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童話【チュッチュッとテッテッ】

◎主な登場人物

▼わたし(広田ミキ/金美姫)

ピョンヤン出身/舞踏家/ニッポンへ脱北/ドジ・のろま/父外務省高官/母小学校教師/アカブチムラソイ/タンゴ/結婚・出産/子不知自殺未遂/記憶喪失/2児の母/コンビニバイト

▼健ちゃん(広田健三/陳健三)

広田家家長/中国遼寧省出身/農家三男/無戸籍/北京大医学部卒/元外科医/発禁処分作家/ボサボサ頭/ニッポン亡命/大正浪漫文化/竜宮の使い/大阪マラソン/母親白系ロシア人

▼ナナ(広田ナナ/チュッチュッ)

広田家長女/タイ難民キャンプ出身/ビルマ人/ニッポン亡命/悪戯好き/高田馬場/交通事故/あすなろ/児童養護施設/養女/道頓堀小/ハイカラさん/福山先生/失語症/車椅子

▼ヒカル(広田ヒカル)

広田家次女/大阪生まれ/天使のハートマーク/ダウン症/ルルドの泉/奇跡/明るい/笑顔/霊媒師アザミン/プリン・イチゴ好き/亡命家族を結び付ける接着剤/天体観測/流れ星

▼平野のおっちゃん(平野哲)

外務省官僚/福岡県八女市出身/両親を幼くして亡くす/ミキ・健三ら亡命者支援/ヒマワリ・サンシャイン/ミキの父・金均一の友人/ミキ養父/西行法師/吉野奥千本に卜居/満開の桜の樹の下で銃殺

▼洋子さん(平野洋子/旧姓有栖川)

平野哲の妻/旧皇族/奥ゆかしさ/ミキ養母/ミキと健三のヨリを戻す/ゆめのまち養育館/福山恵/奈良県・吉野/夫婦で早朝にジョギング、古都奈良散策/いけばな家元/みたらし団子/韓国ドラマ

▼アザミン(水田あざみ/斎木あざみ)

霊媒師/津軽イタコの家系/弱視/青森県・鯵ヶ沢町出身/10歳の時に村八分/大阪・梓巫女町/琉球ユタ修業/ミキの善き理解者/夫は水田豊部長刑事/2男2女の母親/直接的・間接的にミキを救う

▼塙光男(朴鐘九/河合光男)

北朝鮮の孤児/スパイ/金日成総合大卒/ニヒルなイケメン/新潟県可塑村村長の養子/同県大合併市市長/ミキの初恋の相手/北朝鮮、ニッポン乗っ取り計画首謀者/ミキを誘拐/親不知不慮の事故死


童話【チュッチュッとテッテッ】

 むかしむかし、あるところにとっても仲のよい野うさぎの母と娘が住んでいました。

 母親の名前はテッテッ、娘の名前はチュッチュッといいました。

 あるところというのは、ビルマと呼ばれる自然に恵まれた田舎の村です。

 2人の家はとても貧しく、テレビもなくパソコンもなく冷蔵庫や炊飯器、電子レンジといった白物家電さえありませんでした。そういったものは、この田舎の村では必要がなかったのです。

 なぜならば、この村では都市や町では使われなくなった昔からある井戸やかまど、かや、ごえもん風呂といったモノを大切に使っていたからです。

 母親のテッテッは雨の日も風の日も広くて大きな畑に出て西洋ニンジンを大事に育てていました。そして、収穫したニンジンを売ったり、売れ残ったニンジンを食べたりしていたわけです。

 ですから、日々食べるものはニンジンが中心だったのです。

 ニンジンシチューにニンジンカレー、ニンジンバーグ、ニンジンしりしり(琉球料理)……。

 なかでも、娘チュッチュッの大好物はニンジンカレーでした。

 「あたし、お母ちゃんのニンジンカレーが大好き。いくら食べてもおいしいよ」

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ある日、チュッチュッはお母さんにおつかいを頼まれて遠い町までひとりで買い物へ行きます。

