第十七話 壮行会
『乗船した教員及び生徒諸君、これより飛空挺を立ち上げて浮上させる』
ナグルファルの頭部――コクピットブロックには船長席を含めて三つの座席が用意してある。今そこには俺とリーデ、そして魔戦騎のエイルが座っている。
ナグルファルが本物の〈真影〉ならば、召喚者の意思一つで声を内外へ届けることが出来ただろう。
だが、擬装〈真影〉であるナグルファルにはそんな能力はない。すべては〈魔法紋〉と魔法によって繋がり、片耳に着けている小さなリングイヤリングが俺の声を拾い、それをナグルファルに伝えて拡声し、艦内放送として流している。
『各自揺れに備えるように――浮上を開始しろ』
俺の命令に反応し、一六年前に俺の分身を消滅させた勇者コウタより奪った皇魔核が、ナグルファルの心臓部にあたる動力室で莫大な量の魔力を生成し始める。
激流の如く流れ出す魔力はナグルファル全体へと循環し、白銀の船体からは魔力の奔流が赤い粒子となって溢れ出ていた。
四つ足を折り畳み、腹部を演習場に着けるように着陸していたナグルファルがゆっくりと起き上がる。
ナグルファルが動き出したことにより、いよいよ空へと舞いあがる期待感から歓声が沸き上がるのが聞こえる。ナグルファルの背部には強化ガラスに覆われた展望デッキがあり、乗客の殆どがそこで小さくなっていく王都の街並みを見下ろしていた。
サンダードラゴンの素体を流用してはいるが、ナグルファルは翼を羽ばたかせて飛行するわけではない。両翼の役目は溢れ出る魔力に方向性を与えること、その流れに乗ってドラゴンはその巨躯を飛翔させるのだ。
ナグルファルも原理は同じ。皇魔核が生み出す爆発的な魔力に方向性を与えて噴射し、両翼を展開してその流れに乗る。
つまり、飛行時の揺れは殆ど感じることはない。さらには全長一三〇mにも達する巨大飛空艇は、流れるように飛行する感覚すら乗員に与えることがない。
乗客が感じるのは上空から見下ろす風景が水の流れのように緩やかに、そして触ることすらできそうなほどに近くを流れる雲の姿に見惚れるだけだ。
『ファフニールは高度一二〇〇mほどにまで上昇した。これより王都近郊の上空を周回飛行する。給仕たちは料理の準備を、生徒たちは内部の格納庫に集合を』
展望デッキから生徒たちが内部へ移動していく。格納庫とは言ったが、ここに格納されるものは資材などではない。そこは鳥類型ヘリアルの待機場所であり、扉一枚で仕切られる展望デッキはそもそも出撃時のカタパルトデッキだった場所だ。
「エイル、この場所は任せて大丈夫だな?」
「はい、ラグナ様」
「リーデ、ハイネルと合流して参加者の人数を確認しておいてくれ。改修が済んでいる場所なら見られても問題ないが、動力室やプライベートな区画に侵入しないよう、常に人数と動向を把握してくれ」
「畏まりました」
「ラグナ様、もしも進入禁止区画に侵入した不敬者がでた場合はどう致しますか?」
「そこで誰が、何を見たかによるな……処理するタイミングも考えなくてはならない。面倒にならないよう、まずは侵入させないように努めてくれ」
「かしこまりました」
リーデとエイルが席を立ち上がり、深く頭を下げるのを横目にコクピットブロックから出て、もうすぐ壮行会が始まる格納庫へと向かった。
「召喚科新入生の諸君、入学からの研鑽の日々はどうだっただろうか? 南部遠征では各自の〈真影〉を大いに活躍させ、どうか心身ともに無事で帰還してほしい。そしてなにより! 手に入れて欲しい! 各々が望むすべてを! 〈召喚〉という奇跡を手に入れた我々人族は、この世界のすべてを手に入れるに相応しい種族へと進化した。その第一歩たる遠征が、ブレイヴ王国の悲願とも言える南部大森林の開拓だ――」
壮行会では学園長からの訓示が行われ、少数だが飛空艇の視察と称して乗船してきた学園統括委員会という組織からの来客が挨拶、それらに返すようにして生徒代表――これはフレイヤ・ミル・ブレイブのことだが、南部遠征に向けての意気込みを語り、壮行会という式典はつつがなく執り行われ、あとは再び展望デッキに戻って食事会に移行するだけだ。
しかし、この壮行会もまた――。
「ったく、退屈な話だったな」
隣に座るケインが俺の気持ちを代弁する――人族はどうしてこんなにも退屈な行事を事あるごとに並べ立てるのだろうか?
