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第五話 リーデ




「今夜のメインはブレイヴ産牛のサーロイングリエに、トリュフの果実酒ソースです」


 リーデがそっとテーブルに置くのは、彩り豊かに盛りつけられたサーロインのローストビーフに濃厚な果実酒ソース掛け。赤野菜とポテトのバランスまで目に美味しく考えられた、食の芸術とも言える一品だ。


「いい香りだ。ミルズ大陸の食材はヘイム大陸に比べて質も彩もいい、これだけでこの大陸に住む価値がある」


 ミディアムレアに焼かれたローストビーフ。ナイフを入れれば僅かな表面の抵抗は一瞬で消え、絹を割くように端まで到達する。

 切り開かれた断面からは肉汁が溢れ出し、果実酒ソースと相まって芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。


 一切れ口に運べば舌の上で肉が蕩け、噛みしめるとは正しい表現ではないだろう――口を、顎を僅かに上下させるだけで皿に溢れたはずの肉汁が口内に広がっていく。


「美味い……リーデ、お前のヘリアルをアーモロートとナグルファルに常駐させよう。この食事に慣れてしまっては、人族の作る料理を食べる気にはなれない」

「畏まりました。すぐに最高のヘリアルをご用意いたします」


 横に立つリーデの鼻息が僅かに荒くなるのが判った。


 リーデとの付き合いは長い。俺が魔王の座に就いたばかりの頃からの付き合いだっただろうか――以降五〇〇年、ずっと俺の傍にいる。


 グラスに注がれた真っ赤な果実酒を揺らす――ふと、あの日の炎を思い出した。




 人族の侵攻によって燃え盛る小さな集落――集会場となっていた広場の片隅で、無表情に赤く焦げる空を見つめて横たわる一人の少女を見つけた。

 まだ幼い体型だったが、その心と体は人族の欲に押し潰され、家族を失い、心を失い、声を失い、笑うことを忘れ、泣くことに疲れていた。


 そんな壊れた魔族の少女が、リーデだった。


 人族と魔族には外見的特徴にほとんど差はない。一見しただけでは、相手が人族か魔族かを判別する事は不可能だ。


 だが、ヘイム大陸に侵攻した人族から見れば、そこで暮らす者全てが魔族であり、虐殺し、魔核マテリアルを奪い、積年の恨みを晴らし、あらゆる欲望をぶちまける捌け口の対象であった。


 しかし、魔族は永遠ともいえる長命の種族。長く生きたものほど周囲への興味が薄れる——まして、短命な人族になど端から興味はない。

 魔族の小さな集落が滅ぼされた程度では、魔王はおろか力を持つ魔族の一人すら立ち上がる事はない。


 魔族が興味を持つのは、自らが”コレ”と決めた一つの事のみ。俺にとって錬金術がそうであったように、多くの魔族が自己鍛錬、魔法技術、単純な力、多彩な趣味嗜好、そして強さに傾倒していった。


 あの日、リーデを拾い傍に置くことを決めたのは、ほんの些細な理由だった。


 錬金術を極めるには膨大な時間が必要だ――食事の支度や日々の繰り返される日常にかける時間すら惜しいほどに、一〇〇〇年は生きると言われる魔族ですら、時が惜しいと思わせるほどに――。


 だから傍に置いた。錬金術を極める以外の全てを彼女に任せるために。その代わり、俺はリーデに魔法を教え、戦闘技術を教え、ありとあらゆる知識を教えた。


 それがリーデにとっても最も必要なもの――生き甲斐だと考えたからだ。


 生きる意味も気力も失った少女に、手っ取り早くそれを持たせるなら――それは何をおいても“復讐”しかない。


 しかし、リーデにとっての“コレ”は“復讐”とはならなかった。


「デザートをご用意してまいります」

「なら二人分だ。お前も席に着け、一緒に食べよう」

「畏まりました」


 無表情で頭を下げるリーデだったが――俺は知っている。俺からは見えないが、その口元はきっと、極僅かにだが喜びに緩んでいることを。


 そういえば、傍に置いて三〇〇年経ったころだったか、声を失ったはずの少女が初めて口にした言葉もまた——“畏まりました”の一言だった。

 不格好に頭を下げ、口元を極僅かにだけ緩めて発した声は、今と何も変わらない――低音で、俺の皇魔核ルーン・マテリアルに凛と響く、なんとも心地よい音色。


 “コレ”と決めたことに夢中になった時の、魔族特有の歓喜なる声色だ。




 しかし、安らぎを感じる一時ほど、それをぶち壊しにする無粋な来客が訪れる。


 デザートに出されたクレープのカラメルオレンジソース掛けを食べ終えようかというころ、館内に何者かが侵入した気配を感じた。


「リーデ、今夜は来客の予定があったか?」

「いいえ、ございません」

「つまり、招かれざる客というわけか」

「すぐに排除いたします――」

「いや待て、リーダー格は残せ。ただの強盗目的ならすぐに殺すが、何か目的があってのことならば、その裏に誰がいるのかを知っておきたい」

「畏まりました」


 無音で席を立ち、食堂から下がっていくリーデの気配を感じながらグラスを揺らし――この後に流れる流血とどちらが赤いだろうか? ふと、そんなことを考えていた。



 