 遠い町とは、「自由で平和な町」ニッポンです。チュッチュッはいままでニッポンへは行ったことがありません。チュッチュッの気持ちは高ぶるばかりでした。それで、昨日の夜はよく眠れませんでした。

 チュッチュッは子ども心に以前から遠くにあるニッポンへ行きたい気持ちがありました。それは、学校でのニッポンの評判がとても良かったからです。

 「ニッポンには美味しい食べ物がたくさんあるよ。お寿司に焼肉にラーメンにカレーパン…」、「ニッポンのカラオケボックスは本当に楽しいよ」、「デパ地下の試食は最高のおもてなしだよ」、「みんな親切なんだ。見知らぬおばさんにアメをもらったり、駅前ではティッシュをくれたりするんだ」

 このように、ビルマの村でニッポンの町を悪く言う野うさぎはだれもいませんでした。

 だからでしょうか。いつか時がくれば、チュッチュッはニッポンへ行くつもりでいました。

 そのチャンスがこんなに早くめぐって来るとは思ってもみませんでした。願ったり、かなったりです。

 きょう、チュッチュッがお母さんからおつかいで買って来るように言われたのは、金時ニンジンです。ニッポンではお正月におせち料理として食べられています。

 お母さんが言うには、この金時ニンジンはいつも食べている西洋ニンジンに比べるとあまくてやわらかいそうです。それで、じっくりと煮込むとさらにおいしくいただけるらしいのです。

 そのおいしさについて考えながら、7歳になったばかりのチュッチュッは家から一番近くのビルマ駅まで歩いて行きました。ビルマの道はその多くがアスファルトやコンクリートでほ装されていませんでした。砂利道です。その砂利道は前夜の大雨で所々に水たまりができていたり、どろどろっとぬかるんでいたりしました。いつものようにピョンピョンとうまく飛び跳ねることができません。駅に着いた時には、買ったばかりの白いスニーカーは茶色くよごれてしまったくらい道は良くなかったのです。しかし、時間にして30分ほど歩いたのにもかかわらず、チュッチュッはにやけています。よっぽど、うれしかったのでありましょう。

 チュッチュッはこれから電車に乗ります。ひとりで電車に乗るのは、これが初めてです。

 いつもはお母さんとタイ駅やベトナム駅までは行っていました。それは、タイやベトナムに住む野うさぎは同じ仲間「ビルマ野うさぎ」だからです。タイではすっぱい「ソムタム(ニンジンサラダ)」、ベトナムではあまくて香り豊かな「ニンジンと香菜のゴイクン(生春巻き)」がテッテッとチュッチュッ母娘の定番料理になっておりました。

 チュ母さんは日頃よりチュッチュッには、「子どもはあぶないからベトナム駅から向こう側にある中国駅と朝鮮半島駅には行ってはいけません」と注意を与えていたのであります。それが最近この2駅を通過するリニア新幹線が開通したこともあって、安全なニッポンまでひとりでおつかいに行かせることにしたそうです。

 チュッチュッはビルマ駅の券売所で「ニッポンの大阪まで子ども1枚」と大きな声を出してキップを買いました。母親のテッテッは、娘に現金を持たせずに「ラングーン」カードと呼ばれるビルマ村で発行されている多機能カードを手渡していました。テッテッ母さんは心配で心配で仕方がなかったのでしょう。ビルマ駅で待ち伏せをしていたのです。陰に隠れてチュッチュッが切符を買う様子も見ていました。テッテッ母さんの目からはホロホロと涙が流れていました。チュッチュッはそんな母のことなどまったく知らずに改札口の方へと真っ直ぐにピョンピョンと勢いよく跳ねていきました。