ミルズ大陸で復活し、ヘイム大陸の魔族たちから離れて生活し始めたものの、暇すぎて学園生活を経験する選択肢を採ったわけだが……こんな退屈な行事に何度も参加させられるとは思わなかった。
「だがそれも終わった。後はゆっくりと食事を楽しもうじゃないか、リーデが王都の有名料理人を多数呼んでいる」
「そりゃぁすごい! 王都の街並みを見下ろしながら美味い料理を食べて、美味い酒……は出るのか?」
「残念ながら、酒精抜きの飲み物しか用意していない」
「マジかよぉー」
ケインは格納庫から展望デッキへと続く通路上で天井を仰ぎ見て、両目を右手で覆い嘆きつつも――その口はどこかにやけている。
「……持ち込んだのか?」
「大丈夫だって! 飛空艇だって船の一種だろ? 酒精分はほんの僅かな物しか持ってこないように言ってあるからさ!」
言ってある……? 俺とケインが歩く後ろから、笑いを堪えるような音が漏れ聞こえてくることに気付き振り返ると、同じクラスの男子生徒たちが各々手に果実酒のビンを持ち、満面の笑みを浮かべてついてきていた。
「……船内で吐いたら二度と乗せないからな」
一応の忠告はしておいたが、男子たちのニヤけ顔を見るに、無駄な忠告となるかもしれない……吐いたら絶対に許さないだろう――リーデが。
「あ~! ここにいましたね、レイくん、レイく~ん!」
展望デッキへと繋がる扉まで来たところで、後ろから担任のシスに呼び止められた。
「なにか?」
「学園統括委員会の方々が、飛空艇についていくつか質問をされたいそうです~」
「……その人たちは今どこに?」
「まだ壮行会の会場に残っていますよ~。どこか話ができる場所はありますか~?」
「これだけの〈召喚〉だからな、色々と聞きたいんだろうよ。オレたちは先に楽しませてもらうから、オマエはお偉いさんたちとごゆっくり~」
ケインや他の男子生徒たちが俺を追い越して展望デッキへと走って行く。
しょうがない、学園統括委員会とやらにナグルファルの艦内を好きに歩かれても困る。
「さぁレイく~ん、私たちは会場へ戻りましょう~」
シスに手を引かれながら格納庫へ戻ると、そこには壮行会で挨拶をした学園統括委員会のベケット委員と、見覚えのない中年男性が待っていた。
「学園統括委員会のベケット委員のことはもう覚えましたよね~? こちらはブレイヴ王国のエインズワース軍務大臣ですよ~。はい、ご挨拶しましょう~」
「ラグナ・レイです」
ベケット委員は細身の体に分厚い眼鏡で研究職であることが窺えたが、エインズワース軍務大臣の鍛え上げられた体躯を見るに、軍部で相当に叩き上げられた人物なのだろう。皺の多い顔に禿頭、歳は五〇代だろうか。
しかし、なぜ軍務大臣などという重役が来ている? 事前の来賓リストには名前がなかったはずだ。
「学園統括委員会のベケットです。レイ君の〈真影〉には驚かされることばかりです」
「エインズワースだ。レイ、君にはいくつか聞きたいことがある。どこか場所を移せないか?」
周囲の目をしきりに気にしているエインズワース大臣のそぶりを見るに、他に聞かれては困る話ということか――。
「――それでは小会議室に」
「レイくん、レイく~ん? 〈真影〉はこのままお空を飛んでいるのかな~?」
「王都の外縁をゆっくり周回するように命令してある。少しくらいならコントロールしていなくとも落ちはしないさ」
「それを聞いて安心で~す! それではちっちゃな会議室へ移動しましょう!」
「あー、トーレス先生、すまないが君は席を外してくれないか?」
「えっ?」
ベケット委員にそう言われ、シスの視線は俺と委員の間を何度も行き来し、困惑の表情を浮かべていた。クラスの担任として、委員や軍務大臣と生徒一人で話をさせることに抵抗があるのだろう。
「一人で大丈夫だ。ここは〈真影〉の腹の中、別にとって食われるわけでもないし、喰う準備が出来ているのは俺の方だ」
「そ、そうですか……?」
「ベケット委員、大臣、こちらに」
シスを格納庫に残し、ベケット委員とエインズワース軍務大臣を案内したのは六人掛けの円卓が用意された小会議室。
ナグルファルは今後、俺の――俺たちの手足となって運用していくことになる。ゼブンズジェムのパーティメンバーたちと、リーデや魔戦騎の三人たちと共に乗り込むことになる。
そのため、改修するときに一堂に会する場所をと思い、この部屋を用意した。
円卓を挟み、委員たちと向かい合うように座って話し合いは始まった。




