第二十三話 露天風呂
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脱衣所で裸になり、用意しておいた長布を腰に巻いて大浴場へと向かった。
わずかに霞がかかった空気に白い湯気、水で滑らないようにわざとザラザラにした岩のタイルをペタペタと踏み歩いていくと、そこに広がるのは未開領域の大森林を見下ろす大露天風呂だ。
「おっ、やっと来たかラグナ! 見ろよこの景色!」
白い湯気の向こうには、真っ白な縦割れをこちらに向けて大森林に仁王立ちするケインが待っていた。
「あ〜ラグナ、ここの作法は先に体を洗ってからだ。これを守らねぇと周りのハンターにドヤされるから気をつけろよ」
まっすぐ湯船に向かおうとしたところを、浴場の壁側で体を洗い出したゼクスに言い止められた。
なるほど……それでケインの背中には真っ赤な紅葉模様が幾つも付いているのか。
「ちょ、ゼクス! この裏切り者!」
「はっは、悪いなケイン。ラグナの身の安全はお前の悪巧みよりも優先されるのだ」
「そこからもお湯が出るのか?」
ケインの悪ふざけはいつものことだから構わないが、俺の興味はゼクスが桶に溜めている水にあった。
ゆらゆらと立ち上がる湯気を見れば、それがお湯なのだとはわかるのだが、大露天風呂の温度を保つためにお湯を循環させるシステムに個別の取水口、そのどれもが今までの人族にはない設計思想と技術力を感じさせた。
「凄いだろ。このシリル砦の住環境設備は他国から流れてきたハンターが伝えたものだ。元々、その国の勇者が自国に広めていたものらしいが、あまりの快適さにハンターたちが周辺諸国に広め回ったそうだ」
「ハンターから?」
ゼクスの横に座り、見よう見まねで桶にお湯を溜め、長布を濡らして体を拭いていく。体を洗うための石鹸は、リーデがハイネルに用意させたものを持ち込んでいる。
元魔王たるもの、いついかなる時も清潔に――と持たされたものだ。
「普通なら開拓村にこんな設備は作られないぞ。ここには召喚水があったからな、他国のハンターたちも面白がって技術者を連れ込んで造らせたそうだ」
「他国のハンターがそれでいいのか?」
「出身国のお偉方は面白くないだろうな――だが、結局のところ獣核を持ち帰って自国の強化につながれば、どこで魔獣を狩ろうと関係はないのさ」
「そんなものか」
「そんなものだ」
桶に溜めたお湯を頭からかぶり、石鹸の泡を洗い流して立ち上がる。
これで事前準備は完了したはず、魔族にはない露天風呂という人族の文化にはとても興味がある。
この集団で利用する公衆浴場というものも、魔族の住むヘイム大陸ではほとんどない。入浴をする文化がないわけではないが、一人用の風呂釜で水を温めて入浴するのが、魔族の一般的な入浴方法なのだ。
膝下あたりまで高くなっている縁を跨ぎ、なみなみと満たされた湯船の中へ足を入れる。
「っく〜ぅ」
足の指先からふくらはぎへと伝わる熱さに、思わず声が出る。
「ジジくさい声はやめろ、お前は一体いくつだラグナ――」
――魔王として五〇〇年+数百年だ。
俺を追い越して湯船の中を進むゼクスの背中にそう言ってやりたかったが、そこはあえて黙っておく。
木の浴槽からは、嗅ぐだけで気分が安らいでくる木そのものの匂いが薫り、未開領域を見下ろす縁に背を預けながら体を湯に沈めれば、体の芯にまで伝わる熱さが心地いい。
「ふぅ〜」
あまりの心地よさに視線を上に向けると、雨よけの木屋根が美しく組まれているのが見える。
「どうだラグナ、これだけの絶景と気持ち良さを兼ね備えた大風呂は、王都の上流階級でもそうは持っていないぞ」
「確かに……これだけのものは金をいくらかけても造れるものではないな」
「そうだろう?」
俺の横に腰を下ろしたゼクスが、お湯で顔を軽く洗いながら自慢げに鼻を鳴らす。
大きな浴槽には屈強なハンターが何人はいっても余裕があり、一定間隔で作られた獅子顔の彫刻からは熱いお湯が湯船から溢れるほどに注がれている。
縁に胸を当て、露天風呂の外側がどうなっているのか見下ろしてみると、数m下に落下防止用の網が張られ、浴槽から溢れ出たお湯が滝のようにして数十m下の大森林に降り注いでいた。
「あんまり覗き込んで落ちるなよ」
「落ちても死ぬことはなさそうだが、どうやって上がるんだ?」
「脱衣所の従業員にロープを借りて登るんだ。有料だしかなり高額だからふざけて降りるんじゃないぞ。特にケイン、お前は――?」
そういえば、同じ浴槽に腰を下ろしているはずのケインが見当たらないな――そう考えたのと、ゼクスが浴場の壁に耳を当てているケインを見つけたのは同時だった。
「ケイン、何をしているんだ?」
ゼクスと顔を見合わせ、湯船から腰を上げてケインの側に近寄ると――。
「し――ッ! ラグナ、声を小さくしろ」
ケインは壁に耳を当てたまま視線だけをこちらに向け、小声で注意してきた。
「まさかケイン……聞こえるのか?」
ゼクスはケインが何をしているのか即座に理解したようだ。
「あぁ、聞こえるぜ……」
その答えと同時にゼクスも壁に張り付き、片目を細めながら何かに集中していく。
「――ッ! まさか本当に聞こえるとは……」