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 ラングーンカードは、うさぎ界なら鉄道からホテル、コンビニ、百貨店、飲食店に至るまで、事前に入金した金額分を使用できる非常に便利な電子マネーです。通貨単位はキャロット。1キャロットは1本の人参と物々交換もできます(ただし、物々交換は100キャロットまで)。ビルマ駅から大阪駅までは片道50キャロット。スーパーアジア・リニア新幹線の所要時間は約2時間10分です。

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 チュッチュッが大阪駅に着いた時にはお昼の12時を過ぎていて太陽の日差しがまぶしく、むしむしした暑さでした。気温は34度もあります。チュッチュッは「むし暑い。お腹がペコペコだよ」とつぶやかずにはいられません。でも、ここにはお母さんはいません。仕方なくひとりでお昼ごはんを食べる場所をさがします。

 駅の建物を出るとすぐに横断歩道がありました。まだ赤信号なのに横断歩道を渡り始める大阪人。チュッチュッも大阪人につられてフライングして横断歩道を渡ってしまいました。 

 すると、どうでしょう。その先からいろんないいにおいがしてきたのです。イチゴのあまい香りやほろ苦いコーヒーの目が覚めるようなテイスト、こうばしいウナギのにおい……。ここが天下の台所の飲食街です。オシャレなニッポンのイメージとは違う古びた感じがします。行く方角を間違えたようです。しかし、においがステキなのであります。

 ニンジンカレーが大好きなチュッチュッはカレーの刺激的なにおいに誘われるままに、その小汚い路地裏にあるお店にフラッと入ろうとしました。その店の名前はカレーライス専門店『こんなにうまカレー』。この町の住民には、「こんうま」と呼ばれて親しまれております。庶民的な土地柄なのでしょうか。玄関に入る手前に赤紫色をしたホタルブクロの花が咲いています。「へぇ、こんなところに花が咲いている」。チュッチュッはこの花になつかしさを感じて早くもビルマに戻りたくなりました。7歳といってもまだまだおさない子ども。母親がそばにいないと不安なのでしょう。

 それでも、新しいトビラは自分ひとりで開けなければなりません。

 チュッチュッは、ドアを手で力の限り開けようとするのですが開きません。

 それを見かねたのか、中にいたお客が出て来て、「お嬢ちゃん、ここを押すと自動で開くんだよ。やってみなさい」と親切に教えてくれました。確かに、言われた場所を押すと勝手に開きました。チュッチュッはビックリしました。その親切なおじさんにお礼を言いました。「ありがとうございます」。

 お店に入ると、カウンターがすぐに目に入りました。そのカウンターの6席はネクタイをした会社員たちで満席。その横にあるテーブル席も家族連れらでいっぱいでした。

 そこへ「お嬢ちゃん、ひとり?」と先ほどの親切なおじさんが尋ねてきました。そのおじさんはおばさんと2人で4人がけのテーブル席に座っていました。

 「はい、そうです」とチュッチュッは大きな声で返事をしました。

 「相席でよろしければ、どうぞ」とカップラーメンなんか絶対に食べなさそうな上品そうなおばさんが言ってくれました。

 「ありがとうございます。それでは」とピョコンと座ってホッとした様子のチュッチュッ。

 「お嬢ちゃん、座り方がかわいいな。ところで、お嬢ちゃんは、どこから来たのだい?」。トンカツカレー大盛り(からさ100倍)をムシャムシャとほお張りながら耳をピンと立てて鋭い目つきで、まるでオオカミの顔に変身したその男はチュッチュッに尋ねました。

 チュッチュッはニコニコッとして正直に答えます。「きょうのスーパーリニア新幹線に乗って、南のビルマ村からやって来ました」。テッテッ母さんから、《人と話す時は笑顔を忘れてはいけません》と教わったので、そのとおりにしました。

 「ほう。するってぇと、お嬢ちゃんはビルマ野うさぎなのかな!?」。その男はニッポン野うさぎの仮面を外して、すっかりオオカミ顔に変わっていました。はたから見ればコワさが100倍、いや1000倍どころか1万倍です。

