第16章 ★☽共和国、ニッポン乗っ取る気!?
第十六章 ★☽共和国、ニッポン乗っ取る気!?
《2018年2月19日 壬午の日 仏滅 雨水》
「オギャアー」。鼻からスイカって本当だったのね。わたしは安心感からか頭がクラクラして気絶した。それから、どれくらい夢を見たのだろうか。細くて長く真っ直ぐに果てしなく 伸びた道。その道は歩いても歩いても続いていた。空を見上げると真ん丸い満月が見える。その満月に向かって、天使のハートマークを付けた赤ん坊を抱いた健ちゃんとナナが歩いている。
天使のハートマークは、アジア系で言えば蒙古班のようなもので、白人系に多く見られる項の赤いアザ。恐らく健ちゃんの江文青お母さんが白系ロシア人なので、その遺伝によるものだろう。
気付いた時には、病院ではなく冷気を帯びた見知らぬ場所にいた。暗く閉ざされた倉庫のようだった。トーントントーントン。硬い靴の音がして、扉が開いた。周りが明るくなり、光明が差してきたのかと思ったらわたしの勘違いだった。
目の前に現れたのは、何とあろうことか、十三年も前に何も言わずにわたしの元を立ち去って行った野心家の男だったのだ。
「よう。久しぶり、広田ミキ。十三年振りだな。均一のおやっさんが死刑執行されてからキミを捜しまくったぜ。そしたら一年ほど前にニッポンの雑誌に載っていたからビックリしてさ」
「雑誌って何よ」
「これだよ。忘れちまったのかい」。この男はわたしが寝ている木製のベッドにポーンと一冊の雑誌を放り投げた。
「ああ。これは……」。わたしは思い出した。健ちゃんと結婚する前に行った神戸のカフェで撮られた写真を。店の人は雑誌にできれば載せたいので了解をしてほしいと言われたから、了承したが、まさか本当に載っていたとは知らなかった。
「ピンクの付箋紙が付いたページに載っているぜ。いまの様子だと知らなかったみたいだな」
「知っていたわ」
「図星だろ。いま、鼻の頭を右手で触ったじゃないか。ウソをついた時の癖は変わっていないな」。この男にはウソはつけないと思ったが、それを逆手に取ることはできると思った。
「わたしのことならお見通し済みみたいなニヒルな顔はやめてちょうだい」
「何言っているんだね。いまの俺は昔の均一のおやっさんにコテンパンにされていた頃とは違って、こういう人物だ。偉くなったもんだろ。ハッハッハァ」とその男はわたしに見返すかのように自分の名刺を突きつけて臍で茶を沸かすくらいに嘲笑った。名刺には、「新潟県大合併市市長 塙光男」と書かれてある。
わたしはこの男にこう聞かずにはいられなかった。「アンタが本当に市長なの?」と。
「疑い深いところも相変わらずだな」
「何よ、それ。疑いたくもなるよ。だって、ここは共和国でなくてニッポンだよ。平和の国ニッポンなんだよ。何か履き違えていない。アナタのしていることは靴下を逆さまに履いているようなものだわ」
「靴下を逆さまにな…。キミにしてはグッド・アイデアだ。笑えるな。ハハハハア。ハハハハア。ニッポンをちっとも分かっちゃいないようだな。平和ボケで、何でもあるように見えて、実のところ何もない国。キミの言葉を借りれば、靴下を逆さまに履いた国とでも言うべきかな。それがニッポンの実態なのさ。だから、この、この俺様がニッポンで市長になれたってわけさ。ハハハハァ。共和国だったら町長にもなれない俺がだよ。なんてったって孤児だからな。ハハハハァ」。キザに振る舞っている光男だが、その言葉に一理あると思った。しかし、それ以上にこの男を市長に推挙した共和国の思惑が気になった。
すぐさま、わたしは「共和国は、アナタをニッポンの市長にして何を企んでいるのよ」と問い質した。
男は斜に構えて、胸のポケットから赤マルをキザに取り出し、ゴールドに光輝くジッポーライターで赤マルのフィルター側に着火した。
「アハハ、俺としたことが…」
「アララ。逆さまね。昔のアナタならそんなミスしなかったわ。どうかしたの?」
「俺も血迷ったもんだ。初恋の相手とはいえほかの男の妻を誘拐したんだからな。キミにも責任はあるぜ。俺という男がいながらどうして冷酷無比で金満なチャイニーズと結婚したんだ?」。これまでの紳士的な態度とは真逆に怒りの矛先をわたしに向けた。
「結婚は愛し合う者同士がお互いの幸せを願ってするものなのよ。健ちゃんはわたしにとって運命の赤い糸に結ばれていたの。アナタとは違うのよ。ましてや誘拐なんて愚の骨頂よ。犯罪じゃないの。それは愛なんかじゃない。ただの執着心よ」
男はしばらく何も語らず赤マルに火を点け、心を落ち着かせるように吸い込んだ。
男は心穏やかなフリをして、
「そこなんだよね。俺がキミを必要としているのは。キミが結婚していようがいまいが、子どもがいようがいまいが、そんなものはどうだっていい。キミという存在が必要なだけなんだ。キミはただ俺の側にいてくれさえすればいい。昔のように…。キミがいないと画龍点睛を欠くっていうか、上手く行きそうもないんだよ。ここだけの話だけど。いま実行中の計画は『共和国、ニッポン乗っ取り計画』って言うんだ。これを作成するに当たって最も参考になったのがニッポンの傀儡『満州国』建国に至る経緯だった」とトップシークレットの計画について軽々とわたしに語ってくれたのだ。
