第六話 対価
食後の紅茶を楽しんでいるところへ、傷一つ、汚れ一つ付けずにリーデが戻って来た。
「終わったか?」
「はい、侵入した四人のうち三人を排除、残る一人は外の厩に繋いであります」
「それで、目的はなんだ?」
「強盗ではなく、金で雇われて魔核を奪うのが目的だったようです」
「——狙いは魔核か、吐いたのはそれだけか?」
「いえ、他にも私を攫い、売り払うつもりだったようです――その受け渡し場所を吐きました……行かれますか?」
「狙いは魔核だけではなく、リーデもか――行こう」
セブンズジェムの入学試験で〈真影〉を召喚するのに魔核を使った時点で、こういった事が起こるのは容易に想像できる事態だった。
獣核で試験を受け、ひっそりと目立たずに元魔王の余生を過ごす選択肢もあった。しかし、魔族である俺が――人族の目を恐れるような行動を取るつもりは全くなかったのだ。
かといって、このミルズ大陸で「俺は元魔王のレドウィンだ!」などと声高らかに宣言するつもりもない。
そんなことをすれば人族に追い回される――事はどうでもいい。
それよりも――。
俺が生きている事を魔族が知れば、あの脳ミソにまで筋肉が詰まっているバカ野郎のスルトが、俺の子を産ませろと迫る痴女が、錬金術師として俺に劣ることを認めることが出来ないイカレた自称天才魔導師が、他にも大勢の魔族がミルズ大陸に渡り、俺にありとあらゆる戦いを挑んでくるだろう。
それが魔族というものだ。自分が“コレ”と決めた土俵で最強を目指す。その最強が最も多い者が魔王となる——その戦いと、ついでに人族の欲望に対処してきた五〇〇年――もう、俺は魔王に戻るつもりはない。
〈真影〉を飛空艇にした理由もこれだ。最も一般的な前衛の騎士型ではなく、輸送という後衛の投影型を製作した。人族の為に力を振るうつもりなど更々ない。俺は後方からゆっくりと、その戦い様を見下ろすつもりだ。
まぁ、飛空艇が人族にとってとても貴重なものだとは知っている。俺が復活するまでの一六年、その艇数が増える事もなかったようだ。
となれば、限られたその所有者もだれか判っている。ブレイヴ王家に使える大将軍の一人と、ハンターと呼ばれる魔獣狩りを仕切る組織の幹部だ。
空飛ぶ輸送手段は貴重であり、〈真影〉として創造するのは本当に難しい。
一度生み出しだ〈真影〉を、召喚者の都合で別の形に変更することは出来ない――創造が本人の無意識に固定化されるからだ。
召喚者が空を自由に飛びたいと願っても、利己が根幹にある人族では飛行できる騎士型か、鳥を模した鳥獣型が召喚されるのがオチだ。
飛空艇を想像するには、艦船に関する深い知識と記憶、空を自由に飛びたいという願い、そしてそれを実現できるフォルムを正確に想像する力――創造力が必要なのだ。
召喚者が想像力豊かな少年少女では知識が足りない。
知識と経験豊富な海夫では空を飛ぶことを願えない。
現実を知り、夢を見ることを失った老人では柔軟な想像ができない。
ピンポイントで欲しい物を創造できるほど、〈召喚〉という技術は都合のいいものではなかった。
だからこそ、飛空艇という得難い〈真影〉を見せつければ、俺の身の安全は人族が勝手にしてくれると考えていた。事実、学園に入学すればそうなるだろう。
しかし、目先の欲にくらむ愚か者の中には、飛空艇ではなく魔核そのものを求める者もいる。更にはリーデまで手に入れようなどと……身に余る欲望に溺れるとは……。
「よくやった。召使いの女は高く売れそうだと聞いていたが、こいつは高く売れそうどころじゃねぇな、どこの変態貴族様に売り出しても、間違いなく言い値で買ってくれる上玉だ」
「これが奪った魔核だ」
「なんだ、剥き出しのままで奪ってきたのか――まぁいい、約束の金だ。それより、お前の部下はどうした? まさかやられたのか?」
「別の仕事をしている」
「そうか、仕事熱心なのはいいことだ。また、いい情報が入ったら頼むぜ。うちの旦那も、今回の働きには大いに満足するだろうよ」
館に侵入した男とその雇い主の使いが話をしているのは、今は使われていない古びた倉庫の中――ここは、王都のとある倉庫街の一角。
リーデから館に侵入した賊への対処報告を受けた後、俺はリーデにわざと捕まるように指示を出し、賊を寄越した大元を突き止めるべく動き出した。
厩に繋いでおいた男はすでに処理してある。使いの男と話をしているのは、俺が生み出した人族を模したヘリアルだ。
