と口がニコッとハの字になる。
「ありがとう、健ちゃん」とわたしが感謝の意を述べていたら、「ピンポーン、ピンポーン。ドンドンドン」と玄関の方がやたら騒がしくなった。
ナナが「あたしが出る」と言って、玄関へ出た。
「お嬢ちゃん、悪いけどお父さんかお母さんを呼んでくれないかな?」
「はい、わかりました。お母ちゃん、お客さんだよ」とナナは一際大きな声を出してわたしを呼んだ。
「誰かしら?」と思い玄関先に行くと、恰幅のよい眉間に皺を寄せた強面の中年男が三和土に突っ立っていた。
「私、隣に引っ越してきたばかりの水田と申します。挨拶が遅くなって申し訳ありません。これは、本当につまらないものですが、どうかお受け取りください。それからなんですがね。こんな夜遅くにドンチャン騒ぎをされると周りにもご迷惑が掛かりますので、今後は自粛していただけませんでしょうか? よろしくお願いします」。この水田と名乗る強面の男は、引っ越し祝いのタオルを持ってきただけでなく、どうも遠回しにわたしたち家族が楽しんでいたことに問題があるのだと言いたかったみたいだ。
夜の十時に家で楽しく盛り上がっているだけなのに、どうしてダメなのって思ったけれど、これから先のご近所付き合いも考慮に入れて、ここはわたしが降りないと思った矢庭に夫がすごい剣幕で出て来て、「聞いていたら何やね。家で楽しんではしゃぐのがアカンってどういうことやねん」と怒鳴り散らした。
「お宅が怒るのは理解が出来ませんな。私は一般論を申し上げたまでなんですけれどね。『郷に入れば郷に従え』って言うでしょう。失礼ですが外国の方ですか」。呆れ返った表情のお隣さん。
「いいえ、違います。日本人です…」
「そうは見えませんが…。まあ、いいでしょう。私はこういう者です。何か困ったことがありましたら、いつでも連絡してください。せっかくお隣さんになったんですから」。そう言って嫌がる夫の右手に一枚の名刺を握らせて、「今日はお疲れでしょう。ゆっくり休んでください。失礼いたします」と意味深な言葉を残して玄関から立ち去っていった。
「いまのいかついオッサン、ヤクザかチンピラやろ。いけすかんタコやな」。夫は腸が煮え繰り返ったようで、名刺を禄に見ようともせずに握り潰し、わたしに手渡した。
わたしはその名刺を見て、目玉が飛び出しそうになった。
「健ちゃ~ん、健ちゃ~ん」
「なんや~。明日にしてくれ。きょうは気分が優れないから書斎で寝る」とまるで捻くれた子どものようにツッケンドンな態度の夫。彼は、わたしの言葉さえ聞く耳持たずで書斎に隠れてしまった。最近は機嫌が悪くなるといつもこんな有様だ。本業である執筆業の仕事がうまくいっていないせいもある。それに追い討ちを掛けるようなお隣さんの言葉。「郷に入れば郷に従え」という夫にとっては聞き入れたくない言葉を説教のような形で聞かされて、夫としてのメンツは丸潰れになった。夫は日本に帰化して名前は「陳健三」から「広田健三」に変わったとはいえ、夫の心まではそう容易く「日本人・広田健三」になれるものではない。「中国人・陳健三」の心は粉々に砕け散った。
「陳君のことだが、中国人はメンツが命よりも大切だから、くれぐれもそれだけは忘れないように。中国での家庭が瓦解を招くのはこのメンツによるところが大きい」とはわたしと夫の仲を取り持ってくれた日本人外務省官僚OBの平野のおっちゃんの言葉だ。その一番大切なメンツを妻の目の前でズタズタに潰された瞬間、夫は自信を喪失した。夫は父親から幼い頃より「人前で恥を掻くようなことはするな」と言われ続けていた。それがこのザマだ。
わたしは夫が心配ではあったが、こんな時は本人の言うとおりにそっと独りにさせるのが一番であることを最近知った。ひとり孤愁にでも浸りたいのだろう。
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「お母ちゃん、どうしたの? あたしがお父ちゃんの代わりに話を聞くから、悲しまないで」とナナはまだ九歳なのに、わたしを気づかってくれる。ナナは本当に言い娘だ。ナナと頬っぺたをくっつける。すると、あったかくて気持ちがよくて、先程まで落ち込んでいた気分がどこへやら吹っ飛んでしまった。