わたしは正直、この男の言葉に呆れ返った。「アッハッハハア。ウソでしょう。聞いたわたしがバカだった」。
わたしが嘲笑うのを見て、この男は目からメラメラと炎を出す勢いでもって熱く語るのだ。
「身の程知らずと蔑まされそうとも、これは真剣勝負なんだ。四面楚歌の共和国にいま必要なのは『安全地帯』なんだよ。その安全地帯を新潟県、とりわけ独立性のある佐渡島に置いて、ニッポンを骨の髄まで抜き取り、裸の王様にして乗っ取ろうというものなんだ。詳しくは、こちらを読んで頂きたい。読んで頂いたら、キミがこの計画にどれだけ必要なのかも分かって頂けると思う。協力して頂けるのであれば、こちらにサインするだけ。あとは大阪のご自宅までうちの若い衆にクルマで送らせるから安心してほしい。亡命家族にも危害は加えない」。この男は美辞麗句を並び立てて持論を展開させた。
「あっ、安全地帯ですって。それで、わたしは何をすればいいって言うの?」
「そうだ。上から指令が出る。キミはそれにきっちりと応えてくれれば、それでOK。すでに一つ目の指令が出ている。読むぞ」と言い、一枚の四つ折りしたメモ用紙を開けて見せた。
パク・ジョングというのはこの男の本名であり、総司令官というのが共和国での肩書きのようだ。
「チョン・ナラって誰なの?」
「いまじゃ、共和国の重鎮さ。コメツキバッタみたいに金正恩同士にいつもへえこらしている奴でさ。『金王朝の番人』って周りからは言われておる。俺はこれから仕事があるから出掛けるが、暇だろうからこの自慢のDVDを見ていてくれ。この計画のこれまでの内容が網羅されている。逃げようと思っても無駄だからな。監視が全員で十人もいる。それじゃ、行くぞ」。この男は言いたいことだけ言って、この倉庫を出て行った。彼はノートパソコン一台とWifiルータ一基、そしてDVD十数枚を置いて出て行った。食事は一日三回。朝食が午前八時、昼食が正午、夕食が午後六時と決まった時間に病院食とは違う豪華な新潟県の郷土料理が出た。ウサギの肉を使ったけんちん汁「深雪汁」やわっぱにご飯とおかずを入れて蒸す「わっぱ飯」、生姜味噌を塗った焼きオニギリ「けんさ焼き」、スケトウダラをぶつ切りにして、ネギを放り込んだ鍋を佐渡産の味噌、または塩味で仕上げた「スケトの沖汁」など。どれもこれも実に美味しかった。それもその筈で、料理人はかつて『料理の鉄人』として名を馳せた大田忠道の弟子の一人だった。名前は馬井奈浩太。四十二歳。彼の作る日本料理には佐渡島で育んだ地産地消の佐渡料理がベースにあった。彼は不惑の四〇歳にして故郷に錦を飾るべく佐渡島の両津に佐渡料理店『へんじんもっこ 』をオープンさせたものの、その価格設定に問題があったようで客足鈍くオープンから僅か一年半で店を畳んだ。その後、彼は大合併市の市長として海外からの大規模投資に成功を収めて新潟県の経済界においても一目置かれるようになった塙光男の料理番になって、再生への道を探っていた。
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2004.2.11 庚申の日 先負 建国記念の日
共和国人民のモチベーションを上げるべく、金正日体制の時から着々に進んでいる計画がある。それはニッポン人にしてみれば破天荒で型破りな計画だと思われるし、わたし自身も「この国、何か変だぞ」と思わせた。だから、言うのも憚れる。『共和国、ニッポン乗っ取り計画』だ。
それがおかしなことに上手く言っているというのだ。わたしが聴いた話では、その追い風になったのが、ニッポンの市町村で大規模に行われた「平成の大合併」だったらしい。ニッポン政府の思惑とは裏腹に、共和国は上手くそれを利用したというのだ。
新潟県可塑郡可塑村も過疎化の煽りで財政破綻寸前だったため、近隣の市町村と大合併しなければ二進も三進も行かない状況に追い込まれていた。死亡届は秘密裏に隠蔽され、人口三百五十八人から受理されずに破棄されていた。そこで、塙実五郎村長自ら陣頭指揮を取り、二〇〇四年の年初より村をあげての婚活イベントの開催や漁業・農業体験イベントを実施するようネットを利用し、PRした。しかし、そういった類のイベントは既に枚挙に暇がないほど数多くあり、後手を踏んだかに見え、村民のモチベーションも一気に下がりつつあった。
そんな折、二月十一日の憲法記念日に東京・渋谷からやって来たのがヒューマン・コーディネーターの河合光男(かわい・みつお。のちの塙光男)と名乗る三〇代くらいのイケメン。その彼が「私を信用して任せて頂ければ、この村を必ずや復活させます」と胸を張って太鼓判を押したものだから、死に体だった村は一気に息を吹き返したようにてんやわんやの大騒ぎとなった。