顔は侵入した男と同じに作り、喉に埋め込んだ魔核の種に〈魔法紋〉を刻み、俺が話している言葉を再生させている。頭部にも指令を伝達する〈魔法紋〉を組み込み、遠隔操作でも緻密なコントロールが出来るようにした。
はした金が入っているとしか思えない小袋を受け取り、リーデを残して倉庫を出ていく。リーデは後ろ手に両手を縛られ、猿ぐつわと目隠しをした状態で気絶したフリをしていた。
使いの男は倉庫に誰もいなくなったのを確認すると、リーデを肩に担いでヘリアルとは反対側の出口へと向かっていく。どうやら、外に停めてあった幌付きの馬車に積んで移動するようだ。
俺はその一部始終を、ヘリアルの目と同時に倉庫の屋根上から見下ろしていた。
リーデを乗せた幌馬車は倉庫街を駆け抜け、深夜の王都を南へと走っていく。静かに俺の後ろへと戻ってきたヘリアルに追跡を命じ、俺は伝わって来る魔核の種の波動を辿り、ゆっくりと後を追った。
幌馬車が停まったのは王都南部の歓楽街に建つ、奴隷商館の裏口だった。
「首尾は?」
「抜かりなく、二つとも手に入れてまいりました」
裏口で使いの男を出迎えたのは、娼館で働く従業員風の男。使いの男が差し出す魔核を受け取り、幌馬車に視線を向ける。
「女は荷台に」
従業員風の男はその言葉を聞くと、周囲を見渡して誰も見ていないことを確認し、懐から小袋を取り出して使いの男へと投げ渡す。
「ご苦労だった。行っていいぞ」
「また何かあれば、是非――」
「あぁ、伝えておく。早く行け」
使いの男は幌馬車の御者台から降りると、パンパンに膨れ上がった小袋を握りしめる感触に愉悦の表情を浮かべ、王都の闇へと走り去っていく。
従業員風の男はその後姿を黙って見つめていたが、僅かに細める目には嫌悪感が浮かび上がっていた。そして、裏口から新たに出てきた従業員たちが、幌馬車の荷台からリーデを降ろして中へ連れていく――。
俺は寂れた倉庫と同じように、娼館の裏面に建つ建物の屋根上から見下ろし、今回の襲撃が誰の手によるものなのかを把握した。
「奴隷商とはな……ヘリアル、あいつは始末しておけ。今後どこかでリーデの姿や噂を耳にされても面倒だからな」
全く音を立てずに、まるで幽鬼のように背後に佇む賊の男を模したヘリアルへと視線を向けずに指示を出し、目の前に建つ娼館をどうするか考える――。
その間に、背後のへリアルは静かに動き出し、闇に消えていった使いの男の後を追った。
さて、この奴隷商館をどうするか――。
この国では一六になっても学園に通わなかった者、通ったとしても十分な技能を身につけることができなかった者、または犯罪者や生活に困窮し身を売った者などが奴隷の烙印を押され、様々な重労働を課せられている。
奴隷商館は烙印を押された者たちの働き先が決まるまで、一時的な待機所として運営されている場所ではあるが、同族であっても商品として取り扱われるこの場所は、とても人が住む環境とは言えなかった。
「リーデ、確か俺の出身地は東の商業都市、ゴルドの商家だったな? そこでの商いは何をしている?」
僅かな沈黙の後、耳に着けている小さなリングイヤリングからリーデの声が響いてきた。
『物資や人の移送などを主とした、運送業です。エイル、カルラ、ゲンドールの三名で商いをしています』
リーデも俺同様に、通信用魔道具であるペンダントを身に着けている。俺が魔王になったばかりの頃に、まだ幼かったリーデに作ってやった物だ。
エイル、カーラ、ゲンドールの三人は、リーデを長として動いていた戦闘集団の一員で、俺が魔王の座を降りて復活するための下準備を任せていた、数少ない魔族の仲間たちだ。
「運送業か……ならば今後は王都に拠点を移し、館で働かせる人手も含めて人族を何人か雇い入れよう」
『畏まりました——それではここを?』
「そうだ。館に侵入した対価として、この商館と奴隷を頂く」
魔族の社会は貨幣経済に囚われてはいない。小さな集落を形成し、ヘイム大陸の各所で点々と暮らしているため、サービスや商品に対する支払いは相応の品や行為による対価交換が主とされてきた。
魔族の貨幣ももちろん存在はするが、それよりも獣核や狩猟で得た獲物の方が対価として重宝されている。
そういった対価交換の意識は魔族の根底に流れており、目には目を、歯には歯をと単純にやり返すよりも、目には歯を、歯には目をと、別のものを要求することが多い。
俺もまたその本能に従い、今後の王都での生活に必要な足場作りと資金源を得るため、この奴隷商館を対価として要求することに決めた。