そして、ナナの頭を撫で撫でして「ナナはとってもお母ちゃん思いよね。ありがとう」 と言うと、にっこり笑って、「お母ちゃんの娘だもの」と言って、ナナはわたしの膝を枕のようにしてまるで赤ん坊のように横になった。「一度、こうしたかったんだ」と言ったまま眠りについた。ナナには生みの親の記憶もなければ写真もない。何とも倖薄いかわいそうな娘だ。
ビルマ 人であるナナがタイの難民キャンプで生まれたのは二〇〇九年のことだ(生まれてから四歳までの名前はチュッチュッだった)。この時、ビルマは軍事政権化にあり、アウンサンスーチー女史も自宅に拘束されていた。ナナは三歳の時に日本政府から難民認定を受けて、親子三人で日本へとやって来たのだ。
しかし、その翌年の桜が咲く季節にナナの家族に不幸が襲った。ナナが生みの親とタクシーに乗っていた時に前方から大型トラックがツッコンできてタクシーは大破。ナナの生みの親は即死状態で、ナナも意識不明の重体だった。
ナナは半年後にようやく意識を取り戻したものの、その後遺症でなのか言葉を失い、歩くことすらできなくなっていて、車椅子に頼らざるを得なくなった。
その後、日本に身寄りのないナナは兵庫県赤穂市内の児童養護施設「あすなろ」へ行くことになった(この時に名前がナナになる。命名したのは施設長)。しかし、このあすなろでのナナは惨憺たるものだった。環境に馴染めず、友達もできず暗く沈んだ日々を送っていた。
そんなある日、平野のおっちゃんの働きかけで健ちゃんとわたしはナナとめぐり逢い、三人とも似通った境遇から来るものなのか親近感を覚え、ナナは健ちゃんとわたしにとても懐くようになり、会えば会うほどに別れる時の寂しさが募った。
忘れもしない。三人が巡り会ってから半年後のナナの誕生日。七月七日。この日がなければ、その後の人生は大きく変わっていたかも知れない。そんな大きな分水嶺となった日だった。
わたしからは、手作りのイチゴとキウィと胡桃が入ったチョコレートのデコレーションケーキを、健ちゃんからは物凄く大きな白いクマのぬいぐるみをそれぞれナナにプレゼントした、
ナナはうれしそうに右手でピースのサインをした。そして、健ちゃんとわたしはお手製のデコレーションケーキに七本のロウソクを立てて「♪ハッピーバースデー・ツー・ユー ハッピーバースデー・ツー・ユー ハッピーバースデー・ディア・ナナちゃん~~ハッピーバースデー・ツー・ユー」と歌った。ナナは今にも泣き出しそうな顔をしたので、わたしは思わずナナをぎゅっと抱き寄せた。どうしたものか、わたしの方が先に泪がポロポロと流れてきてしまった。そんなわたしの泣き顔を見たナナも目にいっぱい泪をためている。泪は伝染するのか、健ちゃんも大きな声で「アイヤー、アーアー」とわたしの前で初めて男泣きした。
すると、その別れ際に奇跡が起きたのだ。言葉を失っていたはずのナナが「お母ちゃん! お父ちゃん!」と泣きながら言葉を発したのだ。健ちゃんとわたしはうれし涙にくれ、抱き合った。
その日の夜、どちらからともなくナナを養女として迎え入れることに決めた。
わたし「ナナを娘にするでしょう、健ちゃん」
健ちゃん「ああ。もちろん。そうしよう。オレたちにとって奇跡の子だ」
わたし「はい。健ちゃん、ありがとう。でも、うまくやれるかしら?」
健ちゃん「まあな。うまくやろうとか思わなくてええと思うんや。これまでどおり自然体でええんとちゃう。漫才のボケとツッコミのような会話。あれ、ほのぼのとしてええと思うで」
わたし「ええっ。どっちがボケで、どっちがツッコミ?」
健ちゃん「そんなん、いわずもがなやで。ミキティがツッコミできるか?」
わたし「もう。ミキティは止めてって言っているでしょう」
健ちゃん「じゃあ、ウシでどう?」
わたし「もう。いや」
健ちゃん「ミキティがもう、もうって言うからや」
わたし「もう言わない」
健ちゃん「もう言っているやん」
わたし「健ちゃんも言っているし」
健ちゃん「オレたち、差し詰め、お似合いのすし詰めカップルやな」
わたし「どうして、すし詰めカップルなの?」
健ちゃん「こんな風に、ぎゅうぎゅう(牛牛)やから」。わたしに抱きつき、エロおやじに変身する健ちゃん。
わたし「もう、健ちゃんたら」と言いながら夜の蝶へと変身するわたしだった。
