第三十五話 決着
俺の正体を魔族と知り、なおかつ赤目赤髪に活性化した姿を見せたことで、ネイサルは俺を狩ることよりも逃げることを最優先に考えを改めていた。
上位魔族の溢れ出る魔力の奔流に恐怖したのも事実だが、ネイサルのヘイム大陸を生き抜いてきた勘が、ガキ一人を攫うよりも、その正体に関する情報を持ち帰り、より高い金額で買い取ってくれる人物へと売り込む方が儲かる————そう判断したのだ。
だが、それは俺にとって最も不都合な展開だ。
俺が魔族だという情報が俺の知らない場所へ走り出してしまえば、その勢いは決して止まらないだろう。いつぞやの奴隷商人とは話が違う、あれはあくまでも交渉と対価の話だ。
上位魔族を前にしてネイサルがどうやって逃げるつもりなのか——左手に嵌めた青い宝石の輝きが増していき、魔獣のようなネイサルの〈悪影〉が前のめりに体勢を変え、背面が目に見えて盛り上がっていく。
『お前の魔核は一旦お預けだ————』
「逃げられると思っているのか?」
『方法はあるさ————』
そう言ってネイサルの被る魔獣の頭部わずかに動き、俺の背後に見えているケインたちへ視線を向けたのが判った。
「まさか、俺がパーティメンバーである人族を守ると、そんな甘ったるい考えをまだ持っている訳じゃないだろうな?」
『ククッ、武器屋では助けていたよなァ?!』
ネイサルはそう叫ぶと同時に、“睡夢の世界”によって深い眠りについているケインたちに向けて両手を突き出し、その両手の平から魔力の塊を撃ち放った。
召喚銃と原理法則は全く同じ——魔血の種が生み出す魔力を砲弾に変え、手の平から撃ち出す。
シンプルな濃縮魔力の塊は高速で飛翔し、相当な破壊力宿している————俺の真横を通過していく瞬間、その強い波動を肌で感じた。あれが無防備な状態で直撃すれば、人族の体など簡単に消し飛ぶはずだ。
しかし——。
「愚か者が——寂滅の闇閃!」
すでに呪文を唱え終わり、最後の魔法名を宣言することで輪環魔法が発動した。
ネイサルの予想通り、パーティメンバーを守るように展開された魔法陣に、奴が被る魔獣の頭部が嗤い歪んだように見えた。
同時に、盛り上がった〈悪影〉の背面から漆黒の硬骨が突き伸び、その下に闇色の羽が生え出して翼へと変貌した。
『じゃぁな、クソガキ!』
ネイサルは闇色の翼を羽ばたかせると、その巨躯がゆっくり浮き上がり、一気に空高く舞い上がった——そして、輪環魔法陣の目の前にまで迫った濃縮魔力の塊が弾け、細く分散された魔力の塊がキャンプ全体に降り注ぐ。
だが、展開した魔法陣から放たれる黒閃は一つだけではない——そんなチャチな魔力は注ぎ込んでいない。
輪環魔法陣から放たれた無数の黒閃が分散した魔力の塊を追いかけ、一欠片も残さず虚無へと吸い込んでいった。
そのコントロールの隙にネイサルは随分と空高く飛翔したが、それを追うよう右手を掲げ——叩き落とすように振り下ろした。
「——逃さないと言ったはずだ」
直上空高く舞い上がったネイサルは俺がいた位置を見下ろしながら口角を歪ませ、空中で一旦停止して退路へと向きを変えると、その目の前には闇属性魔法陣が浮遊していた。
『なッ——?! なぜこれがここ——』
ネイサルが言葉を発することができたのはそこまでだった。闇属性魔法陣より放たれた黒閃が〈悪影〉の下顎から喉にかけてを虚空に変え、ほんの僅かな首の筋だけで繋がった頭部が、その自重を支え切れずに転げ、引きちぎれ、地上へと落下していく。
中空に残された〈悪影〉の巨躯も、頭を失えばただの肉の塊。急速に消え失せていく魔力の波動を上空に感じると、小さな黒い物体が地表に落下して爆ぜた。
それに遅れて、“召喚霊装”が解けたネイサル本来の胴体が俺の真横へと落下し、血潮と肉片ぶちまけて四散した。
「制服が汚れる」
すかさず羽虫を追い払うように手を振り、飛び散る血肉の全てを氷結させた。