河合は鱈腹ご馳走に預かるが、ニヒルな二枚目を気取っていたという。河合の申し出は婚活イベントと漁業・農業体験を同時期に行って盛り上げようというもので、しかも参加者は河合が無償で手配すると言うので、塙村長も大乗り気になった。河合は「ヨッシャー。しめたぞ」とテーブルの下に右手を持っていき、その右手で拳を作ってさりげなく喜んだというのだ。河合というのは、わたしの初恋の相手であり、ニッポンでのわたしの家族を危機に陥れた張本人だ。その彼が、わたしを新潟県で拉致監禁していた当時は塙光男と名乗っていた。
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《2004年7月17日 丁酉の日 赤口 満月》
それから半年後の七月十七日㈯。
可塑村で一大イベントが行われた(わたしはこの日の様子をDVDで見た。このイベントが行われてから十年以上経ってからの拉致監禁されていた時だ)。
集まった人々は千人以上に及んだ。その多くは共和国人民の老若男女で、お年寄りの中には戦時中に日本語を使用していた者もいた。そういったお年寄りは関東地方から団体旅行「新潟を楽しむ集いの場」で見学に来た日本人とした。
共和国からは偽造パスポートを使用したため、さまざまな方策を講じた。かつて共和国がやって来た直接、小型船で来るようなことは止めた。すぐにバレてしまうのが明らかだからだ。それでも当初、上層部はカネが工面できないからと漁船を使えと指示してきたので、河合に「日本への入国手段は私に任せてください」と共和国上層部の目の前で右手人差し指をナイフで刺し、血判状を書いたという。
これには、流石の上層部も参ったようで、河合が「すべての責任は自分にあり、万が一、計画が失敗した場合、自決する」と念書を書かせたうえで仕方なく応じた。河合はとうの昔に死ぬ覚悟はできていたというのだ。
「貴様のようなどこの馬の骨とも分からぬ奴にミキは絶対渡せぬ」。このように、初恋の相手であるわたしとは結婚できないと外交官のわたしの父親にぼろくそに言われた時からだという。それから、彼はわたしに何も告げずに秘密工作員に志願して自然消滅した。それから死をも恐れぬ活躍を見せ、今回の計画の実行部隊のリーダーにまで上り詰めたという。その生き様から周りの人は彼を「不死鳥の龍」と呼んでいるということだった(こんなことを今更聞かされてもどうしようもない気がする。何かわたしが悪者にでもなったような錯覚さえ覚えた)。
共和国から日本に大勢来るためのルートもチャイナ・マフィアの協力を仰ぎ、確保したらしい。これに関しては、金正日の長男・正男(※二〇一七年二月十三日、クアラルンプールで客死)派の人脈の力を借りたという。「いまの共和国は一枚岩ではない。長男が継いでいないからだ。俺にとっては、かえってその方が好都合だった」と塙こと河合は振り返って言った。
塙こと河合は、そのルートの一つひとつをわたしに掻い摘んで話してくれた。
そのルートの一つ。北京まで列車で行き、北京からはソウルまたは釜山経由で日本の地方都市である松江、熊本、高知、神戸などに入国するというもの。また日本入国に際しては韓国で韓国人の囮を用意した。その囮が泥酔状態の男やキス魔の女などに扮して入管職員を適度に困らせることで、偽造パスポートの共和国人民一グループ七、八人が容易に入国できるようにした。
別のルートとしては、中国からの船でのルート。大連・青島・丹東・天津など各地方都市から韓国・仁川港へ行くルート、上海から韓国・木浦港へ行くルート。
さらに、お年寄りにはロシアの偽造パスポートを使用して高麗系ロシア人に仕立てて、ロシアのウラジオストックから船で新潟に入った。こうしたさまざまなルートを利用して六月の丸々一か月を掛けて約千人余りが日本に潜入したというのだ。
その資金は朝鮮総連が一手に引き受けざるを得なかった。塙光男(当時の河合光男)が脅したのだ。「協力しなければパチンコ・パチスロ業界を潰し、カジノ計画に協力する」と。それは朝鮮総連の弁慶の泣き所。仕方なく応じるしかなかったのだ。
奴がこんな話をするのももちろん、わたしを北朝鮮のスパイに仕立てるためだ。こんな奴が初恋の相手だと思ったら情けなくてしょうがない。ホンマに血反吐が出る。
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わたしが見た『婚活イベント』のDVDはよくできていた。ヤラセの応酬合戦といったところか。村のチョンガー男五十人VS韓国人女性六十人で行われた。実際の女性は韓国人ではなく、元「喜び組」(喜ばせ組とも言う)の共和国の人民で、日本語も特訓してきたのでそれなりに喋れる。年齢は二十八歳~四十歳まで。美女揃いでマナーもよい。村の男たちは二十九歳~五十三歳までのどちらかと言えばブ男揃い。ブ男たちは、すでにムラムラしているのか鼻息が荒い。わたしも元喜び組なので、知っている女性もいたが、わたしと同じ歌舞組はいなかった。ここにいるのは恐らく性的なサービスをする満足組や幸福組の元メンバーなのだろう。
司会進行役には塙いや河合自らがやっている。これもお笑い種だ。
「それでは始めます。可塑村のモンスターに仮装した男子五十人と韓国の選りすぐりの魔女に仮装した美女六十人。まずはご対面!
