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第17章 ☽健ちゃん、心機一転中国語からニッポン語で小説を執筆-その1


第十七章 ☽健ちゃん、心機一転中国語からニッポン語で小説を執筆-その1


挿絵(By みてみん)

《2019年1月6日 癸卯(みずのとう)の日 赤口 小寒/新月》

 健ちゃんが徹夜で書斎に閉じ(こも)りっきりだ。もうすぐ夜が明けようとしている。

 健ちゃんは、私が親友のアザミンに送ったメールに感化されて、しばらくやめていた執筆活動を再開した。しかも、母国語の中国語ではなくニッポン語での小説という新たな扉を開けようとしていた。

 それは「言うは(やす)く、行いは(がた)し」だった。ここに引っ越してきた時に粗大ゴミとして捨てられていた机を前にして、「中国語」という雑念が頭を(もた)げた。何度も「ダメだ。ダメだ」と中国語でもがき苦しみながら雑念と戦った。その雑念を取っ払い、そのベースとなるプロットを組み立てて、大まかな粗筋(あらすじ)が出来上がった。

 タイトルはとりあえずデス・ゲーム小説『熾天使(してんし)堕天使(だてんし)~次のターゲットはあなたかもしれない(仮題)』に決めた。

 「粗筋が出来上がった。ふぅー。一服でもするかあ」とひとり言を吐き、嘆息した。それから、木の机に置かれた緑色のパッケージを手に取った。その昔、文豪(ぶんごう)太宰治(だざいおさむ)芥川(あくたがわ)龍之介(りゅうのすけ)が愛用していたタバコ「ゴールデンバット」だ。その味わいや香りはモノによって異なるという珍しいタバコだ。健ちゃんは「プハァー。今日は当たりだな。幸先がいいぞ」とひとりで興奮していた。

 この作品の梗概(あらすじ)は、こんな感じだ。

 〈梗概(初校)

《主人公は一卵性双生児の二人。その名は兄が平等(びょうどう)、弟が公平(こうへい)と言った。一九八四年十一月一日生まれの三十二歳。

 二人の顔があまりにも似すぎていて両親さえ判別できないことから、両親は平等に派手なスタイル、公平には地味な格好をさせた。これが性格にも大きな影響を与える結果となった。兄は明朗闊達(めいろうかったつ)に、弟は無口で根暗で()()もりがちだった。例えるなら、兄が太陽で弟が月、兄が光で弟が陰、兄が明で弟が闇。兄は弟を必要とし、弟も兄を必要としていた。

 それが七歳の時に両親の名目上「性格の不一致」による離婚(正確には性格の格抜き離婚)によって、兄は実家が大財閥の母・優子(ゆうこ)に、弟は甲斐性(かいしょう)のない父・ひろしに各々引き取られ、兄弟は離れ離れになった。弁護士の父は独立して法律事務所を営んでいたが、その資金はすべて母方から出ていた為に廃業を迫られ、しかも弁護士業界からも干された。父は知人のA市市長のコネで市の臨時職員として採用された。だが、仕事がゴミの回収作業となったことで、東京大学法学部卒としてのプライドがズタズタに引き裂かれ、酒に溺れる日々を送るようになっていった。

 一方、両親の離婚後、平等は母方の姓「宇治(うじ)」となったことで、「十円玉」、「キザ十」などとからかわれるようになり、それまで明るかった性格が一転してネクラへと変貌し、勉強がお友達っていうくらい勉強の虫になった。その勉強で高校の時に知り合い、付き合うことになる女性が現れた。広田ミキだ。しかし、ミキは突然高校をやめ、平等の前から姿を消した。

 その後、平等は東京大学法学部に入学。二年の時、偶然にもミキと京都の銀行で再会し、東京・下落合(しもおちあい)のマンションで同棲することになった。

 だが、二人が同棲していることを母親が()ぎ付けて、平等は母親にこっぴどく叱られる。しかも、平等の母親はミキの過去をも調べ上げ、ミキが過去に一時期風俗の仕事をしていたことを平等に告げる。そして、ミキは放火自殺をする。その後、平等は生きる希望を失ってしまう。

 その少し前に司法試験に合格していた平等はとりあえず弁護士となり、ミキの死に関して調査をしていく。そのなかで、ミキは自殺したのではなく他殺ではないのかという疑問を抱くようになる。 