一体何を――いや、大浴場の中央部を走る大きな岩壁とこの露天風呂の構造を考えれば、壁の向こう側は女子用の大浴場があるはず。
やれやれ、まだ若いケインはしょうがないとして、指導教官としてパーティーに参加しているゼクスまでこれとは――これも、開放的な露天風呂の成せる業なのか……。
「おいラグナ、お前も突っ立ってないでこっちに来いよ!」
可愛らしい小僧たちの関心を微笑ましく見ていると、ケインの手が伸びて俺を壁際へと引っ張り込んだ。
「ここに耳を当ててみろ、ちょうど音が響いて向こうの様子が判るぜ」
「落ち着けケイン、俺はこんなことに――」
――興味はない。そう繋ごうとしたが、確かに音が反響して向こう側の様子が見えてくる――。
取水口から流れるお湯の音、誰かが鼻歌を歌いながら体に布を滑らせる音、ペタペタと歩く足音がザラザラした床タイルの感触を楽しむかのように踊っている。
『アオイさんの髪……とても綺麗ですね』
『――あ、ありがと。フレイヤの肌も、すごく――白い』
『それに、とても柔らかいですの』
『あ――ッ、ちょ、キーラさんどこを――』
『フレイヤは小ぶり、キーラは丼ぶり』
『あらアオイ、貴女もバランスは悪くなくてよ。腰は引き締まっていますし、その綺麗なうなじ……』
『キーラは少し緩い』
『もー! アオイさんもキーラさんも、私の体を触りながら平然と会話するのはやめてください!』
聞こえてきた声はアオイとフレイヤ、そしてキーラの声。流れる水の音と黄色い女子の笑い声、飛び散る水飛沫の音は取水口を塞いで遊んでいるのだろうか。
聞こえてくる音から、三人の姿がありありと浮かび上がってくる。
「っく〜〜〜! 声だけじゃ我慢できねぇ!」
「おい、ケイン、これ以上はさすがに不味いぞ。あの三人だけなら殴られて許してもらえるかもしれないが、女ハンターも一緒にいたら命を取られかねん」
「ゼクスの言う通りだ、ケイン」
「な、なんだよ……ラグナ、お前まさか……!」
俺の目の前で壁に耳を当てていたケインが驚愕の表情を浮かべ、赤く火照った鼻から血が垂れ落ちる。
「ほぅ、堅物そうに見えて経験豊富なようだな……そういえば、ラグナのメイドたちは相当な美人揃いらしいな、俺は仕事で壮行会には参加できなかったが、教員たちが噂しているのを耳にしたぞ」
「カ、カルラちゃんとか?! そ、それとも、あの銀髪のお姉さまか?!」
「銀髪――リーデのことか……まぁ、間違ってはいないな」
「な――ッ!! ぜ、ゼクス……」
「ケイン、焦って事を起こしても早打ちするだけだぞ」
「おいおい待て待て! オレだって経験がないわけじゃないんだぞ?! だが、この件でラグナに遅れを取るわけにはいかねぇ!」
そう言って再び壁に張り付いたかと思えば、今度は鼻血を垂らしたまま口を開けて硬直した。
まったく面白いやつだ。今度は何が聞こえたんだ?
向こう側の会話に興味が湧き、俺も音が響いてくる場所に再び耳を当ててみる――。
『キーラさんとケインさんは入学前からのお知り合いなんですよね?』
『そうですわ。生まれた時から隣同士、それからずっと腐れ縁が続いていますの』
『なんだか、いいですね――幼馴染というか、古い友人というか……』
『切りたくても切れない鎖ですの、何も羨ましがることはありませんのよ』
『そんな……私は小さい時から離宮暮らしでしたから……』
壁に反響して聞こえてきたのは――湯船のお湯が縁に当たる波音と、そこに浸かって話をする三人の声。
ザブンッ、と一際大きくお湯の流れる音がする――。
『フレイヤは私と一緒――』
『アオイさん……』
『ふふっ、ワタクシもいますの』
『えっ? ちょ、ちょっと二人とくっつきすぎです〜!』
今度は湯船の中でキャッキャと笑いながら体を寄せている姿が思い浮かぶ――三人の声を微笑ましく思いながら意識を正面に戻すと、そこにいたはずのケインの姿がなかった。
「ゼクス、ケインはどうした? おい、ゼクス――?」
俺の背後でずっと壁に耳を貼り付けていたゼクスが、何度目かの呼びかけで俺に気づいた。
「な、なんだラグナ、今いいところなんだが?」
「何がいいところなのか判らないが、ケインは上がったのか?」
「ケイン? ケインなら確かに上がっているな……あいつ死ぬ気か?」
そう言いながら、ゼクスの視線が俺の頭上を越えてさらに上へとあがっていく。その動きにつられるように俺も振り返って視線を上げると――。
「……ケイン、お前死ぬ気か?」
「ラグナ、ゼクス! これは南部遠征の成功を占う大事な儀式だ。俺は死地へと向かい、至宝を手に入れて必ず戻る!」
見上げた先で壁に張り付いているケインは、長布一枚を腰に巻いて男湯と女湯を仕切っている壁を移動していた。
手と足を器用に使い、僅かな凸凹に指を掛けて露天風呂の外側へ向かうつもりなのだ。壁の上は美しく組まれた木造の屋根によって塞がれている。
反対側の浴場を覗き見るとすれば、落下の危険を顧みずに張り出した壁を移動するしかないのだが……。
「ケェェイィィン!! 貴方は何をやっていますの!!」
「うわぁッ! あぁぁぁぁぁぁぁぁ――!!」
壁の向こうにケインが消えたかと思えた瞬間、キーラの怒号と共に絶叫が轟いた。
どうやら、ケイン・マグナートの大冒険は、至宝を得ることができずに終わったようだ……。