*****




 王都の中心街から北、通称“貴族街”と呼ばれる高級住宅が建ち並ぶ地区がある。その外れ……主に商人の邸宅が多く建つ区画に、ラグナの隠れ家ともいうべき館は建っていた。


 石造レンガ造りの二階建て。全ての窓に厚いカーテンが引かれ、灯る明かりは殆どない。広い前庭は全く手入れされておらず、草木が生きたいように枝を伸ばし、葉を我が世の春を謳歌するように生い茂らせている。

 

 無人の館……ではない。確実にターゲットとその召使いがここに住んでいるはず。荒れ果てた前庭に姿を隠す四人の男たちは、出来るだけ音を立てないように前庭を駆け抜け、館の一階窓の下へと張りついた。


 一人の男が厚いカーテン越しに中を窺う――カーテンの切れ目から僅かに見える部屋内に、人影はない。


 振り返り、後ろに待機する三人に一つ頷く。


 胸元から短刀を取り出し――その柄で窓の一部を割る。荒い方法だが、それほど大きな音はしていない。このやり方に慣れているのだろう、割れた窓ガラスの一部に手を入れて鍵を外し、室内へと侵入していく。


「ガキを殺して魔核マテリアルを探せ。召使いの女は連れ帰って売り払う、傷をつけるなよ」


 室内へ最後に入った男が部屋の外を窺う三人に指示を飛ばす。男たちからの返答はないが、三人とも胸元や腰裏から短刀を引き抜いた。


 先頭の男が静かにドアを開けるが、廊下に明かりはない。生活音も全く聞こえない――寝るには少し早い時間のはずだが、ターゲットのガキと召使いはもう寝たのかもしれない。


 そう男が考えた瞬間――廊下に酷く冷えた声が響いた。抑揚を感じない、生きた人間が発するものとは思えない、全く血の通っていない声。


「当館はラグナ・レイ様のお館です。許可なく立ち入った者には、然るべき対処を取らせて頂きます」


 暗い廊下の先から聞こえた声は、明らかに女のもの。となれば、そこに立つのは召使いの女のはずだが、男たちの目に映っているのは二つの赤――。


「あっ、あか……赤目……」


 ヘイム大陸への出兵経験がない人族であっても、魔族の特徴を知り、その姿を見たことがある者はいる。長い歴史の中で、ミルズ大陸へと渡り人族の脅威となった魔族も少なくはない。


 その脅威――恐怖の伝承と歴史があるからこそ、人族は魔族を狩る。


 当然、この男たちも暗い廊下に光る赤目が意味する事を正しく理解していた。


「まっ、まさか王都にま――」

『我は願う――』


 女が何かを言ったと同時に、見た事もない黒い輪が廊下に浮きあがった。


 それが輪環魔法陣と呼ばれるものだと男たちは知らない、その知識を持ってはいない。だが、その輪に纏わりつくように漂う、禍々しい闇の揺らめきがとても危険なものであることはすぐに判った。


 いや、身をもって理解した。


『三指の願いを聞いて叶えよ。一つは穿孔、一つは捕食、三匹の魔物よ――我が聖域を荒らす羽虫を一滴の血残らず喰い尽くせ――深淵の蚯蚓アビスウォーム!』


 女が何かを言い切った瞬間――廊下に浮かぶ禍々しい輪が暗滅し、先頭を歩く男の足元、二人目と三人目の真横に――その床と壁に漆黒の大穴が三つ開いた。


 そして、地獄の底から響くような野太く獰猛どうもうな咆哮。


 館全体が揺れたと錯覚するほどの慟哭に男たちの足が止まり、次の瞬間には大穴から現れた巨大な蚯蚓ミミズの大口に飲み込まれ、大穴の中へと叫び声を上げる暇もなく、引きずり込まれていった。


「なっ……ダイン……アレックス……トーレス、一体どこへ……」


 侵入した部屋の扉に立つ最後の一人は、身体中を震えさせて立ち尽くしていた。


「侵入者に貸すトイレはありません。漏らすなら外でどうぞ――と、言いたいところですが、ラグナ様より一人捕獲しろと命ぜられています。館から出すわけには参りません」

「おっ、おま、お前たちはここで何をやっている?! ここに住むのは魔核マテリアル持ちのガキと召使いじゃなかったのか……?!」

「質問をするのはラグナ様です。あなたではありません――あぁ、不快な臭いがしますよ。濡れてきているのではないすか?」


 一歩ずつ、ゆっくりと近づいて来る女の姿が揺れた――そう感じたのと、男が胸に大きな衝撃を受けて館の外にまで吹き飛ばされるのは同時だった。


「あら、結局外へ出てしまいましたか……それに、ラグナ様のお館に傷がついてしまいました。この代償……あなたの命一つで賄いきれるでしょうか?」


 部屋の中から外を覗く女の声は、侵入した男の耳にまで届き、気を失う寸前で男は願った。


 どうか、このまま気を失って眠らせてくれ……もう二度と、目を覚まさないでいいから――と。



 

 

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