 そして、ミキが高校を突然止めた理由が分かった時、総ては平等自身に原因があったのだと気づく。ミキと付き合うことに対して快く思っていなかった母・優子が殺し屋に依頼し、ミキの父親を自殺に見せかけて殺したのだった。それを知った平等は益々(ますます)生きる気力を失い、「シニタイ、シニタイ」が口癖のようになり、死への願望が強くなっていった。

 そんなある日、平等は十七年振りに弟の公平と偶然に再会する。そこで、平等は「シニタイ、シニタイ」と吐露(とろ)、その言葉を聴いた公平から「それなら三日間だけ兄貴の人生を見させてほしい」と打診されて、三日間だけ公平は平等に、平等は公平にバトンタッチした。

 これが思いも寄らぬアクシデントを生み、その初日に平等になりすましていた公平が帰らぬ人に。しかし、その所持品等から平等が故人として葬式が上げられた。それを平等が知ったのは二日後のTVニュース。悲嘆に暮れるも、時既に遅し。

 平等は貧しい公平としての人生を歩むことになる。公平は幼稚園からの幼馴染(おさななじ)みの女性・新子(あたらし)ミュウと長年同棲しており、しかもその家にはアル中の元弁護士の父もいてと、大変な状況に追い込まれる。ミュウは平等にとっても幼馴染みではあるが女性としては見られず戸惑う日々。平等にとって愛する女性はもうこの世にはいない広田ミキただひとりだった。  

 四十九日(しじゅうくにち)法要の日のこと。弟はこの世に残してきた愛すべきミュウと父親にもう一度会いたいと平等の前に現れ、平等が提示した「平等の堕天使・悪魔となる」という条件を()む。弟は七日の猶予(ゆうよ)をもらい、うち六日間にミュウと父親に最高のおもてなしをして、最後の七日目にこのふたりをこの世から(ほうむ)る決断をする。それは兄・平等が公平として生きている現実に対して感謝と謝罪を形に表したものだった。公平はこの時から平等の堕天使・悪魔になったのだ。

 そして、公平は平等の身体を借りて、世の中の不本意な存在を次々と抹殺してゆく。患者を薬漬けにしてカネの亡者となった病院長、女性タレントに性接待までさせて仕事を取らせる悪徳な芸能プロダクション社長、海外に愛人や愛人の子どもまで作っておきながらのほほんと生きている企業戦士という名のまやかし商社マン、過保護に育てられて暴力沙汰や麻薬、大学への裏口入学、強姦(ごうかん)など何をやっても許されると勘違いしている企業経営者のドラ息子……。その中のひとりに自分の母・優子もいた。平等の悲しむ気持ちを思うと躊躇(ちゅうちょ)する公平だったが、それでもやり遂げた。悪霊退散(あくりょうたいさん)! 「世の中に不公平はあってはならぬ。それが平等というものだ」。それが二人の名前の由来でもあり、二人が一つになった存在理由でもあったのだ。

 母・優子の葬式の日、死んだと思っていたミキが帰ってくる。放火自殺したのは一緒にいた友人で、自殺ではなく他殺だったという。犯行を主導したのは平等の母・優子だった》

 健ちゃんは中国にいた時とはすっかり変わっていた。中国にいた時は傲慢(ごうまん)にさえ思われるほどプライドが高く、意地っ張りなところがあった。確かに、当時は中国語で雄渾(ゆうこん)にして一点の非の打ち所のない文章を書いていたので、担当の編集者から文句をつけられても、健ちゃんが(かたく)なに我を通すといった按配(あんばい)で、編集長が健ちゃんの体裁(ていさい)を取り(つくろ)って何とかなった。

 そんな健ちゃんが、この梗概あらすじを娘のナナとヒカル、そしてナナの友達ブーちゃんに見せたのである。しかも、健ちゃんは「感想を聞かせてほしい。できれば、ここが難しいとか、分からないとか、私はこう思うということを聞かせてほしい。決して怒ったりはしないから」と子どもたちに笑顔で尋ねた。

 それが功を奏し、子どもたちから素晴らしい意見が返ってきた。自然発生的な子どもたちとの編集ミーティングの始まり、始ま~り。これも偏にミキが子どもたちに読み聞かせをしてきた賜物である。ミキが居なくなってからは、ナナが率先して妹のヒカルに読み聞かせをしている。健ちゃんにとっては嬉しい誤算だった。