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カウンター席では、紳士気取りの男たちがランチタイムにこんな会話をしていました。

 背の低い男A「この町の野うさぎは一体どうなっているんでしょう」

 背の高い男B「彼らは『ニッポン野うさぎ』と呼ばれているのですが、昨年からニンジンが高くなって飢え死にしたり、ほかの町や村に引っ越ししたりして絶滅寸前になっているのです」

 A「一刻を争う状況なんですけれど、どういった具合なんでしょう」

 B「これについての情報はすべてヒミツになっております」

 A「ニッポンの町で食べる物に困って死んだなんて恥ずべきことです」

 B「そうですとも」

 A「だから私はタイの町から呼ばれたのです」

 B「ボクはベトナムの村から招かれました」

 A「それにしても野菜以外はモノが安いですね。私の町と変わりません」

 B「ボクの村とも大差ありません」

 A「ウワサによりますと、中国町のニンジン農家はウハウハらしいです」

 B「それってニッポンのニンジンが消滅寸前っていうのと関係があるのでしょうか?」

 A「関係があるに決まっています。バブルがはじけた中国の陰謀です」

 B「そのことを知っているのですか。アメリカは?」

 A「もちろん、知っています。アメリカはカネの亡者ですから、ニッポンの産業の斜陽化には大歓迎なのです」

 B「ニッポンとアメリカって同盟国ではありませんでしたか?」

 A「確かにそうなのですが、アメリカは大統領次第なので……。ニッポンはいまやかやの外ってところじゃないでしょうか」

 B「たとえそうであったとしても、ボクはニッポンの町のために精いっぱいがんばります。ボクが育ったベトナム村にある橋や道路や学校の多くはニッポンの経済援助によってできたものです。だから、ボクはニッポンに恩返しをしたいのです」

 A「それは良い心構えです。ところで、アナタのお仕事は何ですか?」

 B「こちらです」と言って、ためらうことなくAに名刺を手渡しました。

 A「えっ……」。その名刺にはこう書かれてあったのです。

 《安楽死を24時間、年中無休でサポート承ります。うさぎ界安楽死サポート協会ニッポン町総支配人 安楽(あんらく)時雄(ときお) うさぎ界ニッポン町大阪梅田✕丁目✕✕番地 大阪シルバーフロンティアビル44階444号室 TEL・FAX 06(6444)✕✕✕✕》

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 ニッポン町の状況を何も知らないチュッチュッは、ブルブルッと身体を震わせながらオオカミ顔の男におびえていたのです。オオカミ男は「そんなにおびえなくても……。食べてやろうなんて思っていないんや。ワシと妻のミキには子どもがおらんから、さびしいてなあ。さびしいて、しょうがないんや」と泣き顔になりました。

 オオカミ男と一緒にいた女の人は「この人、見た目はこわそうだけれど、性格は優しくて正直なのよね。わたしたち夫婦は実はここの町の出身じゃないの。ダンナが中国の町から、わたしが朝鮮半島の町からそれぞれ来たのよ。彼とは5年前の5月5日の電車でとなり合わせになってから、ずっとこんな感じで寄り添っているのよ。男の人に寄り添っていると楽よ。こんなこと、子どものアンタに言ったって仕方ないことだけどさ。ところで、お嬢ちゃんは小ちゃいのにひとりでビルマの村からニッポンの町までよく来られたわねぇ。スゴいわ。何か用事があったんじゃないの? 言ってごらんなさい。言ってくれたらナスビカレーをおごっちゃうわよ」と見た目の上品さとは違って大阪のおばちゃんって感じで、ホンネトーク全開です。

