第三十一話 毒
「みなさん、危険ですので下がってください――召喚魔装!」
フレイヤが左手に着けたグローブを天に掲げると、真紅の煌めきが装着された魔核から放たれた。
そしてフレイヤの頭上に巨大な魔法陣が出現し、明滅しながら降り注ぐ光がフレイヤの影を大きく、巨大な騎士の姿へと作り変えていく。
丘陵地帯の草原を伸びる巨大な騎士の影がゆっくりと起き上がり、フレイヤの体は巨影の腹部付近に吸い込まれるように浮き上がり、その漆黒の影に吸い込まれると同時に、揺らぐ巨影がハッキリと〈真影〉の姿を形作り出した。
立ち上がった〈真影〉から漆黒の膜が剥がれ落ちるように消えていくと、その下から青白い肌が現れた。
「投影型か」
ケインの背中から見つめるフレイヤの〈真影〉は、全身鎧に身を包む騎士型ではなく、全長一二mほどの女性の人型だ。
緑色のワンピースドレスを纏い、大きく開いた胸元からは青い肌と成熟した女性の乳房が見えている。
肌以上に蒼く美しい長髪が丘陵地帯を駆ける風に大きく靡き、手に持つのは眩いばかりに輝く白銀の円盾と、それとは対照的に泥沼から引き上げたように黒く汚れた三又の槍。
対照的なのはそれだけではない。美しい女性を模った上半身に対し、風に揺れる下半身のスカートはボロ布のように汚く、そこから伸びる脚は上半身の美しい肌とは全く違い、腐ったように黒く変色し、周囲には黒紫の靄が纏わりついている。
そして、素足が踏みしめる大地が腐り、黒紫の靄は草花を枯らし、遠く離れた俺たちの場所にまで微かな異臭が漂っていた。
『なんだよあれ……』
普段のフレイヤからは全く想像できない、美醜併せ持つ〈真影〉の姿に、ケインから驚きの声が漏れた。
面白い――。
それが俺の第一印象だ。何度でも言うが、召喚される〈真影〉の姿や能力は召喚者の精神・記憶・感情によって左右される。
つまり、目の前に立つ投影型の〈真影〉は、フレイヤの内面を映し出す姿見でもある。
美しい少女であり、学園でも清楚で優秀な王族の一人であったはずが、その内面の奥深くにはドス黒く腐った感情が渦巻いているということだ。
しかし、内面を映し出す姿見といっても、こうもハッキリと〈真影〉の容姿に反映されることも珍しい。
キーラが大型魔獣を弄んでいるアオイを回収し、俺とケインが見下ろしている位置まで駆け上がって来た。
『フレイヤの〈真影〉は一体なんですの?!』
『――魔獣よりも明らかに危険』
ケインの横に回り込んで来たキーラとアオイも、フレイヤの異様な〈真影〉に驚きを隠せなかった。
『その通りだ』
そして上空からゼクスの鳳が舞い降りて来た。
『フレイヤの〈真影〉は投影型だが、その戦闘形式は騎士型に近い近接攻撃型だ。だが、あの下半身から垂れ流している靄は吸った者の生命力を奪い、皮膚を腐らせ、思考能力を低下させる』
『それって……相当に危険な能力じゃないか?』
『その通りですの。敵味方の識別や、散布の有無を調整できませんの?』
『現状では出来ない――いずれ出来る様になる、と言うのがフレイヤの言い分だが、その訓練をするには学園や王都周辺で行うわけにもいかない。自然と未開領域が候補に上がり、その時期が今回の南部遠征になったと言うわけだ』
俺たちがフレイヤの〈真影〉について話し合っているうちに、その本人は三叉槍を片手で軽々と回転させ、足元の毒靄に指向性を与えて大型魔獣を包み込んでいた。
トカゲの大型魔獣は自身を包み込む毒靄を警戒しながら、首を鋭く左右に振って様子を見ていたが、その動きが段々と緩やかになり、大きなアギトからイボだらけの舌を垂れ出して動きを止めた。
毒靄が効いているのだろう。明らかに動きが悪くなった大型魔獣に、フレイヤの〈真影〉が一歩ずつゆっくりと近づいていく。その歩みが進むごとに草原が腐り、腐臭を吹き上げながら毒靄を一層濃くしていく。
そして手に持つ三叉槍の穂先を下に向けて持ち変えると、一気に魔獣の頭部を串刺しにした。
「見事だな。毒で動きを止めて、急所の頭部を一撃で貫く。命の狩り方をよく判っているやり方だ」
『なんだが、いつものフレイヤからは想像できない〈真影〉に戦い方だな……』
ケインの言う通り、その一撃はとても王族の姫様とは思えない、正確で迷いを感じさせないものだった。やはり、フレイヤの内心にはとても深い闇が広がっているに違いないし、その心を闇色に染めたのは間違いなく双子の兄であるユング・ミル・ブレイブだろう。
俺たちが見下ろす先で、フレイヤの〈真影〉が足元の影に沈む様に消えていく、毒靄も足元の影が吸い込むように消えていく――そして、最後に残ったフレイヤ本人は大型魔獣の潰れた頭部を少しの間だけ見つめ、こちらに振り返ると満面の笑みと共に声をあげた。
「みなさーん! 魔獣倒せましたー!」
――実に面白い。
フレイヤが見せる笑顔からは〈真影〉が持つ能力の凶悪さも、その外観から感じる邪悪さも全く感じなかった。
満面の笑みで微笑む表情に、ケインやキーラたちは気勢を殺がれた様にマヌケな返答をして召喚を解き始めた。
「ま、まぁ、これで南部遠征の課題はクリアになりますの」
「その通り」
「このぐらい一撃で仕留めてもらわなければ困る。魔核タイプの〈真影〉はそれだけ強力な召喚であり、お前らは第七セブンズジェム召喚科上級クラスの、トップパーティなんだからな」
俺とゼクスもケインの背中から飛び降り、せっかく調整した召喚獣を使わなかったな……などと考えながらフレイヤの元へと歩いていった。
もちろん、フレイヤが腐らせて黒く変色している部分を避けながら——。
「よ〜し、魔獣を狩った後の手順を説明するぞ」
フレイヤが討ち倒したトカゲ型の大型魔獣の前で、その潰れた頭部をポンポンっと叩きながらゼクスの説明が始まった。
「魔獣の解体には特殊な技能や知識が必要になる。ハンターの中にはその両方を持つものもいるが、お前たちの様なヒヨっ子は回収屋を呼ぶのが一番だ」
回収屋は未開領域などで活動する魔獣の死骸を解体・輸送するのを生業とする者たちのことだ。
ゼクスは鞄から契約した回収屋を呼ぶための発煙筒を二本取り出すと、大型魔獣を意味するオレンジ色と安全確保を意味する緑色の狼煙を上げた。
「これで学園が契約している回収屋――ベオルード団が準備を整えてここ向かってくる。呼び寄せた回収屋との照合はこの合わせ札を使う」
ゼクスが発煙筒の次の取り出したのは、ベオルード団が掲げる狼の紋章を二つに割ったものだ。
「討伐した魔獣を回収屋を装って奪い取る強盗団も少なくない。引渡しが完了するまでは、この場所を確保し続ける必要がある」
「それはどのくらいかかるんだ?」
「ベオルード団は未開領域の中に監視拠点を造っているから、数時間もしないうちにここへくるだろう。それまではここで野営し、魔獣除けの香を炊きながら待っているしかない」
ゼクスが言う通り、俺たちは大型魔獣の死骸の側でキャンプし、回収屋のベオルード団が到着するのを待つことを決めた。