 ブーちゃん「おじさん、題名が難しいと思います」

 健ちゃん「熾天使(してんし)ていうのは最高の天使のことで、堕天使は言い換えれば悪魔のこと。確かに、これじゃ一般受けしないな」

 ナナ「お父ちゃん、『僕の中の天使と悪魔』なんてどう?」

 健ちゃん「ありよりのあり。ナナ、センスありありやな」

 ナナ「お父ちゃん。最近の本のタイトルは単純なのが多いわよ」   

 健ちゃん「じゃあ、双子が主役だから単純に『双子(ふたご)』っていうのはどうだろうか?」

 一同{賛成!」

 ヒカル「お父ちゃん、題名の後が長いでちゅ」

 健ちゃん「そうやな。副題、サブタイトルな。それは一理ある。じゃあ、いっその事なしでいいか」

 一同「賛成!」

 健ちゃん「では、あらすじはどうかな?」

 ブーちゃん「あの、おじさん。あらすじも難しいと思います」

 ナナ「双子が一心同体(いっしんどうたい)になって悪い人たちをやっつけるんだよね。ヒーローものみたいに」

 健ちゃん「そうだな。そこをもっと分かりやすくしよう。そのやっつける部分を冒頭に持ってきてインパクトを持たそうか? どう思う? 例えば、如意棒(にょいぼう)を持って『メラメラメラ、悪霊退散!』とかどうかな?」

 ブーちゃん「はははあ。おじさん、面白い。アニメっぽくて分かりやすい」

 ナナ「お父ちゃん、私たちに気を遣っていない?」

 健ちゃん「日本では『お客様は神様』って言うじゃないか。俺にとっては『読者が神様』なんや。だから、いま恥を忍んで、感受性の高い子どもたちから学ぼうとしているんや」

 ナナ「お父ちゃん、格好いい。こんな時にお母ちゃんが居てくれ たらね」とちょっとしょんぼりした。

 健ちゃん「ミキお母ちゃんはいつもこの胸の奥にいるから大丈夫。心配するんじゃない。ミキお母ちゃんはいつの日か僕らの前にひょっこり現れるから、この小説のようにな」

 ヒカル「お母ちゃんは星になったちゃ」  

 健ちゃんは、まだ幼いヒカルを抱っこして、

「重くなったな。ミキママは星で休憩しているだけだよ。そのうち、家に帰って来るから、大丈夫」と(つぶや)くように言った。

 そうしていると、書斎の窓から初雪が降り始めたのが見えた。

 ヒカル「白いの、白いの。きれいっちゃ」 

 ナナ「今年初めての雪だね。お母ちゃんが病院からいなくなった日も朝から雪が降っていたよ」。ナナは今にも泣き出しそうな顔をしている。

 そのナナの様子を見ていたブーちゃんは「雪ダルマをつくろうよ、おじさん」と言った。

 健ちゃん「そうやな。でっかい雪ダルマを作ったらご褒美(ほうび)に好きなモノをレゼントしよう。じゃあ、公園に行くぞ。カモン」

 ナナ「本当に。お父ちゃんのそんな所が好きや」

 健ちゃん「嬉しいことを言ってくれるやん。子どもたち、手袋とバケツとスコップを用意して行こうか?」

 ブーちゃん「おじちゃん、うちの家族も呼んでいい?」

 健ちゃん「ええぞなもし」

 ナナ「最近、お父ちゃん、その言葉よく使うね」

 健ちゃん「最近、明治の文豪にはまっているからな。『ええぞなもし』もそのひとつ。いいんじゃないのって意味だ。明治の文豪・夏目漱石の『坊っちゃん』のなかにも出てくる」

 ヒカル「ええぞなもしっちゃ」

 一同、爆笑。

 健ちゃんは右手を頭に抱えて「ヒカルには参ったよ。降参」と言って両手を大きく上に挙げた。すると、健ちゃんの両手から一羽の白い鳩が飛び出し、ナナとヒカルはビックリ仰天した。

 ナナは健ちゃんに「お父ちゃん、スゴい。鳩はどこにいたの?」と尋ねるが、健ちゃんは「それは簡単に教えられないな。大人になった時にな」と答えをはぐらかした。すると、ヒカルが「早くオトナになりたいでちゅ」と言うではないか。健ちゃんたちは大爆笑した。