ということで、各自、いま人気のタブレット端末『ASIA 』を持って第一印象でこの人っていうのをチェックしていただきたいんですが、どうなんでしょうか。可塑村の男子、表情が硬いなあ。リラックス、リラックス。緊張する気持ちも分かる。お前ら、こんな美女軍団と会うことなんてなかっただろう。一番リーダーのドラキュラに変装した上から読んでも下から読んでも同じ名前の中村中さん、五十三歳。元自衛官で現在は漁業に従事していらっしゃるそうですが、今のお気持ちはいかがでしょう?」
「はい。皆さん、お美しい女性ばかりで、出会えただけでも光栄であります。ですから、嬉しくて嬉しくてたまりません」
「謙虚ですね。筋骨隆々の中村さん。元自衛官ということですので、ちょっと匍匐前進をやっていただけませんか?」
「はい、いいですよ」。中村さんは匍匐前進して八番の女性の前で止まった。
「中村さん、八番の女性、牛田由紀さんが第一印象なのでしょうか?」
「ハアハア。そうです」
「さすがに匍匐前進を行った後だけに息が荒いですね。では、選ばれた八番の牛田さん、感想をお聞かせください」
「もう、やだわ。中村さんって男の匂いがプンプンしてそうでしょう。だから、私も中村さんを第一印象でチェックしたのです。本当に嬉しいです。ありがとうございます」。牛田さんは純朴なのか、あるいはこれも演技なのか定かではないが、少し照れて見せた。
「中村さん、おめでとうございます。第一印象で相思相愛じゃないですか。お気持ちは?」
「最高であります。本当、照れるであります」
「中村さん、純粋なんでありますね。いい男だと思う女性陣は拍手をお願いしますであります」
「パチパチパチパチ」。女性陣から一斉に拍手喝采。
「中村さん、大人気ですね。では、年長者の中村さんだけ特別ルールっていうのはどうでしょう」
「パチパチパチパチ」。会場全体が地響きするくらいの大拍手。
「では、中村さん。第一印象でカップルになった八番の女性、牛田由紀さんと個室でイチャイチャチュパチュパしちゃってください。中村さん、早く牛田さんの手を引っ張って。早く、早く。おふたりさん、個室へいってらっしゃい」
「パチパチパチパチ」。大きな拍手の後、会場が一瞬、どよめく。
「申し訳ありません。何かの手違いで大画面にエッチな映像が一瞬、流れたようで申し訳ありません」と言ってわざわざ土下座までする河合。
「ガンバレー、河合さーん」という黄色い声援。
「ありがとうございます。お集まりの皆さん、ありがとうございます。これからテーブルにわかれて一人五分ずつ会話を楽しんで頂きます。五分後にこんな風に『ピー』と笛を鳴らしますので、笛が鳴りましたら男性諸氏、悪いんですけれども時計回りに移動をお願いいたしまーす。このとおりです」と言って今度は両手で拝むようにする河合。続けて彼は説明を行う。
「では、男女交互になって長テーブルに座ってください。女性陣はこの日のために日本語を猛特訓して来ていますので、『あおによしオナラの都はお尻です。へぇ』とか『たらちねのハハーン』とか『マスを掻きます法隆寺』なんて品のないことを言わなければ大丈夫ですので、男性陣、気楽に行きましょう」
「シーーーーン」。会場は河合のお寒いダジャレの連発で潮が引いたように静まり返った。先程まで会場はざわついていたので、ちょうどよかったと言えよう。
「それでは、いよいよですよ。さて、皆さん、笑顔でお願いします。ピィーー」。日頃、女性と話し慣れていない男性陣だが、緊張しながらも話している。ニンマリしているのは河合。彼がきょうの日のために男性陣を日夜、猛特訓してきたのだという。
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新潟県は小規模な市町村が多い。しかも、少子高齢化の歯止めのメドも立っていない。そこで、県は「市町村合併支援課」を新たに設けて市町村の合併を推進。平成十二年に百十二あった市町村が平成十八年三月末までに三十五までに減らすことに成功した。可塑村もそのひとつで、二〇〇五年にA市とB市が中心となって八市町村が合併し、新潟県大合併市可塑となった。
この大合併には「住民の視点に立った新たなまちづくり」を大きな動機として加えたことで、河合にとっては好都合な条件が出揃いつつあった。「これで展開次第では小さな村でも大きな都市を呑み込める」と踏んだのだという。
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共和国のスパイ河合が司会進行役を務める婚活イベントは順調に進み、最後の告白タイムを迎えるに至った。
このイベントは女性(共和国の元「喜び組」)が多いため、女性からの告白形式を取ることになった。まずは一番の園田優子から。「一番の園田優子さん、告白したい男子の所まで走っていってください。よろしくお願いします」。どうしたことか園田さんは、大きな胸をゆさゆさしながら真っすぐに駆けていった。その先には一番の中村中がいた。