 「ナスビカレーって、おいしいんですか? ニンジンカレーなら分かるんだけど……」 

 「おいしいに決まっているじゃないの。ニンジンカレーの1000倍はおいしいって」 

 「じゃあ、あたし、ナスビカレーにする。実はお母ちゃんから金時ニンジン買って来てって言われたの。どこで売っているのでしょうか? 教えてください」

 「お嬢ちゃん、いい娘ね。金時ニンジンは普通、お正月の時に食べるものだから、いますぐには手に入らないけれど、私が何とかするわ。それまでうちにいるといいわ。ニッポンの町に来て行きたい所ってあるでしょう」。やさしい顔をしていて話やすい女の人。その顔とその話し声でついついその女の人を信用してしまったチュッチュッ。 

 「デパ地下にカラオケボックスにUSJユニバーサル・スタジオ・ジャパン…行きたい所はいっぱいある。おばちゃんにまかせるよ、いい人そうだし。ところで、おばちゃんの名前は?」

 「わたしはミキ。お嬢ちゃんの名前は何?」

 「ミキおばさん、あたしの名前はチュッチュッです」

 「ユニークな名前ね。よろしく、チュッチュッ」

 「オーイ! 俺だけ仲間はずれかい。それはないやろ。チュッチュッちゃんはナスビカレーやな。おっちゃんにまかせなさい」とオオカミ男はさびしげな顔をして言うものだから、チュッチュッはオオカミ男がかわいそうに思えてきて「おじさん、見た目はコワそうだけど、本当はミキおばさんが言うようにやさしい人なんだね。おじさん、注文お願いします。それから、金時ニンジンが見つかるまでよろしくお願いします」と自分の思いをありのままに伝えました。

 「ヨッシャー、チュッチュッちゃん。よろしゅうたのんまっせ」と浮かれ気分のオオカミ男。彼は店じゅうにひびくような大声で「カレーマスター、ナスビカレー1丁追加」と叫んだのであります。

 カレーマスター「広田兄貴、ありがとうございます。ナスビカレー1丁。お代は1キャロット。ところで、兄貴にお子さんいましたっけ」

 オオカミ男「いいえ。このお嬢さんをきょうから、しばらく家で預かることにしたんや」

 カレーマスター「じゃあ、記念に私から特別なナスビカレーを用意させていただきます。少々お待ちを」

 オオカミ男「それは、ありがたい。期待しとるで」

 カレーマスター「はい、わかりました」

 しばらくして、特別なナスビカレーがチュッチュッの前にあらわれました。パイナップルをタテ半分に切って中身をくり抜き、そしてその中にナスビカレーが入っています。しかも、ニッポンの町の旗「日の丸」もついていて、パイナップルの横にはプリンも。特別なお子様ナスビカレーでした。

 チュッチュッは目を丸くして言いました。「あーー、こんなステキな料理は生まれて初めてです。おじさん、おばさん、ありがとうございます。食べていいんですよね」。チュッチュッは自分がお姫様にでもなったような気分になっていました。

「もちろん。いいとも」とオオカミ男はチュッチュッの喜ぶ顔を見て上機嫌。

「ありがとうございます。いただきまーす!」。チュッチュッは浮かれていました。彼女がこれまで食べていたものは質素なニンジンを中心にした料理ばかりだったからです。この時のチュッチュッにはその母親の手料理の意味合いをまだ知らなかったのです。野うさぎにとってニンジン以外の食べ物は「いいことはひとつもない」ということを。それを知らずに、チュッチュッはさぞかしおいしかったのでしょう。全部食べつくしてしまいました。これは、野うさぎにとってはとても大変なことなのです。チュッチュッのいのちがあぶない!