      ☽   ☽   ☽

 午前九時過ぎ。近所の坂上公園(さかのうえこうえん)に着いたブーちゃん兄弟四人と健ちゃん家族三人の計七人。大阪にしては珍しく雪が降り積もっている。そのせいか、日頃は閑散としている公園に十人ほどの老若男女(ろうにゃくにゃんにょ)がそれぞれの思いで「大阪の雪化粧」を楽しんでいた。ある若いカップルはベンチに小さい雪ダルマを二つ並べて雪ダルマの腹話術で愛を語り合っていた。

 藤野屋 舞(ふじのや・まい)「ぶうぶう、愛してる。チュッ!」と言いながら相手の雪ダルマに自分の雪ダルマをくっ付ける。 

 武宇 太郎(ぶう・たろう)「まいまい、オレも愛してんで。ブチュッ!」とこちらも相手の雪ダルマをくっ付けた。 

 藤野屋 舞「ぶうぶう、イチャイチャ。おっぱいポロリン。出ちゃった。私の形いいでしょう。おっぱい、あっためて」とかなり刺激的なことを言う雪ダルマ遊び。これは「十八禁」だ。

 武宇 太郎「まいまいのおっぱい大きい。雪見大福(ゆきみだいふく)みたいやな」 

 藤野屋 舞「やーだ。これね、本物の雪見大福よ。食べてみて」

 武宇 太郎「《食べたいよ 可愛すぎるから 雪見マイマイ》。字余(じあま)り」と心の赴くままに衝動的に一句を詠み上げて、美味しそうに雪見大福を頬張った。 

 健ちゃん「お前ら、白昼堂々と公園で何をやっているんや。このエロカップル!」

 健ちゃんは怒り心頭。両膝で太郎の太もも外側の中心部をコツンと()る。いわゆる「(ひざ)カックン」と呼ばれるもので、武宇太郎は足がガクッとなり、「イターッ」と悶絶(もんぜつ)し、雪の上に倒れ込んだ。

 それを見ていた藤野屋舞は健ちゃんの股間(こかん)を有名ブランド「アグ」のブーツで蹴り上げた。「それ、おっちゃんにしたらアカンやつや」。藤野屋舞に言うだけ言った健ちゃんではあったが時既に遅し。健ちゃんは股間に激痛が走り、飛び跳ねて雪の上に転がり、のた打ち回った。「何じゃ、この女、オレの急所を狙いやがって。」

 一方、子どもたちは、雪の投げ合いをしてはしゃぎ回っている。雪ダルマはブーちゃん一人で作り始めた。そこにブーちゃんの母アザミンがやって来たと思ったら、スッテンコロリンと転けて救急車を呼ぶもなかなか来ない。アザミンの旦那(だんな)に電話したが仕事中とあって、素気無い返事が返ってきた。「こっちはそれどころじゃない。いま新潟でしばらく帰れそうもないんや。打撲か骨折だろう。救急車を呼んで病院で処置して(もら)いなさい」と。

 それに対して、アザミンは「役立たず」とひと言言ってケータイを切った。病院へは股間を蹴られて痛みが残る健ちゃんが付き添った。

      ☽   ☽   ☽ 

 その頃、わたしは新潟駅のプラットホームに立っていた。一枚の写真を頼りに兵庫県の神戸へ向かうためだ。

 その一枚の写真というのは、 私が飛び降り自殺したという時に着ていたジャンパーの右ポケットに入っていた写真だというのである。その写真は奇跡的にそのジャンパーの右ポケットにこびりついていた。その写真の背景には洋風の建物が鮮明に映っていた。ただ残念なことに、その写真に写っている人の顔と思われる部分がぼやけていて誰が誰だか分からない。その顔は二つあって一つが私のように思えた。

 新潟県警でその写真を見たひとりの刑事が関西弁で「あーーー。これ、知ってるで。ここの一階のカフェに行ったことがありますわ」と驚いたように大きな声で言った。この刑事が入院中に何度も見舞いに来てくれた飛来信というイケてる風貌の持ち主だった。

 それで、この写真を兵庫県警に照会していただいたところ、神戸の北野異人館にこの写真と同じ建物があることが分かった。この建物は、「パラスティン邸」と呼ばれる大正初期に建てられた白と緑のツートンカラーの伝統的建造物で、かつてロシア人貿易商のフィヨルド・ミハイロヴィッチ・パラスティンが居住していた。現在は一階がカフェ、二階は希望者には無料で見学ができるということだった。その刑事が有り難いことに柏崎駅までクルマで送ってくれた。