「ちょっと待った」。唇をかみしめながら八番の女性、牛田由紀が大慌てで突っ走っていった。中村中の所へ一目散に。
「おーっと。これは予想外な展開になりましたね。それでは、ちょっと一番の園田さんに話を聞いてみましょう」
「園田さんは中村さんとしゃべっていませんよね。どうして中村さんだったんですか?」
「ピンと来るものがあったんです。 ずっと私の胸を見ていましたし」
「なるほどね。ちょっと下世話な質問で恐縮なのですが、園田さんのバストは何カップですか?」
「それはナ・イ・シ・ョ(笑い)」
「内に秘めたものがあるんですね。思わずゴックンしちゃいました。それでは気を取り直して、まずは園田さんからお願いいたします」
「私じゃダメですか。私は料理、裁縫、掃除、洗濯、マッサージ、それから夫婦の営みもきっちりこなす自信があります。何とぞよろしくお願いします」。三つ指を立てて、最後にウインクをしてみせた園田だった。 中村中はこの夢のような出来事に一度ばかりほっぺたをつねった。「イタッー」。途方もなく悩んでいたようだ。というのも、中村はオッパイ星人だからだ。それで頭を抱え込んだようなのだ。それまで仲良しこよしだった牛田のバストはさほど大きくない。字幕スーパーにも〈ボンキューボンにやられた中村。善光寺参りにでも行ってこい〉とある。
「次に告白するのは八番の牛田由紀さんです。よろしくお願いいたします」
「私たち、永遠の愛を誓い合った仲ですよね。これからもイチャイチャしましょう。よろしくね」
「さて、新潟における関ヶ原の合戦の軍配はどうなるんでしょうか。中村さん、どちらかの花束を受け取ってやってください」。中村は悩みに悩んだ末、八番ではなく一番を選んだ。会場は騒然とした。
司会進行役の河合は、「大どんでん返し!」とお決まりの常套句を気分よく快哉を上げたのだった。
その後、二番、三番と順番に告白していき、その結果として四十五組のカップルが誕生した(これもヤラセの賜物なんでしょうけれどね)。
そしてその夜、 誕生した四十五組のカップルに「逆夜這い」の指令が言い渡された。カップルになった女性は、等しくその手に毒リンゴを持っている。毒リンゴは食べられやすいように既に小さく切られており、タッパに塩漬けされて入れられている。そして、何の疑いもなく毒リンゴを食べた男たちはその場に倒れ込んでしまった。 それから倒れ込んだ男たちのすり替えが始まったのだ。それとて、あっという間に終わり、男たちは一旦佐渡島へ運び込まれた。
その家の家族たちは、別の部屋で大いに盛り上がっており、ほとんどの人がヘベレケ状態にあって、自分の家族が拉致されたことに対して無頓着だった。また、こういう人たちも共和国の工作員たちによって夜遅く佐渡島に連行されていったのだ。
そして、夜明け前には可塑村にいた塙村長を除く全員が佐渡島に渡った。その数三百二十一人。彼らは佐渡島の独立派が用意した大型船に乗って日本人観光客として共和国へ行くのだった。これらの部分も全部、わたしが見たDVD『K村村民すり替え作戦の内幕』三枚組に収録されていた。
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次に、わたしが見たDVDは『塙市長誕生物語』というものだった。冒頭の解説が長ったらしかった。
可塑村は二〇〇五年六月××日にA市など七市町村とともに合併し、大合併市可塑となった。その直前に可塑村の村長である塙実五郎がA市の市庁舎の屋上から飛び降り自殺した。これはA市の田沢春樹市長にとっては痛手だった。塙村長の遺書に〈大合併は田沢の策略でした。私はその罠にまんまと嵌められました。村民の皆さん、申し訳ありません。不徳の致すところです。〉と書かれてあったのだ。これで、田沢市長はハイエナのようなマスコミの餌食となり、マスコミはこぞって田沢市長へのバッシングを始めた。
それは、共和国のスパイである河合にとってはまたとないチャンスでもあった。河合はこの時、村長であった塙実五郎の養子となり、苗字が塙となっていた。彼は市長選への出馬に意欲をみせていた。そして、彼に追い風が吹いた。
弔い市長選と銘打って、各党の支持を取り付けることに成功したものの無所属で立候補した河合光男、いや塙光男はドブ板選挙に身を投じた。その甘いマスクに巧みな弁舌とあって、人口の多いA市を中心に地盤を固めていった。無論、全員が共和国人民である可塑村の村民を総動員して選挙戦は進んでいった。但し、朝鮮総連は表向きには出て来なかった。それで足を掬われたら身も粉もないからだ。