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それから数日後。ナナが我が家へ初めて来て泊まった。夫の健ちゃんは仕事で今夜はいない。ナナとわたし、ふたりだけの夜だ。
「わたしがこれからナナの母親になるからね。よろしくね」と言うと嬉しそうな顔をしてくれたナナ。だが、何となくお互いにぎこちない感じは否めない。それは、きっと時間が解決してくれるはずだ。
それから一時間後。わたしの膝を枕のようにして横になったナナ。初めて来た場所で疲れたのか、まだ午後八時なのに眠そうな顔をしている。
「♪眠れ~、眠れ~、母の胸に、眠れ~、眠れ~、母の手に……」とわたしは日本語でナナに歌った。
この歌は、わたしが十歳の時にピョンヤンの瀟洒なマンションの一室でよく聴いたものだ。
わたしは十歳の時から約一年間、集中的に毎日のように学校の授業を終えた後、自宅で日本から来たという清楚で美しい女性から日本語を学んでいたのだ(※当時のわたしは彼女が日本から北朝鮮へ無理やり連れて来られたことなどこれっぽっちも知らなかった)。その女性はファン・ギョンシン(黄敬新)と名乗ったので、わたしはファン先生と呼んでいた。ファン先生は、わたしが疲れて眠たそうにしている時、物憂げにこの『シューベルトの子守唄』を歌ってくれた。そして、ファン先生の涙腺は次第に緩み、涙目になっていたのをわたしは覚えている。わたしは、これは見てはいけないものだと咄嗟に感じ、見て見ぬ振りをしていた。
共和国と日本の距離は決して遠くはない。だが、朝日両国の政治体制がその距離を遥か遠くへと突き離してしまっている。それが戦後七十年以上を経過した今日においても何ら変わりはない。きっとわが祖国・共和国が崩壊しない限り、変わることはないように思える。
当時十歳だったわたしには、ファン先生のお気持ちを察することができなかった。「二度と日本へは戻ることができないのであろう。もう二度と日本にいる家族と逢えないのであろう」と心の中で思い続けていたのだろう。いまのわたしと同じような立場だから、わたしにも分かるような気がする。
日本に来てからファン先生について調べた。ファン先生と思われる女性が拉致被害者の中にいたものの、二〇〇二年に日本へ帰国した拉致被害者の中にファン先生はいなかった。残念ながら、ファン先生は日本へ戻ることができなかったようだ。
◎主な登場人物
▼わたし(広田ミキ/金美姫)
ピョンヤン出身/舞踏家/ニッポンへ脱北/ドジ・のろま/父外務省高官/母小学校教師/アカブチムラソイ/タンゴ/結婚・出産/子不知自殺未遂/記憶喪失/2児の母/コンビニバイト
▼健ちゃん(広田健三/陳健三)
広田家家長/中国遼寧省出身/農家三男/無戸籍/北京大医学部卒/元外科医/発禁処分作家/ボサボサ頭/ニッポン亡命/大正浪漫文化/竜宮の使い/大阪マラソン/母親白系ロシア人
▼ナナ(広田ナナ/チュッチュッ)
広田家長女/タイ難民キャンプ出身/ビルマ人/ニッポン亡命/悪戯好き/高田馬場/交通事故/あすなろ/児童養護施設/養女/道頓堀小/ハイカラさん/福山先生/失語症/車椅子
▼ヒカル(広田ヒカル)
広田家次女/大阪生まれ/天使のハートマーク/ダウン症/ルルドの泉/奇跡/明るい/笑顔/霊媒師アザミン/プリン・イチゴ好き/亡命家族を結び付ける接着剤/天体観測/流れ星
▼平野のおっちゃん(平野哲)
外務省官僚/福岡県八女市出身/両親を幼くして亡くす/ミキ・健三ら亡命者支援/ヒマワリ・サンシャイン/ミキの父・金均一の友人/ミキ養父/西行法師/吉野奥千本に卜居/満開の桜の樹の下で銃殺
▼洋子さん(平野洋子/旧姓有栖川)
平野哲の妻/旧皇族/奥ゆかしさ/ミキ養母/ミキと健三のヨリを戻す/ゆめのまち養育館/福山恵/奈良県・吉野/夫婦で早朝にジョギング、古都奈良散策/いけばな家元/みたらし団子/韓国ドラマ
▼アザミン(水田あざみ/斎木あざみ)
霊媒師/津軽イタコの家系/弱視/青森県・鯵ヶ沢町出身/10歳の時に村八分/大阪・梓巫女町/琉球ユタ修業/ミキの善き理解者/夫は水田豊部長刑事/2男2女の母親/直接的・間接的にミキを救う
▼塙光男(朴鐘九/河合光男)
北朝鮮の孤児/スパイ/金日成総合大卒/ニヒルなイケメン/新潟県可塑村村長の養子/同県大合併市市長/ミキの初恋の相手/北朝鮮、ニッポン乗っ取り計画首謀者/ミキを誘拐/親不知不慮の事故死