 その刑事が少しばかり不思議なことを言っていた。「私はアナタを守られたことを誇りに思います」、「きっとアナタの家族もアナタを捜していらっしゃると思いますので、きっと見つかりますよ」。

 そして、電車に揺られてウトウトしていたら、あっと言う間に終着駅の新潟駅に着いた。

 新潟駅のプラットホームに立っていると、誰かに見られている予感がして、わたしは咄嗟に前つばのあるグレーのマリンキャップを目深に被った。何気なく隣のホームを眺めると、眼光鋭く怖い顔をした五〇代くらいの男と二〇代くらいのイケメンマスクの男がいて、こちらの方を凝視しているように見えた。わたしは前者の強面の男にどこかであったような気がした。その男がスマホを左の耳に当てて喋り出した。その強面の男の声は、隣のホームなのにわたしの耳まではっきりと聴こえるくらいの大音声だった。

 「こっちはそれどころじゃない。いま新潟でしばらく帰れそうもないんや。打撲か骨折だろう。救急車を呼んで病院で処置して貰いなさい」。家族に病人が出たような様子。それなのに何て言い草なのだろう。関西弁で、独特のトゲのあるようなダミ声にも聞き覚えがあった。こんなダミ声、一度聴いたら忘れられそうもない。インパクトのある声だった。

 この強面の男は一体、何者なのだろう。関西弁を喋っていたから関西から来たのだろうかと考えていたら、五両編成の列車がゆっくりとホームに入って来た。そして、しばらくして、その列車がホームから出て行く。ホームにその男の姿はなくなっていた。その隣にいたイケメン男の姿もない。今しがたの列車にでも乗ったのであろう。行き先は確か「柏崎(かしわざき)」。わたしが目覚めた病院のある場所だ。強面の男とイケメンマスクの男は、柏崎方面へ行ったのだろう。関西人が何のために、あんな原発しかない田舎へ行ったのだろうか。気にはなったものの、考えても同道巡りだった。考えても仕方がないことだと諦めた。  

     ☽    ☽     ☽ 

 それから六時間後、わたしは神戸にいた。

 そこで初めて、わたしが身を投げた数日後、新潟県で不可解な出来事が発覚した話を聞く。

 わたしは半年ほどこん睡状態にあったので、わたしが目覚めた時にはその出来事は闇へと葬り去られていったようだ。

 その出来事の発端になったのは、マスコミへの匿名(とくめい)匿名(とくめい)メールだ。新潟県大合併市(だいがっぺいし)の市長が共和国から送り込まれたスパイだというとんでもない内容だったのでタブロイド版の大手出版社系夕刊紙『日刊ミライ』の在日韓国人女性記者・長銀杏(ちょう・いちょう)以外は取材対象として取り扱わなかった。

挿絵(By みてみん)

 日刊ミライはその二日後に一面から三面までをこの事件だけに割いて、特に東京都内の地下鉄で爆発的な売れ方をした。それは、史上稀に見るケタ外れの売れ方だった。現場には日刊ミライの販売担当社員のみならず、用語の訂正等を行う校閲記者(こうえつきしゃ)、紙面の割付を行う整理記者までが借り出されても、なお足りないくらい夕方から夜遅くまで売れ続けた。そして、その事件を追って記事を書いた長記者には、その日の深夜に会社から特別手当が支給された。その日の一面大見出しは『衝撃! 新潟D市 北朝鮮に乗っ取られる』で、一面中見出(なかみだ)しが『キタ スパイ市長失踪(しっそう)』、『孤児院育ちの超エリート』、一面小見出(こみだ)し『本名パク・チョング 金日成総合大首席卒』。

 だが、それに反して、他の媒体(ばいたい)()ややかだった。その内容の多くが、前述の匿名メールの抜粋に過ぎなかったため裏をとっていない「飛ばし記事」扱いにされたのだ。それで、他の媒体はどこもかしこも示し合わせたかのように静観し、政府も相手にしていなかった。

 それでも、日刊ミライは連日この事件の続報を載せた。売れ行きは鈍化しつつも以前よりは実売の部数を三倍以上も伸ばしていた。最初に取り上げてから一週間後には「富士山大噴火」並みの大スクープが狙い澄ましたかのように飛び出した。一面大見出し『北朝鮮、再び拉致』、一面中見出し『新潟県元可塑村は人口ゼロに 全住民約三百五十人キタへ』、一面小見出し『一週間にわたり船で脱日 村はもぬけの殻 まるで渡り鳥』。二面見出し『塙光男(はなわみつお)市長は元可塑村(かそむら)村長の養子 村長は平成の大合併前に自殺』、『塙市長は弔い&醜聞(しゅうぶん)合戦で当選』、『市長室から北朝鮮日本乗っ取り計画書見つかる』。