また、他陣営のスキャンダラスな弱みにもつけこんだ。例えば、「田沢春樹に隠し子がいて認知していたこと」。それを在京の新聞社・テレビ局にリークした。昔であれば、田中角栄のように外に子どもがいたとしても大した問題にもなっていないのだが、昨今はネットの普及で尾鰭がついて田沢春樹の人格問題にまで波及していった。そして、『田沢春樹にだけは投票するな』というアンチ田沢春樹サイトまでが立ち上がり、これまでの負の業績が羅列する有様だった。これを見た住民は「この人に任せられないわよね」、「前回は入れたけれど今回はパスだな」など田沢春樹にとっては致命的と言っていいくらいのダメ押し的なコメントをこのサイトに残していった。
ここまで来たら、田沢陣営も黙ってはいなかった。この時はB市の河上賢吉市長が一番の有力候補となっていたため、河上陣営を猛攻撃したのだ。何でもありだった。僅か半年の「年金未納問題」、高校中退であったのを高校卒業としていた「学歴詐称問題」など、重箱の隅を楊枝でつつくようなある意味どうでもいいようなことを拡大解釈してスキャンダラスなものとしてでっち上げた。こうなると、河上陣営も黙っておらず報復合戦となって相手陣営に対する誹謗中傷ばかりで選挙戦は泥仕合となっていった。
これを見ていた市民は呆れ返り、元来は泡沫候補であった塙光男がその風貌も相俟って若者層を中心にして支持層が拡がった。また、塙光男はデイサービスの施設や老人ホーム、保育所、ホームヘルプセンターなどでボランティア活動を通して弱者救済を訴え続けた。当初、泡沫候補と見られた塙光男を敢えて攻撃する勢力はなく悠々自適に事が進んでいった。塙光男はここが勝負時とばかりに、投票三日前より隠しカードであった各党の応援を仰ぎ、なかには党首自ら応援に入った政党も出てきたこともあり、高齢者からの支持も格段と得るようになった。
田沢VS河上で始まったこの市長選もフタを開ければ新人の三十一歳である塙光男が二位の河上賢吉とはダブルスコアの差で見事、ダントツの当選。市長の座に上り詰めた。漁夫の利を得た形だ。これで三百五十八人の村が約四万人の都市を凌駕して呑み込んだのだ。「共和国、日本乗っ取り計画」は、当初の計画どおりに順調に進んでいる。
ここまでが冒頭のナレーションだ。しかも一度も噛んでいないと思ったら、在京テレビ局の在日朝鮮人の女性アナウンサーだった。プロは違う。
塙は新市長になった十三年前の心境を、わたしに直接語るのであった。しかし、わたしにはその記憶さえいまはない。
「これで共和国の重鎮も驚いただろうよ。あいつらの顔を思い出しただけで、ちゃんちゃらおかしくて臍で茶を沸かせられそうだ」
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《2018年5月4日 みどりの日》
ただ、わたしは記憶がある時に、これら一連のことをマスコミ各社宛にメールで送った。やはり、共和国のこういうところが好きになれない。それに、わたしはニッポン人だから通報する義務がある。国家転覆を狙う奴らには。ただ、健ちゃん、ナナ、まだ一度もその顔を見ていないわが娘ヒカルのためにも、わたしの素性がばれるとまずいので、複数のリメーラーを経由させて匿名でメールを送信した。そうしたことによって信憑性は低く見られるかも。それでも、神様がいるならば、誰かがきっと記事にしてくれるだろう。
明日こそは奴を封じ込めなければならない。それが、このおぞましい計画を断ち切る唯一の方法なのだから。
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《2018年5月5日 丁酉の日 仏滅 こどもの日》
次の日。五月五日の真夜中。新潟県の天気は曇り時々晴れ。拉致監禁されていたわたしは、わたしの初恋の相手でもある塙光男を誘った。塙はわたしに未練タラタラだったが、わたしにとっては過去の人に過ぎなかった。
それなら、なぜ誘ったのかって。それは、一つに「共和国、日本乗っ取り計画」をやめさせること。もう一つは「わが亡命家族を救うこと」にあった。
橘は共和国のスパイでありながら、あろうことか、この時、人口約四万人の新潟県大合併市の市長を務めていた。クルマはBMWを二台所有していた。そのうちの白の「BMW X1」に乗って真夜中のドライブに出掛けた。
国道八号線をクルマで走って行くと、「子不知」があって、勝山や深谷など洞門を四か所潜り抜け、そして長いトンネルを抜けると「親不知」に出る。親不知には道の駅「親不知ピアパーク」があって、その先の風波川の手前に「親不知記念広場」があり、そこに展望台もある。そこから望む景色は絶景だ。高さ三百メートルから四百メートルに及ぶ断崖が聳え立ち、その眼下には真っ暗な海が見える。
また、広場には愛の母子像が立っている。
わたしは、これからこの場所で大それたことをしようとしていた。
主よ、罪深きわたしをお許したまえ。アーメン。