 そういうことは、このカレー専門店にいるカレーマスターやお客のだれも知りませんでした。みんな、良いと思ってしたことが大変なことになろうとはだれも想像がつかなかったわけです。 

 チュッチュッはまずおなかに激しい痛みを感じました。しかし、初めて会った夫婦の手前、がまんしました。くちびるをかみしめながら、がまんしました。耐え切れなくなった時は、自分の足をつねってごまかしました。

おじさんとおばさんの家に着いた時には、彼女は熱も出ていて、もうろうとしていました。おじさんとおばさんは心配そうにチュッチュッを自分たちのひのきで作られた大きなベッドに寝かせつけました。チュッチュッは初めてのおつかいどころではなくなっていたのです。

 ミキおばさんは、チュッチュッがさっきまで肩にぶら下げていた大きな黄色いリュックサックを手に取りました。「とっても重いわ。中に何が入っているのかしら。健ちゃんいいわよね」。おばさんは、おじさんに尋ねます。

「身元の手がかりにもなるから、開けても問題はないだろう」。おじさんはそう言います。

「じゃあ、開けるね」と言って開けてみてビックリ仰天。なんと緑の葉っぱのついた色鮮やかなオレンジ色の西洋ニンジンがリュックサックいっぱいに入っているではありませんか。数えてみると百本以上もありました。ニッポンの町ではニンジンが品不足で高くなっていました。もちろんニッポンの町でもニンジンは物々交換できます。しかし、交換の割合が違っていました。品不足のニッポンの町では、1本のニンジンが40キャロットの価値があったのです。

おばさんはリュックサックから1枚の便せんを見つけます。ニンジン語で書かれていました。

《母さんより愛する娘チュッチュッへ

無事にニッポンの町に着いたでしょうか。

かわいい子には旅をさせよと言います。

それは仲の良い親子であってもいつしか離れ離れになる時が来るからです。

その時がいつ来てもいいように、チュッチュッにはがんばってほしいのです。

おそらく金時ニンジンは簡単に手には入らないでしょう。

困った時には、私がまごころを込めて作ったこの西洋ニンジンを1本ずつ渡しなさい。

このニンジンは困っている人にも恵むのもいいでしょう。

おなかがすいたら、このニンジンを食べるのもいいでしょう。

とにかく、このニンジンをできる限りおカネには変えないでください。

無事、ことづてを守ってビルマの村に戻ってくることを願っております。

  母テッテッより

   連絡先TEL 010(95)82ー✕✕―✕✕✕ビルマ村シャーン》

「チュッチュッのお母さんって、なんてステキな女性なのでしょう。それに比べたら、わたしってダメな女ね。われながらあきれてしまう。これだけニンジンがあれば金持ちになれるとか、株を買ってひともうけしようとか、浅ましい女ね、わたしったら。情けない」

「そんなことないやろう。ミキは心やさしくて芯がしっかりしているし、お尻が大きい安産型だから子ども3人は授かるだろうし、美しすぎてギュとしたくなる」

「そんなこと言ってくれるのはアナタだけよ」

「オレだけで十分じゃないか。そろそろ寝よう。チュッチュッは長旅でぐっすり寝ているじゃないか。かわいい娘だ」

「わたしも早くこんなかわいい娘がほしいわ」

「そうだな。明日は早いから、おやすみ」と言って健ちゃんはミキのほっぺにそっと口づけをしました。

「ありがとう。おやすみ」 

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それから、1週間経っても2週間経ってもチュッチュッはビルマの村には帰って来ませんでした。

そんなある日、母親のテッテッは井戸端会議であるウワサ話を聞きます。

地方から行商で赤ん坊とネギを背負うC子「ニッポンはいま大変なことになっているわよ。ニッポン野うさぎが絶滅寸前なんですって」

ニュースオタクな専業主婦D美「ベトナム村にニッポンの集落ができたって聞いたわよ。なんでも1年前からニンジンが不作で値段が急激に上がって餓死する野うさぎが続出したらしいわ。おえらいさんたちは真っ先に逃げてベトナム村やタイ町に行ったって」