 これで(あわ)てふためいたのはニッポンの首相官邸。いつもは穏やかな首相もこの記事を見た時には不愉快な顔をされたそうで「何をやっているんだ。また拉致されたじゃないか。今の政権で北朝鮮の拉致(らち)事件は解決すると言った私の立場はどうなるんだ」と周りに捲し立てたとか噂になっている。分からなくもない。米国の大統領から直電があってもおかしくないからだ。どうせ嫌味の一つか二つ言われて、米軍の基地にもっとカネを出せとか言うに決まっているからだ。米国の大統領は、スタスタと上手くカードを切るのが得意中の得意で、ヒラリと手のうちに載せてしまう。一方、ニッポンの首相はもっとベタッっていうか、ねちっこいというか、とにかく粘りがあるわね。

 このスクープで時の人になったのは、塙市長でもなければ金正恩でもなく一介の女性新聞記者、長銀杏だった。グラビアアイドル級の容姿端麗(ようしたんれい)ぶりで、京都大学大学院博士号取得とあってはマスコミも放っておくにはいかなかったのだ。アイドル記者としてTVの報道番組のコメンテイターに連日連夜、名を連ねるようになっていった。

 わたしには、そんなことはどうでも良かったのだが、この時の人になった長記者は反骨精神が旺盛で、親近感が持てた。こういう人物が後の韓国大統領になれば、韓国も変わるのではないかとさえ思えた。



◎主な登場人物

▼わたし(広田ミキ/金美姫)

ピョンヤン出身/舞踏家/ニッポンへ脱北/ドジ・のろま/父外務省高官/母小学校教師/アカブチムラソイ/タンゴ/結婚・出産/子不知自殺未遂/記憶喪失/2児の母/コンビニバイト

▼健ちゃん(広田健三/陳健三)

広田家家長/中国遼寧省出身/農家三男/無戸籍/北京大医学部卒/元外科医/発禁処分作家/ボサボサ頭/ニッポン亡命/大正浪漫文化/竜宮の使い/大阪マラソン/母親白系ロシア人

▼ナナ(広田ナナ/チュッチュッ)

広田家長女/タイ難民キャンプ出身/ビルマ人/ニッポン亡命/悪戯好き/高田馬場/交通事故/あすなろ/児童養護施設/養女/道頓堀小/ハイカラさん/福山先生/失語症/車椅子

▼ヒカル(広田ヒカル)

広田家次女/大阪生まれ/天使のハートマーク/ダウン症/ルルドの泉/奇跡/明るい/笑顔/霊媒師アザミン/プリン・イチゴ好き/亡命家族を結び付ける接着剤/天体観測/流れ星

▼平野のおっちゃん(平野哲)

外務省官僚/福岡県八女市出身/両親を幼くして亡くす/ミキ・健三ら亡命者支援/ヒマワリ・サンシャイン/ミキの父・金均一の友人/ミキ養父/西行法師/吉野奥千本に卜居/満開の桜の樹の下で銃殺

▼洋子さん(平野洋子/旧姓有栖川)

平野哲の妻/旧皇族/奥ゆかしさ/ミキ養母/ミキと健三のヨリを戻す/ゆめのまち養育館/福山恵/奈良県・吉野/夫婦で早朝にジョギング、古都奈良散策/いけばな家元/みたらし団子/韓国ドラマ

▼アザミン(水田あざみ/斎木あざみ)

霊媒師/津軽イタコの家系/弱視/青森県・鯵ヶ沢町出身/10歳の時に村八分/大阪・梓巫女町/琉球ユタ修業/ミキの善き理解者/夫は水田豊部長刑事/2男2女の母親/直接的・間接的にミキを救う

▼塙光男(朴鐘九/河合光男)

北朝鮮の孤児/スパイ/金日成総合大卒/ニヒルなイケメン/新潟県可塑村村長の養子/同県大合併市市長/ミキの初恋の相手/北朝鮮、ニッポン乗っ取り計画首謀者/ミキを誘拐/親不知不慮の事故死


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