この激しい断崖から、わたしは奴を突き落とそうと考えていた。奴はわたしに気を許していた。奴は泳ぎが苦手だ。だから、きっと助かることもないだろう。奴は孤児院出身だから親不知がお似合いなんだわ。わたしはその手前の子不知がいい線ね。
だが、わたしは奴を突き落とす勇気を持ち合わせていなかった。その計画はわたしの心の弱さから失敗に終わった。そして、道の駅「親不知ピアパーク」へと戻った。この道の駅の日本海寄りには砂浜があり夏には海水浴場として利用されている。その北側には防波堤が東西に一本、南北に一本あり、それぞれ防波堤に沿って巨大な消波ブロックが埋め込まれている。
その周辺ではカモメの大群が飛び交っている。わたしは塙光男とその砂浜を歩いた。すると、ビーチボールがわたしたちの方に飛んで来た。大学生らしい男女六人がビーチボールで遊んでいたようだった。わたしはそのビーチボールを手に取り、そのボールを取りに走って来た男の子に渡そうとしてハッとした。その男の子に見覚えがあった。お隣さんである水田部長刑事の長男だ。間違いない。昨年、東大法学部を諦めて新潟大学法学部に入学した一郎くんだ。
彼は、わたしには気づいていない。黒いサングラスとつばの広い茶色の麦藁帽子を被っていたからだ。ちょっと遊び心で尋ねてみた。
「男前のお兄さんはひょっとして学生さん?」。
「はい、そうです」
「若いっていいわね。もしかして新潟大学の法学部?」
「えっ、どうして分かったんですか?」
「それはね。以心伝心。アナタのお母さんの声が聞こえて来たのよ」
「ええっ。もしかして…」
「おーい、一郎。早く、早く」。一郎の友人が大きな声を出して呼んでいる。
「呼んでいるわよ。一郎くんっていうのね。司法試験がんばって」
「はい、水田一郎と申します。ありがとうございます」と言って一郎くんは一礼して走り、学生たちの輪に再び入って、ビーチボールを楽しんでいるようだった。
「今の子、知り合いか何かだろう?」と塙はわたしに聞いて来る。
「いいえ、ぜーんぜん知らないわ。若いっていいわよね。やり直しが利くから」とわたしは塙を適当にはぐらかしてやった。
塙は「キミだって十分若いぜ。まだ三〇代だろ」と心にもないことを言ってやがる。
「わたしは四〇をとうに過ぎたオバさん。アナタは全然変わらないのね。いつも時限爆弾を抱えているところ」と言ってはいけないことを言葉にしてしまったわたし。
「時限発火装置みたいなところは直しようがない。ただ、キミにそう言われるとツラいな」。塙は少し落ち込んだのか近くにあった小石を横から海に投げた。小石は海上で一段、二段、三段と跳ねて行った。「三回も跳ねたぞ」と少年のように水切りをしてはしゃぐ塙。そして、彼は防波堤を走って行った。わたしは塙に呆れて、健ちゃんを思い出しながら空を見上げた。健ちゃんに会いたい――。満天の星が輝いている。あれが北斗七星ね。私たち亡命家族の星だわ。
その時、ドボーンという音が防波堤の方から聞こえてきた。わたしは防波堤の方に目を向けた。防波堤にいるはずの塙の姿がない。防波堤は昨夜の雨で濡れていた。きっと滑って防波堤から落ちたのね。彼は泳げないからきっとお陀仏だわ。これで共和国のニッポン乗っ取り計画もオジャンね。
わたしは、武者震いをした。周りを見渡したが、誰もいない。先程いた学生たちも、もういなくなっていた。時計を見ると午前四時を回っている。わたしは、これでいい、と心に言い聞かせるも、心境は穏やかではない。救急車を呼ぼうと思ったが、病院で着の身着のまま誘拐されたのでケータイさえ持っていない。おカネも持っていない。
それから、しばらくしてこの場所を後にして国道八号線をトボトボと歩いた。親不知の入り口にある歌地区の集落の明かりを眺め、わたしは無謀にも「子不知」の全長二キロ以上もある長いトンネルの中に何か得体の知れないモノに吸い寄せられるようにして入って行った。後ろから来る大型のトラックは何度も何度も耳が痛くなるくらいクラクションを鳴らして通り過ぎた。わたしはそれでもこの長いトンネルを歩き、やっとのことで抜けると、日が昇ったようで明るかった。すぐ先には「向山」と書かれた洞門があり、もうそこを通る気力さえなくなっていた。
ここは子不知。わたしの最期にふさわしい場所だと思い込み、フラフラしながら朝焼けの日本海を眺めると赤く染まっていた。わたしは知らず知らずのうちに飛び込んでいた。「あー、健ちゃん。きれいだ」と言いながら。
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《2018年11月7日 癸卯の日 友引 立冬》
わたしは薄暗いトンネルをただひたすら歩いている夢を永遠と見続けていた。それからどれくらい経ったのだろうか。忽然とトンネルを抜け、眼に激しい痛みを感じるくらい明るい日差しを感じたのだ。どうもわたしはこの間、病院の一室にいたようなのだ。わたしは、理由がわからなかった。わたしの身に何が起きたのだろうか?