C子「歴史はくり返すね」

D美「満州から引き揚げる時もそうだったわよ。今でもこれはニッポンではタブーみたいなんだけどね」

C子「ニッポンにタブーなんてあったんだ。知らなかった!?」

D美「新聞は読まないの?」

C子「あたいの地区では、新聞は1か月前から休刊よ。いつまで休む気かしら。3か月も前払いさせておいて。まいっちゃう」

D美「あら、ネギを背負っていると思ったら、いいカモにされたのね。かわいそうね。ガラクタ経済新聞でしょう」

C子「そう、よく分かったわねえ」

D美「あそこはニッポンの資本が入っていたから」

C子「奥様、そうなの。よくご存じですこと」

D美「あら、そうかしら。いまのニッポンはさながら戦国時代ですって。群雄割拠していて、サルとタヌキが一歩先に行っているようですね」

耳をダンボにしてこんな話を聴いてしまったテッテッ母さんは、娘のチュッチュッが気になっていてもたってもいられなくなってピョンピョンと猛ダッシュで家路へ向かいます。

チュッチュッはまだ帰って来ていません。スマホに連絡しても留守番電話になります。

「お母さん、明日始発の電車でニッポンに行くからね」と娘のスマホにメッセージを残しました。

しばらくして、娘からメールが届きました。《お母ちゃん、何かあったの? ニッポンの人たちはとっても親切にしてくれるよ。きょうはUSJに連れて行ってくれて楽しかった。明日の到着時間教えてね。大好きなママゴンへ❤》。なんだ、元気でやっているみたいじゃないの。心配して損をした――と思いながら明日の身支度をするテッテッ母さん。娘のために「ニンジンカレー」を一晩掛けておいしく煮込みました。

その頃、すっかりオオカミ男にも慣れたチュッチュッ。オオカミ男を健ちゃんと呼ぶまでに親しくなっていました。寝る時はチュッチュッが真ん中になって川の字になりました。まるで親子のようです。寝る前にはミキが声色をつかってチュッチュッに本を読んで聞かせました。チュッチュッは楽しそうに聴いています。そして、いつの間にか眠るチュッチュッでした。

コケコッコー! チュッチュッは新聞配達に出かけます。ミキおばさんが足をケガして、しばらく新聞配達ができそうにないので、チュッチュッがみずから志願しました。ミキおばさんは、チュッチュッをわが子のように思っていました。

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テッテッ母さんが日本へやって来ました。チュッチュッは朝寝坊をして待ち合わせ時間に間に合いそうもありません。テッテッ母さんにメールを送ります。《お母さん、遅れそうだから、大阪駅周辺をぶらっとしていてくれる。大阪駅に着いたら連絡するから。》

「また寝坊したのね。いつになったら直るのかしら」。テッテッ母さんは娘が心配でなりません。

チュッチュッは約束の時間から15分遅れで大阪駅に到着。お母さんを驚かせてやろうとメールを送らずにお母さんを捜します。10分後、横断歩道の向こう側にいるお母さんを発見。信号はまだ赤なのに、チュッチュッが横断歩道へと飛び出したんのです。大型のトラックがチュッチュッを跳ねようとした瞬間、テッテッ母さんが現れてチュッチュッの代わりにテッテッ母さんが跳ね飛ばされました。

チュッチュッは母親の元へ行きます。「お母ちゃん、お母ちゃん……」。そう泣き叫びながら母親を揺り動かします。しかし、テッテッ母さんからは何の反応もありません。テッテッ母さんは永遠の眠りに就いたのでした。

それから、チュッチュッは悲しみに暮れていましたが、それを察してミキおばさんがチュッチュッを何度も何度も抱きしめました。

そして、ある夜、ミキおばさんはこう言いました。「チュッチュッ、空を見上げてごらん。テッテッ母さんはあの星になったのよ。これからは、わたしと健ちゃんがチュッチュッを守るからね。苦しまないで。悲しまないで」。

その後、チュッチュッはミキおばさんと健ちゃんの養女となり、幸せに暮らしたとさ。


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