急速に静けさを取り戻していく森林地帯周辺を見渡し、今の戦闘を見聞きした者が万が一にもいないことを確認しておく。
そして、森林地帯の向こうから複数の魔力が接近してくるのを感じた。
「ベオルード団か……」
ケインたちが眠るキャンプへと振り返りながら、パチンッ——と指を鳴らすと、氷結したネイサルだったのもが粉々に砕け散り、そよ風に舞って血の一滴すら残さず消え失せた。
「ヘリアルたちよ、すぐに戦闘の跡を消し去って元通りにし、姿を隠しておけ」
俺とネイサルの戦闘を遠巻きに見ていた無数の小動物型ヘリアルたちが蠢き、即座に吹き飛んだ地表に、切り刻まれた草花へ擬態していき、見た目だけでも元通りにしていった。
その様子を横目に、すっかり寝入ったケインたちのところに歩いていく。
ネイサルの身柄を生きたまま捕獲し、背後関係の証拠を掴んでおきたかったが、これはリーデと魔戦騎に任せることにしよう。
“無音結界”を解除し、“睡夢の世界”も解除した。
これで少し経てばケインたちの意識は眠りの世界から帰り、ベオルード団との合流には何の問題もない。
魔獣討伐の成果を得て、俺たちの南部遠征は課程を終えて王都への帰還をとる。キーラに課せられた罰通りに動けば、飛空挺を呼び寄せて空旅での旅路だ。
ミルズ大陸の絶景を見下ろしながらの空旅は、さぞ楽しいものになるだろう。
そしてそのあとは……この襲撃に対する対価をしっかりと支払ってもらう。
「リーデ、聞こえるか」
『はい、ラグナ様』
耳につけている銀のイヤリングに魔力を通し、小声で呟くようにリーデの名を呼べば、即座に王都で俺の帰還を待つリーデの声が響いた。
「南部遠征中に、ネイサル・ガストが俺を狙って————」
『畏まりました。直ちに王都を復讐の業火で焼き尽くし、人族の一匹たりとも逃さず深淵の底へと引き摺り込みます』
まだ話し始めたばかりだったが、耳朶に響くリーデの低く通る声は瞬く間に静かな怒気を纏い、人族への死刑宣告とも言える呪詛を吐き出し始めた。
『さらに王都の中心部に奈落を呼び出し、命だけでなく都市もろともこの世界から消滅させ、ラグナ様に危害を加えた罪を人族全ての命と歴史と文化で償ってもらいます』
「まぁ待て、ネイサルの背後にいる組織————学園統括委員会のことが気になる。まずはこの組織を調査し、その一員であるベケットについて徹底的に調べろ」
『……畏まりました』
遠く離れた場所にいるとしても、こうしてリーデの声色を聞けば、今どんな表情を浮かべているのかは手に取るようにわかる。
「そう頬を膨らませるな、南部遠征の課題は終わった。出発時のルールを変え、王都への帰還はナグルファルを使うことになった———あと数日もすれば邸宅へ戻れる」
視界の端に目を覚まし始めたゼクスとケインの姿を確認し、仮眠をとっていた女性陣もモゾモゾと動き出しているのが判る。
森林地帯の中からは大きな歯車が回る音が響き始め、回収屋のベオルード団も森林地帯を抜けてくるだろう。
『ご帰還を……お待ちしております』
「あぁ、すぐに戻る……すぐにな」
そこで魔力の繋がりが切れたのを感じ、通話が終了した。
リーデのことだ————俺が帰還すると知れば、即座に迎える準備を始めるだろう。ミルズ大陸に潜伏させた一六年、それからこの数ヶ月の間、リーデの料理の腕はヘイム大陸にいた頃と比べて、飛躍的に向上した。
いや、豊富な食料や調理法をリーデも人族から学び、味の幅や深みがより一層増しているのだ。
その事実だけをみても、ヘイム大陸を離れてミルズ大陸で暮らす意味がある————生きる楽しみがある。
そして、人族の不穏な動きや〈召喚〉の新たな力は、俺の錬金術師としての興味と研究意欲を惹きつけてやまない。
このミルズ大陸での新生活は、より一層俺の暇を潰してくれそうだ————。