「ここはどこ?」と目の前にいる若くて背の高い看護師さんに尋ねた。
「やっと気づいたのね。よかったわ。ここはね糸魚川市にある病院よ」
「イ・ト・イ・ガ・ワ・シってどこ? どこなのよ」。わたしはどうしようもなく喚いた。
「新潟県ですけれど…」
「新潟県?」
「ところで、名前の分かるモノが何もなかったのだけれど。アナタのお名前は?」
「アー、頭が痛い」。わたしはすっかり記憶を失ったようだ。
「先生を呼んできますね」。その看護師は走って部屋を出て行った。
わたしは、またウトウトと眠ってしまった。
しばらくして目覚めると、初老の男の医者と先程の看護師が話をしていた。「記憶喪失」だとか「アルツハイマー」だとかそういう病名が聴こえてきて、「あの、すみません」と言うと、「おー、やっと気づいたか。よかったのう。ワシも長年、医者をやっておるが、こんなことは滅多にありゃせんぞ。奇跡じゃのう。で、記憶がないんじゃって。それは、いつかは分からんが治るじゃろ。まあ、生きていてなによりじゃ。ここで、しばらく養生したらよろしい。ワシの名前は高貴な『高』に松ぼっくりの『松』と書いて高松じゃ。よろしゅうな、お嬢さん」とその初老の白いアゴヒゲを蓄えたいかにも医者らしい医者は、ゆったりしていてそれでいて癒しを感じさせる声だった。私は記憶を失ったけれど、不安はどこかへ吹っ飛んで行った。
そして翌朝、高松先生が夜勤の看護師と一緒に来られて、名前を失ったわたしのために名前を授けに来てくれた。「高松美姫」。ベッドの前のネームプレートにも、その名前が記された。美姫という名前は昨日の午後に目覚めた時にいた日勤の看護師さんの名前だという。それと、高松先生は退屈だろうと何冊か本を持って来てくれた。『飛ぶ教室』(エーリヒ・ケストナー著/池内紀訳)、『風の又三郎』(宮沢賢治著)、『小説ロボジー』(矢口文靖著)、『かもめのジョナサン』(リチャード・バック著/五木寛之訳)、『パンプキン・ロード』(森島いずみ著)、『ビルマ野うさぎ・チュッチュッとテッテッ』(広田健三著)。本当に優しい先生だ。
朝食後、早速、『ビルマ野うさぎ・チュッチュッとテッテッ』を読もうと思ったら、昨日の看護師さんがやって来て、「私って、そそっかしいでしょう」と唐突に聞いて来た。
「いえ、そんなことはないと思いますけれど」
「そうそう、言い忘れていたことがあるの。まだ刑事さん、来てないわよね」
「刑事さんって」
「来ていないならいいの。わたしの名前は高貴の『高』に露だくの『露』で高露。よろしくね」。ホッとした表情の高露看護師。
「ミキさんね」
「どうして、私の下の名前を知っているのよ」と訝しげに聞く高露美姫看護師。
「ベッドのここ、見て」とわたしはベッドの前のカーテンで隠れている部分を指差した。
「どれどれ。へぇ、私と下の名前が同じなんだ。奇遇ね」
「アハハハ。看護師さんの名前からいただいたのよ」
「そう言えば、昨日、白ヒゲ先生から『君の名はなんて言うんだね』って聞かれたから驚いちゃったのよ。てっきり私に気があるのかなあって。このことだったのね。安心した」
「白ヒゲ先生って」
「本人に言っちゃダメよ。それから、肝心なことを忘れているわ。刑事さんから『あなたの大切なものを預かっています』っていうメッセージを伝えるのを忘れていたわ。一週間に一度は顔を見に来るけれどね。その刑事さん、変わっているのよ。名前も飛来信っていうのよ。飛行機の『飛』に来場者の『来』、そして信じるものは救われるの『信』。あー時間、そろそろ引継ぎの時間なの。行かなくっちゃ」と言って、高露看護師は忙しげに走り去った。
高露看護師は本人も言っていたけれど、確かにそそっかしい人だ。でも、大らかで陽気でお茶目なところがあって弾けていて何気に許せてしまうキャラだ。記憶喪失のわたしにとっては、出来の悪い妹のようで、なくてはならない存在になってしまっている。
◎主な登場人物
▼わたし(広田ミキ/金美姫)
ピョンヤン出身/舞踏家/ニッポンへ脱北/ドジ・のろま/父外務省高官/母小学校教師/アカブチムラソイ/タンゴ/結婚・出産/子不知自殺未遂/記憶喪失/2児の母/コンビニバイト
▼健ちゃん(広田健三/陳健三)
広田家家長/中国遼寧省出身/農家三男/無戸籍/北京大医学部卒/元外科医/発禁処分作家/ボサボサ頭/ニッポン亡命/大正浪漫文化/竜宮の使い/大阪マラソン/母親白系ロシア人
▼ナナ(広田ナナ/チュッチュッ)
広田家長女/タイ難民キャンプ出身/ビルマ人/ニッポン亡命/悪戯好き/高田馬場/交通事故/あすなろ/児童養護施設/養女/道頓堀小/ハイカラさん/福山先生/失語症/車椅子
▼ヒカル(広田ヒカル)
広田家次女/大阪生まれ/天使のハートマーク/ダウン症/ルルドの泉/奇跡/明るい/笑顔/霊媒師アザミン/プリン・イチゴ好き/亡命家族を結び付ける接着剤/天体観測/流れ星
▼平野のおっちゃん(平野哲)
外務省官僚/福岡県八女市出身/両親を幼くして亡くす/ミキ・健三ら亡命者支援/ヒマワリ・サンシャイン/ミキの父・金均一の友人/ミキ養父/西行法師/吉野奥千本に卜居/満開の桜の樹の下で銃殺
▼洋子さん(平野洋子/旧姓有栖川)
平野哲の妻/旧皇族/奥ゆかしさ/ミキ養母/ミキと健三のヨリを戻す/ゆめのまち養育館/福山恵/奈良県・吉野/夫婦で早朝にジョギング、古都奈良散策/いけばな家元/みたらし団子/韓国ドラマ
▼アザミン(水田あざみ/斎木あざみ)
霊媒師/津軽イタコの家系/弱視/青森県・鯵ヶ沢町出身/10歳の時に村八分/大阪・梓巫女町/琉球ユタ修業/ミキの善き理解者/夫は水田豊部長刑事/2男2女の母親/直接的・間接的にミキを救う
▼塙光男(朴鐘九/河合光男)
北朝鮮の孤児/スパイ/金日成総合大卒/ニヒルなイケメン/新潟県可塑村村長の養子/同県大合併市市長/ミキの初恋の相手/北朝鮮、ニッポン乗っ取り計画首謀者/ミキを誘拐/親不知不慮の事故死




